前世アラサー独身、異世界では王太子の教育係として「恋愛感情」を教えています

cotonoha garden

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第19話 線のこちら側で交わす約束

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 この距離なら、きっと傷つかずに済む――そう思って半歩下がったのに、彼は平然とその半歩を詰めてくる。
 王太子と教育係のあいだに引いたつもりの線は、案外あっけなく踏まれてしまうものだと、その日私は思い知った。

 ◇◇◇

 王妃陛下との話から、数日が経った。

 それからの私は、意識して“教育係らしく”振る舞うようになっていた。
 レオンの視線が長くなりそうなときは話題を変え、
 何気ない冗談が甘さを帯びそうになったら、わざと固い言葉で受け止める。

 (線はここまで。
  それ以上は、踏み込ませない)

 そう決めたはずだった。

 「ミサ、昨日の噂の――」

 「殿下、噂の話はLESSONの対象外です」

 「対象外ですか」

 「ええ。“王太子が噂に振り回されないためのレッスン”はしても、
  “教育係を噂のネタにする方法”は教えておりませんので」

 わざと淡々と返すと、
 レオンは少しだけ肩を落とした。

 「……分かりました」

 (ごめんね。本当は、笑い飛ばしてしまった方がきっと楽なのに)

 申し訳なさと、必要な距離。
 両方を抱えたまま、私は黒板に今日の日付を書き込んだ。

 「本日のLESSONテーマは、“日常の愛情”です」

 「日常、ですか」

 「ええ。
  冬至祭のような大きな夜だけではなく、
  何もない日々の中でどうやって想いを伝え合うか――
  それが分からないと、誓いの言葉ばかり立派でも中身が空洞になってしまいますから」

 レオンは真剣な顔で頷いた。

 「具体的には、どうすれば学べますか」

 「それがですね……」

 私は、今朝王妃陛下から渡された書状を思い出して、
 内心で小さくため息をつく。

 ――『近日中に、レオンと共に王都の視察へ行ってちょうだい』

 ――『“民の日常”と“庶民の恋人たち”を見てくるのも、立派な恋愛レッスンの一つよ』

 (あの陛下、本当に容赦がない)

 距離を取ろうとしている教育係を、
 わざわざ王太子と二人で王都へ送り出そうとするなんて。

 「殿下。
  近日中に、王都への“視察”がございます」

 「視察?」

 「はい。
  名目上は王太子としての市井の視察ですが――」

 言葉を区切って、彼の様子をうかがう。

 「実際には、“日常の恋愛”の観察です」

 「……観察」

 「恋人同士や夫婦たちが、
  どんな顔で日々を過ごしているのか。
  手を繋ぐとき、名前を呼ぶとき、ケンカのあと。

  そういう“舞台に乗らない愛情”を見てくるのも、
  教育係としては必要だと判断しました」

 最後の一文だけ、半分は言い訳のようだった。

 レオンは、ゆっくりと目を細めた。

 「それは、ミサも一緒に?」

 「もちろんです。  

  王妃陛下から直々に“付き添いを”とのご命令がありましたので」

 「良かった」

 小さく漏れたその一言に、
 私の胸がわずかにざわついた。

 「殿下?」

 「いえ。
  王都を歩くのが楽しみだ、というだけです」

 ――そして、ほんの少しだけ。

 ――“誰と歩けるのか”を気にしていた自分に気づいてしまっただけです。

 彼の表情が、そう言っている気がした。

 ◇◇◇

 王都視察の日は、すぐにやってきた。

 冬の空は薄曇り。
 冷たい空気の中にも、どこか柔らかい匂いが混じり始めている。

 (もうすぐ、本格的な春が来る)

 そんな気配の中、
 私とレオンは簡素な外套を身にまとい、
 王城の裏門から馬車に乗り込んだ。

 「殿下、仮名は覚えていらっしゃいますか?」

 「ええ。
  今日は“レオ”ですね」

 「素直すぎて逆に怪しい仮名ですが……まあ、いいでしょう」

 「ミサは?」

 「私は“ミーナ”ということにしておきます」

 前世の名前、“美咲”の欠片を、
 ひとつだけ紛れ込ませた仮名。

 口にしてみると、
 どこかくすぐったい。

 「レオとミーナ。
  ……なんだか物語に出てきそうな名前ですね」

 「殿下、そういうことをさらっと言うから誤解されるんですよ」

 冗談めかして言うと、
 彼は少しだけ苦笑した。

 「誤解されても、
  いつかちゃんと説明できるだけの言葉を持っていたいですけどね」

 その一言に、
 王妃陛下の問いが頭の中でなぞられる。

 ――“どこに線を引くつもりなのか”

 (今の私は、“説明しないこと”を選ぶ側なんだ)

 そう自分に言い聞かせる。

 ◇◇◇

 王都の中心部に着くと、
 いつもの“視察”とは違う賑わいがあった。

 露店には小さな花束や、
 手編みの手袋、飴細工。

 「冬の感謝祭、ですって」

 通りがかりの婦人が教えてくれた。

 「うちの人がね、
  この日に毎年、ささやかな花を買ってきてくれるのよ」

 「素敵ですね」

 私がそう言うと、
 婦人は照れくさそうに笑った。

 「結婚して二十年もすると、
  言葉なんてそんなに交わさないけれどね。

  でも、この日にだけは花を忘れないから、
  “ああ、まだ嫌われてはいないな”って安心するの」

 なんでもないような台詞が、
 妙に胸に残った。

 (“嫌われてはいない”ことで、
  やっと自分の居場所を確かめられる)

