アラサー監察医にショタと謎を添えて

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アラサー監察医にショタと謎を添えて

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 三度の飯より飯が好き。同じぐらいショタも好き。解剖は普通。仕事だからしているだけ。


 ただ、そこにある・・というのなら……



――――――――私に見つけられないものはない。



 駅の裏の古い焼肉店。旨い肉と手頃な値段が魅力となり、いつも客で溢れている。

 仕事帰りのサラリーマンが八割。


 その中に、アラサー女が一人。


 シャツにジーパンとラフな服装。快活な雰囲気で、周囲から浮いていることなど、気にする様子もない。


「遅くなりました! ビールとウーロン茶です!」


 店員が威勢よくジョッキをテーブルに置く。


「待ってたのよぉ! ありがとう!」


 仕事の疲れも、周囲の喧騒も、焼けた肉とビールの前では、どうでもよくなる。

 女はジョッキを受けとると、ビールを一気飲みした。キンキンに冷えたビールが喉を駆け抜ける。


「プハァー! 仕事終わりの一杯は最高ですね! しかも人の金で食べる焼肉付き!」


 口の中に残った苦味を堪能しながら、女は網の上の牛タンをひっくり返した。


「おい、おい。裏返すには、まだ早いんじゃないか?」


 女の反対側に座っている中年男が牛タンを再びひっくり返す。
 白髪交じりのボサボサ頭に、太い黒縁メガネ。無精髭を生やし、よれよれのポロシャツとスラックス姿。

 女は不機嫌な顔で牛タンを三度ひっくり返した。


「タンは軽く焼いたぐらいがいいんです。これは全部私が食べるんですから、手を出さないでください」
「それなら、もう少し寄せてくれよ。僕の肉を焼くスペースがないだろ」
「はい、はい。どうぞ」


 女が網から牛タンを取ってスペースを空ける。


「おい、それまだ生のところがあるだろ。腹を壊すぞ」
「橋本先輩は心配しすぎです。別にこれぐらい平気ですよ」


 忠告を無視して女が牛タンを口に放り込む。タンの独特な弾力と味。口内が幸福で満たされる。


「僕は神崎君ほど若くないんでね。慎重なんだよ」


 橋本がマイペースに残りの牛タンを網にのせていく。

 そこに店員が次の肉を持ってきた。


「ロースとカルビとハラミです!」
「ありがとう!」


 神崎が皿を受け取り、てきぱきと網に肉を並べる。


「あぁ! そこは僕のスペース!」
「空けているのが悪いんですよ」


 網の上が神崎の肉で埋まる。

 橋本は諦めたように肩を落とし、自分の牛タンをひっくり返した。表面はしっかりと焼け、編み目の跡まで付いている。


「焼肉はゆっくり焼いて、味わいながら食べたいんだけどなぁ」
「ちゃんと味わってます。それに今日は金曜日なんですよ。私はさっさとお腹いっぱい食べて、幸せな気分のまま、家でまったり過ごしたいんです」


 金曜日の夜。

 それは神崎にとって、時間を気にせず趣味を満喫できる貴重な日。

 美少年が登場する漫画を好きなだけ読み、神絵師たちがSNSにアップした美少年の絵を漁る。


 それが、神崎の生きる活力。


 そんな事情を知らない橋本は、しっかり焼けたタンをようやく食べ始めた。


「はい、はい。あ、そういえば、今回の検死解剖。よく他殺の証拠を見つけたな。最初の解剖では、心臓発作による自然死っていう診断だったろ?」
「そうですね。ですが、あれは刑事さんの執念の結果ですよ。これは絶対に他殺だから、もう一度解剖して心臓発作を起こした原因を見つけてくれって、依頼してきたんですから」
「けど、それに応えて証拠を見つける君も君だぞ。よく、あんな小さなカプセルを肺から見つけたな。結局、ソレが他殺の証拠だったんだろ?」


