18 / 44
第18話 王妃の問いと、守りたい線
しおりを挟む王太子の誓いに、一番驚いていたのは臣下でも花嫁候補でもなかった。
あの言葉を誰より近くで見届けた、台本を書いた張本人――この私だった。
◇◇◇
冬至祭の翌日から一晩明けた朝。
いつもより少し早く起きてしまった私は、
ぼんやりした頭のまま机に向かっていた。
インクの瓶は、群青色。
昨夜、二階回廊で着ていたドレスと同じ色。
「……色までお揃いにしなくていいのに」
そう苦笑しながらペンを取ろうとしたとき、
扉の向こうからノックの音がした。
「ミサ・ハルヴィア様。王妃陛下がお呼びです」
胸が、どくんと跳ねた。
(来た。絶対、あの誓いの話だ)
いや、もしかしたら――
二階回廊の“群青の女”の話かもしれない。
どちらにしても胃が痛くなる案件だった。
◇◇◇
王妃の私室に通されると、
エリザ王妃は窓辺の椅子に腰かけ、
庭を眺めていた。
冬の朝の光が、
淡い金の髪を柔らかく照らしている。
「お呼びにより、参りました。ミサ・ハルヴィアでございます」
私は裾をつまみ、深く礼をした。
「そんなに固くならなくていいわ、ミサ」
王妃陛下はいつもの穏やかな声で言ったが、
その瞳の奥には、
いつもより少しだけ鋭い光があった。
「昨夜は、お疲れさまでした。
とても良い夜だったわ」
「恐れ入ります」
「……特に、あの誓いの言葉」
やっぱりそこから来た。
私は、内心で小さく肩をすくめる。
「殿下の言葉の運びは、
どこまでが台本で、どこからが“彼自身”だったのかしら」
避けて通れない質問だった。
「……最初の数行までは、
私が用意した草案に沿っておりました」
正直に答える。
「ですが、“一人の人間としての誓い”から先は、
殿下ご自身の言葉でいらっしゃいました」
エリザ王妃は、ふっと息を吐いた。
「やっぱり、そうなのね」
「陛下?」
「あなたが、あそこまで“個人の意思”を全面に出す台本を書くとは思えなかったから」
口元にいたずらっぽい微笑みを浮かべる。
「ミサ。
私はね、昨夜の殿下の言葉を誇りに思っているの」
その一言に、
胸の奥の緊張が少しだけほどけた。
「もちろん、ざわついている人もいるわ。
“王太子があそこまで個人の意思を強調するとは”って」
だろうな、と心の中で頷く。
「でも私は、
誰かに書いてもらった“正しいだけの誓い”より、
危うくても彼自身の本音が混ざった誓いの方が、
未来に希望があると思うの」
「……陛下」
「だから、ありがとう。
彼に“自分の言葉を持つ”ことを教えてくれて」
そう言って頭を下げられそうになり、
私は慌てて手を振った。
「おやめください、陛下!
そんな、私などに――」
「いいえ。
あの一行を言えるように育てたのは、
紛れもなくあなたでしょう?」
真正面からそう言われると、
何も言い返せなかった。
(私はただ、小さな台本を書いただけのつもりだったのに)
◇◇◇
少しの沈黙のあと、
王妃陛下は表情を引き締めた。
「……もうひとつ、話しておきたいことがあるの」
(来た、第二ラウンド)
私は背筋を伸ばし直す。
「二階回廊で踊っていた“群青の女性”について、
侍従たちから報告があったわ」
「ご報告、でございますか」
「“王太子殿下と思しき方が、
群青のドレスの女性と一曲踊っていた”そうよ」
やっぱり、見られていた。
あそこまでコソコソ歩いたのに、
王宮の目は甘くなかったらしい。
「心配しなくていいわ。
誰も、あれがあなたとは気づいていない」
そう言いつつ、
王妃陛下の視線はまっすぐ私に向いていた。
「気づいているのは、
私と、王と、そして――当人だけ」
「……僭越ながら、一曲だけでございます」
絞り出すようにそう言うと、
王妃陛下は小さく笑った。
「一曲“だけ”ね」
「はい」
「でも、あの子にとってはきっと、
“初めて自分の意思で選んだ誰かとの一曲”だったわ」
その言葉に、
心臓が嫌な意味で跳ね上がった。
「陛下、それは――」
「分かっているわ。
あなたは“教育係として”そこにいたのでしょう」
王妃陛下は柔らかく言葉を重ねた。
「私は、ミサ。
あなたを責めるために呼んだわけではないの」
「では……」
「問いただすためよ」
静かな声だった。
「あなた自身に、
“どこに線を引くつもりなのか”を」
◇◇◇
しばし、部屋の中に沈黙が落ちた。
王妃陛下は、
窓辺から椅子を移し、私の正面に腰かける。
「ミサ。
あなたはこれからも、彼の“教育係”でいてくれる?」
「それは……もちろんでございます」
即答した。
「殿下が自分の足で立てるようになるまで、
私は隣ではなく、少し後ろから支えていくつもりです」
「なら、もうひとつ」
王妃の瞳が、少しだけ真剣な色を帯びる。
「教育係であり続けるために、
“自分の気持ちに線を引く覚悟”はある?」
