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第4章
4.ずっと好きだった
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息を切らして中庭に辿り着く。焦りながらユキの名前を叫ぶと、植木の間から当の本人がひょっこりと顔を出した。
「あ、トーヤ! どうしたの?」
「ユキっ! 何があった!? 怪我は!?」
「え? 怪我って……?」
慌ててユキに近寄ったが、ユキはきょとんとした顔で俺を見つめている。
「は……? いや、リサが、ユキが危ないって……」
「え、リサちゃんが? わたし、お茶会のあとにもう少しお花を眺めてたかったから、ここにいただけなんだけど……」
「はっ!? あ、あいつ……!」
その瞬間、リサにはめられたのだと悟る。俺がここ最近、どこかぎこちなくユキと接しているのを彼女なりに気遣ったのだろう。それとも、無理矢理にでも思いを告げさせようとしているのだろうか。
どちらにせよ、ここまで来てしまったからにはこのまま部屋に戻るのも格好がつかない。仕方なく、近くにあったベンチに腰かけた。
「なんかよく分かんないけど、よかった! トーヤと話したいなって思ってたの」
ユキは状況を理解していないようで、嬉しそうに隣に腰掛けた。人のことを言える立場ではないが、ユキもなかなか鈍い性格をしている。
「あのね、今日は城の女の子たちとお茶会したの! いろんなお話できて楽しかったんだ」
「……そりゃよかったな」
「うん! あ、そういえばお菓子貰ったんだった。部屋に持って帰るとソウに食べられちゃうから、今食べようっと」
そう言ってごそごそと取り出したのは、小さなカップケーキだった。そしてそれを二つに割ると、片方を俺に差し出してくる。
「はい、トーヤ!」
「え……いいのかよ?」
「もちろん! ほら、おいしそうだよ」
黙って半分になったケーキを受け取る。仄かに菓子の甘い香りがして、意図せず腹が鳴った。
「あはは! トーヤ、お腹すいてたの?」
「わ、笑うなよ! そういや今日、何も食ってなかったな……」
「え、そうなの!? 駄目だよ、そんなんじゃ体壊しちゃうよ」
はい、と言ってユキが差し出してきたのはもう半分のケーキだ。
自分だって食べたいはずなのに、何の躊躇いもなくそれを差し出してくるユキを見て、昔の思い出が蘇った。
「……いいよ、半分で。お前、昔っからそうだよな」
「えっ?」
「出会ったばっかりの頃もさ、俺がガリガリに痩せてんの気遣って、自分の菓子とか俺にくれただろ。俺、それまでは自分で取った食べ物も気付いたら盗まれるような生活してたから、そんなお前が信じられねえって思ってた」
「そ、そうだったの……?」
今思えば、一国の王女であったユキは食べ物に困ることなどあるはずがなくて、俺に食べ物を分け与えたところで飢え死にするわけでもない。けれど当時の俺にとっては、何気ないそのユキの行動が信じられないほど嬉しかったのだ。
「だから俺、お前のこと命がけで守らなきゃ、って……ガキながらにそう思った」
こんなことをユキに話すのは初めてだった。
いつも、昔の話をするのはユキばかりだった。うっかり口を滑らせて、ユキへの想いを告げてしまうのを恐れていたからかもしれない。
「……そうだね。トーヤはいつも、わたしのこと守ってくれてるよね」
ユキが穏やかな表情でそう言った。
その横顔を見ていたら、普段は決して口にできないことも、今なら言える気がした。
「なあ、ユキ。お前、ソウのどこが好きなんだ?」
「へっ!? な、なんでそんなっ……!」
「いいから。真剣に聞いてんだ」
唐突な質問に、ユキは驚いたように俺を見る。照れていたら本当のことを言ってくれそうにないから、ずるいとは思ったが真っ向から聞いた。真剣な質問には、真剣に返してくれるのがユキだから。
思った通り、顔を赤くしてしばらく俯いていたユキが、意を決したように俺の目を見た。
「……真剣に、聞いてるのよね?」
「……ああ。理由は聞かないでほしい」
「わ、分かった……」
ユキに対して、こんな真面目な顔で接したことがあっただろうか。普段にはない俺の態度に、ユキも気付いている。
少ししてから、ユキがぽつぽつと話し始めた。
「あ、の……こんなこと言ったら、ソウに怒られるけど……正直、ソウのどこが好きなのか、よく分からないの」
「……は?」
「ソウのことは、本当に好きなのよ? でも、どこって聞かれると……だってすぐ意地悪するし、気まぐれだし、ちょっとしたことで怒るし、わがままだし」
「おい、それ愚痴になってねぇか……?」
「そ、そうなの! ソウのこと話そうとすると、なぜか愚痴になっちゃうの……あの、ソウには絶対言わないでね!?」
思っていたものとはかけ離れた答えに、俺は反応に困ってしまった。頼りがいがあるからだとか、いつも守ってくれるからだとか、そう言った類のことを答えると思っていたのだ。
でも確かに、端から見ていてもソウはユキにちょっかいを出しては嫌がられているし、ユキを決闘に出させたこともあるし、常に守っているとは言い難い。
ユキと同じように、何故か俺までソウの良いところを探そうと頭を捻ってしまった。
「あ、でも……一つ、いつも思うことがあるの」
「なんだよ?」
「あのね、ソウってああ見えてすごく弱いの。何でもできちゃうし、尊敬するところもあるけど……時々、小さい子どもみたいに見えるときがある」
「子ども……?」
「うん。決闘の前までわたし、ソウは完璧で、頼りがいのある人だって思ってた。そんなソウに憧れてたし、好きだった」
それは、俺が思っていたのと同じ答えだった。ユキが話すソウは、いつも冷静で大人びていて、そんなソウが好きだといつも語っていた。
「でも、決闘に負けてサウスに連れて来られて、結婚して……それまでわたしが好きだったのは、ソウのほんの一部でしかなかったんだって気付いたの」
そう語るユキの表情は、今まで見たことが無いものだった。照れているわけでもなく、喜んでいるわけでも、悲しんでいるのとも違う。長い間一緒にいて初めて見るユキの表情に、俺は釘づけになった。
「弱くて不器用で、わがままなソウを見たらね、嫌いになるどころか、わたしが守ってあげたいって思っちゃったの。もう、こんなだからソウに付け込まれちゃうのにね」
そう言って笑うユキは、俺の知っているユキではなかった。夢見る乙女のように、取り繕ったソウに恋をして、ただ守られるだけのか弱い少女ではなかった。
俺は何を見ていたのだろう。出会う順番が違っていたら、などと考えていた自分をぶん殴りたい気分だった。
俺がソウより早くユキに出会っていようがいまいが、ユキはソウを愛していたのだろう。
きっとこのことはソウすら知らない。自分たちが思っているよりずっと、ユキは強い。
そのことに気付かされた瞬間、締め切っていたドアが開かれ、爽やかな風が吹き抜けるような心地がした。
「な、なんか恥ずかしくなってきちゃった……あ、トーヤは!? トーヤは、好きな人いないの?」
急に照れくさい気持ちが戻ってきたのか、ユキが俺に尋ねる。
今までも、こうやって好きな人はいないのかと、何度も聞かれた。俺はそのたびにユキへの気持ちを押し殺して、「そんなのいない」と突っぱねてきた。
けれど、ユキの強さを知った今なら、臆することなく言葉にできる気がした。
「……ユキ」
「ん?」
「俺、ユキが好きだ。ずっと好きだった」
笑顔でそう言うと、ユキは一瞬なんのことだか理解できていないようだった。
沈黙が流れる。目を見開いて、俺の真意を探るかのように、ユキがじっと瞳を見つめている。
一度言葉にしてしまえば、あとは流れるように口から突いて出てくるようだった。
「家族としてじゃない。一人の女性として、ユキが好きなんだ」
「え……う、うそ……」
「俺がこんな嘘つくと思うか?」
「おも、わない、けどっ……!」
信じられないといった様子で、ユキは声を震わせた。
こんなに動揺するとは思っていなくて、俺は苦笑しながら震えるユキの手にそっと触れた。その瞬間、びくっと体が跳ねる。
「……悪い。驚かせたよな」
「あ、えっとっ……!」
「別に、これでこの先どうしたいってわけじゃねぇんだ。ただ、言いたかっただけで……だから自分勝手かもしれねぇけど、今までと同じように接してほしい」
出来る限り優しい声でそう言うと、ユキが困ったような顔で俺を見上げてくる。その仕草に思わず心臓が跳ねたが、冷静なふりをして握った手の力を強くした。
予想通り、ユキを困らせてしまった。しかし、俺の心は予想とは違って、やけに穏やかで、そして喜びさえ感じていた。
喉の奥でくつくつと笑うと、ユキが不思議そうにこちらを見る。
「あ、悪い……なんかよくわかんねぇけど、嬉しくて」
「……うれしい、の?」
「だってお前、今俺といて緊張してるだろ。それが嬉しい」
「へ、変なの……」
「変じゃねぇよ。俺のこと、男として見てるってことだろ? 今までなんて、平気で俺の前で着替えたり、抱き着いたりされて……結構傷ついてたんだからな」
「そ、それはっ……!」
「家族だから、だろ? 俺も後ろめたかったから今まで言えなかった。親父に家族になってくれって言われたのに、好きになっちまったからな」
ユキの顔が真っ赤だ。自分がその表情をさせていることに高揚しながらも、心のどこかでは冷静に、ソウに見つかったらやばいな、なんて考えていた。
このことが後々ソウの耳に入ってややこしいことになる前に、自分から伝えようと思った。ソウは正々堂々と俺に牽制してきた。もう結婚して、俺がユキをどうこうできる立場でもないのに、だ。
だから俺も、ユキに思いを告げたことをソウに伝えるつもりだった。今なら、胸の痛みを感じずに済みそうだ。
そんなことを考えていると、ユキがぎゅっと手を握り返してくる。それに反応してユキを見ると、真っ赤な顔のまま、消え入りそうな声で何かを呟いた。
「ん? なんだよ」
「あの、ね……一つだけ、訂正させて。……わたし、トーヤのこと、ちゃんと男の子として見てたよ」
「え……?」
「まだ、トーヤがノースに来たばっかりの頃……わたし、ソウのこと思い出して、よく落ち込んでたでしょ。その時トーヤが、俺だったら絶対お前にそんな悲しい顔させない、って……そう言ってくれたの、覚えてる?」
覚えている。けれど、ユキもそんな些細な言葉を覚えているとは思っていなかった。
何も言わない俺を見て、ユキは言葉を続ける。
「すごく、どきっとして……でもそのあと、家族だからなって」
「あ、ああ……」
「だからてっきり、トーヤは家族としてあの言葉を言ってくれたんだ、家族だから守ってくれるんだって思ってた。今まで、ずっと……」
好きだと言うのには緊張しなかったのに、ユキにそう言われた途端急に体が動かなくなってしまう。
手を握ったまま、俺たちはしばらく黙ったままだった。その沈黙を破ったのは、ユキだった。
「トーヤ、ありがとう。わたし、トーヤのおかげで今ここにいる」
「……そんなの、俺だってそうだよ」
まっすぐ俺を見据えてそう言って笑うユキを直視できなくて、俺はふいっと目線を逸らした。そのうち、なんだかおかしくなって、二人で笑いあう。
今さら思いを伝えたところで、失恋した傷を抉るようなことにしかならないと思っていた。
しかしユキの言葉は、ぽっかりと空いた胸の穴を暖かく埋めてくれるようだった。
「あ、トーヤ! どうしたの?」
「ユキっ! 何があった!? 怪我は!?」
「え? 怪我って……?」
慌ててユキに近寄ったが、ユキはきょとんとした顔で俺を見つめている。
「は……? いや、リサが、ユキが危ないって……」
「え、リサちゃんが? わたし、お茶会のあとにもう少しお花を眺めてたかったから、ここにいただけなんだけど……」
「はっ!? あ、あいつ……!」
その瞬間、リサにはめられたのだと悟る。俺がここ最近、どこかぎこちなくユキと接しているのを彼女なりに気遣ったのだろう。それとも、無理矢理にでも思いを告げさせようとしているのだろうか。
どちらにせよ、ここまで来てしまったからにはこのまま部屋に戻るのも格好がつかない。仕方なく、近くにあったベンチに腰かけた。
「なんかよく分かんないけど、よかった! トーヤと話したいなって思ってたの」
ユキは状況を理解していないようで、嬉しそうに隣に腰掛けた。人のことを言える立場ではないが、ユキもなかなか鈍い性格をしている。
「あのね、今日は城の女の子たちとお茶会したの! いろんなお話できて楽しかったんだ」
「……そりゃよかったな」
「うん! あ、そういえばお菓子貰ったんだった。部屋に持って帰るとソウに食べられちゃうから、今食べようっと」
そう言ってごそごそと取り出したのは、小さなカップケーキだった。そしてそれを二つに割ると、片方を俺に差し出してくる。
「はい、トーヤ!」
「え……いいのかよ?」
「もちろん! ほら、おいしそうだよ」
黙って半分になったケーキを受け取る。仄かに菓子の甘い香りがして、意図せず腹が鳴った。
「あはは! トーヤ、お腹すいてたの?」
「わ、笑うなよ! そういや今日、何も食ってなかったな……」
「え、そうなの!? 駄目だよ、そんなんじゃ体壊しちゃうよ」
はい、と言ってユキが差し出してきたのはもう半分のケーキだ。
自分だって食べたいはずなのに、何の躊躇いもなくそれを差し出してくるユキを見て、昔の思い出が蘇った。
