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32.初夜、しとく?(4)
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悪だくみを考え付いた子どものように、にやりと口角を上げる。晶はそんな私を見て無言で目を見開いたあと、まるで𠮟りつけるように叫んだ。
「な、何言ってるんだよ!? そんなことっ……!」
「私は別にいいよ? 晶が相手ならひどいことされないってわかってるし、形の上では夫婦なんだし」
「なっ……で、でも、そういう契約じゃないだろ! 俺は、そんなつもりでおまえと結婚したわけじゃ……っ」
「それはわかってるけど。でも晶、まだ克服できてないんでしょ? 女の人が怖いの」
確信を持って尋ねれば、晶はぐっと息を詰めた。私の予想はどうやら当たっていたらしい。
晶と同じ職場で働くようになってから気が付いたが、やはり彼は女性が――特に、晶に対して恋愛的な好意を抱いている人と近付くことを恐れているようだった。
同じ営業部の女性社員は晶と毎日一緒に仕事をしていることもあり、ただ単に同僚として接しているので彼もそこまで恐怖心を抱いていないようだ。そもそも既婚者が多いし、まだ二十代半ばの若造である晶など彼女たちの恋愛対象にもなっていないのだろう。
ところが、晶とたまにしか接点のない他部署の女性社員は違う。
用事があって営業部に他部署の社員が訪れることはよくあるが、必要以上に晶と話したがる女性社員が驚くほど多いのだ。晶が最近結婚したことは全社員に知らされているはずだが、その相手が私だということは近しい人たちしか知らないし、そもそも彼女たちにとって”既婚者”という壁はあまり意味がないようだ。
営業部を訪れた女性に「晶さん、今度おいしいごはん屋さん教えてくださいよぉ」などと猫撫で声で近寄られ、晶が一瞬びくっと身を強張らせている場面を見たこともある。しかも私が働き始めてまだ一週間しか経っていないのに、少なくとも三人は同じような誘い文句で晶に話しかけていた。おそらく、私が知らないだけでもっとたくさんの女性にそうして言い寄られているのだろう。
そういった女性を前にしても、晶は毅然とした態度で「業務に関係ない話はしないでほしい」ときっぱり断っている。傍から見たら真面目な男だと思われるかもしれないが、そんな彼の手がかすかに震えているのを私はばっちり見てしまった。女が怖いだなんて本当だろうかと疑っていたが、そのトラウマはかなり根深く彼を苦しめているらしい。
「や……やっぱり、見てるだけでもわかるか? 俺が、女を避けてるって」
「いや、たぶん他の人は気付いてないんじゃないかな。営業部の女の人とは普通に話せてるし、仕事の話をしてる間は大丈夫そうだし」
そう答えると、晶はほっと息をついた。それから、いまだに『ああんっ』といかがわしい声が聞こえてくるパソコンの電源をさっと落とす。部屋はまたしんと静まり返り、そんな中で晶は渋い顔をしながらぽつりぽつりと話し始めた。
「おまえも見ただろ? 業務時間内だろうと関係なく、飯を食べに行こうだとか連絡先を教えろだとか言ってくる女がいまだにいるんだ」
「あー、うん。晶、見てくれだけはいいもんね」
「う、うるさいな! まったく関係ない女なら無視できるが、うちの社員や取引相手なんかだと下手に断れば関係が悪くなるから困ってるんだ! かと言って、その誘いを受けるわけにはいかないし……!」
やはり、社内だけでなく出先でも晶に言い寄ってくる女性はいるらしい。どこへ行っても気が休まらないのは、確かにつらいものがあるのだろう。
項垂れながら語る晶は、ため息をこぼしてからすごすごとソファへ戻っていく。そしてどかっと腰を下ろすと、頭を抱えてつぶやいた。
「結婚したら、そういう誘いもなくなると思ったのに……前よりは減ったが、それでもしつこい女には関係ないみたいだ」
晶がやたらと結婚にこだわっていたのは、そういう事情もあったらしい。しかし、今のところあまり効果はないようだ。
私もソファに移動して、晶の隣にすっと腰を下ろす。やはり私が近づいても恐怖心は感じないらしく、彼は変わらず暗い顔で遠くを見つめている。
「困ったね。童貞卒業しても、あんまり変わらなかったかぁ」
「うっ……そ、そういうことを真面目に言うなっ! おまえは恥じらいがなさすぎる!」
「だって、晶相手に今さら恥じらいも何もないもん。でも不思議だね、あんなAV観てるってことはそれなりに性欲はあるのに」
思ったことを素直に口に出すと、晶はまた赤面しながら叫んだ。