 神崎は焼けたロースを口に入れながら頷いた。脂の甘みと共に肉が溶け、幸せに包まれる。


「はい」
「あんなに小さくてレントゲンにも写らないのに、心臓を止めるだけの電気が出せるカプセルが作れるなんて、恐ろしい世の中になったな」
「仕方ないです。科学は日々進歩してますから」
「淡々としているな。まあ、カプセルを体内に入れるには注射するしかないから、簡単にはできないか」
「そうですね」
「それにしても、最初の検死解剖で注射痕を見落としていたのが痛かったな。それで不審な点はないって判断されたわけだし」


 自分のタンを食べ終えた橋本がハラミを焼く。一方で、ロースとカルビを食べ終えた神崎は、店員に追加注文した。


「あ、すみませーん! 坪漬けカルビと、上ロースと、ホルモンください! まぁ、あれだけ酷いアトピーですから、注射の痕と掻き傷を見分けられなかったのでしょう。私には注射の痕が見えましたけど」
「その痕を見えやすくするために、表皮と真皮を綺麗に剥ぎ取るとは思わなかったがな」
「剥ぎ取ったのは、ごく一部ですし、それで血管に注射した痕がはっきりと見えて証拠になったんですから、いいじゃないですか」
「確かにカプセルを注入するような太さの針だから、掻き傷だらけの表皮がなくなれば、注射の跡は分かりやすかった。でも、どうしてカプセルが注入されたって分かったんだ? 薬とかの可能性もあっただろ?」


 店員が追加注文した肉を運んできた。神崎は笑顔で受け取り、すぐに網一面を自分の肉で敷き詰めた。


「注射針の太さですよ。薬とかの液体を注射するなら細い針で十分です。それなのに、わざわざ太い針を使ったということは、太くないといけなかった。つまり、注入したい何かがあった、と考えたんです」
「じゃあ、解剖している時は、注入したものが何か分かってなかったのか?」
「はい」
「じゃあ、注射器で注入した何かが肺にあるっていうのは、どうして分かったんだ?」
「あぁ、それは簡単ですよ。心臓発作で倒れた後、心臓マッサージをしたと記載がありました。注入された何かが心臓で心臓発作を起こし、心臓マッサージによって起きた血流にのって肺に行き、肺の血管で詰まる、と考えました」


 神崎は解説しながらも肉を次々と焼き、次々と食べる。橋本もマイペースに肉を焼きながら、疑問点をあげた。


「だが、肺といっても広いぞ。それを、よくピンポイントで見つけることが出来たな」
「肺の血管は細くなっていきますからね。注入された何かが詰まれば、その先は血がいかなくなり鬱血して組織の色が変わります。組織の色の違いで詰まっている場所は分かりました」
「そりゃあ、長時間詰まれば細胞が壊死して分かるけど、今回は詰まってから、すぐに本体が死んでるんだぞ。組織に色の差なんて出ないだろ。実際、僕は色の差が分からなかった」
「そうですか? 微妙な差ですけど、違いましたよ。ほら、この肉みたいに」


 神崎が二枚の生焼けの肉を指す。だが、橋本には同じ色にしか見えない。


「いや、普通はその色の違いが分からないんだよ。しかし、犯人はカプセルを見つけられると思っていなかっただろうな」


 突如、空気が冷えた。得体が知れない寒気に橋本が顔を上げる。そこで、無意識に息を飲んだ。


 神崎から明るく気安い雰囲気が消える。表情が抜け落ちた中で、目だけが冷たく不気味に輝く。白い肌に人形のように整った顔。

 神々しくも不穏な美を纏いながら、艶やかな赤い唇が妖艶な弧を描く。


「私に見つけられないものは、ありませんから」


 橋本は一瞬見惚れかけたが、すぐに我に返った。慌てて生焼けの肉を口に入れる。


「そ、そうだな。おかげで、刑事さんから個人的に金一封を貰って、タダ肉にありつけたわけだし。僕は何もしてないけど」
「いえ。一応、橋本先輩のおかげでもありますから」


 橋本が驚いて箸を止める。


「僕のおかげ?」
「そうですよ。普通はこんな小娘に、自由に検死解剖なんてさせませんから。せいぜい助手に使う程度です。そもそも、生意気とか、でしゃばるな、とか言われて、つま弾きにされていた私を拾ってくれたのは橋本先輩ですよ?」
「あぁ。僕より技術があるんだから、どんどんやるべきと思っただけだよ」
「お人好しですか?」


 橋本は自分が焼いている肉に視線を落とした。


「違うよ。僕は昔から周りの人に恵まれていてね。そのおかげで生活できているんだ」
「そんなこと言ってると、そのうち足元をすくわれちゃいますよ」
「かもしれないね」


 橋本はハハハと軽く笑った。


※※


 焼き肉の後、神崎は神絵師がアップした美少年の絵を堪能し、満ち足りた眠りについていた。

 好きなだけ寝られる、休みの日。略して休日。バンザイ、休日。ビバ、休日。

 思う存分、睡眠を堪能する……はずだった。

 携帯メールの嵐で起こされるまでは。


「もう、誰よ?」


 神崎が寝ぼけながらもメールを確認する。


「メールが数十件!? しかも全部、橋本先輩から!? 研究所にある検査キットを持って、家に来い? ……あ、橋本先輩の家の住所がある。はぁ、せっかくの休日が」


 文句を言いながらも、拾ってくれた恩人の頼みは断れない。

 神崎は研究室に行き、頼まれた物を準備して橋本の家へ向かった。


「ここで、いいんだよね?」


 到着した場所は、広い庭付きの日本家屋だった。
 いつも、よれよれの服を着ている橋本からは想像できない、立派な家。


「間違っていたら、どうしよう」


 神崎は恐る恐るインターホンを押した……が、反応はない。


「……帰ろうかな」


 神崎か体を反転させたところで、ガラガラと引き戸が開いた。慌ててる振り返ったが、玄関には誰もいない。広い玄関と立派な木材が張られた床があるのみ。


「自動ドア?」


 神崎が首を傾げると、足元から声がした。


「よく来てくれた」


 視線を下げると7、8歳ぐらいの美少年がいた。
 丸い大きな目に、クルンと上を向いた長い睫毛。小さな鼻に、可愛らしい口。肌は白く、頬がほんのりと赤い。

 小さな体に、着ているのは大人用のシャツ。襟首から見える細い首と、裾から覗く足が、殺人的な魅力を放つ。


 その姿はまるでマカロン! 愛らしく可愛らしい外見は見ているだけで幸せになる。


 神崎は反射的に後ろを向いた。鼻血が出ないように鼻の付け根を押さえ、天を仰ぐ。


「これはマズい。今までは二次元だからセーフだったのに。三次元に手を出したら……」


 神崎は目だけを動かし、美少年を覗き見た。無垢な瞳に、小首を傾げた顔。それだけで、堕ちた。


「あぁ、神様。ありがとうございます。今まで、あなた様の存在を信じていませんでしたが、今日から信じさせて頂きます。こんな美少年が、二次元ではなく、三次元に存在しているなんて。至宝の宝を、生で見られる日が来るなんて。もう、この世に悔いはありません」


 こんなことを呟いているとは知らない美少年は、訝しみながら声をかけた。


「あー、神崎君? こんな姿を見て、現実逃避をしたくなる気持ちは分かるが、これは現実だ」


 神崎が勢いよく少年の方を向く。


「はい、分かってますよ。現実、これは現実なんですよね。あぁ、なんて素晴らしい……」
「おい、ちょっと待て。なんで、職場の先輩が子どもになったことが、素晴らしいんだ?」
「……職場の……先輩? ……誰が?」


 美少年が細く綺麗な指で己を指す。


「僕が」


 たっぷり三十秒は見つめ合っただろうか。神崎が突如叫んだ。


「橋本先輩ですかぁぁぁぁぁ!?」
「そうだ。朝起きたら、なぜかこんな姿になっていた」
「いや、でも、なんで!? えぇ!?」
「驚くのは分かる。僕も驚いている」
「いや、驚いているようには見えな……いえ、それより橋本先輩って子どもの頃は美少ね……ハッ! この美少年が、うん十年後には、あんなおっさんに!? なんて、世界的大損失!!」
「何を言っているのか、よく分からんが、とにかく落ち着け!」
「ノオォォォォ……!!!」


 神崎が両手で頭を押さえて叫ぶ。

 橋本が神崎と普通の会話が出来るようになったのは、それから数十分後のことだった。

※※

 ようやく正気に戻った神崎は、和室に通された。出されたペットボトルのお茶の前に正座する。反対側には美少年になった自称、橋本。


「……で、なんで私を呼んだんですか?」


 いまだに橋本だと信じられない。それどころか、眩しくて直視できない。サングラスがほしい。
 目を細めて顔を逸らす神崎に、橋本は幼い声でハッキリと言った。


「単刀直入に言う。僕がこうなった原因と、元に戻る方法を見つけてくれ」

「えぇ!?」


 いや、なんとなく予想はしていたけど、やっぱり驚く。むしろ、戻らなくていい。


「見つけられないものは、ないんだろ?」


 橋本がテーブルに上半身をのせ、上目遣いで迫ってくる。その破壊力たるや、神崎の中では地球が爆発する威力と等しい。


「いろいろ無理ですぅぅぅぅ!」


 神崎は吹き出しかけた鼻血を押さえ、叫んだ。

※※

 吹き出した鼻血をティッシュで止めた神崎は、瀕死の状態だった。ゼイゼイと息を切らしながら、両手を畳につけている。


「と、とにかく橋本先輩。服を……服を、どうにかしましょう」


 ブカブカのシャツから見え隠れする美少年の素肌。刺激が強すぎて、まともに会話ができない。


 もう、これはマカロンではない。ハバネロだ。真っ赤で美味しそうと食べたら最後。辛さで悶絶。でも、気をつけないと癖になる。


 そんな神崎の葛藤など知らない橋本は、余った袖を眺めて頷いた。


「確かに。元に戻る方法を探す前に、服が必要だな。あ、靴がないから外に出れない」
「では、私が買ってきます! さっそくサイズを計りましょう!」
「ちょっ、ちょっと待て! サイズを計るだけなんだよな!? なぁ!?」


 わきわきと神崎の指が怪しい動きをする。身の危険を察知した橋本が後ずさる。しかし、神崎が同じ早さで距離を詰める。

 じわじわと退路を塞がれ、橋本が蛇に睨まれた蛙のように固まる。

 そこで、神崎の携帯が鳴った。表示された相手の名前に神崎の顔が歪む。


「ゲッ」


 橋本が逃げ道を探しながら訊ねた。


「誰だい?」
「菅田警部です」


 このまま放置したいが、絶対に出るまで鳴らし続ける。
 いろいろ諦めた神崎は、重い指で通話ボタンを押した。


「もしもし? はい、神崎です。休みと分かっているなら、電話しないでください。えぇ? いまからですか?」


 電話口から懇願する声が漏れる。神崎は綺麗な眉をハの字にして折れた。


「……分かりました。行きます」


 神崎がため息とともに電話を切る。


「仕事かい?」
「はい。どうしても、すぐに検死してほしい遺体があるそうです。はぁ……橋本先輩にいろんな服を着せたかったのに」


 菅田警部と見知らぬ遺体よ、ありがとう!


