前世アラサー独身、異世界では王太子の教育係として「恋愛感情」を教えています

cotonoha garden

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第18話 王妃の問いと、守りたい線

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 王太子の誓いに、一番驚いていたのは臣下でも花嫁候補でもなかった。
 あの言葉を誰より近くで見届けた、台本を書いた張本人――この私だった。

 ◇◇◇

 冬至祭の翌日から一晩明けた朝。

 いつもより少し早く起きてしまった私は、
 ぼんやりした頭のまま机に向かっていた。

 インクの瓶は、群青色。
 昨夜、二階回廊で着ていたドレスと同じ色。

 「……色までお揃いにしなくていいのに」

 そう苦笑しながらペンを取ろうとしたとき、
 扉の向こうからノックの音がした。

 「ミサ・ハルヴィア様。王妃陛下がお呼びです」

 胸が、どくんと跳ねた。

 (来た。絶対、あの誓いの話だ)

 いや、もしかしたら――
 二階回廊の“群青の女”の話かもしれない。

 どちらにしても胃が痛くなる案件だった。

 ◇◇◇

 王妃の私室に通されると、
 エリザ王妃は窓辺の椅子に腰かけ、
 庭を眺めていた。

 冬の朝の光が、
 淡い金の髪を柔らかく照らしている。

 「お呼びにより、参りました。ミサ・ハルヴィアでございます」

 私は裾をつまみ、深く礼をした。

 「そんなに固くならなくていいわ、ミサ」

 王妃陛下はいつもの穏やかな声で言ったが、
 その瞳の奥には、
 いつもより少しだけ鋭い光があった。

 「昨夜は、お疲れさまでした。
  とても良い夜だったわ」

 「恐れ入ります」

 「……特に、あの誓いの言葉」

 やっぱりそこから来た。

 私は、内心で小さく肩をすくめる。

 「殿下の言葉の運びは、
  どこまでが台本で、どこからが“彼自身”だったのかしら」

 避けて通れない質問だった。

 「……最初の数行までは、
  私が用意した草案に沿っておりました」

 正直に答える。

 「ですが、“一人の人間としての誓い”から先は、
  殿下ご自身の言葉でいらっしゃいました」

 エリザ王妃は、ふっと息を吐いた。

 「やっぱり、そうなのね」

 「陛下?」

 「あなたが、あそこまで“個人の意思”を全面に出す台本を書くとは思えなかったから」

 口元にいたずらっぽい微笑みを浮かべる。

 「ミサ。
  私はね、昨夜の殿下の言葉を誇りに思っているの」

 その一言に、
 胸の奥の緊張が少しだけほどけた。

 「もちろん、ざわついている人もいるわ。
  “王太子があそこまで個人の意思を強調するとは”って」

 だろうな、と心の中で頷く。

 「でも私は、
  誰かに書いてもらった“正しいだけの誓い”より、
  危うくても彼自身の本音が混ざった誓いの方が、
  未来に希望があると思うの」

 「……陛下」

 「だから、ありがとう。
  彼に“自分の言葉を持つ”ことを教えてくれて」

 そう言って頭を下げられそうになり、
 私は慌てて手を振った。

 「おやめください、陛下!
  そんな、私などに――」

 「いいえ。
  あの一行を言えるように育てたのは、
  紛れもなくあなたでしょう?」

 真正面からそう言われると、
 何も言い返せなかった。

 (私はただ、小さな台本を書いただけのつもりだったのに)

 ◇◇◇

 少しの沈黙のあと、
 王妃陛下は表情を引き締めた。

 「……もうひとつ、話しておきたいことがあるの」

 (来た、第二ラウンド)

