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第20話 嫉妬を知らないふりはできなくて
しおりを挟む線のこちら側にいれば安全だと信じていたのに、その線ぎりぎりでざらりと心が擦れる。
「嫉妬なんて子どもの感情ですよ」と笑っていたのは、きっと恋を知らない大人の強がりだった。
◇◇◇
王都視察から、数日が過ぎた。
窓際の花瓶には、まだシルフィア草が残っていた。
小さな青い花は少し色あせてきたけれど、
「また会おうね」という花言葉だけは、机の上にしっかり留まっている。
(そろそろ押し花にしてノートに挟んでしまおうかな)
そんなことを考えながら、私は朝の紅茶を一口飲んだ。
そのとき、扉の向こうから早足の気配が近づいてくる。
「ミサ!」
ノックもそこそこに、扉が開いた。
「殿下。
せめて三回くらいノックしてからお入りくださいといつも――」
「済まない。……あ、いえ、すみません」
“済まない”と“すみません”が混ざった謝罪は、
王太子と十六歳の少年が同居している証だ。
「どうかなさいましたか?」
「これ……」
レオンは、私の机の上を指さした。
シルフィア草の横に置いていた封書。
貴族ではない、簡素な封蝋。
王都の誰かから届いた、ちょっとしたお礼状だ。
「先日の視察のときにお会いした、
本屋の奥さんからのお礼状ですよ。
殿下がお手ずから棚を手伝ってくださったでしょう?」
「ああ……あのときの」
王都の本屋で、背の高い棚から本を取ろうとしていた奥さんが、
うっかり足を滑らせかけたのを、レオンが支えた。
あの日のささいな出来事だ。
「私宛に、ですか」
「ええ。
“あのとき殿下にお伝えできなかったお礼を、教育係様からお伝えください”と」
「…………」
レオンは、微妙な顔をした。
「どうなさいました?」
「いえ……」
言い淀んだあと、
彼はぽつりと言った。
「ミサが、“王都の誰か”から手紙をもらっているのを見たのは初めてだと思って」
胸の奥が、わずかに波立つ。
(それはつまり、“誰かから手紙をもらう私”を気にしていたってことで)
「そんなに珍しいことでもありませんよ。
視察のあとのお礼状なんて、よくあることです」
努めて淡々と答える。
レオンは、机の上の封書とシルフィア草を一瞥し、
小さく息を吐いた。
「……変な気持ちですね」
「変な?」
「はい。
自分に宛てられた手紙ではないのに、
中身を知りたいような、知りたくないような」
その言い方が、妙に正直で。
「殿下、それは“人としてごく普通の感情”です」
「普通、ですか」
「はい」
私は紅茶をひと口飲み、
意識して明るい声を出した。
「本日のLESSONテーマが決まりましたね」
「……決まってしまいましたか」
「“嫉妬”です」
レオンが僅かに目を見開いた。
◇◇◇
「嫉妬は、恋愛感情の中でも、
一番扱いが難しい感情です」
学舎の教室で、
私は黒板に“嫉妬”の二文字を書いた。
「自分でも認めたくない。
他人から指摘されたくもない。
でも、ないふりをすると余計に膨らむ。
――とても面倒くさい感情ですね」
「ミサでも、そう思うんですか」
「ええ。
前世の私は、嫉妬なんて“子どものもの”だと思っていました」
好きな人と誰かが並んで歩く姿を見て嫉妬する、
告白された相手に嫉妬する――
そんな場面を、ドラマや少女漫画の中でしか知らなかった。
「でも最近は、少しだけ考えが変わりました」
私はチョークを置き、
レオンの方を見た。
「“こうありたい”“この人といたい”という願いがあるからこそ、
初めて嫉妬が生まれるのだと」
「願い、ですか」
「はい。
何も期待していない相手に、嫉妬はしませんから」
そこまで言ったところで、
レオンが机の上に視線を落とした。
「では、さきほどの僕の気持ちは……」
「“教育係が誰かと親しげにやりとりしているのが気になった”――
程度の、ごく軽い嫉妬です」
早口で答えてから、
自分で“軽い”と強調した部分に気づいて、心の中で頭を抱えた。
(なにを必死に軽く見せようとしてるのよ、私)
◇◇◇
「本日の劇中劇はこちらです」
私は、一冊の薄い台本を取り出した。
タイトルは『パティシエの恋と焼きすぎたタルト』。
「……またずいぶん庶民的な題名ですね」
「嫉妬の話は、身分の高い人より、
日常の中にこそ転がっていますから」
物語は単純だ。
小さな菓子屋で働く見習いパティシエの青年が、
幼なじみの娘と同じ店で働いている。
青年は密かに彼女が好きなのに、
新しく店に入ってきた見習い少年が彼女と楽しそうに話す姿を見て、
タルトをうっかり焦がしてしまう――そんな話。
「焦げたタルトは、嫉妬の象徴ですね」
「分かりやすくていいでしょう?」
私は、青年役の台詞をレオンに、
幼なじみの娘と店主を私が読むことにした。
『どうして焦がしたんだい?』
「すみません、つい……」
『つい、何を考えてたの?』
「――あの子が、誰と笑ってるのか、考えてました」
読み合わせをしているうちに、
レオンの声が少しずつ熱を帯びていく。
『そんなに心配?』
「心配、というより……気に入らないんです」
『どうして?』
「彼女が、あんなに楽しそうに笑っているから。
それが、自分に向けられた笑顔じゃないから」
台詞なのに、胸がきゅっとした。
(だめ、これはただの劇中劇。
本編に持ち込んじゃいけない)
自分に言い聞かせながら、ページをめくる。
『じゃあ、焦げたタルトは捨てる?』
「いえ。
焦がしたのは僕の責任です。
――嫉妬ごと、ちゃんと自分で片付けます」
台本には、
最後に青年が少しだけ正直になる場面がある。
『彼女が誰と笑っていても――僕は、彼女が笑っていられるようにいたい』
そう告げて、
焦げたタルトを自分で食べる。
安っぽくて、甘すぎて、
けれどどこか切ないラスト。
「……どうでしたか、殿下」
読み終えたあと、
私はそっと尋ねた。
「この青年の気持ち、理解できましたか?」
レオンは少し黙ってから、頷いた。
「ええ。
“誰と笑っているか”が気になって、
手元がおろそかになる気持ちは、よく分かりました」
「それは、パティシエとしては致命的ですが」
「王太子としても、ですね」
苦笑がこぼれる。
「でも彼は、最後に“彼女が笑っていられるなら”と言いました」
私は、そっと付け足した。
「嫉妬を抱えたままでも、
相手の幸せを願えるかどうか。
そこに、その人の“器の大きさ”が出るのかもしれません」
レオンは、机の上で指を組んだ。
「ミサはどうですか」
「え?」
「ミサは――
嫉妬を抱えながらでも、
相手の幸せを願えますか」
問いは、妙にまっすぐだった。
(十六歳のくせに、質問の角度がずるい)
前世の私なら、
きっと「そんな場面がなかった」と笑ってごまかしていた。
今世の私は――
「努力は、します」
やっとの思いで、そう答えた。
「胸が苦しくなることは、きっと避けられません。
それでも、“この人が笑っていてほしい”と思えるなら――
私はその人の隣ではなく、少し離れた場所からでも、
その笑顔を見ていたいと思います」
それが、線のこちら側に立つと決めた者の、
唯一の矜持なのだと思った。
レオンは、ふっと目を伏せた。
「……ミサは、本当に“教育係”ですね」
「今さらですよ」
軽く笑って返したが、
その声は自分でもわずかに震えていた。
◇◇◇
レッスンを終えたあと、
廊下で思わぬ場面に遭遇した。
角を曲がった先で、
レオンとカトリーヌが立ち話をしていたのだ。
「先日の舞踏会では、お世話になりました、殿下」
「こちらこそ。
ダンスのお相手、ありがとうございました」
カトリーヌは、
仮面のない素顔で、少しはにかみながら笑っていた。
(……かわいい)
純粋にそう思った。
彼女は、王太子妃として十分な教養を持ち、
それでいて人を緊張させすぎない柔らかさがある。
レオンが隣に並ぶ姿が、
驚くほど自然に見えた。
(そうよね。
最初に“台本”を書いたときから、
この並びは想定済みで)
胸のどこかが、
じわりと痛む。
「ミサ」
気づかれないように通り過ぎようとしたとき、
レオンに名前を呼ばれた。
「今、レッスンを終えたところですか?」
「はい。
殿下の“嫉妬”について、一通り」
わざと軽く言うと、
カトリーヌが目を丸くした。
「殿下が……嫉妬?」
「劇中劇の話ですわ。
“焦げたタルト”の物語を使って」
「まあ。
素敵なお話ですね」
カトリーヌは、
少女らしく目を輝かせた。
「いつか、そのお芝居を拝見してもよろしいかしら?」
「機会があれば。
殿下のご都合次第です」
そう答えながら、
私は自分の胸の内に生まれつつある感情に、そっと蓋をする。
――これが、嫉妬だ。
誰かを羨ましいと思う気持ち。
その人と笑い合う誰かの姿に、
胸が少しだけざわつく感覚。
(分かってしまうと、案外やっかいね)
◇◇◇
その日の夜。
私は、机に向かってノートを開いた。
“LESSON 13:嫉妬
嫉妬は、誰かを欲しがる心の裏返し。
“ここにいてほしい”という願いがあるからこそ、
その場所に別の誰かが立つ未来を想像して、胸が苦しくなる。
それは醜い感情ではなく、
生きている証のひとつ。
大事なのは、その苦しさを相手にぶつけるのではなく、
自分の中で“どう扱うか”を選ぶこと。”
ペンを置いて、シルフィア草を見る。
青い花は、少ししおれかけているけれど、
まだ完全には色を失っていなかった。
「この嫉妬ごと、
焦げたタルトみたいに、
自分でちゃんと飲み込めるようになれたらいいんだけど」
ぽつりと呟く。
嫉妬を知らないふりをしていた頃の自分には、
もう戻れない。
それでも、
誰かを羨ましいと思えるくらいには、
誰かを大事に思えるようになった自分を――
前世の私に見せてやりたいと思った。
線のこちら側で、
それでも誰かを好きでいることを選ぶ。
その選択はきっと、
「選ばれなかった女」の物語にとって、
初めて自分で選んだ、少し苦くて少し甘い一行なのだ。
10
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