 橋本は心の中で感謝した。

 目前の危機が去ったことに橋本がホッとする。だが、これで諦める神崎ではない。


「もう、こうなったら速攻で終わらせて服を買いに行きましょう! って、先輩はどうしよう……このまま一人で家に置いておくのは……」
「ん? いや、ちょっと待ってくれ」


 何かを思い出した橋本が、小走りで部屋から出ていく。

 十分後、軽い足音をたてて戻ってきた。


「待たせた。靴も見つけたから、これで出掛けられるぞ」


 そこには、ピッタリサイズの襟付きの長袖シャツに、ハーフパンツを履いた美少年がいた。
 デザインは古いが、虫食いやシミなどの汚れもなく、畳んでいた折り線が付いている。

 神崎は鼻血を吹き出しそうになったが、鼻を押さえて堪えた。


「どこぞの声楽隊かと思いました」
「子どもの頃に着ていた服だと思うが、残っていてよかった。さて、行こう」
「そ、そうですね」


 向けられた華奢な後ろ姿。形の良い丸い頭に、無防備な背中。そこから続く細い腰に、絶対領域。そして、スラリと伸びた足。


 すべてがパーフェクト。どんな高級フランス料理のフルコースも裸足で逃げ出す。


 神崎が恍惚の表情で先を歩く橋本をじっとりと愛でる。その視線を橋本は悪寒で受け取った。


※※


 二人が解剖室の前に到着する。そこには、無精髭を生やし、スーツの上にヨレヨレのコートを羽織った、いかにも警部です、という男がいた。

 男が神崎に気づき、軽く手を上げる。


「よっ、休みにすまないな」
「すまないと思うなら、呼び出さないでください」
「仕方ないだろ。おまえじゃないと見つけられない案件だからよ」


 神崎の顔から表情が消える。


「菅田警部、遺体の状況は?」
「その前に、それは誰だ? おまえの子じゃないだろ?」


 菅田に指を差され橋本が神崎の後ろに隠れた。この美少年が橋本だとは、誰も気づかないだろう。だが、念のため顔は見られないようにする。

 神崎は橋本と話し合って決めておいた設定を話した。


「私の親戚の子です。急遽、預かっていたのですが、菅田警部に呼び出されましてね。家に一人で留守番させるわけにもいかないので、連れてきました」
「あー、それは悪かったな。よし、姉ちゃんの仕事が終わるまで、おっちゃんと待っていような?」


 菅田が手を差し出す。だが、橋本は逃げるように神崎にしがみついた。
 愛らしくも萌える動きに、神崎は喜びにうち震えた。菅田がいなければ、職場でなければ、失神していた。

 神崎は根性で無表情を貫きながら言った。


「人見知りなんです。大人しい子なので、解剖室の端で待たせときます。で、仕事の内容は?」

「急に呼び出した俺も悪いし、仕方ないか」


 菅田が困ったように髪をかきあげる。そして、報告書を神崎に渡した。


「事件だが、服毒による中毒死だ。それが、どうもおかしくてな」


 神崎が一通り目を通して頷く。


「どこもおかしくないですよ。この症状。どこをどう見ても、毒による中毒死じゃないですか。むしろ、それ以外で死んだ証拠を出せというほうが無理です」
「確かにそうだが、聞いてくれ。被害者に毒を仕込めたヤツが一人だけいるんだが、そいつは犯行を否定している。それに、オレもヤツは犯人じゃないと思う」


 神崎が肩をすくめる。


「またお得意の勘ですか?」


 神崎の指摘に菅田が吠える。


「仕方ねぇだろ! こう、気持ち悪いんだよ! 犯人じゃないヤツを尋問していると、全身がザワザワしてよ! で、犯人っぽいやつは、明日から海外に旅行へ行くっていうんだ」
「高飛びですか」
「そうなる前にアリバイを崩したい」
「分かりました。被害者の体内に証拠が残っている、というのであれば、見つけ出しましょう」


