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第21話 恋人ごっこと本気の境界線
しおりを挟む「練習の告白」と「本気の告白」に、きれいな境界線なんて引けるのだろうか。
そう自分に問いかけながら、私はまたひとつ、レオンと私のあいだに危ういレッスンを用意してしまっていた。
◇◇◇
その知らせは、王妃陛下からの短い書状の形で届いた。
――“近日中に、王太子候補たる令嬢数名との親しいお茶会を開きます”
――“レオンが、役目としてではなく一人の青年として言葉を交わせるよう、事前のレッスンをお願いします”
要するに、「恋人ごっこ」の練習相手になれということだった。
(……はい来ました。教育係にしか頼めない類いの無茶振り)
苦笑しながら、私は書状を畳む。
王妃陛下は、線を引けと言いながら、
その線ぎりぎりを歩かせる課題を平気で渡してくる。
「本日のLESSONテーマは、“告白”にしましょうか」
そう呟いたとき、扉の向こうから控えめなノックの音がした。
「ミサ。入ってもいいですか」
「どうぞ、殿下」
レオンが姿を見せる。
いつもどおりの制服姿なのに、
冬至祭の夜以降、彼のシルエットのどこかに「大人」の輪郭が混じり始めた気がして、
私は無意識に背筋を伸ばしていた。
「新しいレッスン、ですか」
「ええ。
近日中に予定されている“お茶会”について、陛下からご依頼がありました」
「やっぱり、そうでしたか」
レオンは、少しだけ苦笑した。
「“王太子としてではなく、一人の青年として接しなさい”と」
「それは、とても難しい注文ですね」
私は、机の上に置いていたノートを開く。
「ですから本日は、“恋人ごっこ”の基礎から始めたいと思います」
「恋人ごっこ……」
その言葉を、彼はゆっくり反芻した。
◇◇◇
学舎の教室。
黒板の上に、私はこう書いた。
“LESSON:告白――練習と本気の違い”
「告白には、大きく分けて二種類あります」
レオンが真剣な顔でこちらを見る。
「ひとつは、“相手の心を動かすための告白”。
もうひとつは、“自分の気持ちに区切りをつけるための告白”」
「区切り、ですか」
「ええ。
相手からの返事がどうであれ、自分の気持ちを言葉にすることで、
前に進むための“けじめ”にする告白です」
前世の私は、そのどちらもしたことがなかった。
「本日のレッスンで扱うのは、前者――“相手の心を動かす告白”です」
「分かりました」
「そして、これはとても大事な注意点ですが」
私は、黒板にもう一行書き加える。
“レッスン中の告白は、あくまで“練習”であること”
「はい」
「どれだけそれらしく見えても、
今日この教室で交わされる言葉は、本気の告白ではありません。
相手を勘違いさせないために、
ここに一本、線を引いておきます」
レオンは、その線をじっと見つめた。
「……ミサは、その線のこちら側にいるつもりなんですね」
「もちろんです。
私は教育係であり、“練習台”ですから」
口にした瞬間、自分で少しだけ胸が痛んだ。
(練習台、ね。
前世で誰かの恋の練習台にすらなれなかった私が、
今世では王太子の恋の練習台を務めているなんて、ちょっとした出世だわ)
自虐を飲み込みながら、
私はもう一冊の薄い台本を取り出した。
「本日の劇中劇はこちら。
『湖畔の告白』です」
◇◇◇
『湖畔の告白』は、私が昨夜書き上げたばかりの台本だった。
静かな湖のほとりで、
幼い頃から共に育った騎士見習いと薬草師の娘が、
お互いへの想いを確かめ合う短い物語。
「殿下には“騎士見習い”の役を演じていただきます」
「ミサは?」
「……薬草師の娘です」
言い淀んだ私を、レオンがじっと見つめる。
「何か?」
「いえ。
とても“ミサらしい”役だと思いまして」
「光栄ということにしておきます」
内心、少しだけむずがゆい気持ちを抱えながら、私は台本をめくった。
『ねえ、あんたはいつか、この村を出ていくの?』
娘の台詞から始まる冒頭。
私は静かに読み始める。
「“騎士様になるんでしょう? 遠い城に行って、大きな戦に出て……”」
レオンが、それに続く。
「“行くさ。
でも、ひとつだけ心配があるんだ”」
『心配?』
「“俺がいなくなったあと、この湖畔で誰と笑っているのか”」
台詞なのに、胸の奥がざわつく。
(これは劇中劇。
本編の感情を持ち込まない)
自分に言い聞かせながら、先を続けた。
『あんたじゃない人と笑ってたら、怒る?』
「“怒りはしない。
でも、きっと少し嫉妬する”」
“嫉妬”という単語に、
レオンの声がわずかに揺れる。
昨日扱ったばかりのテーマだ。
『じゃあ、どうすればいいの?』
ここで、台本は最初の山場に入る。
私は、一度だけ深呼吸をした。
「“俺が戻ってくるまで――”」
レオンが台詞を追う。
「“可能なら、ここで俺を待っていてほしい。
無理なら、俺以外の誰かを選んでもいい。
