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第2話 やっぱり王子を泣かせたい!
(11)圏外王子危機一髪(リオルド視点①)
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*今話は本編に他人視点が複数回入ってきます。
──────────
彼女との出会いは森の中だった。
僕はリオルド・レナーシェ。
トライデウス王国の第三王子で、上に年の離れた優秀な兄が二人いる。
どう足掻いても王位なんて回ってこない三番目。「圏外王子(*継承権がないことへの揶揄)」と陰口を叩かれたり、同情的に見られたりすることもあるけれど。
僕は王位なんてしちめんどうくさいものを継承するつもりなんて端っからないのだ。王位継承権第三位というその微妙な地位は、小さな頃から冒険者に憧れていた僕にはもってこいのものだった。
ダンジョンと呼ばれる過去の遺跡を探索したり、依頼を受けて魔獣を討伐したりして日銭を稼ぐ彼らは、ずっと僕の憧れだったのだ。
成人したらとっとと継承権なんか放棄して、市井に降って冒険者になるのだとずっと決めていた。
──────────
ある時、僕は一番上の兄に頼み込んで、騎士団の魔獣討伐の遠征に連れていってもらったことがあった。
図鑑でしか見たことのない魔獣を、一度この目で見てみたかったのだ。いずれ冒険者になったら戦うことになるだろう魔獣というものを。
討伐で騎士たちが僕の側から離れる時は、魔獣避けを施した騎士団のテントの中から出ないことを条件に、兄上は僕を連れてきてくれた。
初めて訪れた森は、暗くて闇の力に満ちていて。
恐ろしくてちょっぴり魅力的で。
不謹慎にもワクワクしていた。
最初こそ「危ないから絶対に単独で森の中に入るな」という兄上の言いつけを守ってはいた。
兄上が許可した時だけ、騎士たちが魔獣を退治する様を、万が一にも危険の及ばない離れたところから見学させてもらっていた。
けれど、騎士たちが危なげなく魔獣を倒していくのを見ていた僕は多分、魔獣の恐ろしさを侮っていたのだ。
テントにはきちんと見張りの騎士がいたのだけれど、僕は彼の目を盗んで、入口じゃないところからこっそりとテントを抜け出た。
騎士団が魔獣を討伐している時は、遠目からしか見られない。それが唯一の不満だったのだ。
──もっと、もっと近くで見てみたい!
今考えると本当に子供だった。
兄上があんなに口を酸っぱくしてまでテントを出るなと言った意味を深く考えず。自分勝手なその行動がどういう結果を引き起こすかも考えず。
差し迫った自らの命の危機に瀕してやっと、その言葉が過大でも過保護でもなんでもないことを知るなんて。
『グルルルルゥ──……』
低い唸り声が空気を震わせる。
僕はそれを目の前にして身動ぎさえできずにいた。
僕の目の前にいるのはウサギに似た姿を持つ魔獣だった。
頭に剣のように鋭い角を持つその魔獣は、ソードラビットという。
動物のウサギに近い性質を持つその魔獣は、元来臆病で人の気配がすると逃げてしまうらしい。それを知識として知っていた僕は、そっと近づいてみたのだ。
万が一気づかれたとしても、逃げて行くのはソードラビットの方だ。
だから、何も危険はないはずだった。常ならば。
しかし、その時は違っていた。
近づいてから初めてわかったことだけど、そのソードラビットは通常の個体より爪や牙が大きく、何より血のように真っ赤な目を持っていた。
「まずい。多分、悪食種だ……」
それは魔獣に稀に産まれる変異種。
より凶暴で何でも喰らい尽くす。彼らに常識は通用しない。運悪く遭遇してしまったら……よくて大ケガ、悪くて死亡が確定的。それが、僕が聞いた冒険者の間での悪食種に関する噂だ。
言い訳になるが、悪食種だと知っていたら最初から近づかなかっただろう。
今僕がするべきことは、ヤツに気づかれないうちに一刻も早くこの場から立ち去ることだ。
──パキッ。
「……っ!」
後退りしようとして、落ちていた小枝を踏んでしまったようだ。
乾いた音が静かな森の中に響き渡ったその瞬間、ソードラビットの顔がぐりんとこちらへ向いた。
──気づかれた。気づかれてしまった。もうおしまいだ。
