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第18章 王の数字と、たったひとりの「聞き役」
しおりを挟む王様が笑った。
――あ、ちゃんと皺寄るんだ、この人の笑い顔。
◇ ◇ ◇
「生意気なやつだな」
王は笑いながらも、視線だけは鋭いままだった。
その頭上の〈責任感〉は依然として99から下がる気配がない。
でも、〈孤独〉の数字が、ほんの一つ分だけ揺れた気がした。
「陛下にそう言われるの、光栄というべきなんでしょうか」
「好きに解釈しろ」
王はそう言って、ゆっくりと背もたれに体を預ける。
窓の外からは、王都の夜の灯りがちらちらと見えた。
「――アルから、いろいろ話は聞いている」
「“焦げたパン”の話もですか?」
「あいつ、そんなことまで話したのか」
王の口元が、わずかに緩む。
「よほど印象に残ったのだろう。
“焦げたパンくらい、出しても良い王になりたい”と、子どものようなことを言っておった」
「いいじゃないですか。
焦げたパンを笑って食べられる王様って、個人的にはけっこう好感度高いですけど」
「臣下に聞かせたら卒倒しそうな意見だな」
ふっと笑ったあと、王は少しだけ真顔に戻った。
「――さて、“機嫌取り官”」
「その呼び方、やっぱり定着させる気なんですね」
「覚えやすいからな」
覚えやすさ重視で肩書き決めないでほしい。
「ひとつ、率直に聞きたい」
王の声色が、僅かに低くなる。
「お前の目に映る“この国の数字”は、どう見える?」
「……どう、とは」
「下層の歪みは、すでに見たな。
上層の虚無も、サロンで感じたと聞いている」
情報共有のスピードが、さすが王レベルだ。
「私は、即位してからずっと“数字の安定”を目標にしてきた。
戦も減った。飢饉も、かつてほどではない。
犯罪件数も、全体としては下がっている」
王は、手元の小さな水晶板を指先で弾いた。
そこには、この国全体の平均値が、滑らかな線で描かれている。
「だが――」
そこで一拍。
「私はときどき、この線を見ながら、ふとこう思うのだ。
“これは、本当に『良い方向』に伸びている線なのか?”とな」
〈疑念〉の数字が、ほんの一瞬だけ王の頭上に浮かんでは消えた。
「……陛下」
「答えろ、と言っているわけではない」
王は手をひらりと振った。
「ただ、お前の目にはどう映るのか、興味がある。
数字の便利さも怖さも知っている者の目にはな」
完全に前の世界の職歴を見透かされている。
やめてほしい、そういうメタい話。
◇ ◇ ◇
俺は、王の水晶板をじっと見た。
国全体の〈怒り〉〈悲しみ〉〈喜び〉〈期待〉〈抑圧〉――どれも、大きく振れてはいない。
「……“良くも悪くも、平均値優等生”って感じですね」
「平均値優等生?」
「テストの平均点はいつも取ってるけど、
何が好きで何が嫌いか聞かれたら、『別に』って答えちゃうタイプの子です」
王が、わずかに目を細めた。
「私が育ててきた国は、“別に”か」
「少なくとも、“ものすごく幸せそう”には見えません」
そこは、はっきり言うしかない。
「戦争も飢えも、前よりは減ってる。
でも、その先の“じゃあ何して生きたい?”って問いに、
誰もあんまり答えられてない感じがします」
「……ふむ」
王は、腕を組んで考え込んだ。
「だからと言って、私が目指すべきは、
“数字の乱高下する国”ではあるまい?」
「でしょうね。
毎日ジェットコースターみたいな感情の国って、普通にしんどいですし」
俺もごめんだ。
「たぶん大事なのって、“全体を横ばいに安定させる”ことじゃなくて――」
言葉を探す。
第三下層区画の祭りのざわめきを思い出す。
「“場所ごと、人ごとに、上下していい線をちゃんと許可すること”なんじゃないかなって」
「許可、か」
「はい。
祭りの日は、喜びの線がちょっと高めでもいい。
喪の日は、悲しみの線がいつもより下がってもいい。
怒っていい場では、怒りの線がちゃんと上がっていい」
王は黙って聞いている。
「でも、今のこの国の数字は、
