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第11話 監査官は現場に立つと言った
しおりを挟む会議が一段落したあとも、俺の胃はしばらく仕事をやめてくれなかった。
ぎゅう、とか、きゅる、とか、いちいち存在感を主張してくる。
(……今日一日で何年分の会議したんだろうな)
そんなことをぼんやり考えていたら、ミナに「休憩室でお茶どうぞ」とハーブティーを押し付けられた。
ありがたく飲み干して、ようやく少しだけ呼吸が整う。
――そのタイミングで、扉がノックされた。
「相沢啓太、いるか」
低い声。
扉の向こうからでも分かる冷ややかさ。
「……今度は誰の胃がやられる番かな」
苦笑しつつ立ち上がって扉を開けると、そこにはクラウスが立っていた。
後ろには護衛が一人だけ。さっき会議室で書記をしていた男だ。
「少し時間をもらえるか」
「はい、もちろん」
俺は慌てて姿勢を正し、休憩室から隣の小会議室に場所を移す。
クラウスは通りがけにミナに一礼しただけで、無駄な言葉は一つも発しない。
「同席しても?」
ミナが小声で尋ねると、クラウスは一瞬だけ視線を向け、それから首を横に振った。
「――今回は、彼とだけ話をしたい」
その言葉に、ミナの縁が僅かに強張る。
「……啓太さん、なにかあったら呼んでくださいね」
「うん、大丈夫。ありがと」
扉が閉まり、小会議室には俺とクラウス、護衛一人だけが残った。
◇◆◇
「さっきは、なかなか興味深い案を出してくれたな」
クラウスは机に腰を下ろすと、椅子の背に軽くもたれかかる。
さっきまでの“監査官モード”より、ほんの少しだけ力が抜けている気がした。
「局所危険区間の指定、か。
数字と現場と評判を、そこそこバランスよく見た提案だ」
「“そこそこ”なんですね」
「おだてられてすぐ自信過剰になられても困るからな」
さらっと言われて、思わず苦笑いが漏れた。
縁の線が、さっきよりほんの少しだけ柔らかくなっているように見える。
「本題に入ろう」
クラウスは背筋を戻す。
「先ほど、“現場の真実をもう少し見せてもらう”と言ったのを覚えているか」
「ええ」
「あれは言葉の綾ではない。
私は次の北ルート護衛に、監査官として同行する」
「……は?」
聞き間違いかと思った。
「クラウス様自ら、護衛に同行って……危険すぎませんか」
「危険だからこそだ」
クラウスはあっさりと言う。
「帳簿と報告書だけでは、真実は見えない。
現場で何が起きているのか、自分の目で確かめる必要がある」
その言葉自体は、理屈としてよく分かる。
ただ――。
「でも、もし本当に野盗が組織化されているなら、監査官という立場は狙われませんか」
「狙われるかもしれんな」
さらっと認められた。
「だからこそ、君に相談しに来た」
「俺に?」
「そうだ。
君は、“縁の線”とやらが見えるのだろう?」
一瞬、空気が止まった。
「……それ、誰から」
「ベルノーから少し、リシェルから少し。
それから、さっきの会議での君の視線の動きから、だいたい察しはついた」
(やっぱり、ただの監査官じゃないよなこの人……)
俺の“根回し”の概要を、ここまで短時間で組み立てる観察眼。
ぞっとする反面、妙な納得感もあった。
「安心しろ。
君のスキルを“異端”として報告するつもりはない」
クラウスは淡々と言う。
「むしろ、“使えるなら利用しない手はない”と考えている。
――現場の監査とは、そういうものだ」
善意じゃない。
でも、利用価値を正面から認めてくれている。
「というわけで、だ」
クラウスは指を一本立てた。
「次の北ルート護衛を、“監査同行隊”として編成したい。
ギルドとスレイル支部から、それぞれ人選を頼みたい」
「護衛のメンバーは、こちらで決めていいんですか」
「基本的には任せる。
ただし――」
クラウスの目が、わずかに鋭くなる。
「“私兵部隊”は同行させない」
「え?」
俺だけでなく、後ろの護衛も目を瞬かせた。
「クラウス様、それは……」
「必要ない」
ぴしゃりと切り捨てる。
「彼らを連れて行けば、向こうも警戒する。
“本部直属の兵”が動いたと知れれば、野盗どもも尻尾を隠すだろう」
クラウスの縁が、ほんの一瞬だけ、遠くの方――本部へ向かってきしんだ気がした。
そのねじれには、うっすらとした苛立ちが混ざっている。
「私は、“私兵の力で野盗をねじ伏せに行く”つもりはない。
“野盗の裏にいる者が誰なのか”、その証拠を掴みに行く」
その言葉に、思わず息を飲んだ。
(この人……本気で、裏を見に行くつもりなんだ)
自分の私兵部隊が疑われているかもしれない状況で、それでも現場に出ると決めた。
それが“正義”からなのか、“自分の権限を守るため”なのかは分からない。
でも、少なくとも「帳簿の影に隠れるだけの人間」ではない。
「そこでだ、相沢」
クラウスは俺の名を呼ぶ。
「君には、“この監査同行隊の編成”と、“現場での根回し”を任せたい」
「ちょ、ちょっと待ってください」
思わず両手を上げた。
「隊の編成はともかく、“監査官の現場根回し担当”って肩書き、重すぎません?」
「今さら何を言う。
ギルド臨時顧問、世界最強の根回し屋だろう?」
「誰がそんな肩書き広めたんですか……」
「リシェルだな」
「ですよね」
あいつ後で絶対何か奢らせる。
「冗談はさておき」
クラウスは淡々と続ける。
「前線の護衛はリシェルたちに任せるとしても、隊の中の利害と不安を調整する役は必要だ。
“監査官と一緒に危険なルートに行く”となれば、冒険者たちも構えるだろう」
「そりゃそうですね」
“失敗したら全部こっちの責任になりそう”って空気が、簡単に想像できる。
「だからこそ、君に根回しを頼む。
この隊がバラバラにならないように。
そして、現場で見える“縁の乱れ”を、可能な限り教えてほしい」
その言葉を聞きながら、俺は自分の胸の内を確かめる。
怖いか? ――怖い。
責任の重さと、危険なルート。
監査官と一緒に現場に出るなんて、胃どころか心臓ももたない。
でも――
それでも、断りたいか? と問われると。
(……いや、ここで逃げたら、絶対あとで自分を嫌いになる)
北ルートで死にかけた護衛隊。
ラムドの震える手。
グラッドたちの傷。
あの場面を見てしまった以上、「危険なルートを放置してのうのうと街にいる自分」を、俺自身が許せなくなる気がした。
「分かりました」
俺はゆっくりと頷いた。
「監査同行隊の編成、やらせてください」
「いい返事だ」
クラウスの縁が、一瞬だけ明るくなる。
それは“信頼”というより、“投資対象への期待”の色に近かった。
「では詳細は後ほど詰めるとして――ひとまず、ありがとうと言っておこう」
「監査官にお礼言われるの、変な感じですね」
「私もだ。
だが、“自分の判断で現場に出る監査官”は、そう多くない。
その機会を作ってくれたことには礼を言う」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
(この人はこの人で、“監査官としての居場所”を選び直そうとしてるのかもしれないな)
そんなことを思った自分に、苦笑いがこみ上げる。
――俺の悪いクセだ。
すぐに「相手の事情」を勝手に重ねてしまう。
でも、そのおかげで、救われた人も確かにいた。
なら、このクセも、そう捨てたもんじゃない。
◇◆◇
「監査同行隊ぁ?」
その日の夕方、ギルドの訓練場で説明すると、グラッドが盛大に眉をひそめた。
「つまりあれだろ。“上の連中が現場視察に来るから、ちゃんと格好つけとけよ”ってやつ」
「一言でまとめるとだいたいそんな感じ」
「クソめんどくせえな!」
隣でヤンが苦笑する。
「でも、今回はちょっと違うぜグラッド。
クラウス様、自分の私兵連れてこないってよ」
「は? あのマントの連中なしで来るのか」
「らしい」
グラッドがぽかんとする。
「……あの人、案外バカ正直なのか?」
「バカ正直って言ったら斬られるやつだからやめとけ」
「お前が一番最初に言ったんだろうが」
わいわい言い合う二人を横目に、リシェルが書類をめくる。
「で、編成は仮でこう考えてる」
彼女が読み上げたメンバーは――
前衛にグラッドとヤン、盾役一名。
後衛に回復役二名と魔法使い一名。
監査官と商会から護衛一名ずつ。
そして、調整役として俺。
「少数精鋭ね」
「監査同行隊だからって、あんまり大名行列にすると目立ちすぎる。
それに、クラウスは“野盗と裏のつながり”を見る気でいる。
ごちゃごちゃ人数が多いと、かえって見えなくなる」
リシェルの言葉に、俺はうなずいた。
「隊の中のバランスは悪くないと思う。
ただ――」
縁の線をざっと眺める。
グラッドとヤンは太く結ばれている。
リシェルと俺、ミナとの線も安定してきた。
商会側から一人加わる護衛は……たぶん、ベルノーが信頼してる部下を出してくるだろう。
(問題は、クラウスとの距離感だな)
蜘蛛の巣の中心にいる彼を、どう隊の中に“織り込む”か。
そこが一番の難所だ。
「啓太」
リシェルがこちらを見る。
「アンタの仕事は、今回はいつもの“事前調整”だけじゃない」
「だろうね」
「現場でクラウスがどんな判断をするか、どこを見てるのか。
それを、アタシたちにも分かるように“翻訳”して」
それはつまり、“監査官と現場の通訳”をしろということだ。
「そっちの方が、魔物よりよっぽど難しくない?」
「魔物は殴ればだいたい分かるけど、監査官は殴れないからね」
「殴ってない、だけマシだと思うことにするわ」
グラッドがぼそっと言って、ヤンと一緒に笑う。
訓練場の空気は、不安半分、期待半分といったところだ。
その空気を、もう少し“安心”側に傾けるのが、俺の役割だ。
◇◆◇
夜。
ギルドの一室で、俺は一人、紙とにらめっこしていた。
紙の中央には、“監査同行隊”と書かれている。
そこから、メンバー一人一人へ線を引き、それぞれに小さくメモを書き込んでいく。
『グラッド:火力と牽引役。クラウスと噛みつき合いそうなので注意』
『ヤン:場の空気を読める。彼経由で隊の雰囲気を和らげる』
『回復役:不安が強い。事前説明を多めに』
『商会護衛:ベルノーとの縁が太い。現場で揺れそうならフォロー』
『クラウス:監査官モードと現場モードの違いを観察』
最後に、自分の名前の横に一行。
『俺:誰のために段取りしているのか、絶対に見失わないこと』
ペン先が、そこだけ少し強く紙を押した。
ステータスを開くと、根回しスキルの説明が、少しだけ変わっていた。
===========
根回し(レベル2)
・会議や交渉の前に、関係者の利害と感情を整理しやすくなります
・ただし、“自分の希望”をきちんと自覚していないと、誰のための根回しか分からなくなります
===========
「……スキルに説教されてる気分なんだけど」
ぼやきながらも、その注意書きを何度も読み返す。
(俺がこの隊でやりたいことは――)
ギルドと支部を守るため、冒険者たちの命を守るため。
そして、ここで逃げなかった自分を、あとでちゃんと誇れるようにするため。
「……よし」
ペンを置いて、窓の外を見る。
夜空には星が瞬き、北の山脈のシルエットが黒々と横たわっていた。
(三日後じゃない。もう明日だ)
会議室での戦いは終わったわけじゃない。
今度は、山道という現場を舞台にした、“もう一つの会議”が始まる。
剣と魔法と、そして縁の線を使って。
俺たちは、“この街の危険なルート”と、その裏にいる何かと、真正面から向き合うことになる。
――世界最強の根回し屋、監査官クラウス同行北ルート行き。
胃薬を追加でポーチに詰め込みながら、俺はそんなふざけたタイトルを心の中でつぶやいて、苦笑した。
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