「ひっ!」
迫り来る二つの赤い目。
まだ子供だった僕に抵抗する術はない。ただ、恐怖に震えながら咄嗟にしゃがみこんで、ぎゅっと目をつぶるしかなくて。
やがて来るだろう痛みを待った。
しかし。
いつまで経っても、その痛みはやってこない。
「きぃぃええぇぇえ──っ!!!」
代わりに聞こえたのは甲高い奇声……。
「──っ?!!!」
思わず目を開けた僕はぎょっとした。
目に飛び込んできたのはいっそう鮮やかな緑色。
そして大きな、大き過ぎる頭を持つ……いや、むしろ身体全体が巨大な顔? その大きな顔がぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
全身(全顔?)が鮮やかな緑色で、金色の毛がその周りをふさふさと縁どっている。
飛び出さんばかりの大きな目玉は真っ黒で、ガラス玉のようにてかてかと光っている。
耳まで裂けているかのような大きな口の周りは毒々しい青紫で、そこから覗いている尖った歯と二本の牙は黄ばんでいる。
顔の生き物が右に左に動く度に、口から飛び出している真っ赤な舌がぐねぐねと揺れていた。
──げっ。なんだあれ? あんなおかしな魔獣、図鑑でも見たことないぞ。ソードラビットよりやばいんじゃないか? 危険な魔獣が二匹も出るなんて、サイアクだ。死亡案件だ。
そんな心中の不安をよそに、顔だけ魔獣はこちらへ向かってくることはなかった。
──僕が見えていない? いや、もしかしたら、ソードラビットを片付けてからゆっくりと僕を料理するつもりなのかも。
それは、右へ左へと華麗なステップを踏みながら、まるでソードラビットと対峙しようとしているかのようにも見える。
しばらく顔だけ魔獣とソードラビットは睨み合っていたが、顔だけ魔獣が突然奇声をあげた。
「きいええぇぇえええ──っ!!!」
さっき聞いた奇声は、どうやらこの顔だけ魔獣の鳴き声だったらしい。
叫び声とともに巨大な顔の耳の中からにょきっと手が生えて、大きな口の中から何かを取り出した。
そして、徐にそれを魔獣に投げつける。
──ぼふんっ!
玉のようなその何かは、ソードラビットにぶつかって破裂した。
そして──。
「く、くさいぃい……っ!!!」
途端に辺りに充満したのは、鼻をつく異臭。
慌てて鼻を塞いだけど既に遅かった。
何かが腐ったような、青臭いような、酸っぱいような、刺激のあるような……とにかく、僕の語彙では到底言い表せないほど凄まじい臭いだった。
多分、騎士たちの訓練後の蒸れた靴の臭いの何十倍も酷い。彼らの靴を、一日中鼻先にぶら下げて生活する方がマシだと思えるほどだ。
目が痛い。鼻も痛い。喉の奥も痛い。
肌を突き刺すようなその刺激で、頭がクラクラする。
今すぐここから逃げ出したい!! ……腰が抜けてるから無理だけど!
ソードラビットの悪食種もこの臭いには驚いたようで、一目散に森の奥へと姿を消した。
まさに脱兎のごとくという言葉に相応しい逃げ出しっぷりだった。
何だったら、「きゅうん!」という情けない悲鳴をあげていたような気さえする。
──た、助かって……は、ないか……。
ソードラビットの敗走を見送った顔だけ魔獣が、ゆっくりとこちらを向き、そのガラス玉のような目に僕を映した。
そのままこちらへ向かって来たのを見て、ひゅっと息を呑んだ。それから、ああ、やっぱり僕はここで死ぬんだと、どこか納得している自分がいた。
「できれば痛くないといいな……」
観念して祈るようにつぶやくと。
「ねぇ、痛いところがあるの? どこか怪我でもしたの?」
顔だけ魔獣がいきなり人間の言葉をしゃべったのだ。かと思うと、次の瞬間には赤毛で緑の瞳をした綺麗な女の子に変身していた。
「あ、ああぁ……あ……」
「大丈夫?」
あまりにも突然のことに動揺したけれど、よくよく見れば、今まで緑色の巨大な顔だと思い込んでいたそれは、どうやら大き過ぎる仮面だったらしい。
彼女はただ、それを脱ぎ去っただけだ。
「お兄様たちに持たされたこの魔獣避け、臭いが酷いけど効果抜群なのよ。これが臭ってる間は魔獣が寄ってこないはずだからもう大丈夫。立てるかしら? 何故こんなところに一人でいるの? 子供なのに危ないじゃない」
──君だって子供じゃないか!
普段ならそう返していたに違いない。けれど、その時の僕は本当に子供だったし、何よりそんな精神的余裕はなくて。
ああ、確かに彼女は人間だ……僕は助かったんだ。それを自覚した途端に身体が震えて涙がこぼれた。
「あ、あ、あ、ありが……ありが……」
ありがとう、助かったよ──そう言いたいのに、口が上手く動かない。そんな僕に。
「あらあら。よっぽど怖かったのね。もう大丈夫よ」
大して年の変わらないその女の子は、まるで大人のような口調でそう言って微笑んだ。
その瞬間、僕はまるで雷にでも打たれたかのように動けなくなった。
「ほら、立って!」
差し出された手をぎゅっと握って、のろのろと立ち上がり……そして気がついた。僕を引き上げたその手が少し震えていることに。
やっぱり彼女も怖かったんだ……。当たり前だよね。だって女の子だもん。
それなのに、身体を張ってソードラビットを追い払ってくれたんだ。
「近くに、誰か大人の人はいる? 帰り道はわかる?」
「……うん。少し先でキャンプしてる……」
まだ少しだけ残った恐怖が半分、その綺麗な女の子に見とれていたのが半分。
「それはよかった。魔獣避けの薬が効いているうちに、早く戻りなさい。この辺りは大型の魔獣も出るし、とっても危険なんだから!」
──君は? 君も危険でしょう?
女の子なのに。
震えているのに。
「あ、ええと……心配には及ばないわ。もうすぐお兄様たちが戻ってくるので、わたくしもそろそろ行かなくては」
「……えっ? 行っちゃうの? 一緒に来てよ……まだ怖いし」
「臭いはたっぷり半日は続くし、その間は魔獣が寄ってこないと思うから大丈夫よ。じゃあねっ!」
彼女は手早く不気味なあの仮面を被り直すと、風のように走り去ってしまった。美しい赤毛をたなびかせながら。
「あっ! 君、待って! せめて名前を──!! って、行っちゃった……」
名前すら聞けなかった。
緑の仮面の君──。
今考えると、これが僕の初恋だったんだろうと思う。
──────────
震えているのは多分、重い仮面と激しい動きに耐えられなかった筋肉の痙攣。
──────────
彼女との出会いは森の中だった。
僕はリオルド・レナーシェ。
トライデウス王国の第三王子で、上に年の離れた優秀な兄が二人いる。
どう足掻いても王位なんて回ってこない三番目。「圏外王子(*継承権がないことへの揶揄)」と陰口を叩かれたり、同情的に見られたりすることもあるけれど。
僕は王位なんてしちめんどうくさいものを継承するつもりなんて端っからないのだ。王位継承権第三位というその微妙な地位は、小さな頃から冒険者に憧れていた僕にはもってこいのものだった。
ダンジョンと呼ばれる過去の遺跡を探索したり、依頼を受けて魔獣を討伐したりして日銭を稼ぐ彼らは、ずっと僕の憧れだったのだ。
成人したらとっとと継承権なんか放棄して、市井に降って冒険者になるのだとずっと決めていた。
──────────
ある時、僕は一番上の兄に頼み込んで、騎士団の魔獣討伐の遠征に連れていってもらったことがあった。
図鑑でしか見たことのない魔獣を、一度この目で見てみたかったのだ。いずれ冒険者になったら戦うことになるだろう魔獣というものを。
討伐で騎士たちが僕の側から離れる時は、魔獣避けを施した騎士団のテントの中から出ないことを条件に、兄上は僕を連れてきてくれた。
初めて訪れた森は、暗くて闇の力に満ちていて。
恐ろしくてちょっぴり魅力的で。
不謹慎にもワクワクしていた。
最初こそ「危ないから絶対に単独で森の中に入るな」という兄上の言いつけを守ってはいた。
兄上が許可した時だけ、騎士たちが魔獣を退治する様を、万が一にも危険の及ばない離れたところから見学させてもらっていた。
けれど、騎士たちが危なげなく魔獣を倒していくのを見ていた僕は多分、魔獣の恐ろしさを侮っていたのだ。
テントにはきちんと見張りの騎士がいたのだけれど、僕は彼の目を盗んで、入口じゃないところからこっそりとテントを抜け出た。
騎士団が魔獣を討伐している時は、遠目からしか見られない。それが唯一の不満だったのだ。
──もっと、もっと近くで見てみたい!
今考えると本当に子供だった。
兄上があんなに口を酸っぱくしてまでテントを出るなと言った意味を深く考えず。自分勝手なその行動がどういう結果を引き起こすかも考えず。
差し迫った自らの命の危機に瀕してやっと、その言葉が過大でも過保護でもなんでもないことを知るなんて。
『グルルルルゥ──……』
低い唸り声が空気を震わせる。
僕はそれを目の前にして身動ぎさえできずにいた。
僕の目の前にいるのはウサギに似た姿を持つ魔獣だった。
頭に剣のように鋭い角を持つその魔獣は、ソードラビットという。
動物のウサギに近い性質を持つその魔獣は、元来臆病で人の気配がすると逃げてしまうらしい。それを知識として知っていた僕は、そっと近づいてみたのだ。
万が一気づかれたとしても、逃げて行くのはソードラビットの方だ。
だから、何も危険はないはずだった。常ならば。
しかし、その時は違っていた。
近づいてから初めてわかったことだけど、そのソードラビットは通常の個体より爪や牙が大きく、何より血のように真っ赤な目を持っていた。
「まずい。多分、悪食種だ……」
それは魔獣に稀に産まれる変異種。
より凶暴で何でも喰らい尽くす。彼らに常識は通用しない。運悪く遭遇してしまったら……よくて大ケガ、悪くて死亡が確定的。それが、僕が聞いた冒険者の間での悪食種に関する噂だ。
言い訳になるが、悪食種だと知っていたら最初から近づかなかっただろう。
今僕がするべきことは、ヤツに気づかれないうちに一刻も早くこの場から立ち去ることだ。
──パキッ。
「……っ!」
後退りしようとして、落ちていた小枝を踏んでしまったようだ。
乾いた音が静かな森の中に響き渡ったその瞬間、ソードラビットの顔がぐりんとこちらへ向いた。
──気づかれた。気づかれてしまった。もうおしまいだ。
「ひっ!」
迫り来る二つの赤い目。
まだ子供だった僕に抵抗する術はない。ただ、恐怖に震えながら咄嗟にしゃがみこんで、ぎゅっと目をつぶるしかなくて。
やがて来るだろう痛みを待った。
しかし。
いつまで経っても、その痛みはやってこない。
「きぃぃええぇぇえ──っ!!!」
代わりに聞こえたのは甲高い奇声……。
「──っ?!!!」
思わず目を開けた僕はぎょっとした。
目に飛び込んできたのはいっそう鮮やかな緑色。
そして大きな、大き過ぎる頭を持つ……いや、むしろ身体全体が巨大な顔? その大きな顔がぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
全身(全顔?)が鮮やかな緑色で、金色の毛がその周りをふさふさと縁どっている。
飛び出さんばかりの大きな目玉は真っ黒で、ガラス玉のようにてかてかと光っている。
耳まで裂けているかのような大きな口の周りは毒々しい青紫で、そこから覗いている尖った歯と二本の牙は黄ばんでいる。
顔の生き物が右に左に動く度に、口から飛び出している真っ赤な舌がぐねぐねと揺れていた。
──げっ。なんだあれ? あんなおかしな魔獣、図鑑でも見たことないぞ。ソードラビットよりやばいんじゃないか? 危険な魔獣が二匹も出るなんて、サイアクだ。死亡案件だ。
そんな心中の不安をよそに、顔だけ魔獣はこちらへ向かってくることはなかった。
──僕が見えていない? いや、もしかしたら、ソードラビットを片付けてからゆっくりと僕を料理するつもりなのかも。
それは、右へ左へと華麗なステップを踏みながら、まるでソードラビットと対峙しようとしているかのようにも見える。
しばらく顔だけ魔獣とソードラビットは睨み合っていたが、顔だけ魔獣が突然奇声をあげた。
「きいええぇぇえええ──っ!!!」
さっき聞いた奇声は、どうやらこの顔だけ魔獣の鳴き声だったらしい。
叫び声とともに巨大な顔の耳の中からにょきっと手が生えて、大きな口の中から何かを取り出した。
そして、徐にそれを魔獣に投げつける。
──ぼふんっ!
玉のようなその何かは、ソードラビットにぶつかって破裂した。
そして──。
「く、くさいぃい……っ!!!」
途端に辺りに充満したのは、鼻をつく異臭。
慌てて鼻を塞いだけど既に遅かった。
何かが腐ったような、青臭いような、酸っぱいような、刺激のあるような……とにかく、僕の語彙では到底言い表せないほど凄まじい臭いだった。
多分、騎士たちの訓練後の蒸れた靴の臭いの何十倍も酷い。彼らの靴を、一日中鼻先にぶら下げて生活する方がマシだと思えるほどだ。
目が痛い。鼻も痛い。喉の奥も痛い。
肌を突き刺すようなその刺激で、頭がクラクラする。
今すぐここから逃げ出したい!! ……腰が抜けてるから無理だけど!
ソードラビットの悪食種もこの臭いには驚いたようで、一目散に森の奥へと姿を消した。
まさに脱兎のごとくという言葉に相応しい逃げ出しっぷりだった。
何だったら、「きゅうん!」という情けない悲鳴をあげていたような気さえする。
──た、助かって……は、ないか……。
ソードラビットの敗走を見送った顔だけ魔獣が、ゆっくりとこちらを向き、そのガラス玉のような目に僕を映した。
そのままこちらへ向かって来たのを見て、ひゅっと息を呑んだ。それから、ああ、やっぱり僕はここで死ぬんだと、どこか納得している自分がいた。
「できれば痛くないといいな……」
観念して祈るようにつぶやくと。
「ねぇ、痛いところがあるの? どこか怪我でもしたの?」
顔だけ魔獣がいきなり人間の言葉をしゃべったのだ。かと思うと、次の瞬間には赤毛で緑の瞳をした綺麗な女の子に変身していた。
「あ、ああぁ……あ……」
「大丈夫?」
あまりにも突然のことに動揺したけれど、よくよく見れば、今まで緑色の巨大な顔だと思い込んでいたそれは、どうやら大き過ぎる仮面だったらしい。
彼女はただ、それを脱ぎ去っただけだ。
「お兄様たちに持たされたこの魔獣避け、臭いが酷いけど効果抜群なのよ。これが臭ってる間は魔獣が寄ってこないはずだからもう大丈夫。立てるかしら? 何故こんなところに一人でいるの? 子供なのに危ないじゃない」
──君だって子供じゃないか!
普段ならそう返していたに違いない。けれど、その時の僕は本当に子供だったし、何よりそんな精神的余裕はなくて。
ああ、確かに彼女は人間だ……僕は助かったんだ。それを自覚した途端に身体が震えて涙がこぼれた。
「あ、あ、あ、ありが……ありが……」
ありがとう、助かったよ──そう言いたいのに、口が上手く動かない。そんな僕に。
「あらあら。よっぽど怖かったのね。もう大丈夫よ」
大して年の変わらないその女の子は、まるで大人のような口調でそう言って微笑んだ。
その瞬間、僕はまるで雷にでも打たれたかのように動けなくなった。
「ほら、立って!」
差し出された手をぎゅっと握って、のろのろと立ち上がり……そして気がついた。僕を引き上げたその手が少し震えていることに。
やっぱり彼女も怖かったんだ……。当たり前だよね。だって女の子だもん。
それなのに、身体を張ってソードラビットを追い払ってくれたんだ。
「近くに、誰か大人の人はいる? 帰り道はわかる?」
「……うん。少し先でキャンプしてる……」
まだ少しだけ残った恐怖が半分、その綺麗な女の子に見とれていたのが半分。
「それはよかった。魔獣避けの薬が効いているうちに、早く戻りなさい。この辺りは大型の魔獣も出るし、とっても危険なんだから!」
──君は? 君も危険でしょう?
女の子なのに。
震えているのに。
「あ、ええと……心配には及ばないわ。もうすぐお兄様たちが戻ってくるので、わたくしもそろそろ行かなくては」
「……えっ? 行っちゃうの? 一緒に来てよ……まだ怖いし」
「臭いはたっぷり半日は続くし、その間は魔獣が寄ってこないと思うから大丈夫よ。じゃあねっ!」
彼女は手早く不気味なあの仮面を被り直すと、風のように走り去ってしまった。美しい赤毛をたなびかせながら。
「あっ! 君、待って! せめて名前を──!! って、行っちゃった……」
名前すら聞けなかった。
緑の仮面の君──。
今考えると、これが僕の初恋だったんだろうと思う。
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