 前世の自分にとって、
 それは想像もつかなかった感覚だった。

 隣を歩くレオンが、小さく問う。

 「ミサ。
  そういうのも“日常の愛情”ですか」

 「ええ。
  大きな約束や盛大な誓いよりも、
  こういう“忘れない”行為が続いていく方が、
  よっぽど難しくて、大切なんです」

 「忘れない、行為」

 「はい。
  相手の誕生日を忘れない。
  好きな花を覚えている。
  寒がりだからマフラーを用意しておく。

  恋は火花みたいに始まるかもしれませんが、
  愛情は、こうやって毎日ちょっとずつ継ぎ足されていくものです」

 レオンは、しばらく黙って歩いた。

 やがて、ひとつの露店の前で足を止める。

 「ミサ。
  ここに“忘れない行為”が売っているようです」

 彼が指さしたのは、小さな花屋だった。

 色とりどりの花束が並んでいる中、
 ひときわ目を引くのは、青い小花の束。

 「“シルフィア草”だよ」

 店の少年が、元気よく説明してくれる。

 「“また会おうね”って意味があるんだ。
  恋人同士でも、友達同士でも、
  離れるときに渡したりするんだよ」

 “また会おうね”。

 前世の私が一番言えなかった言葉。
 終電間際の会議室で、
 “また明日”さえまともに言えずに帰っていた頃がふとよみがえる。

 「殿下、一本いかがですか」

 私が冗談めかして問うと、
 レオンは真剣な顔で花束を見つめた。

 「ミサ。
  “また会おうね”という言葉は、
  誰に向けて使うのが一番ふさわしいと思いますか」

 「そうですね……」

 恋人、家族、友人。
 いくつもの答えが頭に浮かぶ。

 けれど、今この場で私が選ぶべき答えはひとつしかなかった。

 「“また会う約束が叶う相手”に、でしょうか」

 「叶う、相手」

 「はい。
  約束を守れる距離にいる人。
  “また会えるように”努力できる関係。

  遠すぎる相手や、
  どうしても交わらない立場の人にこの花を渡すのは、
  少し酷かもしれません」

 自分で言いながら、
 どこかで自分に刺さっていく言葉。

 レオンは、小さく息を吐いた。

 「では、僕は――」

 そう言って、
 シルフィア草の小さな束を二つ手に取った。

 「ひとつは、父と母に」

 「陛下方に、ですか」

 「ええ。
  王と王妃としてではなく、
  “家族としてまた会おう”と言える時間を、
  これからも作れるように」

 その言い方が、
 彼らしいと思った。

 「もうひとつは――」

 レオンは、もう一束をこちらに差し出してきた。

 「ミサに、です」

 「……殿下」

 「教育係として、
  これからも“また会う約束”を続けていただきたいので」

 それは、
 恋でも告白でもない。

 けれど、“何もなかったふり”をするには、
 あまりにも真っ直ぐな贈り物だった。

 (線のこちら側から届く、
  これ以上ないくらいぎりぎりの花束)

 私は、ゆっくりとそれを受け取った。

 「身に余る光栄です。
  その約束なら、喜んで」

 そう答えると、
 レオンの肩から、少しだけ力が抜けたように見えた。

 「よかった」

 その一言に、
 胸の奥のどこかもふっと緩む。

 ◇◇◇

 城に戻ったあと。

 自室の机の上に、
 小さな花瓶を置いた。

 その中に、シルフィア草の束をそっと挿す。

 青い小花が、
 群青のインク瓶の隣で揺れた。

 “LESSON 12:日常

  “また会おうね”と言える関係は、
  奇跡でも運命でもなく、
  日々の小さな選択の積み重ねでできている。

  隣の席を望まなくても、
  同じ景色を見ながら“また明日”と言い合える距離がある。

  選ばれなかった女の二度目の人生にとっては、
  それだけでも、十分すぎるご褒美だ。”

 そう書き記してから、
 私は窓の外に目をやった。

 城下の方角には、
 今日歩いた通りがある。

 手を繋いで歩く恋人たち。
 花を持って帰る夫。
 その背中を見送る人たち。

 そこには、
 派手な誓いの言葉はないかもしれない。

 けれど、
 毎日「またね」と言い合えるだけの関係が、
 確かに積み重なっている。

 「……線のこちら側でも、
  同じ景色くらいは見ていてもいいよね」

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 隣に座る資格なんてなくていい。
 選ばれる花嫁にはならなくていい。

 それでも、
 “明日もまた会って話そう”と言えるくらいの距離で、
 同じ青い花を見ていられるなら――

 前世で一度ももらえなかった「また会おうね」が、
 今世では確かに手の中にある。

 その事実が、
 引いたばかりの線のこちら側で、
 そっと私を支えてくれる気がした。
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