“どこでも、いつでも、そこそこ安定している”ことを目指してるように見えるんです」
「……確かに、そうなるよう設定した」
王の口から、あっさりとした肯定が出た。
「平和とは、“波が小さいこと”だと教わって育ったのでな。
戦乱の時代を生きた父王から」
「平和の定義って、たぶん世代で変わるものだと思うんですよ」
俺は、ゆっくり言葉を選ぶ。
「王様の世代の“平和”は、きっと“明日も今日と同じくらいで済むこと”だったと思います。
でも、アルたちの世代の“平和”は、
“明日が今日より少し楽しくてもいいと思えること”かもしれません」
「……」
王は、目を閉じた。
その頭上で、〈思案〉の数字が静かに揺れる。
◇ ◇ ◇
「お前は、“世界の機嫌取り官”と呼ばれているそうだな」
「呼ばれてしまってますね、はい」
「お前自身は、その呼び名をどう思っている?」
「正直、重くてダサいと思ってます」
「はっきり言うな」
「ただ――」
苦笑しながら続ける。
「“世界の機嫌”って言葉、けっこう便利なんですよ」
「便利?」
「“国のため”とか“民のため”って言うと、
すぐに大義とか理想とか、でっかい話に絡め取られちゃうじゃないですか」
王の〈納得〉が、わずかに上がった。
「でも、“世界の機嫌”って言うと、
なんかこう、『今日、世界ちょっと不機嫌そうだな~』くらいの距離感で話せるんですよ」
「……たしかに、“責任”より“ご機嫌伺い”のほうが、まだ軽いな」
「そうなんです。
だから俺は、“世界を正す”とか“救う”とかは無理だと思ってて」
言葉にしながら、自分の中の前提がはっきりしていく。
「今日も、明日も、機嫌悪い人は絶対出る。
理不尽も、絶対どこかにある。
でも、そんな世界でも、“今日の誰か一人の機嫌をちょっとマシにできたら、それでいいか”くらいのサイズで仕事してるんです」
「今日の誰か一人、か」
「はい。
世界まるごとを相手にすると、胃が死ぬので」
「……説得力はあるな」
王の〈ユーモア〉が、また1だけ上がった。
それに連動してか、〈孤独〉がほんの少しだけ数を落とす。
数字なんて、きっと誤差の範囲だ。
それでも、その誤差を“俺は見ている”と思えることが、今は大事な気がした。
◇ ◇ ◇
「ひとつ、試してみてもらえるか」
王が、不意にそう言った。
「試す?」
「お前は“今日の誰か一人の機嫌をマシにする”のが仕事なのであろう?」
「まあ、ざっくり言うとそうですね」
「ならば、今ここで――」
王は、自分の胸を軽く指で叩いた。
「“王の機嫌”を、少しだけマシにできるか、試してみろ」
「……」
いきなりハードルを上げるタイプのクライアントだ。
でも、こういう分かりやすい注文は嫌いじゃない。
「いいですよ」
息を吸い込んでから、わざと軽い声で言う。
「何をしたら、陛下の機嫌がちょっとマシになるか――
“理屈”じゃなく、“わがまま”で答えてください」
「わがまま?」
「はい。
王としてじゃなくて、一人の人間として。
“本当はこうしたいのに、王だからできないと思っていること”を、
今ここでこっそり一個だけ教えてください」
王は、しばらく沈黙した。
その間に、〈自制〉と〈躊躇〉が、頭上で静かに揺れている。
「……お前は、たまに王に無茶なことを言うな」
「たまに、ですか?」
「たびたび、かもしれんな」
その自覚があるだけマシだ。
窓の外で、風がカーテンを揺らした。
やがて、王がぽつりと口を開く。
「――一日だけでいい」
意外なほど小さな声だった。
「“王”ではなく、“父親”として過ごせる日が欲しい」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「アルと、何も気にせず城下を歩きたい。
警備も、儀礼も、数字も抜きで。
ただ、くだらないものを食べて、くだらないものを見て笑いたい」
〈孤独〉の数字が、一気に揺れた。
それはさっきまで見ていた“76”という数字の意味を、ぐっと重くする揺れだった。
「……それだけだ」