「……いいよ、半分で。お前、昔っからそうだよな」
「えっ?」
「出会ったばっかりの頃もさ、俺がガリガリに痩せてんの気遣って、自分の菓子とか俺にくれただろ。俺、それまでは自分で取った食べ物も気付いたら盗まれるような生活してたから、そんなお前が信じられねえって思ってた」
「そ、そうだったの……?」
今思えば、一国の王女であったユキは食べ物に困ることなどあるはずがなくて、俺に食べ物を分け与えたところで飢え死にするわけでもない。けれど当時の俺にとっては、何気ないそのユキの行動が信じられないほど嬉しかったのだ。
「だから俺、お前のこと命がけで守らなきゃ、って……ガキながらにそう思った」
こんなことをユキに話すのは初めてだった。
いつも、昔の話をするのはユキばかりだった。うっかり口を滑らせて、ユキへの想いを告げてしまうのを恐れていたからかもしれない。
「……そうだね。トーヤはいつも、わたしのこと守ってくれてるよね」
ユキが穏やかな表情でそう言った。
その横顔を見ていたら、普段は決して口にできないことも、今なら言える気がした。
「なあ、ユキ。お前、ソウのどこが好きなんだ?」
「へっ!? な、なんでそんなっ……!」
「いいから。真剣に聞いてんだ」
唐突な質問に、ユキは驚いたように俺を見る。照れていたら本当のことを言ってくれそうにないから、ずるいとは思ったが真っ向から聞いた。真剣な質問には、真剣に返してくれるのがユキだから。
思った通り、顔を赤くしてしばらく俯いていたユキが、意を決したように俺の目を見た。
「……真剣に、聞いてるのよね?」
「……ああ。理由は聞かないでほしい」
「わ、分かった……」
ユキに対して、こんな真面目な顔で接したことがあっただろうか。普段にはない俺の態度に、ユキも気付いている。
少ししてから、ユキがぽつぽつと話し始めた。
「あ、の……こんなこと言ったら、ソウに怒られるけど……正直、ソウのどこが好きなのか、よく分からないの」
「……は?」
「ソウのことは、本当に好きなのよ? でも、どこって聞かれると……だってすぐ意地悪するし、気まぐれだし、ちょっとしたことで怒るし、わがままだし」
「おい、それ愚痴になってねぇか……?」
「そ、そうなの! ソウのこと話そうとすると、なぜか愚痴になっちゃうの……あの、ソウには絶対言わないでね!?」
思っていたものとはかけ離れた答えに、俺は反応に困ってしまった。頼りがいがあるからだとか、いつも守ってくれるからだとか、そう言った類のことを答えると思っていたのだ。
でも確かに、端から見ていてもソウはユキにちょっかいを出しては嫌がられているし、ユキを決闘に出させたこともあるし、常に守っているとは言い難い。
ユキと同じように、何故か俺までソウの良いところを探そうと頭を捻ってしまった。
「あ、でも……一つ、いつも思うことがあるの」
「なんだよ?」
「あのね、ソウってああ見えてすごく弱いの。何でもできちゃうし、尊敬するところもあるけど……時々、小さい子どもみたいに見えるときがある」
「子ども……?」
「うん。決闘の前までわたし、ソウは完璧で、頼りがいのある人だって思ってた。そんなソウに憧れてたし、好きだった」
それは、俺が思っていたのと同じ答えだった。ユキが話すソウは、いつも冷静で大人びていて、そんなソウが好きだといつも語っていた。
「でも、決闘に負けてサウスに連れて来られて、結婚して……それまでわたしが好きだったのは、ソウのほんの一部でしかなかったんだって気付いたの」
そう語るユキの表情は、今まで見たことが無いものだった。照れているわけでもなく、喜んでいるわけでも、悲しんでいるのとも違う。長い間一緒にいて初めて見るユキの表情に、俺は釘づけになった。
「弱くて不器用で、わがままなソウを見たらね、嫌いになるどころか、わたしが守ってあげたいって思っちゃったの。もう、こんなだからソウに付け込まれちゃうのにね」
そう言って笑うユキは、俺の知っているユキではなかった。夢見る乙女のように、取り繕ったソウに恋をして、ただ守られるだけのか弱い少女ではなかった。
俺は何を見ていたのだろう。出会う順番が違っていたら、などと考えていた自分をぶん殴りたい気分だった。
俺がソウより早くユキに出会っていようがいまいが、ユキはソウを愛していたのだろう。
きっとこのことはソウすら知らない。自分たちが思っているよりずっと、ユキは強い。
そのことに気付かされた瞬間、締め切っていたドアが開かれ、爽やかな風が吹き抜けるような心地がした。
「な、なんか恥ずかしくなってきちゃった……あ、トーヤは!? トーヤは、好きな人いないの?」
急に照れくさい気持ちが戻ってきたのか、ユキが俺に尋ねる。
今までも、こうやって好きな人はいないのかと、何度も聞かれた。俺はそのたびにユキへの気持ちを押し殺して、「そんなのいない」と突っぱねてきた。
けれど、ユキの強さを知った今なら、臆することなく言葉にできる気がした。
「……ユキ」
「ん?」
「俺、ユキが好きだ。ずっと好きだった」
笑顔でそう言うと、ユキは一瞬なんのことだか理解できていないようだった。
沈黙が流れる。目を見開いて、俺の真意を探るかのように、ユキがじっと瞳を見つめている。
一度言葉にしてしまえば、あとは流れるように口から突いて出てくるようだった。
「家族としてじゃない。一人の女性として、ユキが好きなんだ」
「え……う、うそ……」
「俺がこんな嘘つくと思うか?」
「おも、わない、けどっ……!」
信じられないといった様子で、ユキは声を震わせた。
こんなに動揺するとは思っていなくて、俺は苦笑しながら震えるユキの手にそっと触れた。その瞬間、びくっと体が跳ねる。
「……悪い。驚かせたよな」
「あ、えっとっ……!」
「別に、これでこの先どうしたいってわけじゃねぇんだ。ただ、言いたかっただけで……だから自分勝手かもしれねぇけど、今までと同じように接してほしい」
出来る限り優しい声でそう言うと、ユキが困ったような顔で俺を見上げてくる。その仕草に思わず心臓が跳ねたが、冷静なふりをして握った手の力を強くした。
予想通り、ユキを困らせてしまった。しかし、俺の心は予想とは違って、やけに穏やかで、そして喜びさえ感じていた。
喉の奥でくつくつと笑うと、ユキが不思議そうにこちらを見る。
「あ、悪い……なんかよくわかんねぇけど、嬉しくて」
「……うれしい、の?」
「だってお前、今俺といて緊張してるだろ。それが嬉しい」
「へ、変なの……」
「変じゃねぇよ。俺のこと、男として見てるってことだろ? 今までなんて、平気で俺の前で着替えたり、抱き着いたりされて……結構傷ついてたんだからな」
「そ、それはっ……!」
「家族だから、だろ? 俺も後ろめたかったから今まで言えなかった。親父に家族になってくれって言われたのに、好きになっちまったからな」
ユキの顔が真っ赤だ。自分がその表情をさせていることに高揚しながらも、心のどこかでは冷静に、ソウに見つかったらやばいな、なんて考えていた。
このことが後々ソウの耳に入ってややこしいことになる前に、自分から伝えようと思った。ソウは正々堂々と俺に牽制してきた。もう結婚して、俺がユキをどうこうできる立場でもないのに、だ。
だから俺も、ユキに思いを告げたことをソウに伝えるつもりだった。今なら、胸の痛みを感じずに済みそうだ。
そんなことを考えていると、ユキがぎゅっと手を握り返してくる。それに反応してユキを見ると、真っ赤な顔のまま、消え入りそうな声で何かを呟いた。
「ん? なんだよ」
「あの、ね……一つだけ、訂正させて。……わたし、トーヤのこと、ちゃんと男の子として見てたよ」
「え……?」
「まだ、トーヤがノースに来たばっかりの頃……わたし、ソウのこと思い出して、よく落ち込んでたでしょ。その時トーヤが、俺だったら絶対お前にそんな悲しい顔させない、って……そう言ってくれたの、覚えてる?」
覚えている。けれど、ユキもそんな些細な言葉を覚えているとは思っていなかった。
何も言わない俺を見て、ユキは言葉を続ける。
「すごく、どきっとして……でもそのあと、家族だからなって」
「あ、ああ……」
「だからてっきり、トーヤは家族としてあの言葉を言ってくれたんだ、家族だから守ってくれるんだって思ってた。今まで、ずっと……」
好きだと言うのには緊張しなかったのに、ユキにそう言われた途端急に体が動かなくなってしまう。
手を握ったまま、俺たちはしばらく黙ったままだった。その沈黙を破ったのは、ユキだった。
「トーヤ、ありがとう。わたし、トーヤのおかげで今ここにいる」
「……そんなの、俺だってそうだよ」
まっすぐ俺を見据えてそう言って笑うユキを直視できなくて、俺はふいっと目線を逸らした。そのうち、なんだかおかしくなって、二人で笑いあう。
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