 私は背筋を伸ばし直す。

 「二階回廊で踊っていた“群青の女性”について、
  侍従たちから報告があったわ」

 「ご報告、でございますか」

 「“王太子殿下と思しき方が、
  群青のドレスの女性と一曲踊っていた”そうよ」

 やっぱり、見られていた。

 あそこまでコソコソ歩いたのに、
 王宮の目は甘くなかったらしい。

 「心配しなくていいわ。
  誰も、あれがあなたとは気づいていない」

 そう言いつつ、
 王妃陛下の視線はまっすぐ私に向いていた。

 「気づいているのは、
  私と、王と、そして――当人だけ」

 「……僭越ながら、一曲だけでございます」

 絞り出すようにそう言うと、
 王妃陛下は小さく笑った。

 「一曲“だけ”ね」

 「はい」

 「でも、あの子にとってはきっと、
  “初めて自分の意思で選んだ誰かとの一曲”だったわ」

 その言葉に、
 心臓が嫌な意味で跳ね上がった。

 「陛下、それは――」

 「分かっているわ。
  あなたは“教育係として”そこにいたのでしょう」

 王妃陛下は柔らかく言葉を重ねた。

 「私は、ミサ。
  あなたを責めるために呼んだわけではないの」

 「では……」

 「問いただすためよ」

 静かな声だった。

 「あなた自身に、
  “どこに線を引くつもりなのか”を」

 ◇◇◇

 しばし、部屋の中に沈黙が落ちた。

 王妃陛下は、
 窓辺から椅子を移し、私の正面に腰かける。

 「ミサ。
  あなたはこれからも、彼の“教育係”でいてくれる?」

 「それは……もちろんでございます」

 即答した。

 「殿下が自分の足で立てるようになるまで、
  私は隣ではなく、少し後ろから支えていくつもりです」

 「なら、もうひとつ」

 王妃の瞳が、少しだけ真剣な色を帯びる。

 「教育係であり続けるために、
  “自分の気持ちに線を引く覚悟”はある?」

 息が詰まった。

 「……私の、気持ち」

 「ええ。
  あの子が十六歳になった今、
  もう“子どもの恋の練習相手”ではいられないわ」

 「…………」

 「これから先、
  彼の言葉や視線の向きは、もっとはっきりしてくる。

  あなたがそれを全部“勘違い”と片付け続けたら、
  いつか必ず、どちらかが傷つくことになる」

 どちらか――

 彼か、私か。
 あるいは、その両方か。

 「殿下が、花嫁候補の誰かの手を取るとき。
  あなたは、どう在りたい?」

 問われて、
 私は初めて、正面からその未来を想像させられた。

 レオンが、公爵家の令嬢の手を取り、
 堂々と隣に並ぶ姿。

 その遠く後ろで、
 教育係としてただ静かに見ている自分。

 胸が、痛い。

 それでも――

 「……殿下が、自分の意思で選んだ相手の手を取るなら」

 私は、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 「その隣に立つ人を、
  私も誇りに思えるようでありたいです」

 「自分の気持ちは?」

 王妃陛下は、逃げ道を与えてくれなかった。

 「あなた自身は、そのときどうするの」

 前世の私なら、
 「おめでとうございます」と笑って残業に戻っていた。

 今世の私は――

 「……線を引きます」

 やっとの思いでそう言った。

 「殿下と、王太子妃殿下の前で、
  “教育係としての役目はここまでです”と、自分で線を引きたい」

 震えそうになる声を、なんとか押しとどめる。

 「その線の向こう側には、
  未練も、恋も、勝手な期待も持ち込みません。

  殿下が“選んだ相手”を、
  私もきちんと尊重できるように」

 それが今の私にできる、
 精一杯の答えだった。

 エリザ王妃は、
 長いまつげを一度ゆっくりと閉じてから、頷いた。

 「残酷な問い方をしてしまったわね」

 「いえ……陛下の仰ることは、
  ずっとどこかで考えないふりをしていたことでしたから」

 「それでも、
  自分で“線を引く”と言ってくれて嬉しい」

 王妃陛下の表情が、少しだけ緩んだ。

 「ミサ。
  あなたはきっと、
  “何もかも曖昧なまま流される”ことが一番辛い人でしょう?」

 胸の奥を、やわらかく突かれた気がした。

 前世の私は、
 曖昧な期待と、曖昧な好意と、曖昧な約束に振り回されて、
 何ひとつはっきり“選ばれた”ことがなかった。

 「だから、あなた自身のためにも、
  どこかで線を引く日が来る。

  そのときは、どうか一人で背負わないで」

 エリザ王妃はそっと微笑んだ。

 「その線を引く場所を、
  私と王にも見せてちょうだい」

 「……はい」

 それは、
 まるで「そのときまで、そばにいていい」と
 許可されたような言葉だった。

 ◇◇◇

 部屋を辞したあと、
 私はまっすぐ庭園劇場へ向かった。

 冬の庭に、薄い陽が落ちている。
 客席には誰もいなくて、
 静かな寒さだけが舞台を包んでいた。

 舞台の中央に立ち、
 私は深く息を吸った。

 「LESSON 11:線」

 ノートを開き、
 いつものように見出しを書く。

 “前世の私は、曖昧な優しさに期待し、
  曖昧な距離感に傷つき続けていた。

  今世の私は、
  王太子の教育係として、
  自分の気持ちに線を引くことを選ぶ。

  “ここまでは届いてはいけない”という線と、
  “ここまでは一緒に歩いてもいい”という線。

  線を引くことでしか守れない関係も、
  きっとこの世界にはある。”

 書き終えたとき、
 胸の奥の苦さは、まだ完全には消えていなかった。

 それでも――

 「流されて傷つくより、
  自分で決めて痛む方が、
  少なくとも私は、まだましだと思える」

 独り言のように呟く。

 舞台袖から差し込む冬の光が、
 紙の上の群青のインクを淡く透かしていた。

 ――選ばれなかった女だからこそ、
  選ばれないまま終わる未来だけは避けたい。

 どこで線を引くかを、自分で決めること。
 それがたとえ、
 自分の恋に終わりを告げる線だとしても。

 その覚悟だけは、
 前世の私に胸を張って見せられる気がした。
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