【R18】仕方ないから、結婚してやる~ツンデレ御曹司と、傷の舐め合い契約婚~

染野

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82.新たな道を(3)

「あのー……昨日に引き続き申し訳ないけど、お取込み中失礼してもええかな?」

 そのとき、障子の向こう側から聞き覚えのある穏やかな声が聞こえてきた。
 驚いて声のしたほうを見ると、そこにはやはり昨日会った寿々音さんのお兄さんがいた。彼は気まずそうにしながらすっと障子を開き、私と晶に向かって深くお辞儀をする。

「お話し中のところ、不躾に申し訳ありません。寿々音の兄です」
「あ……こ、こちらこそ申し訳ありません、ご挨拶もせずに」
「いえいえ、構いません。お二人とも、寿々音のお友達でしょう?」

 そう言ってにっこり笑うと、お兄さんはゆっくりと部屋に入ってくる。そして寿々音さんのほうを見て、つらそうに眉根を寄せた。

「……寿々音。ごめんやけど、今の話聞いてもうた」
「えっ」
「寿々音が、うちの店のこと大事に思てるのは昔からようわかってた。せやけど、そこまで思い悩んでたやなんて……なんも知らんでごめんな」

 お兄さんの言葉に、寿々音さんはその大きな目をさらに見開いた。その様子を見るに、寿々音さんは「池芳軒を継ぎたい」という自分の願いをお兄さんに話していなかったのだろう。いや、もしかしたら誰にも話していなかったのかもしれない。

「あ、いや……兄さん、誤解せんとってな。私がこのお店におりたいいうんは本心やけど、兄さんが跡を継ぐことには賛成してるんえ? 私と違うて兄さんには人徳があるし、誰からも好かれるし……まあ、お人よしすぎて心配いうんも本心やけど」
「あはは、せやなぁ。僕もこのお店のことはもちろん好きやけど、正直言うと父さんの跡を継ぐんは少し不安や。いや、むしろ不安しかない」

 軽い調子でそう言うお兄さんに、寿々音さんだけでなく私と晶も目を丸くする。跡継ぎという立場に不安があるのはもちろん理解できるが、そこまではっきり言われると無関係な私までなんだか不安になった。
 ちらっと寿々音さんのほうを窺うと、彼女は呆れたように大きなため息をこぼしている。こんなやり取りが今まで何度もあったんだろうな、と苦笑いしていると、ふとお兄さんが真剣な表情をして口を開いた。

「せやから、寿々音。僕と一緒に、池芳軒を守っていってくれへんか?」

 その言葉に、寿々音さんは「えっ」と驚いて声を上げる。予想もしない言葉だったのか、疑うようにお兄さんを見て怪訝な顔をした。

「な……なに言うてはるん? 兄さんは跡を継がなあかんけど、私はいつかお嫁に……」
「そんなん古臭いわ。もちろん、寿々音に好きな人がおるならその人と結婚したらええ。せやけど寿々音の今の一番の夢は、この店をもっと良い店にすることなんやろ?」

 寿々音さんがこくりと静かに頷く。お兄さんはそんな彼女を見て目を細めると、穏やかな声音で諭すように語り始める。

「僕の夢もおんなじや。せやけど僕には、寿々音みたいな商才も知識もない……それやったら、兄妹二人で力を合わせたら無敵やろ」
「む、無敵て……そんなん、できるはずない」
「へえ、珍しなぁ。あの負けん気の強い寿々音が、まだ何にもしてへんのに最初から諦めるやなんて」

 まるで煽るような言い方に、寿々音さんはむっと表情を険しくする。そして何かに迷うように視線を彷徨わせたあと、自信なさげな声でお兄さんに向かって言った。

「け、けど……そんなん、お父さんや周りの人たちが許さへんやろ。お父さんは今も、私の縁談相手を血眼になって探したはるし」
「そんなん、言うてみなわからへん。それにな、父さんが必死になって寿々音の縁談相手を探してるんはどうしてやと思う?」
「どうして、って……都合のええとこに嫁がせて、商売がうまくいくようにするためや」
「アホやなぁ! 父さんは寿々音が幸せになれるように、少しでもええ相手を探してるんやんか! 寿々音は仕事ばっかりで恋愛する気あらへんからなぁって、この前もぼやいとったで」

 お兄さんが笑いながら言うと、寿々音さんは目をぱちくりさせる。それから少し照れたように「嫌やわぁ」と頬に手を当てると、私と晶のほうに目を向けて申し訳なさそうに謝った。

「二人とも、変なとこ見せてしもて堪忍な。うちの兄さん、空気読まれへんから……」
「い、いえ! 私も、寿々音さんが池芳軒にいられるならそれが何よりだと思っていたので……この際、お兄さんとちゃんと話したほうがいいと思います」

 まっすぐ彼女の目を見つめて言うと、寿々音さんは唇を噛みしめてから「ありがとう」とつぶやく。そして今度はお兄さんのほうに目を向けて、どこか必死な表情をしながら告げた。

「兄さん……私、ずっと池芳軒ここにおりたい」
「うん」
「今までいろんな勉強して、しんどい仕事もしてきたけど、それは全部うちのお店のためや。せやから……お父さんにもそれを伝える」

 そう宣言した寿々音さんの唇は、心なしか震えているように見えた。そこで初めて、彼女も私や晶と同い年の女の子だったことを思い出す。確かな実力のある完璧な寿々音さんでも、やはり身近な人に自分の本音を話すのは簡単なことではないのだろう。私が晶に気持ちを伝えられずにいたのも、彼が誰よりも近い存在だったからだ。
 寿々音さんの切実な願いを聞いて、お兄さんは何度も頷く。そして彼女の小さな手を取ると、勇気づけるように大きな声で言った。

「大丈夫や! 寿々音の気持ち伝えたら、絶対にわかってくれる!」
「……うん。せやけどお父さん、反対すると思う」
「そしたら二人で説得しよう! いつまでも妹に頼ってばかりいられへん思うてたけど……僕にはやっぱり、寿々音が必要や」

 お兄さんのその言葉を聞いて、寿々音さんの目が潤んだ。そしてぎゅっと唇を噛みしめながら、静かに頷く。私までなぜか泣きそうになって、こっそり目頭を押さえた。
 
「寿々音。これからも、一緒に頑張ろな。そんで二人揃って、池芳軒の立派な若旦那になろう!」
「わ……若旦那にはならんでええわ。それを言うなら若女将やろ」

 寿々音さんがすかさず突っ込むと、お兄さんは嬉しそうに「そやなぁ」とはにかんだ。張りつめていた空気は消え、この場にいる四人ともくすくすと笑い声を漏らす。
 寿々音さんの未来がどうなるかはまだわからないが、本当の気持ちを吐き出したことで何かが変わるかもしれない。私だって、自分の気持ちを素直に伝えただけで未来を変えることができたのだ。
 隣に座る晶をちらりと窺ってから、どうか彼女の夢が叶いますようにと心の中で強く願った。
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