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第18話 最初の苦情と、「守れない約束」の線引き
しおりを挟む——一番最初の苦情は、神殿からでも王宮からでもなかった。
ギルドの受付カウンターに、拳ごと叩きつけられた。
◇◇◇
「ふざけんなよ、“互助制度”とか言ってたよな!?
なんで俺はタダにならねえんだ!」
昼下がりのギルドは、普段なら依頼と雑談で賑やかな時間帯だ。
なのに今日は、入口近くのカウンター前だけ、ぴりぴりした空気に包まれていた。
「タダじゃないって何回言わせんのよ」
カウンターの向こう側で、マリナがこめかみを押さえている。
「“毎月の掛け金を払ってくれてる人たち”の互助なの。
アンタはまだ契約してなかったでしょ」
「だってよ、ロアンはこの前、腕ぶった切られたときタダにしてもらったって言ってたぞ!」
怒鳴っているのは、まだ二十代くらいの若い冒険者だった。
どこかで見た顔だと思ったら、ロアンと一緒に酒を飲んでいた新人だ。
右足に厚い包帯が巻かれ、松葉杖に体重を預けている。
傷自体はもう癒えてきているが、財布のほうはそうもいかないらしい。
「リゼル、来たわね」
私に気づいたマリナが、すがるような目を向けてきた。
「ごめん、ちょうどいいところに。
例の“最初の苦情”ってやつ、発生したわ」
「最初って決めつけないでください、これで最後かもしれません」
「そうなるといいけどねぇ」
マリナの苦笑いが、ぜんぜん楽観的じゃない。
◇◇◇
「……事情は、だいたい聞こえました」
私は、男の前まで歩いていった。
「改めてご説明しますね。
ロアンさんは、制度が始まったときに契約して、毎月掛け金を払ってくれていました。
だから、大怪我のときに“互助制度から治療費を出せた”んです」
「知ってるよ、そんな話」
男は苛立ったように舌打ちする。
「でもよ、俺、こないだロアンに言われたんだぞ。
“互助があるから、怪我してもなんとかなる”って。
だから今回、ちょっと無茶しても大丈夫だろうって……」
言葉が濁った。
「“無茶しないでください”って何度も言ってるんですけどね……」
マリナが小声でぼやく。
「で、“その互助のやつ、まだ詳しくはわかんねえけど、ここで話聞けるぞ”って言われて、
そのまま依頼出て、戻ってきたらこれだよ」
男は包帯の足をどん、と床に叩きつけるようにした。
「“契約してないから対象外です、治療費金貨○枚です”ってよ。
知らねえよそんなの!」
「契約書の説明を聞きに来る前に、足を折ってしまった……ってことですか」
状況は理解できた。
でも、それと制度の線引きはまた別の話だ。
「俺だって、金がねえからこそその互助ってのが必要なんだろ?
“先に銀貨払ってないからダメです”って、そんなの不親切ってもんじゃねえか」
男の言い分は、感情としてはわかる。
“本当に困っている人ほど、最初の一歩が踏み出せない”。
互助制度に限らず、何にでも起こることだ。
だからこそ、ここでの対応を間違えたくなかった。
◇◇◇
「……まず、ひとつだけ確認させてください」
私は、なるべく声を抑えて言った。
「今回の治療費、“全部タダにしろ”というご希望ですか?」
「当たり前だろ」
男は即答する。
「互助ってのは、“困ったときにみんなで助け合う”んだろ?