「せ、せっかくその話は終わらせたのに、掘り返さなくたっていいだろ!」
「えー、だって本当に不思議なんだもん。どうしたら晶が女の人に慣れるかなって、私だって本気で考えてあげてるのに」
恩着せがましく言えば、晶は何ともいえない顔で口をもごもごさせた。
晶をからかう気持ちもあるにはあるが、幼馴染が毎日怯えながら暮らしていると知ってしまったからには解決してあげたい。会社に行くのがとにかく怖くて、身を震わせながら仕事に向かうことがどれだけつらいか、それは私も嫌というほど知っている。
「前、言ってたよね。童貞だから自信が持てないし、それが悪循環に繋がってるって」
「い……言ったか、そんなこと」
「言ってたよ。でも、童貞じゃなくなったのに変わらないとなれば、あとはもう回数をこなして慣れるしかないんじゃないかな。今はちょうど手ごろなところに私がいるんだから、練習すればいいじゃん」
私なりに考えた解決策を提案してみる。しかし、晶は苛立ったようにむっと顔をしかめた。
「美雨を練習台みたいに扱うのは、嫌だ」
「あ、そう……契約結婚なんかしといて、今さらな気もするけど」
「うっ……! け、結婚はお互いに利益があるからしたんだろ!? でもこの問題は、解決したところで美雨に利益があるわけじゃないし……!」
「利益って。まあ、それはそうだけど、私がいいって言ってるんだからいいじゃん」
そう言い張っても、晶は険しい顔で首を横に振る。都合のいい話がすぐそこにあるというのに、彼はそれに食いつくつもりはないらしい。
変なところでお人よしなんだから、と若干呆れながらも、そういえば晶はこういうやつだったと納得する。高飛車でいけ好かない男ではあるが、他の人を蹴落としてまで自分の功績を優先するような人間ではないのだ。
「まあ、晶がそう言うならやめとこっか。ごめんね、変な話して」
「えっ……や、やめるのか」
「うん。だって、私で練習するのは嫌なんでしょ? あ、プリンターだけ借りたら部屋に戻るね」
晶の言うことももっともだな、と考え直し、ソファから立ち上がる。彼とセックスをすることに抵抗がないのは本当のことだが、嫌がる男を無理やり襲うような趣味はない。晶が穏やかな日常生活を送れるように、他の方法を考えてみるしかないだろう。
しかし、そう考えながらプリンターのある方へ向かおうとした私の手を、晶ががしっと掴む。驚いて振り向くと、そこにはいつになく必死な顔をした彼がいた。
「な、何言ってるんだよ!? そんなことっ……!」
「私は別にいいよ? 晶が相手ならひどいことされないってわかってるし、形の上では夫婦なんだし」
「なっ……で、でも、そういう契約じゃないだろ! 俺は、そんなつもりでおまえと結婚したわけじゃ……っ」
「それはわかってるけど。でも晶、まだ克服できてないんでしょ? 女の人が怖いの」
確信を持って尋ねれば、晶はぐっと息を詰めた。私の予想はどうやら当たっていたらしい。
晶と同じ職場で働くようになってから気が付いたが、やはり彼は女性が――特に、晶に対して恋愛的な好意を抱いている人と近付くことを恐れているようだった。
同じ営業部の女性社員は晶と毎日一緒に仕事をしていることもあり、ただ単に同僚として接しているので彼もそこまで恐怖心を抱いていないようだ。そもそも既婚者が多いし、まだ二十代半ばの若造である晶など彼女たちの恋愛対象にもなっていないのだろう。
ところが、晶とたまにしか接点のない他部署の女性社員は違う。
用事があって営業部に他部署の社員が訪れることはよくあるが、必要以上に晶と話したがる女性社員が驚くほど多いのだ。晶が最近結婚したことは全社員に知らされているはずだが、その相手が私だということは近しい人たちしか知らないし、そもそも彼女たちにとって”既婚者”という壁はあまり意味がないようだ。
営業部を訪れた女性に「晶さん、今度おいしいごはん屋さん教えてくださいよぉ」などと猫撫で声で近寄られ、晶が一瞬びくっと身を強張らせている場面を見たこともある。しかも私が働き始めてまだ一週間しか経っていないのに、少なくとも三人は同じような誘い文句で晶に話しかけていた。おそらく、私が知らないだけでもっとたくさんの女性にそうして言い寄られているのだろう。
そういった女性を前にしても、晶は毅然とした態度で「業務に関係ない話はしないでほしい」ときっぱり断っている。傍から見たら真面目な男だと思われるかもしれないが、そんな彼の手がかすかに震えているのを私はばっちり見てしまった。女が怖いだなんて本当だろうかと疑っていたが、そのトラウマはかなり根深く彼を苦しめているらしい。
