社畜をクビになった俺、感情がステータスの異世界で最弱と言われたけど、共感スキルで仲間と世界を救う

cotonoha garden

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第17章 王の機嫌と、扉の前で震える世界の機嫌取り官

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 “王の機嫌取りまでやってみないか”と言われた翌日、俺はあっさりと胃を壊した。
 ――世界の機嫌をちょっとマシにするより、自分の胃の機嫌をなんとかしたほうがいい気がする。

◇ ◇ ◇

「顔色、最悪ですよ」

 ギルドの医務室のベッドに転がっている俺を見て、リアナがきっぱりと言った。

「自分でも分かってます……」

「どうしてこうなるまで放っておいたんです?」

「……“王の機嫌取り”って字面を思い出すたびに、胃がキュッて」

「それはもう、症状名が“王太子殿下(仮名)ストレス”ですね」

 さらっと言うな。
 でも、リアナの声には心配よりも、少しだけ呆れに近い色が混じっていた。

「断る、という選択肢もあるんですよ?」

「分かってます。
 ただ――」

 天井を見上げる。
 祭りの光景。
 残響。
 アルの横顔。

「“やりたいかやりたくないか”で言えば、やっぱり、やりたくないとは言い切れないんですよ」

 口に出してみると、自分でも面倒くさいと思う。

「だから胃が反対運動してるんだと思います」

「体のほうが正直なんですね」

「ですね……」

 苦笑した俺に、リアナが静かに椅子を引き寄せる。

「一つだけ、確認してもいいですか」

「なんです?」

「“王の機嫌取り”を引き受けるのは、誰のためです?」

 唐突な問いだった。
 でも、その問いは一番大事なところを突いてきた。

「“国のため”とか、“みんなのため”とか言い出したら、私は止めます」

「ひどい」

「そういう動機で動くときのあなたは、いつも自分を後回しにしますから」

 リアナの目は、冗談を言っているときのものではなかった。

「だから聞いています。
 篠原悠斗として――
 “あなただけのわがまま”として、それをやりたいと思えるかどうか」

 胸の奥が、またきゅっとなる。
 胃じゃなくて、今度は心臓のほうだ。

「……いまのところは、“見てみたい”って気持ちが、けっこう強いです」

「見てみたい、とは?」

「“王様も、ただの人間として機嫌を崩したり戻したりするのか”を」

 言いながら、自分でも少し笑えた。

「前の世界でも、“上の人”が人間っぽく笑ったり泣いたりする姿って、滅多に見れなかったんですよ。
 見れたときは、なんかちょっと救われた気がして」

 数字のないサロンで、王太子候補が書いた「焦げたパン」の話。
 あれを聞いたときの、胸の軽さ。

「ああいう瞬間を、この世界でもう少し増やせたら――
 “世界は最悪だ”って証明、ちょっとは揺らせるかなって」

 リアナは、しばらく黙って俺の顔を見ていた。
 やがて、小さく息を吐く。

「……めんどくさい人ですね、本当に」

「自覚はあります」

「でも、そういうめんどくささなら、私は嫌いじゃないです」

 そう言うと、リアナは立ち上がった。

「分かりました。
 なら、私の役目も決まりました」

「役目?」

「ええ。
 “あなたが、自分のわがままを忘れそうになったときに、引っ叩いてでも思い出させる役”です」

「物騒な言い方やめてもらえません?」

「比喩ですよ」

 たぶん半分くらいは本気だろうけど。

◇ ◇ ◇

 その日の夕方。
 俺は感情監理局のリュカの執務室にいた。

「胃を壊したそうですね」

 開口一番、それか。

「情報が早いですね、局長」

「“世界の機嫌取り官”の体調は、もはや局にとって優先事項ですから」

 冗談めかして言いながらも、リュカの頭上にはちゃんと〈心配〉が浮かんでいた。
 数字を見ないと決めた時間ではないので、今日は普通に見ている。

「――で、本題ですが」

 リュカは、机上の書類をひとつ指で押し出した。

「王太子殿下からの、“非公式な打診”については把握しています」

「“非公式”なんですね、あれ」

「少なくとも、現時点では。
 王家の制度に組み込むとなると、それはそれで別の“機嫌”がややこしくなるので」

 王妃、貴族、評議会……いろんな機嫌が頭をよぎる。

「君自身は、どう考えていますか」

 リュカの問いは、やはり正面からだった。

「“やりたいかやりたくないか”で言えば――」

 昼間リアナに言った言葉を、そのまま繰り返す。

「やりたくないとは言い切れません」

「前向きな言い方ですね」

「リアナに、“国のためとか言い出したら止める”って釘を刺されました」

「賢明な騎士だ」

 リュカの〈納得〉がわずかに上がる。

「では条件をひとつ。
 王の機嫌取りを引き受けるなら、“局の一員”としてではなく、“君個人”として行ってください」

「個人、として?」

「はい。
 “感情監理局が王の感情を管理している”と思われるのは、さすがにまずい」

 たしかに。
 そんな構図が知れたら、“世界の機嫌”以前に政争が起こりそうだ。

「その代わり――」

 リュカは、持っていたペンをくるりと回した。

