簡単に婚約破棄できると思わないで下さい

nanao

文字の大きさ
16 / 19
エリーヌの企み

17エリーヌの企み

しおりを挟む
「殿下。アムスン男爵の事ですが」

 クラウスの頼みを聞き入れたエリーヌは、彼を馬車に乗せ王都を出た。
 二人は同じ馬車に同乗し、アムスン男爵領に向かっている。
 卒業パーティの後、リリアナが実家に戻っている事をエリーヌが告げた為だ。

 妥当ではあるが、なぜ断言出来るのかとクラウスが聞くと、エリーヌは意味ありげに笑って答えなかった。

 きっとまた、決闘で負けた誰かに命じてリリアナの様子を覗わせていたのだろう。
 同じ年だというのに、側近の一人もいなくなってしまった自分と比べてクラウスは落ち込んだが、それが暴走した結果だというなら、受け止めないわけにはいかなかった。

 ずいぶんな差がついてしまったものだと思う。
 婚約した時、クラウスはエリーヌを手に入れたと思った。
 だがそれは錯覚だった。
 いまは彼女が、とても遠い存在のように感じる。

「なんだ」

 なかば反射的にそう答えたクラウスは、エリーヌの次の言葉に目を見開いた。

「男爵には殿下の事は伝えておりません」

 王都を出る前、エリーヌは訪問の約束をするためにアムスン男爵に手紙を出していた。返事が届く前に王都を出て、旅の途上で返事を受け取る予定になっている。
 訪問を断られたら近くの街に宿をとり、持久戦でいく予定だ。

「どういう意味だ」

「リリアナ様とお会いしたいのでしょう」

「あたり前だ」

 そのために王都を抜け出してきた。本来王子であるクラウスが公務に関係なく王都を出るなどありえない事だったが、エリーヌの馬車に同乗していたら誰にも止められなかった。

 もちろん、クラウスの気持ちを見越してエリーヌが根回ししておいたおかげだが、そんな事クラウスは知らなくていいと彼女は思っている。

「攻略する壁は、低い方がよろしいかと」

「お前はなにを言っているんだ」

『攻略』とか『壁』とか、意味がわからない。

「男爵の大切な娘を傷つけたのです。殿下への印象が良いとは思えません」

 はっきりと言われて、クラウスもやっと気づいた。これから訪問するアムスン男爵家に、クラウスはきっと歓迎されないだろう。

 ルゼッタ公爵家を訪問する時はあれほど緊張していたというのに。気の緩みとは恐ろしい。あまりにも王都から簡単に脱出できてしまったので、なにもかも上手くいくような気になっていた。

「それは…そうだが」

「兵は詭道なり。厚い壁を壊すには奇襲が一番です」

 澄ました顔でエリーヌが言う。とても淑女の口から出てくる言葉ではない。
 こういう気取らないやり取りは嫌いではなかったが、エリーヌの将来が心配になってしまう。こんな性格で、この先大丈夫だろうか。

「お前はまた、そういう事を」

「誠実であれば解決するほど、容易な事態ではございませんよ。それはお分かりですか?」

 クラウスは反省した。のんびりしていたクラウスの方が悪かったのだ。エリーヌは、リリアナに会いたいというクラウスの為に骨を折ってくれているというのに。

「…わかった。お前に任せる。俺はどうすればいい」

「男爵はいま、わたくしの来訪を恐れていると思われます。まずは誤解を解き、落ち着いていただきます。殿下の事は頃合いを見てお話ししますので、それまでは大人しくなさっていて下さい」

「お前、それでは」

「なにか?」

 反省した舌の根も乾かぬうちに前言を撤回したくなる。

「男爵が気の毒ではないか」

 つまり騙し討ちだ。あまりにも悪辣ではないだろうか。

 エリーヌは、呆れたような、困ったような顔をした。

「この先も。殿下がリリアナ様と幸せになるには、多くの人を傷つける事になるでしょう」

 いつも見ていた冷たい顔ではない。
 彼女は多くの人を傷つける事をなんとも思っていないわけではなかったのだ。
 企みながらも彼女は、痛みを感じている。その事が、いままでのクラウスには分からなかった。

