36 / 44
第36話 嫉妬のレッスンなんて、聞いてない
しおりを挟む“嫉妬”なんて、前世の私は持ち合わせていないと思っていた。
そんな贅沢な感情を抱けるほど、誰かに本気で心を向けたことなんてなかったからだ。
◇◇◇
春季祝典の翌朝。
王宮の廊下は、いつもより少しだけ柔らかい空気に包まれていた。
大仕事を終えたあとの、ほんの短い“余韻の時間”みたいなものだろう。
私はいつも通りノートを抱え、王太子付きの学習室へ向かっていた。
――のだが。
途中の曲がり角で、侍女たちのささやき声が耳に飛び込んできた。
「昨日の劇、ご覧になりまして?」
「ええ、もちろん。殿下のご演技……まるで本当の師弟みたいで」
「“また見せに来なさい”のお言葉、胸がきゅんとしましたわ」
「ねえ、あれ……ひょっとして教育係様への“本心”なんじゃないかって――」
そこで、私の足が止まった。
(……おっと)
「ちょっと、それは言いすぎよ。殿下はまだご婚約も――」
「でも、あのお二人が並ぶと、なんだかしっくり来るっていうか」
「“背中側の席”の意味だって、噂になってるくらいですもの」
(噂、早すぎません? 王宮の通信速度どうなってるの)
心の中で頭を抱えながら、
こっそりと別の廊下へ迂回した。
前世の職場でもそうだったけれど、
“本人がいる場では言わないけれど、いないところでは盛り上がる話題”ほど厄介なものはない。
(大丈夫、大丈夫。
王妃陛下も、リリアナ様も、ちゃんと分かってくださっている)
そう言い聞かせる一方で、
“しっくり来る”という言葉に、
ほんの少しだけ胸が温かくなった自分もいた。
――そして同時に、
“殿下のご婚約”という現実の重さも、
改めて胸にのしかかってくる。
(そうだ、私がどれだけ“しっくり”していようと、
王太子妃になるのは私じゃない)
そのはずだ。
◇◇◇
「ミサ」
学習室の扉を開けると、
窓際の椅子に座っていたレオンが顔を上げた。
「おはようございます、殿下――いえ、レオン」
「おはようございます、ミサ」
部屋には、いつもの教材のほかに、
見慣れない封筒が机の上に置かれていた。
「それは?」
「王妃からの伝言です」
レオンは封筒を指でとんとんと叩いた。
「“次の恋愛レッスンのテーマ”だそうですよ」
「次の……?」
胸のあたりが、不穏にざわつく。
“嫉妬”とか“婚約”とか、
ろくでもない単語が頭の中を走り抜けた。
「開けても?」
「どうぞ」
封を切ると、中から一枚のカードが出てきた。
そこには丸みのある文字で、こう書かれていた。
『次回のテーマ:嫉妬と境界線
・王太子として、
“誰かを選ぶこと”で生まれてしまう嫉妬と、どう向き合うか。
・自分自身が感じる嫉妬を、
相手を傷つけずに伝えるにはどうしたらいいか。
――レオンとミサで一度、話してみてくださいね。 王妃より』
「……王妃陛下」
机の上に、
そっとカードを置く。
「読んでいる間、ミサの顔がすごいことになっていましたよ」
レオンが、少しおかしそうに笑った。
「でしょうね」
否定のしようがなかった。
(“嫉妬と境界線”って、いきなり実践編にもほどがある)
「どうしますか、教育係様」
レオンが、わざとらしく“教育係様”と言う。
「王妃陛下からの“宿題”を、無視するわけにはいきませんよね」
(ですよね)
◇◇◇
「……まずは、定義から行きましょうか」
私はノートを開き、
さらさらとタイトルを書き込んだ。
“LESSON 27:嫉妬と境界線”
「“嫉妬”というのは、
本来なら自分に向けられてほしい何かが、
他の誰かに向けられていると感じたときに生まれる感情です」
「例えば?」
レオンが、興味深そうに身を乗り出す。
「例えば、
仲の良い友人が、
急に別の人とばかり楽しそうに話すようになったときとか」
前世の自分の記憶が、
胸の奥で苦い笑いを浮かべる。
「あるいは、
“自分だけのものだと思っていた時間”を、
誰かと共有されてしまったと感じたとき」
レオンの表情が、
わずかに固くなった気がした。
「……祝宴で、ミサが」
「はい?」
「あの若い文官と話していたとき」
「……ああ」
思い当たる節がありすぎて、
変な声が漏れた。
祝宴の途中、
劇の脚本について意見をくれた文官と、
少し立ち話をした。
背中側の席のすぐそばで。
「いや、あれは仕事の話でして」
「分かっています。
でも、“あの時間”はいつも、
僕とミサが“今日のレッスンの復習”をする時間だったので」
(まずい)
レオンの言葉に、
心の中の“嫉妬とは何か”の定義が、
鮮やかに補足されていく。
「つまり、レオンは少し“嫉妬”を感じた、と」
「……自覚したくはありませんが、
定義に照らし合わせると、そうなるんでしょうね」
恥ずかしそうに視線をそらす。
王妃陛下のカードに書かれていた“自分自身が感じる嫉妬”は、
すでにここにあるらしい。
「でも、殿下は何もおっしゃいませんでしたよね」
「言いましたよ」
レオンは、少しむっとした顔で答えた。
「“今日の仮面の笑顔の回数はあとで数えられそうです”って」
(……あれ、そういう意味だったの?)