今、俺は困ってる。
だったら助けろよ」
その直球な言い分に、一瞬言葉を飲み込みそうになる。
(——間違ってはいない。
でも、それだけじゃない)
私の胸元で、光の糸が微かに震える。
「たしかに、“困った人を助けたい”って気持ちは、制度を作った理由のひとつです」
私は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「でも、“困った人を助けたい”って気持ちだけで仕組みを回すと、
あっという間に壊れちゃうんです」
「壊れる?」
「はい。
“掛け金を払ってくれている人たち”と、“まだ払っていない人たち”を、まったく同じように扱ってしまうと——」
私は、ギルドの壁に貼ってある簡易説明板を指さした。
「“真面目に払っている人たち”が、いずれ払うのをやめてしまいます。
“どうせ払ってなくても助けてくれるんだろ?”って」
男が、何か言いかけて詰まった。
「互助って、“お互い様”なんです。
“どっちか一方だけが得をする”仕組みじゃない。
その約束だけは、崩しちゃいけないと思ってます」
マリナが、横から小さくうなずいた。
「アンタの言ってること、気持ちはわかるわよ。
でもね、ここで“アンタもタダでいいよ”ってやったら、
“じゃあ俺も”“じゃあ私も”って列ができるのがギルドなの」
「そしたら、互助そのものが立ち行かなくなる」
私は、胸の奥に刺さる言葉を自分に向けて言った。
「それは、“今契約してくれている人たち”を裏切ることにもなるんです」
◇◇◇
男は、しばらく黙り込んだ。
ギルド内に、ざわめきが広がる。
受付の列に並んでいた冒険者たちも、耳だけこちらに向けているのがわかった。
「……じゃあよ」
やがて男は、押し殺した声で言った。
「今日ここで契約したら、この足の治療費も出してくれるのか?」
その問いは、矢のように真っ直ぐだった。
私は、一瞬、答えに詰まった。
——正直、いちばん避けたかった聞かれ方だ。
治療のあとから駆け込んできて、
「今から契約するから今回の分も頼む」と言われるケース。
保険屋時代の記憶……ではなく、財務省でユリウスから散々教え込まれた、“やってはいけない線引き”が頭をよぎる。
「……それをしてしまうと、“怪我をしてから契約すればいい”ってことになってしまいます」
私は、正直に答えた。
「それは、“互助”ではなく、“その場しのぎの援助”です。
制度としては、成り立たなくなります」
「じゃあ結局、助けられないってことかよ」
男の声に、諦めと怒りが混ざる。
胸の奥が痛んだ。
「“互助制度としては”です」
そこだけは、強く言い切った。
「でも、“制度の外側で”なら——
私は、別の選択肢を用意したいと思っています」
「別の?」
男が顔を上げる。
「王都ギルドと街外れの礼拝堂で、“緊急支援枠”っていうのを作りました」
マリナが「まだ仮運用だけどね」と付け足す。
「互助の掛け金とは別に、“余裕がある人たちが少しずつ出し合う寄付金”です。
“本当に困っていて、なおかつ互助の契約に間に合わなかった人”だけに使うための箱を、ついこの前置いたところなんです」
私は、ギルドの掲示板の隅を指さした。
小さな木箱に、『緊急支援箱』と拙い字で書かれた札がかかっている。
まだ始めたばかりなのに、すでに数枚の銀貨と銅貨が入っていた。
「今日のあなたの治療費は——半分、そこから出します」
男の目が大きく見開かれる。
「残りの半分は、“分割払い”にしましょう。
月々、無理のない範囲で。
そのかわり、治療が終わったら“互助制度”への加入も考えてほしい。
“次に困ったとき”には、“互助の掛け金”と“緊急支援箱”の両方で、守れるようにしたいから」
言いながら、自分でも「ずいぶん都合のいい話をしているな」と思った。
それでも——
「制度は、万能じゃありません。
だからこそ、“制度の外でできること”も、一緒に作っていきたいんです」
◇◇◇
長い沈黙が落ちた。
やがて、男はゆっくりと視線を落とした。
「……半分、か」
「はい」
「全部タダにしてくれって、大人げなかったかもしれねえな」
ぼそり、と言う。
「ロアンがさ、“あいつら本気で考えてやがる”って言ってたの、今ようやくわかった気がする」
思わず肩の力が抜けた。
「わかってもらえましたか?」
「全部じゃねえよ」
男は、むすっとした顔で言い直す。
「正直、“今の俺の懐”だけ見れば、全部タダがよかった。
でも、ロアンのやつ、次の遠征のとき“互助のおかげで家族に金残していける”って嬉しそうに言っててさ」
その言葉に、胸のどこかがじん、と熱くなる。
「その顔思い出したら、全部文句言うのもズルいかなって。
……半分なら、なんとかする」
「ありがとうございます」
私は、深く頭を下げた。
「緊急支援箱から出す分については、きちんと掲示板に事例として貼り出します。
“どんなときに使われたか”を、みんなに見てもらうために」
男は、ぼりぼりと頭を掻きながら、少しだけ笑った。
「じゃあ、あんまカッコ悪く書くなよ」
「そこは検討します」
「検討すんな」
マリナが、ようやく深いため息をついた。
「——はい、じゃあ治療費の内訳と支払い計画、こっちで一緒に確認しましょうか」
彼女が、いつもの“頼れる受付嬢”の顔に戻る。
男は松葉杖をつきながらカウンターの端に移動し、何やらぶつぶつ文句を言いつつも、書類に目を通し始めた。
その背中を見送りながら、私は胸元を押さえた。
(……守れなかった約束もある)
“互助制度としては、今回を全部守ることはできなかった”。
その事実は、どこまでも重い。
それでも——
(だからこそ、“守れる約束”と“守れない約束”を、ちゃんと分けないといけない)
互助の線引き。
緊急支援箱の線引き。
曖昧なままにしておくほうが、よっぽど楽だ。
でも、それをやったらきっと、どこかで必ず壊れる。
「ねえ、リゼル」
横から、マリナが声をかけてきた。
「今の、どこかに書き残しておきなよ。
“最初の苦情対応”ってやつ」
「……報告書に、ですか?」
「そう。
“数字じゃ見えないやつ”は、書いとかないとすぐ忘れちゃうから」
その言葉に、私はふっと笑った。
「じゃあ、“最初に怒鳴られた日”ってタイトルつけて出します」
「それ、自虐がすぎない?」
笑い合ったところで、ギルドの扉が開いた。
入ってきたのは、麻の法衣を着た少女。
「ミラ!」
街外れの礼拝堂からやってきた“保険聖職者見習い”は、息を弾ませながら手を振った。
「すみません、遅れました!
今日から、“ギルドでの制度説明”もお手伝いするって聞いて……」
「ちょうどよかった」
私は、さっき貼り替えたばかりの説明板を指さした。
「今日の苦情を踏まえて、“何が守れるか・何が守れないか”を書き直したところなんです。
一緒に見てもらえますか」
「はい!」
ミラの瞳が、真剣に文字を追う。
『——この制度で守れるのは、“契約してくれた人の未来の治療費”です。
怪我をしたあとからの契約では、その怪我は守れません。
でも、“どうしても間に合わなかった人”のために、別の箱も用意しました』
拙い字で書かれた文章を見ながら、私は小さく息を吐いた。
完璧な線引きなんて、きっとできない。
それでも、今日よりはましな線を、明日は引きたい。
——祈りを数字に乗せるって、こういうことなんだろう。
“守れない約束”に目を背けないためにも、
“守れた約束”だけを誇らないためにも。
「リゼルさん」
ミラが、そっと私を見上げる。
「……やっぱり、“保険聖職者”って、大変な祈り方ですね」
「そうですね」
私は、苦笑しながらも、はっきりと頷いた。
「でも——面倒くさいくらいで、ちょうどいいのかもしれません」
「どうしてですか?」
「だって、“簡単な祈り”で守れるほど、みんなの生活、軽くないですから」
ミラの目が、ふっと丸くなり、それから少しだけ笑った。
「……じゃあ、私も面倒くさい祈り方、覚えていきます」
「一緒に、ですね」
ギルドの喧騒の中で、
制度の説明板と、緊急支援箱と、契約書の束。
どれもこれも、紙切れに見えるかもしれない。
それでも私は知っている。
——この紙切れの向こう側に、“守られるはずの生活”がいくつもぶら下がっていることを。
だから今日も、ペンを握る。
怒鳴られても、苦情が来ても、それでも。
「祈りを諦めない仕組みは、
祈りを諦めない人間が、めんどくさく作り続けるしかないんだ」
そう自分に言い聞かせながら、私は次の報告書の紙を机に広げた。
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