王は自嘲気味に笑う。
「王としては、実にくだらない願いだろう?」
「いいえ」
食い気味に否定していた。
「それ、多分この国でいちばん“真っ当なわがまま”ですよ」
王が、少しだけ目を見開く。
「“王としての責任を果たすために必要な休み”とか、
そういう理屈は今つけなくていいです」
前の世界で何度も聞いた言葉だ。
「休むのも仕事のうち」というやつ。
「“ただ父親として息子と歩きたい”って、
それだけで十分、叶える価値のあるわがままだと思います」
「……そうか」
「はい。
少なくとも、“世界の機嫌取り官”としては、全力で推します」
◇ ◇ ◇
「――では、どうする?」
王が、静かに問う。
「それを聞き出したお前は、“どうやって”私の機嫌をマシにする?」
「簡単ですよ」
俺は、椅子からほんの少しだけ身を乗り出した。
「“一日だけ王様を拉致する作戦”を立てます」
「物騒な作戦名だな」
「内容は平和ですよ。
アルと陛下に変装してもらって、
“数字の見えない区画”を中心に、城下町デートしてもらうだけです」
「変装……」
王が、まるで異世界召喚でも聞いたかのような顔をした。
「いまさら、そんな子どもの遊びのような真似を――」
「“子どもの遊び”をする時間を持てる王様と、
死ぬまで“王様”やり続けて終わる王様と、どっちがご機嫌だと思います?」
王は、返事に詰まったようだった。
代わりに、〈逡巡〉と〈興味〉の数字が交互に揺れる。
「……安全の問題はどうする」
「変装のプロがいます」
俺は、指を一本立てた。
「ルークと、ギルドの連中。
あいつら、“怪しい仮面舞踏会”みたいな依頼を何回もこなしてるんで、
変装と紛れ込みには慣れてます」
「怪しい仮面舞踏会ってなんだ」
「聞かないほうが胃に優しいタイプの依頼です」
王の〈ユーモア〉が、またひとつ上がる。
「警備は?」
「リアナたちが、影からついていきます。
いざとなれば、セレスの教会ルートも確保できますし」
「局は?」
「リュカさんには、“数字が届かない一日を作る実験です”って言えば、
たぶん人間としては頭抱えながらも、研究者としては喜びます」
「……あり得るな」
王の口元に、苦笑が浮かぶ。
◇ ◇ ◇
「陛下」
俺は、改めて王を見た。
「“王として正しいかどうか”は、正直、俺には分かりません」
「ふむ」
「でも、“世界の機嫌取り官として見てどうか”で言えば――」
祭りの光景、サロンの空気、残響との対話。
全部を思い出しながら、言葉を選ぶ。
「“父親として息子と歩く一日を持てる王様がいる国”って、
けっこう俺は、好きになれると思います」
王の頭上の〈孤独〉が、また少しだけ減った。
代わりに、〈戸惑い〉と〈希望〉が、揺らぎながら顔を出す。
「私が、その一日を選べば――」
王が、低く問いかける。
「お前は、“世界の機嫌取り官”として、それを支えるか」
「はい。
全力で、です」
答えは、思ったより迷いなく口から出た。
王は、しばらく俺の目をじっと見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……愚かで、わがままで、面倒な男だな、お前は」
「よく言われます」
「だが、私はそういう人間を嫌いではない」
王は、ゆっくりと立ち上がった。
「よかろう、“機嫌取り官”。
近いうちに、“王としてではない日”を一日だけ許可する」
そこで、ほんの少しだけ笑う。
「そのときは――
存分に私とアルを振り回してみせろ」
その言葉を聞いた瞬間、
俺の頭の中では、すでに「王様と王子の変装デート計画」が動き始めていた。
世界の機嫌。
王の機嫌。
息子の機嫌。
そして、自分の機嫌。
――全部まとめて、ちょっとだけマシにしてやろう。
面倒くさくて、どうしようもなく、でもどこか楽しいその計画に、
久しぶりに心の底からワクワクしている自分に気づいて、
俺は小さく息を吐いて笑った。
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