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第19話 辺境からの招待状と、「守りきれないかもしれない」戦場
しおりを挟む——“守れる約束”と“守れない約束”の線を引いたその週に、もっと大きな線の話が降ってきた。
◇◇◇
「……辺境砦から、ですか?」
朝のギルド。
まだ酒臭さの残るカウンターの前で、私は封蝋を眺めて固まっていた。
粗い羊皮紙に、簡素な紋章。
王都のきらびやかな紋章とは違う、実用一点張りの印だ。
「そう。
“治療費平準化制度とやらの話を聞きたい”ってさ」
マリナが肩を竦める。
「最近、“街外れの礼拝堂で新しい互助が始まった”って噂、兵士経由であっちにも飛んでるらしいわよ」
「辺境砦って、あの——」
「魔物の群れがよくぶつかってくる、あそこ」
ロアンが、横からひょいと顔を出した。
「俺も一回だけ行ったことあるけどよ、冗談抜きで“怪我しなかった日のほうが珍しい”場所だぜ」
その言葉に、喉がひゅっと鳴った。
「……そんな場所で、制度の話を?」
「だからこそ、だろうな」
ギルドの奥から、ユリウスが姿を現した。
いつもの地味な上着の襟を整えながら、封書を指先でつまむ。
「辺境砦は、常に兵が足りない。
兵を増やすには、兵の“死なない確率”を上げる必要がある」
「そのために、“治療費を気にしなくていい仕組み”が欲しい、と?」
「そして、“怪我をしても戻ってこられる砦”という評判が立てば、応募する兵も増える」
ユリウスの言葉は冷静だが、その裏にある現実は重い。
(——戦場で、制度の力を試される)
ギルドでの小さな怪我や、街外れの礼拝堂での子どもの落下事故とは、桁が違う。
「行きますか?」
自分でも驚くほど、すんなりと言葉が出た。
マリナが目を丸くする。
「怖くないの?」
「怖いですよ」
即答する。
「でも、“怪我をした人がたくさんいる場所”で機能しないなら、この制度、意味が半分になっちゃいますから」
ロアンが、ふっと笑った。
「出たよ、“怖いまま行く”やつ」
「ロアンさん、あなたも一緒に来てくださいね?」
「は!? なんでだよ」
「“実際に制度で守られた人”の話、現場でしてほしいので」
「お、おい待て、それは話が——」
ロアンの抗議をマリナの笑い声がかき消した。
◇◇◇
数日後。
王都から馬車で一日半。
風の匂いが変わったころ、砦の輪郭が見えてきた。
厚い石壁。
高い見張り台。
その背後には、黒い山脈のように連なる森と崖。
「……思ってたより、ずっと“戦場”ですね」
石橋を渡りながら、思わず呟いた。
砦の中は、鉄と汗と薬草の匂いで満ちている。
若い兵士たちが訓練場で木剣を打ち鳴らし、遠くからは砦の外周を巡回する兵の掛け声が聞こえてきた。
「ようこそ、お嬢さん方——と、それに財務殿まで」
迎えに出てきたのは、短く刈り上げた髪に傷だらけの顔をした男だった。
「辺境砦の隊長、ヘルマンだ。
わざわざ来てもらって悪いな」
「リゼル・アルマリアです。
こちらは財務省のユリウスさんと、ギルドのマリナさん、それから——」
「ロアンです……」
ロアンが、なぜか肩をすくめてぼそっと名乗る。
「おう、お前か。
この前、腕ぶった切られて戻ってきたって噂の」
「その紹介やめてくれません!?」
いきなり雑な扱いだ。
でも、砦の空気の重さを少しだけ和らげてくれる。
◇◇◇
「で、“互助制度”とやらの説明を頼みたい」
ヘルマン隊長は、砦の作戦室で地図に囲まれながら言った。
壁一面に貼られた地形図。
マーカーで何度も書き直された前線の線。
「うちの兵はな、怪我してから戻ってこられないやつが多すぎる。
戻ってきても、治療費のせいで家族ごと潰れるやつもいる」
彼の声には、怒りというより疲労が滲んでいる。
「“怪我してもどうにかなる”と思えりゃ、前に出る足も少しは軽くなるだろう。
そう思って、王都に話を通してもらった」
「ありがとうございます」
私は、深く頭を下げた。
「ただし」
ヘルマンの目が鋭く光る。
「“兵の命を雑に扱ってまで節約したいわけじゃない”ってことだけは、先に言っておく。
“怪我してもどうにかなる”が、“怪我してもいい”に変わったら、俺はお前たちを真っ先に追い出す」
その言葉に、背筋が伸びた。
「……はい。
その懸念は、王都でも話題になりました」
私は、ギルドや財務省での議論をかいつまんで説明した。
「“互助制度があるから無茶をしていい”という誤解を生まないように、
契約のときに繰り返し説明するつもりです。
“守られるための仕組み”であって、“無茶をする権利を買うものじゃない”。
その線は、ここでも絶対に譲りません」
ヘルマンは、じっと私の目を見た。
何秒かの沈黙のあと、ふっと短く笑う。
「……いい顔だ。
“帳簿のために兵を数字扱いするやつ”の顔じゃない」
「それは、ユリウスさんの担当なので」
「ひどい言いがかりだな」
後ろで、財務官殿が淡々と抗議した。
◇◇◇
砦の医務室で、私は兵士たちに向けて制度の説明をした。
粗末なベッドが並ぶ部屋に、怪我をした兵と、交代で休憩に入っている兵士たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
「——というわけで、毎月の掛け金は銀貨一枚。
大怪我や重い病気の治療費は、その積立金から出します」
簡略化した図を描きながら話すと、前列の兵が手を挙げた。
「質問いいですか」
「どうぞ」
「もし、掛け金を払ってる最中に……死んじまったら?」
唐突な言葉に、空気が一瞬止まる。
でも、ここでは日常の話なのだろう。
彼は、照れたように笑って続けた。
「いや、冗談じゃなくてさ。
辺境の兵なんて、いつ死んでもおかしくねえから」
「大事な質問です」
私は、真剣に頷いた。
「その場合、“自分が払ってきた分”はどうなるのか、ってことですよね」
「そうっす」
「結論から言うと——“残った家族の治療費を守るための積立金”になります」
兵たちの表情が変わる。
「この砦には、家族を街に残している兵士の方も多いと聞きました。
あなたが払った掛け金は、同じ砦の仲間や家族を守るための積立金として残ります。
もし、あなたの家族も制度に入っているなら、
“あなたが守れなかった日”の代わりに、その積立金が家族を守る日が来るかもしれません」
静寂。
やがて、一人の兵がぽつりと言った。
「……悪くねえな」
誰かが鼻を鳴らし、別の誰かがふっと笑う。
「“死んだら終わり”じゃなくて、“死んだあとも少しだけ残れる”って感じだな」
「うちの女房、すぐ風邪こじらせるからな……」
「じゃあお前の掛け金、全部女房に持ってかれんじゃねえか」
くだらない掛け合いが起こる。
でも、その空気は悪くなかった。
ロアンが、後ろで腕を組みながらこっそり囁く。
「なあ、お前、こういう説明してるときが一番“聖女”っぽいぞ」
「褒めてるんですか、それ」
「褒めてる褒めてる」
苦笑しながらも、胸の奥が少し温かくなる。
◇◇◇
その夜。
砦に泊まることになり、石造りの簡素な客室で寝床を整えていると、外から怒鳴り声が聞こえた。
「——北壁だ! 北壁に魔物の群れ!」
空気が、一瞬で変わる。
廊下を駆け抜ける足音。
武器を掴む音。
怒鳴り声と混じる、かすかな悲鳴。
「リゼル!」
扉が勢いよく開いて、マリナが顔を突っ込んできた。
「外、やばいわよ」
私は反射的に上着を掴んだ。
窓から外を覗けば、北側の城壁に沿って松明の列が走っているのが見える。
暗闇の向こうで、獣の唸り声のような音が響いていた。
「……襲撃、ですか」
「そうみたい」
マリナは息を整える暇もなく言う。
「ヘルマン隊長から伝言。“外には出るな。医務室で待機してろ”だって」
心臓が速く打ち始める。
「待機って……怪我人、すぐ来ますよね」
「来るわね」
マリナの表情も硬い。
「ユリウスさんは?」
「隊長と一緒に指揮所行った。
“こんなときにこそ現場を見ないと、数字の意味がわからない”ってね」
まったく、この財務官は——。
「行きましょう」
私は、靴紐を結びながら立ち上がった。
「医務室の準備、間に合うかわかりませんけど、やれるだけやります」
「オーケー。
“面倒くさい祈り方”の出番ね」
マリナが、いつもの軽口を無理やり挟んでみせる。
その無理やりさが、逆に心強かった。
◇◇◇
医務室は、あっという間に戦場の裏側になった。
次々と運び込まれる兵。
血に染まった布。
破れた鎧。
ミラならきっと震えていただろう。
……いや、私だって、手が震えている。
「深呼吸」
自分に言い聞かせて、胸いっぱいに冷たい空気を吸い込んだ。
「治療は、優先順位から!」
医務室の責任者らしい年配の治療師が、大声で指示を飛ばす。
「命に関わる出血を止めろ!
次に、動けるようになる怪我を!
細かい傷はあとだ!」
「わかりました!」
私は、癒やしの魔法と包帯で、大きな出血をしている兵の処置に集中した。
光の糸が、皮膚の内側を走る。
完全には塞がらなくてもいい。
今夜、命が繋がればそれで。
汗と血と叫び声の中で、時間の感覚が溶けていく。
◇◇◇
どれくらい経っただろう。
ようやく外の喧騒が少し落ち着いてきたころ、ヘルマン隊長が医務室に現れた。
肩で息をしながら、ざっと室内を見回す。
「……ひでえな」
彼の言葉は短かった。
ベッドはすでに埋まり、床にも負傷兵が横たわっている。
ここに運び込まれる前に、息を引き取った者もいるはずだ。
「被害は?」
私は、息を切らしながら尋ねた。
「軽傷・中傷が三十。
重傷が十二。
死者、五」
その数字の意味が、ずしんと胸に落ちる。
「……互助制度に契約している兵は?」
「今日の説明を聞いてたやつらは、ほとんどその場で署名してた。
だから、重傷者の半分は契約済みだ」
ヘルマンが、乱雑に髪をかきあげる。
「問題は——積立金が、まるで足りねえってことだ」
その一言で、背筋が凍った。
「え?」
「そりゃそうだろ」
ヘルマンは、笑いもしないで言った。
「今日契約したばかりのやつらの掛け金なんざ、まだ銀貨一枚だ。
“今夜起きたこと”を全部互助で賄ってたら、一発で箱が空になる」
“最初の大きな波”。
頭のどこかで、ラドクリフが言っていた言葉がよみがえる。
『——制度が本物かどうか試されるのは、“最初の大きな事故”のときだ』
喉が、ひりつくほど乾いた。
「……全部、出せません」
ようやく絞り出した言葉は、自分でも情けないくらい小さかった。
「互助の積立金から出せる分は、重傷者の治療費の——そうですね、三割が限界だと思います」
三割。
残りの七割は、どこから出す?
兵の家族からか。
砦の予算からか。
それとも——
「“守れない”って言うのか?」
ヘルマンの視線が、まっすぐ突き刺さる。
その問いに、私はすぐには答えられなかった。
——制度の限界。
——守れない約束。
ギルドのカウンターで線を引いたはずなのに、今、その線が一気に押し寄せてきている。
胸の内側で、光の糸が乱暴に震えるのを感じた。
(……ここで、どう答えるか)
これまで以上に重い選択が、目の前に突きつけられている。
私は、乾いた唇を噛み締め、息を吸い込んだ。
——これは、きっと“国家事業になるかどうか”の境目だ。
そして何より、“この砦で明日から生きる人たち”の境目だ。
「……いくつか、提案があります」
声が震えないように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「互助だけでは足りません。
でも、“足りないから全部やめます”とも言いません」
ヘルマンが、じっとこちらを見た。
「“どこまで守れるか”——今夜、その線を一緒に決めてください」
医務室の窓の外で、まだ遠くの空が赤く光っていた。
砦の夜は、まだ終わりそうになかった。
そして、私の“祈りを諦めない仕組み”も——ここで、大きく形を変えようとしていた。
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