息が詰まった。
「……私の、気持ち」
「ええ。
あの子が十六歳になった今、
もう“子どもの恋の練習相手”ではいられないわ」
「…………」
「これから先、
彼の言葉や視線の向きは、もっとはっきりしてくる。
あなたがそれを全部“勘違い”と片付け続けたら、
いつか必ず、どちらかが傷つくことになる」
どちらか――
彼か、私か。
あるいは、その両方か。
「殿下が、花嫁候補の誰かの手を取るとき。
あなたは、どう在りたい?」
問われて、
私は初めて、正面からその未来を想像させられた。
レオンが、公爵家の令嬢の手を取り、
堂々と隣に並ぶ姿。
その遠く後ろで、
教育係としてただ静かに見ている自分。
胸が、痛い。
それでも――
「……殿下が、自分の意思で選んだ相手の手を取るなら」
私は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「その隣に立つ人を、
私も誇りに思えるようでありたいです」
「自分の気持ちは?」
王妃陛下は、逃げ道を与えてくれなかった。
「あなた自身は、そのときどうするの」
前世の私なら、
「おめでとうございます」と笑って残業に戻っていた。
今世の私は――
「……線を引きます」
やっとの思いでそう言った。
「殿下と、王太子妃殿下の前で、
“教育係としての役目はここまでです”と、自分で線を引きたい」
震えそうになる声を、なんとか押しとどめる。
「その線の向こう側には、
未練も、恋も、勝手な期待も持ち込みません。
殿下が“選んだ相手”を、
私もきちんと尊重できるように」
それが今の私にできる、
精一杯の答えだった。
エリザ王妃は、
長いまつげを一度ゆっくりと閉じてから、頷いた。
「残酷な問い方をしてしまったわね」
「いえ……陛下の仰ることは、
ずっとどこかで考えないふりをしていたことでしたから」
「それでも、
自分で“線を引く”と言ってくれて嬉しい」
王妃陛下の表情が、少しだけ緩んだ。
「ミサ。
あなたはきっと、
“何もかも曖昧なまま流される”ことが一番辛い人でしょう?」
胸の奥を、やわらかく突かれた気がした。
前世の私は、
曖昧な期待と、曖昧な好意と、曖昧な約束に振り回されて、
何ひとつはっきり“選ばれた”ことがなかった。
「だから、あなた自身のためにも、
どこかで線を引く日が来る。
そのときは、どうか一人で背負わないで」
エリザ王妃はそっと微笑んだ。
「その線を引く場所を、
私と王にも見せてちょうだい」
「……はい」
それは、
まるで「そのときまで、そばにいていい」と
許可されたような言葉だった。
◇◇◇
部屋を辞したあと、
私はまっすぐ庭園劇場へ向かった。
冬の庭に、薄い陽が落ちている。
客席には誰もいなくて、
静かな寒さだけが舞台を包んでいた。
舞台の中央に立ち、
私は深く息を吸った。
「LESSON 11:線」
ノートを開き、
いつものように見出しを書く。
“前世の私は、曖昧な優しさに期待し、
曖昧な距離感に傷つき続けていた。
今世の私は、
王太子の教育係として、
自分の気持ちに線を引くことを選ぶ。
“ここまでは届いてはいけない”という線と、
“ここまでは一緒に歩いてもいい”という線。
線を引くことでしか守れない関係も、
きっとこの世界にはある。”
書き終えたとき、
胸の奥の苦さは、まだ完全には消えていなかった。
それでも――
「流されて傷つくより、
自分で決めて痛む方が、
少なくとも私は、まだましだと思える」
独り言のように呟く。
舞台袖から差し込む冬の光が、
紙の上の群青のインクを淡く透かしていた。
――選ばれなかった女だからこそ、
選ばれないまま終わる未来だけは避けたい。
どこで線を引くかを、自分で決めること。
それがたとえ、
自分の恋に終わりを告げる線だとしても。
その覚悟だけは、
前世の私に胸を張って見せられる気がした。
11
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました
由香
恋愛
異世界に転移したら、なぜか魔王城の清掃係に就職していました。
巨大な玉座、血のついた回廊、禍々しい装飾品の数々。
今日も黙々と床を磨いていたら――
「お前の磨いた床は、よく眠れる」
恐怖の象徴と名高い魔王様に懐かれました。
見た目は完全にラスボス。
中身はちょっと不器用で、独占欲強めの努力型。
勇者は帰還の道を示し、魔王は隣を選べと願う。
光と闇のはざまで、選ぶのは――ただの清掃係。
戦争よりも、まず床。
征服よりも、まず対話。
これは、世界最強の存在に溺愛されながら
世界平和を“足元から”始める物語。
甘くて、少し熱くて、ちゃんと選ぶ恋。
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる