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第24話 信仰と数字のあいだにあるもの
しおりを挟む——「それで、お前は今でも“神を信じている”のか」。
その問いが飛んできたのは、互助の仕組みを一通り説明し終えたあとだった。
◇◇◇
大広間の中央。
私は、簡略化した図を描いた板の前に立っていた。
掛け金。
給付金。
緊急支援箱と戦時特別金。
いつもギルドや研修会で話している内容を、少しだけ言葉を固くして話したつもりだ。
「——以上が、“医療互助制度”の骨組みです」
最後にそう締めると、広間のあちこちで衣擦れの音がした。
「つまり、お前は“癒やしの奇跡”を、掛け金と数字で代替しようとしているわけだな」
長老席の一角から、低い声が響いた。
声の主は、かつて私によく説教をしてきた厳格な神官だ。
灰色の髭は前よりも白くなっているが、目の鋭さは変わらない。
「いえ」
私は、ゆっくり首を振った。
「“奇跡の代わり”ではありません。
“奇跡に間に合わなかったときの備え”です」
ざわ、と、ざわめきが広がる。
「言葉遊びに聞こえるな」
別の神官が、皮肉っぽく笑った。
「病に苦しむ者は、神殿に来て祈りを捧げる。
それに応えて癒やしを与えるのが、我らの役目だ。
お前の制度は、そのあいだに“金を払える者だけが守られる箱”を置くことではないのか」
真正面からの疑いだ。
喉がひりつくのを感じながら、私は息を吸った。
「——神殿で祈ってもらえる人は、“ここまで歩いてこられた人”です」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「歩いて来る前に倒れた人。
祈る余裕もなく、働き詰めで倒れた人。
薬代と食費のあいだで迷って、祈りより先に計算をしなければならなかった人。
そういう人たちの顔を、私は神殿の外でたくさん見ました」
何人かの神官の表情が、わずかに曇る。
「互助は、“祈る権利”を金で売るものではありません。
“祈る余裕を奪われないようにするための仕組み”です」
言葉を選びながら続ける。
「薬代を心配しながら震える手で祈るより、
“治療費は何とかなる”と分かったうえで、落ち着いて祈れるほうが——
私は、神様も話を聞きやすいんじゃないかと思うんです」
広間のどこかで、小さく笑いが漏れた。
嘲りではなく、拍子抜けしたような息だ。
◇◇◇
「では、改めて問おう」
中央の長老が、ゆっくりと口を開いた。
「お前は今でも、“神を信じている”のか」
真正面から向けられる視線。
——あの日と同じ問い。
でも、今はあの日と違う答えを、胸の奥にちゃんと持っている。
「……はい」
私は、はっきり頷いた。
「ただし」
広間の空気が、ぴんと張り詰める。
「“何でも叶えてくれる都合のいい神様”は、信じていません」
ざわっ、と、露骨などよめきが上がる。
構わず続けた。
「“祈れば全部何とかなる”って言葉は、
“祈っても何ともならなかった人”を切り捨てることになるからです。
私は——そういう言葉で、自分も周りの人も傷つけたくありません」
最前列の端で、先ほど出迎えてくれた神官——私の“先生”が、静かに目を閉じた。
「では、お前は何を信じている」
長老の声は、先ほどよりわずかに低い。
「“信仰心が足りない聖女”と呼ばれた今、お前の信仰の形を、ここで示してみろ」
逃げ道のない要求だ。
……でも、ここまで来て、引くつもりはなかった。
◇◇◇
「私は——」
胸の前で、そっと指を組む。
昔、神殿で教わったとおりの手の形。
でも、その中に込めるものは少し違う。
「“人の弱さが、隠されない世界”を信じています」
広間に、静寂が落ちた。
「怪我をしたこと。
病にかかったこと。
お金が足りないこと。
そういう弱さを、“恥”として隠さなくていい世界。
“祈りに値しない失敗”なんてない世界。
——そんな世界が、神様の望む場所なんじゃないかと、私は思うんです」
長老が、目を細める。
「それが、お前の“信仰”か」
「はい」
喉が焼けるように乾いているのに、言葉はするすると出てくる。
「互助は、そのための“道具”です。
“弱さを分け合う仕組み”。
“痛みの重さを、皆で少しずつ持ち寄る仕組み”。
私は、それを神殿の外で作り始めました。
もし、それが“信仰を損なう行為”だと言われるなら——」
一瞬だけ、迷いがよぎる。
でも、ここで言わなければ、きっとまた夢に見る。
「“信仰心が足りない”と言われたあの日から、ずっと考えてきました。
——私に足りなかったのは、“言葉どおりの信仰心”かもしれません。
でも、“弱さを隠さない世界を見たい”っていう、しつこい願いは、今も変わっていません」
吐き出した瞬間、わずかな眩暈がした。
広間のあちこちで、誰かが息を呑む。
◇◇◇
長老は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと椅子から身を乗り出す。
「……覚えているか、リゼル」
名前を、久しぶりにまっすぐ呼ばれた。
「お前が“信仰心が足りない”と評された日のことを」
「忘れていません」
喉の奥が、少し痛い。
「“神は、祈る者の信仰に応えて癒やしを与える。
だから、癒やしの結果を数字で測ろうとするのは、信仰への冒涜だ”——」
長老は、自分の言葉を引用するようにそう言った。
「当時のわしは、そう考えていた」
それは、あの日の宣告の言葉そのものだ。
胸の奥に刺さった棘が、じわりと疼く。
「だが——」
長老は、そこで言葉を切る。
「辺境砦の報告書を読んだ」
背筋が、ぴくりと震えた。
『——これは、守れなかった約束を書き残すための報告書でもある』
あの一行を、きっとこの人も目にしたのだろう。
「互助三割・砦二割・戦時特別金五割。
“ここまで守れる”という線を引き、“そこから漏れた祈りも、数字ごと書き残す”と記してあった」
長老は、細い指で机をとん、と叩いた。
「そこに、わしは“神を数字で測ろうとしている驕り”ではなく——
“数字にできなかった祈りを忘れまいとする執念”を見た」
胸の奥が、ぎゅっと掴まれる。
「……あの日、お前を“信仰心が足りない”と断じたとき、
わしは、“神のため”と言いながら、自分たちの側の都合を守っていたのかもしれん」
大広間が、水を打ったように静まり返った。
誰も口を挟まない。
神官たちの何人かが、驚いた顔を隠しもせずに長老を見つめている。
「だからといって、すぐに“互助万歳”と受け入れるわけにはいかん」
長老は、表情を引き締めた。
「お前の制度が、神殿から祈りを奪う可能性も、確かにある。
“金を払って安心したから、もう祈らなくていい”と考える者が増えれば、
それは信仰の形をやせ細らせるだろう」
厳しい目が、再びこちらに向く。
「だが、祈りを“奇跡を引き出す手段”としてしか教えなかったのは、
他ならぬ我々かもしれんとな」
その言葉に、広間の空気がわずかに揺れた。
◇◇◇
「——神殿は、互助制度を敵とは見なさぬ」
静かながら、はっきりとした宣言だった。
「ただし、“互助の箱が、祈りなき安堵の箱”とならぬよう、
我々も関わらせてもらう」
「関わる……?」
思わず聞き返す。
「“保険聖職者”とやらの話は聞いている」
誰がどこまでしゃべったんだ、と頭の片隅でマリナの顔が浮かんだ。
「祈りを知る者と、数字を扱う者が一緒に現場に立つという発想は悪くない。
ならば、神殿がその一角を担わぬ理由もあるまい」
長老は、隣に控える神官の一人を顎で示した。
「地方神殿や村の祭壇から、“互助対応の祈祷師”を出そう。
互助の説明と契約の場に立ち会い、“金だけに頼るな”という言葉を添える役目だ」
それは——
「“神殿版の保険聖職者”……」
思わず呟いてしまう。
「名前はともかくとしてだ」
長老は、わずかに口元を緩めた。
「祈りと数字のあいだに立つ者が必要なら、神殿もそこに立つ。
“祈れば全部何とかなる”と嘘をつく代わりに、
“互助で守れる部分と、祈りで支えあう部分を、間違えぬように”と教える役目くらいは果たせるだろう」
広間のあちこちで、神官たちの表情が揺れた。
反対もあるだろう。
戸惑いもあるだろう。
それでも——いま確かに、この場所で“変わろうとしている何か”が動き出していた。
◇◇◇
「リゼル・アルマリア」
長老が、改めて私の名を呼ぶ。
「お前に二つ、申し出がある」
心臓が嫌な音を立てた。
「一つ。
神殿は、お前を“中央神殿付聖女”としては迎え戻さぬ。
互助制度調整室の人間として、今後も国と現場に立ち続けよ」
それは、はっきりとした“帰還の否定”だった。
……なのに、胸の奥は不思議と痛くない。
(ああ、私はもう——ここを“居場所”として求めていないんだ)
気づいた瞬間、肩の力がふっと抜けた。
「もう一つ」
長老は、続ける。
「神殿は、お前を“信仰心が足りない聖女”とは、今後呼ばぬ。
“信仰の形を問い続ける聖女”として扱おう」
胸の奥で、何かがほどけた。
あの日突き刺さったままだった棘が、ゆっくりと外れていく感覚。
「もちろん、“聖女”という肩書きにこだわらぬなら、
互助室の肩書きだけでも構わん」
「……いいえ」
気づけば、笑っていた。
「その呼び方、気に入りました」
ざわ、と、さざ波のような笑いが広間に広がる。
嘲笑ではなく、肩の力の抜けた笑いだ。
「では、互助室と神殿との協議の場には、お前にも顔を出してもらおう。
“信仰と数字のあいだにあるもの”を、これからも見せていけ」
「はい」
深く頭を下げる。
——ここを“戻る場所”にする必要はない。
でも、“話ができる場所”にはなった。
それだけで、あの日の自分とは、もう違う。
◇◇◇
神殿を出ると、夕暮れの光が石段を赤く染めていた。
深く息を吸い込むと、香の匂いと街の匂いが混ざって鼻をくすぐる。
「……おかえりなさい、って言うべきなんでしょうか」
石段の下で待っていたのは、見慣れた灰色の上着。
「ユリウスさん」
「“会議室には入れないが、階段の下くらいには立っていられる”と言われた」
「妙に気の利いた許可ですね」
「ラドクリフ顧問官の交渉力だろう」
ユリウスは、それだけ言ってからじっと私の顔を眺めた。
「泣いてはいないようだな」
「泣く前に、だいぶスッキリしました」
「そうか」
彼は、わずかに口元を緩める。
「どうだった」
「……“信仰心が足りない聖女”じゃなくなりました」
「ほう?」
「代わりに、“信仰の形を問い続ける聖女”になったそうです」
そう言うと、ユリウスは珍しくはっきりと笑った。
「肩書きが長い」
「ですよね」
「だが、君らしい」
夕焼けの中で、彼の眼鏡の縁が光る。
「“足りない信仰心のぶんだけ、仕組みで埋めようとする聖女”という意味にも取れる」
「それ、ちょっとだけ悪口入ってません?」
「少しだけな」
肩を並べて歩き出す。
石段を降りる足取りは、不思議と軽かった。
——信仰と数字のあいだにあるもの。
それはきっと、“誰かの弱さを、恥じないで差し出せる場所”だ。
神殿の中にも、互助の窓口にも、砦にも、礼拝堂にも。
そんな場所を一つずつ増やしていくことが、私の“しつこい祈り”なのだろう。
「ねえ、ユリウスさん」
「なんだ」
「もしまた誰かに“信仰心が足りない”って言われたら——」
私は、空を見上げながら言った。
「“足りない分は、こうして互助で補ってます”って言ってやろうと思います」
ユリウスが、ふっと笑う気配がした。
「それはいい。
では、足りない数字のぶんは、こちらで補おう」
「頼もしいですね、財務官様」
夕暮れの街を歩く影が、二つ、長く伸びる。
その先にどんな線を引くことになるのか、まだわからない。
それでも——
「大丈夫。
信仰心が足りないぶんくらいなら、
きっと何度でも、こうして仕組みで埋め合わせればいい」
そんな風に思えるくらいには、
私は今の自分の祈り方を、少しだけ好きになっていた。
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