 いまになって感じ取れるようになったのは、彼女が隙を見せているからだろう。
 婚約破棄を宣言した後、再会してからのエリーヌは退職して肩の荷を降ろした者と共通する気楽さがあった。
 その理由に、クラウスは思い当たらない。

「なぜ止めないんだ」

「殿下には幸せになっていただきたいからです」

 寂しそうに、エリーヌは笑った。
 以前には分からなかった。微妙な心の綾を、いま彼女は見せている。

「お前はどうなんだ。俺がリリアナとの未来を選ぶ事に、どんなメリットがあるんだ」

「わたくしの事は、よろしいのです。こうなる事は、分かっておりましたから」

 こうなる未来が分かっていた。だからいいのだと彼女は言う。

 それでいいはずがない。クラウスは何かに耐えるように、拳を握りしめた。



 馬車の旅は続く。
 それだけアムスン男爵領が王都から遠いということだ。

 一月ほど馬車に揺られ、二人はやっと男爵領内に入ることが出来た。

 この一月ずっと顔を合わせていたので、クラウスはすっかりエリーヌに慣れてしまった。男女の仲が深まったわけではない。男同士のような気楽な関係になってしまった。
 いまとなっては何故エリーヌをあれほど恐れていたのか、まったくわからない。

 馬車の小さな窓から外を眺めているエリーヌは、頬を緩めている。一月も一緒にいるのだから珍しい事ではなかったが、今日はひときわ嬉しそうだ。

「なにを見ている」

 不思議に思い訊ねると、彼女はクラウスを見てその視線を誘導するように再び窓の外を眺めた。

「領民が、笑っておりますわ」

 それがどうだというのだろう。

「日常の仕事の中で笑っているのです。きっと領主が善く統治なさっているのでしょう。アムスン男爵は領民にとっていい領主のようですね」

「そんなものか」

 領地や民衆の事は、クラウスにはよくわからない。教わったのは人を支配する術ばかりだ。

「ええ。殿下もフォートランの領主におなりあそばせたのですから、善く統治されている領を見るのは勉強になりますわよ」

「そんなものか?」

 言われてみれば、クラウスは領主になったのだった。いままでのように知らないでは済まされないだろう。

 実は中央貴族のほとんどは、領地経営は専門家に任せて宮廷で暗躍することに勤しんでいるのだが、そんなことクラウスが知るよしもない。

 エリーヌと旅に出ず、直接フォートラン領に行っていれば、領地を預かる家令にその事を教えられたかもしれないが、エリーヌは領地経営は領主が行うべしという主義主張の持ち主だった。

 箱入り娘のように、王城という小さな世界で育ったクラウスには、領民の心が豊かであるという事がどんな意味を持つのか、ピンと来なかった。

 よく分からないものの、エリーヌの勧めに従い小さな窓から外を眺めると、明るい空の下、長閑な田園風景が広がっていた。

「笑っているな」

 畑仕事をしながら、荷車を運びながら、互いに声をかけあい、挨拶ついでに世間話に興じる日焼けした泥臭い顔の人々の笑顔を、クラウスは不思議そうに眺めた。

 いままで見たことの無い別世界のような牧歌的な風景を、クラウスは小さな窓からぼんやりと眺め続けていた。

 こういうところは子どもの頃のままだ。

 根が素直なのだ、彼は。騙されやすくもあるが、真っ直ぐに太く育てば、それは王として大事な資質になる、とエリーヌは思う。

 笑っている人々を見るのが気に入ったのか、いつまでも小さな窓の外を眺めているクラウスを、エリーヌも微笑ましく眺めていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無能妃候補は辞退したい

水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。 しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。 帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。 誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。 果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか? 誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

私を捨てた婚約者へ――あなたのおかげで幸せです

有賀冬馬
恋愛
「役立たずは消えろ」 理不尽な理由で婚約を破棄された伯爵令嬢アンナ。 涙の底で彼女を救ったのは、かつて密かに想いを寄せてくれた完璧すぎる男性―― 名門貴族、セシル・グラスフィット。 美しさ、強さ、優しさ、すべてを兼ね備えた彼に愛され、 アンナはようやく本当の幸せを手に入れる。 そんな中、落ちぶれた元婚約者が復縁を迫ってくるけれど―― 心優しき令嬢が報われ、誰よりも愛される、ざまぁ&スカッと恋愛ファンタジー

処理中です...