「君がどれだけ王に食い込んでも、局は一歩引いた位置からしか口を出しません。
 “王の心は王自身のもの”であるべきですから」

「局長、意外とそういうところ、ちゃんとしてますよね」

「意外ととは失礼ですね」

 そう言いつつも、リュカの〈ユーモア〉が1だけ上がった。

◇ ◇ ◇

 その夜。

 俺は、王城の一角にある小さな部屋の前に立っていた。
 扉には、余計な装飾も紋章もない。

 護衛に案内されてここまで来たものの、扉の前で妙に足がすくむ。

「ここは、“王の寝室前の控え室”です」

 護衛は淡々と言う。

「殿下……ではなく、陛下が、非公式の場で人と会うときに使われます」

「非公式の、機嫌取り面談ってことですね」

「そうとは申しませんが」

 相変わらずこの国の人たちの言葉選びは上手い。

「――入ってよろしいかどうかは、中の方がお決めになります」

 そう言って、護衛は一歩下がった。
 扉の向こうからは何の気配もしない。

(……帰ってもバレないんじゃ……)

 一瞬、本気でそう思った。
 その瞬間――

「帰るなら、今ここで“自分で帰る”って言ってくださいね」

 背後から声がした。
 振り向くと、廊下の角からリアナが顔を出している。

「なんでいるんですか」

「護衛の人に、“世界の機嫌取り官が逃げ出しそうになったら止めてください”って言われたので」

「俺の信用度ひくくないですか」

「現実的な評価ですよ」

 リアナは俺の隣に並び、扉を見た。

「怖いなら、怖いって言ってください」

「……怖いっスね、普通に」

「それでいいんです」

 リアナは、ほんの少しだけ肩を寄せてくる。

「怖いけど、それでも扉をノックするなら――
 それはもう、十分な“わがまま”ですから」

 胸の奥で、何かがストンと落ち着いた気がした。
 怖さが消えたわけじゃない。
 それでも、「怖い」と言えたぶんだけ、足が前に出しやすくなる。

「行ってきます」

「はい。
 世界の機嫌取り官としてじゃなくて、“篠原悠斗”として行ってきてください」

 その言葉を背中に受けて、俺は扉をノックした。

「どうぞ」

 中から、低く落ち着いた声が響く。
 王太子候補の軽さとは違う、重さのある声だ。

 扉を開けると、そこには――

 簡素な椅子に腰掛け、窓の外を眺めている男がいた。
 年齢は五十代くらい。
 髭は短く整えられ、衣も意外なほど飾り気がない。

 ただ、背筋だけはまっすぐ伸びていた。

「よく来たな、“世界機嫌調整担当特別官”」

 男――この国の王が、ゆっくりと振り向く。

 その頭上には、やはり数字が浮かんでいた。
 〈責任感:99〉
 〈自制:95〉
 〈疲労:88〉
 〈孤独:……76〉

(……ひでぇ数値だな)

 思わず内心でそう呟いた。
 でも、数字を見て顔に出すわけにはいかない。

「初めまして、陛下。
 篠原悠斗です」

「座れ」

 王は、向かいの椅子を顎で示す。
 その声には威圧感があるのに、不思議と“怖い”とは違う感覚が混ざっていた。

 俺は深呼吸をひとつして、椅子に腰を下ろす。

「――さて」

 王は、まっすぐ俺を見た。

「“世界の機嫌取り官”とやらが、
 “王の機嫌”まで取る気があるのかどうか。

 まずは、それを聞かせてもらおうか」

 扉の向こうで、誰かが小さく息を呑む気配がした。
 たぶんリアナだ。
 もしかしたら、廊下の角にこっそりエリナやセレスもいるかもしれない。

 でも、今この場にいるのは、俺と、この国の王だけだ。

 世界の機嫌。
 街の機嫌。
 “残響”の機嫌。
 王太子候補の機嫌。

 そして――

「……俺の機嫌、ですね」

 思わず、口からこぼれたのはそんな言葉だった。

 王が、ほんのわずかに眉を動かす。

「お前の、だと?」

「はい」

 自分でも、変なことを言ってる自覚はある。
 でも、ここで正解を探し始めたら、たぶん何も言えなくなる。

「“世界の機嫌取り”とか言われてますけど、
 俺、結局いつも“自分の機嫌”をごまかしたくないだけなんですよ」

 祭り。
 残響。
 サロン。
 全部、“自分が見てみたいから”やってきたことだ。

「だから正直に言うと――」

 額の汗を拭きながら、言葉を続ける。

「“王の機嫌取り”をやるかどうかも、俺の機嫌次第です」

 室内の空気が、一瞬キンと冷えた。
 王の頭上の〈驚き〉がわずかに揺れる。

「ただ――」

 そこで、一拍。

「今のところは、“やってみてもいいかな”って思ってます」

 王の目が、ゆっくりと細められた。
 それは怒りではなく、どこか愉快そうな色を含んでいた。

「理由を聞こう」

「“世界の機嫌”がどれだけ悪くても、
 上のほうに座ってる人の顔が、ちょっとでも人間っぽく崩れたら――
 下の世界が、『あ、まだ終わってないかも』って思える日が来るかもしれないからです」

 王の頭上の〈孤独〉が、ほんの少しだけ揺れた気がした。

「――生意気なやつだな」

 王は、そう言って笑った。
 それは、きれいに整えられた“王の笑顔”ではなく、
 少しだけ皺の寄った、本物の笑いだった。

 その瞬間、俺の胃の機嫌が、ほんのわずかに良くなった気がした。
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