でも、もしまだ同じ場所で笑っていられるなら――
そのときは、俺に一番にその笑顔を見せてほしい”」
騎士見習いの告白。
台本どおりの言葉のはずなのに、
耳に届いた声は、あまりにもレオンの本音に近すぎて、
私は一瞬、返す言葉を喉につかえさせた。
(落ち着いて。これは物語)
紙の上のインクと同じように、
感情までインクでできていると思い込まないと、
口が動かなかった。
『……そんなの、ずるいよ』
私は、なんとか台詞を紡いだ。
『待っていてもいいって言われたら、
ここから動けなくなるじゃない』
「“動きたくなったら動いていい。
でも、“動かないでいてもいい”場所がここにあるってことだけは、
忘れないでいてくれ”」
レオンの声が、
静かに落ちてくる。
“動かないでいてもいい場所”。
前世の私には、一度もなかった居場所。
物語の台詞のはずなのに、
私は思わず顔を上げてしまっていた。
仮面も舞台衣装もない、
学舎の教室。
そこに立っているのは、
ただ制服姿の王太子で、
ただインクまみれの教育係なのに――
「……殿下」
台詞から一瞬外れた声が、漏れた。
レオンも、そのことに気づいたらしい。
彼は少しだけ目を丸くしてから、
ふっと笑った。
「今のは、“練習の告白”のつもりだったのですが」
「ええ。
分かっています」
分かっている。
分かっているのに、胸が痛い。
「休憩を入れましょうか」
私は、台本をぱたんと閉じた。
「少し、頭を冷やした方がよさそうです」
「僕が、ですか」
「私が、です」
◇◇◇
窓を開けると、
冬の冷たい空気が教室に流れ込んできた。
湖畔の代わりに、王都を見下ろす高い窓。
「あの台詞、書いたときにはここまで刺さるとは思いませんでした」
ぽつりと呟くと、
レオンが机にもたれかかりながらこちらを見る。
「ミサらしい台詞でしたよ」
「らしい?」
「“動きたくなったら動いていい。でも、動かないでいてもいい場所も残しておく”――
それは、ミサがいつも僕にしてくれていることですから」
「心当たりがないのですが」
「ありますよ」
彼は、指を折りながら数え始めた。
「王宮の図書室。
庭園劇場。
学舎のこの教室。
僕が“王太子として動かなければいけない場所”と、
“まだ十六歳の少年でいられる場所”のあいだに、
ミサはいつも、ひとつ“戻ってこられる場所”を用意してくれている」
そんなふうに言われたことは、一度もなかった。
「それは、ただの教育係の仕事です」
「じゃあ、僕はその教育係に、
“湖畔の娘役”までやらせているわけですね」
「そういう言い方をすると誤解を招きます」
言いながら、自分でも頬が熱くなるのが分かった。
(これはいけない。
線のこちら側のはずなのに、
足元がぐらぐらしている)
私は窓を閉め、
レオンの方へ向き直る。
「殿下。
ひとつ、お願いがあります」
「何でしょう」
「今日の“告白の台詞”は、
あくまで“練習の言葉”として扱ってください」
「それは、どういう……」
「誰か別の人に向けて使うにしても、
そのときには、その相手のためにちゃんと言葉を選び直してください。
今日ここで交わした台詞を、
そのまま“本気の告白”に流用するのは、
自分の気持ちにも相手の気持ちにも失礼です」
それは、
教育係としての最後の防波堤のような言葉だった。
レオンは、少しだけ黙ってから頷いた。
「分かりました。
今日の台詞は、“ミサとの湖畔”だけのものにしておきます」
「……誤解を生む言い方はやめてください」
そう言いながら、
胸のどこかが救われるのを感じてしまった自分が、いちばん厄介だ。
◇◇◇
レッスンのあと。
私は自室に戻り、
ノートを開いた。
“LESSON 14:練習
“恋人ごっこ”は、誰かの心を傷つけないための安全な舞台。
けれど、演じているうちに、本物の感情が紛れ込むことがある。
練習の告白と、本気の告白。
その境界線は、言葉ではなく“誰に向けているか”で決まるのだと思う。
だから今日の湖畔の台詞は、
あくまでレオンの“成長のための言葉”であって、
私個人への告白ではない。
そう決めるのは――私の役目だ。”
書き終えてペンを置く。
窓の外には、夕暮れの空。
机の上には、少し色あせたシルフィア草。
「前世の私には、“恋人ごっこ”をしてくれる人すらいなかったんだから」
自嘲とも、感謝ともつかない声が漏れる。
たとえ練習台であっても、
誰かの“好き”の言葉を受け止めて、
「それはまだ練習だから」と笑って返せる場所が、今ここにある。
――選ばれなかった女が、
誰かの恋の練習相手になっているなんて、
少し皮肉で、少し温かい。
線のこちら側で交わした台詞が、
いつか本当に誰かを幸せにする言葉になるのなら。
そのとき私は、「書いてよかった」と胸を張って言える気がした。
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