「ミサが、別の誰かと笑って話しているのを見て、
“自分も仮面を上手につけておかないと”と思った、という意味です」
「……分かりづらすぎます」
「ミサもだいぶ分かりづらいですよ」
今度は逆に突っ込まれてしまった。
◇◇◇
「では、嫉妬への“境界線”についてですが」
私は、話題を先に進めることにした。
「嫉妬そのものは、
感じてはいけないものではありません。
ただ、それをどこまで表に出すか、
誰にどんなふうに見せるかが大事です」
「……王太子として、ですよね」
レオンが、少し真剣な顔つきになる。
「はい。
王太子としては、
“誰か一人だけをあからさまに特別扱いしている”と
周囲に悟らせるわけにはいきません」
「そうですね。
候補の令嬢方や、その後ろにいる家々の面子もありますし」
「でも、“レオン”としては」
私はわざと名で呼んだ。
「嫉妬をまったく感じないふりをして生きていくのは、
きっととても苦しいと思います」
「……はい」
「だからこそ、“出していい相手”を決めておくのが、
一つの境界線になります」
「出していい相手」
「家族、信頼する側近、
そして――」
“恋人”という言葉は、
喉元で小さく渦巻いて、飲み込まれた。
「……長くそばにいる人、ですね」
代わりに、そう言った。
レオンの視線が、
静かにこちらを捉える。
「ミサは、その“そばにいる人”に入りますか」
「教育係としては、当然です」
「“ミサ”としては?」
またそれ。
「……自分で言うのは、相当恥ずかしいですね」
でも、ここでごまかすのは簡単だ。
簡単だけれど、昨日の劇で
“また見せに来なさい”と言った自分が泣く。
「レオンが、
“嫉妬してしまうくらい大事に思う何か”を手に入れたとき。
その話を聞かせてもらえるなら――
私は、きっとそれを受け止める“そばの人”でいたいです」
「……今のは、“教育係様”としてではなく?」
「半分ずつ、ですね」
そう答えると、
レオンはふっと笑った。
「ミサらしいです」
◇◇◇
しばらく、
実務的な話も織り交ぜながら、
“嫉妬をどう扱うか”のレッスンは続いた。
“人前ではどう振る舞うか”
“心の中でどう言い換えるか”
“相手を責めずに自分の感情だけ伝える表現”
気づけばノートのページは、
ぎっしりと例文で埋まっていた。
「……こうして書いてみると不思議ですね」
レオンが、ノートを覗き込みながら言った。
「“嫉妬”って、
ただの厄介な感情だと思っていたのに」
「そうですか?」
「ミサと話していると、
“それだけ大事に思っている証拠”にも見えてきます」
その言葉は、
思っていた以上にまっすぐ胸に刺さった。
(そう、なのかもしれない)
前世の私は、
誰かに嫉妬するほど強く、
“自分のものだと思える何か”を持っていなかった。
だから、あのとき
同僚が結婚しても、
友人が遠くへ行っても、
“うらやましいな”と思うことはあっても、
“奪われた”と感じたことはなかった。
――今、
レオンの“未来の王妃の隣の席”の話題を聞くと、
胸の奥が少しだけざわつくのは。
もしかしたら、私がようやく、
誰かの人生の中で“自分の居場所だと思いたい位置”を
見つけてしまったからなのかもしれない。
(……認めるの、まだ怖いけど)
◇◇◇
「ミサ」
レッスンを切り上げようかというタイミングで、
レオンが、少しだけ真剣な声で呼んだ。
「はい」
「今日の“嫉妬のレッスン”、
ひとまず頭では理解しました」
「それは何よりです」
「でも、ひとつだけ、どうしても分からないことがあります」
「何でしょう」
「……ミサは、
誰かに嫉妬したことがありますか」
心臓が、
分かりやすいくらい跳ねた。
「前世でも、今世でも」
彼は、逃げ道を塞ぐように言った。
「もしあったなら、そのときミサは
どうやってその感情と付き合ったのか、知りたいです」
(そりゃあ、そう来ますよね)
椅子の背にもたれ、
天井を見上げる。
前世の記憶を、
ざっと早送りする。
忙しい職場、
週末に一人で食べたコンビニごはん、
結婚式の招待状、
“また今度ね”で終わった飲み会の誘い――
嫉妬というより、
自分だけ別のトラックを走っているような孤独感の方が強かった。
「前世の私は……」
正直に言う。
「誰かに嫉妬するほど、
“自分だけのものだと思いたいもの”を持っていませんでした」
「……そう、なんですね」
レオンの表情に、
少しだけ切なさが浮かんだ。
「だから、今の方が戸惑っています」
自分でも驚くくらい素直な言葉が、
するりと口からこぼれた。
「今世の私は、
“あ、これを取られたら嫌だな”って思う瞬間が、
前よりずっと多いんです」
「例えば?」
問いかけの声が、静かに落ちてくる。
「例えば――」
気づけば、
私もまた逃げ道を失っていた。
「例えば、“背中側の席”」
レオンが、目を大きく見開く。
「誰かがあの席に座って、
レオンのことを見守る役を引き継いでしまったら。
きっと私は、
前世にはなかった種類の嫉妬を覚えると思います」
言ってから、
頬が熱くなるのを感じた。
レオンは、少しの間黙っていた。
そして――
「それなら」
静かに笑った。
「ミサが嫉妬しないように、
“背中側の席”はずっとミサの席にしておかなきゃいけませんね」
「……簡単に言わないでください」
声が震えそうになる。
(そんな約束、信用したくなるに決まっているのに)
◇◇◇
その日の夜。
ノートの新しいページを開き、
私は静かにペンを走らせた。
“LESSON 27:嫉妬と境界線(補足)”
“前世の私は、
嫉妬するほどの“自分の居場所”を持っていなかった。
誰かの隣も、
誰かの背中側も、
どこか“自分が座るにはふさわしくない席”だと
勝手に決めつけていた。”
“今世の私は、
王太子の“背中側の席”を任され、
気づけばそこが、
誰にも譲りたくない場所になっていた。
そのことに気づいたとき、
ようやく私は自分の中に“嫉妬”という感情があることを知った。”
最後に、こう付け足す。
“――嫉妬は、厄介で、苦しくて、目をそらしたくなる。
でも同時に、
“ここにいたい”“ここが自分の居場所であってほしい”と願う、
ささやかな自己肯定の形でもある。
前世の私はその感情を持てなかった。
今世の私は、それを少しだけ持てるようになった。
その違いが、
きっと私を“選ばれなかった女”のままで終わらせない鍵になる――
そう信じてみてもいいだろうか。”
ペンを置くと、
窓の外には、昨日より少し穏やかな夜が広がっていた。
“嫉妬”という言葉に、
ほんのわずかでも前向きな意味を見つけられたことが、
この世界での二度目の人生を、
前より少しだけ好きになれた理由のひとつになっている気がした。
10
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました
由香
恋愛
異世界に転移したら、なぜか魔王城の清掃係に就職していました。
巨大な玉座、血のついた回廊、禍々しい装飾品の数々。
今日も黙々と床を磨いていたら――
「お前の磨いた床は、よく眠れる」
恐怖の象徴と名高い魔王様に懐かれました。
見た目は完全にラスボス。
中身はちょっと不器用で、独占欲強めの努力型。
勇者は帰還の道を示し、魔王は隣を選べと願う。
光と闇のはざまで、選ぶのは――ただの清掃係。
戦争よりも、まず床。
征服よりも、まず対話。
これは、世界最強の存在に溺愛されながら
世界平和を“足元から”始める物語。
甘くて、少し熱くて、ちゃんと選ぶ恋。
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる