【完結】女医ですが、論文と引きかえに漫画の監修をしたら、年下大学生に胃袋をつかまれていました

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寒空の下ですが、不整脈が出ました

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「なんとか年越し前に終わった」


 医局に戻った私は仕事終了のメールを黒鷺に送信した。

 こんな時間になって、怒ってるかな? それとも、呆れてるかな? でも、春馬の両親の顔を思い出したら、後悔はない。


 遅すぎって迎えを拒否されたら、コンビニで蕎麦を買ってタクシーで自分のアパートに……と考えていると返事がきた。


「今から迎えに行く、だけ? 文句の一つでもあるかと思ったのに。でも、怒ってなさそう」


 少し安堵した私はドアを開けようとして、ふと足を止めた。


「あれ? 今のひょっとして」


 今、通りすぎた蒼井の机の上に、見覚えのある漫画があった……気がする。私が知ってる漫画なんて、一つしかないけど。

 ドアの前で振り返る。そこに、背後から何かがぶつかってきた。


「キャッ」


 私の軽い叫び声とともに鞄が床に落ちる。化粧ポーチやら財布やらが床に散らばった。


「いたた……」

「悪い、大丈夫か?」


 倒れた私に蒼井が手を伸ばす。


「大丈夫……だと思う」


 私は蒼井の手を取って起き上がった。目の前には、見知った白い布。


「あれ? 白衣を着てるってことは、まだ仕事?」

「このまま当直」


 蒼井がすっごく不機嫌な顔で、床に散らばった私の荷物を拾う。年越しに当直なんて、不機嫌になるわよね。


「私は去年、当直したから。今年はよろしく」

「彼女無しで、一人寂しい正月を過ごすぐらいなら、って林先生と代わったんだ。けど、こんなに忙しいなら、止めておけばよかった」

「まあ、まあ。明日の朝食は一応、おせち料理だから。ちょっと、いつもと違うわよ」


 病院で正月を迎える患者のために、少しだけ正月っぽい食事になる。食事制限の人もいるため、完全におせちとは言えないけど。


「はい、はい。小児科でなにかあったら、遠慮なく連絡するぞ」

「どうぞ。あ、ありがとう」


 蒼井が拾い集めてくれた荷物を鞄に入れる。顔をあげると、蒼井が私を見ていた。


「なに?」

「確かに化粧が変わったな」

「突然、どうしたの?」

「看護師たちが、ゆずり先生がクリスマスぐらいから変わったって騒いでるから」

「だから柚鈴ゆりだって。確かに、それぐらいから化粧を変えたわ。さすが形成外科医。よく気が付いたわね」

「それだけか?」


 他に思い当たることがなくて首を傾げる。


「雰囲気も変わったって評判だぞ」

「雰囲気?」


 考えようとして時間がないことを思い出した。


「ごめん、急いでるから」

「はい、はい。とっとと帰れよ。あ、まだ落ちてたぞ」


 蒼井が床から拾い上げて私に見せた。


「…………イヤリング?」


 涙型のパープルピンクの石が付いた、可愛らしいイヤリング。


「それ、私のじゃないわ」

「じゃあ、他の誰かの落とし物か?」

「そうじゃない?」

「でも、医局にこんなイヤリングを使うヤツ、いるか?」

「休み明けに聞いてみたら、いいんじゃない? じゃ、お疲れ様」


 私は駆け足で医局を後にした。漫画について確認することを、すっかり忘れて。





 職員用の通用口から外へ。冷めた空気が吹きつける。


「さ、さむっ!」


 肩をすくめると、バイクに軽く腰かけ、夜空を見上げている黒鷺の姿が目に入った。

 首もとまでボタンを止めたフードデットコート。防寒対策もバッチリなうえに、長身の体型を引き立てるデザイン。足元はスリムスキニーデニムに、スニーカーというラフな組み合わせ。

 ヘルメットを片手に、ぼんやりと星を眺めている。吐く息は紫煙のよう。どこか影がある雰囲気。
 いつもみたいに、カッコいいんだけど……


 ――――――――なんか、いつもと違う?


 胸がキュンとなる。


(え!? キュンってなに!? 不整脈!?)


 手首に指を当てて脈を測る。不整脈なら心電図かホルダーをしないと正確な診断はできないけど……うん、リズム不整はなさそう。

 私に気づいた黒鷺がこちらを向く。


「お疲れ様です」


 そう言った黒鷺の顔は、普段通り。

 そうよね。黒鷺は大学生で、まだまだ子ども。さっきのは見間違い。疲れているのよ。

 私は脈を測っていた手を離した。


「ごめんね。緊急手術が入って」

「それは大変でしたね」


 あっさりと言われ、私は驚いた。


「怒らないの?」

「怒る?」

「遅すぎとか、約束を優先しろ、とか」


 こういう時、婚活で会った人たちは文句を言ってきた。二度と会わなかったけど、仕事を否定されたみたいで、悔しかった。

 嫌な記憶に気分が沈む。俯いていると、頭に何かが触れた。


「よく頑張りました」

「へっ!? ふぇっ!?」


 驚いて顔を上げると、黒鷺に頭を撫でられていた。


「な、なんで!?」


 外灯の下で黒鷺が微笑む。


「遅すぎとか、約束とか言う人のことは、気にしなくていいですよ。ゆずりん先生は一生懸命、仕事をしているんですから」


 外灯の下で黒鷺が微笑む。

 夜の帳が空気を変える。心の中まで見透かされているみたい。

 弾んだ胸を押さえ、慌てて訂正する。


「だ、だから私の名前は柚鈴ゆりだって!」

「はい、はい。ほら、乗ってください。父さんと姉さんが待ってますので」

「……うん」


 私は渡されたヘルメットを被った。まだ頭を撫でられた感覚が残ってる。


(頭を撫でられたのって、いつ以来だろう……両親が生きてた頃かな)


 バイクに跨がり黒鷺の腰に手を回す。背中から伝わる温もりが、こそばゆい。


「黒鷺君って婚活で会った人たちとは、なんか違うなぁ」

「なにか?」

「ううん。なんでもない」


 私の声はバイクのエンジン音に溶けた。

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