「や……やっぱり、見てるだけでもわかるか? 俺が、女を避けてるって」
「いや、たぶん他の人は気付いてないんじゃないかな。営業部の女の人とは普通に話せてるし、仕事の話をしてる間は大丈夫そうだし」
そう答えると、晶はほっと息をついた。それから、いまだに『ああんっ』といかがわしい声が聞こえてくるパソコンの電源をさっと落とす。部屋はまたしんと静まり返り、そんな中で晶は渋い顔をしながらぽつりぽつりと話し始めた。
「おまえも見ただろ? 業務時間内だろうと関係なく、飯を食べに行こうだとか連絡先を教えろだとか言ってくる女がいまだにいるんだ」
「あー、うん。晶、見てくれだけはいいもんね」
「う、うるさいな! まったく関係ない女なら無視できるが、うちの社員や取引相手なんかだと下手に断れば関係が悪くなるから困ってるんだ! かと言って、その誘いを受けるわけにはいかないし……!」
やはり、社内だけでなく出先でも晶に言い寄ってくる女性はいるらしい。どこへ行っても気が休まらないのは、確かにつらいものがあるのだろう。
項垂れながら語る晶は、ため息をこぼしてからすごすごとソファへ戻っていく。そしてどかっと腰を下ろすと、頭を抱えてつぶやいた。
「結婚したら、そういう誘いもなくなると思ったのに……前よりは減ったが、それでもしつこい女には関係ないみたいだ」
晶がやたらと結婚にこだわっていたのは、そういう事情もあったらしい。しかし、今のところあまり効果はないようだ。
私もソファに移動して、晶の隣にすっと腰を下ろす。やはり私が近づいても恐怖心は感じないらしく、彼は変わらず暗い顔で遠くを見つめている。
「困ったね。童貞卒業しても、あんまり変わらなかったかぁ」
「うっ……そ、そういうことを真面目に言うなっ! おまえは恥じらいがなさすぎる!」
「だって、晶相手に今さら恥じらいも何もないもん。でも不思議だね、あんなAV観てるってことはそれなりに性欲はあるのに」
思ったことを素直に口に出すと、晶はまた赤面しながら叫んだ。
「せ、せっかくその話は終わらせたのに、掘り返さなくたっていいだろ!」
「えー、だって本当に不思議なんだもん。どうしたら晶が女の人に慣れるかなって、私だって本気で考えてあげてるのに」
恩着せがましく言えば、晶は何ともいえない顔で口をもごもごさせた。
晶をからかう気持ちもあるにはあるが、幼馴染が毎日怯えながら暮らしていると知ってしまったからには解決してあげたい。会社に行くのがとにかく怖くて、身を震わせながら仕事に向かうことがどれだけつらいか、それは私も嫌というほど知っている。
「前、言ってたよね。童貞だから自信が持てないし、それが悪循環に繋がってるって」
「い……言ったか、そんなこと」
「言ってたよ。でも、童貞じゃなくなったのに変わらないとなれば、あとはもう回数をこなして慣れるしかないんじゃないかな。今はちょうど手ごろなところに私がいるんだから、練習すればいいじゃん」
私なりに考えた解決策を提案してみる。しかし、晶は苛立ったようにむっと顔をしかめた。
「美雨を練習台みたいに扱うのは、嫌だ」
「あ、そう……契約結婚なんかしといて、今さらな気もするけど」
「うっ……! け、結婚はお互いに利益があるからしたんだろ!? でもこの問題は、解決したところで美雨に利益があるわけじゃないし……!」
「利益って。まあ、それはそうだけど、私がいいって言ってるんだからいいじゃん」
そう言い張っても、晶は険しい顔で首を横に振る。都合のいい話がすぐそこにあるというのに、彼はそれに食いつくつもりはないらしい。
変なところでお人よしなんだから、と若干呆れながらも、そういえば晶はこういうやつだったと納得する。高飛車でいけ好かない男ではあるが、他の人を蹴落としてまで自分の功績を優先するような人間ではないのだ。
「まあ、晶がそう言うならやめとこっか。ごめんね、変な話して」
「えっ……や、やめるのか」
「うん。だって、私で練習するのは嫌なんでしょ? あ、プリンターだけ借りたら部屋に戻るね」
晶の言うことももっともだな、と考え直し、ソファから立ち上がる。彼とセックスをすることに抵抗がないのは本当のことだが、嫌がる男を無理やり襲うような趣味はない。晶が穏やかな日常生活を送れるように、他の方法を考えてみるしかないだろう。
しかし、そう考えながらプリンターのある方へ向かおうとした私の手を、晶ががしっと掴む。驚いて振り向くと、そこにはいつになく必死な顔をした彼がいた。
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