 屋内なのに生暖かい風が吹いた。


 神崎の黒髪がふわりと舞う。白い肌に赤い唇が浮かぶ。黒い瞳が暗く輝く。

 人形のような無機質な美が神崎を包んだ。


「私に見つけられないものは、ありませんから」


 神々しくも独特な空気。すべてを見透かしているような黒い瞳。


 その雰囲気に呑まれかけた菅田が慌てて頷く。


「お、おう。頼むぞ。ところで橋本は?」
「急病で休みです」
「珍しいな。一人で大丈夫か?」
「大丈夫です。では、待っていてください」


 神崎は子どもの橋本を連れて解剖室へと入った。

※※

 術衣に手袋、マスク、ゴーグルと、神崎は完全防備で遺体が置かれた台の前に現れた。
 反対側にはダブダブの術衣と手袋、マスクをした橋本がいる。踏み台に乗っているため、頭と目がどうにか見えている状態だ。


「橋本先輩、無理しなくてもいいですよ?」
「こんな姿だが、筋鈎きんこうぐらい持てる」
「……無理なら言ってください」


 神崎が視線を下げると、幅が狭い解剖台に寝かされた遺体があった。

 胸から腹まで、縦に真っ直ぐ一本線の切開創がある。太い糸で無理やり皮膚を引っ付けるように縫われていた。そのため、皮膚が山のように盛り上がり痛々しい。


「雑に縫ってますね」


 神崎が嫌悪感を隠すことなく呟く。


「始めますね」


 神崎は皮膚を縫い合わせている太い糸を、先端に爪がついた鑷子ピンセットで摘まみ上げた。皮膚と糸の間に隙間を作り、そこに先が湾曲したハサミの刃を入れ、糸を切っていく。

 素早く縫合している糸を全て切り、切開創を開いた。
 そこに、橋本が指先サイズの鍬の先を切開創に当て、軽く引っ張る。すると、筋肉層を縫合している糸が露になった。


「橋本先輩、筋鈎きんこうをもう少し左にずらしてください。はい、そこです」
「すまない。中まで見えなくて、上手くサポートできない」
「大丈夫です。私が指示しますから」


 そう言いながら、神崎が手際よく縫合糸を切っていく。

 全ての縫合糸を切り終えたところで、神崎は棒に湾曲した二枚の羽根が付いた器材を取り出した。
 すかさず橋本が筋鈎を腹膜の間に入れ、臓器と隙間を作る。

 神崎はその隙間に器材の羽根を入れて、切開創を左右に開いた。しっかり切開創を開いたところで羽根をネジで固定する。


 この光景を例えるなら、電車の閉じかけたドアに手を入れ、無理やり左右に押し開けた状態だ。


 開腹器をセットし、腹部を広げた神崎に、橋本が声をかける。


「ここから、どうアプローチするんだ?」
「資料では、胃と十二指腸を解剖したが食残のみで問題なし、とありました。なら、それ以降の臓器になにかあるはずです」


 神崎が小腸の端を引っ張り出した。遺体が傷まないように冷やしているため、冷たくぬめる。
 全神経を手先に集中させ、小腸を左から右へと流していく。手袋をしているため、どうしても感覚は若干鈍くなる。少しの違和感も見落とさないように細心の注意を払う。


 数十分後、流れ作業のように動いていた神崎の手が突然止まった。


「どうした?」
「ここだけ……触った時の感触が違います」


 神崎が説明をしながらも、先が平らな鉗子かんしを二本取りだし、並べて小腸を挟んだ。
 それから小腸の下に膿盆を置き、真っ直ぐなハサミで鉗子の間を切った。
 そして、切れ端を膿盆に載せると、五十センチほど先の小腸も同じように鉗子で挟み、その間をハサミで切った。

 切り取った小腸を載せた膿盆を、隣の小さな台に置く。

 鉗子を外して小腸をメスで開く。すると、そこには食残があった。
 その食残を先端に爪がない鑷子ピンセットで丁寧に広げていく。


 宝探しをするように、少しずつ繊細に。でも、不要なモノは大胆に排除して。


 目的のモノを見つけた神崎は口角を上げた。


「あったか?」
「はい」


 神崎は笑顔で答えた。

※※

 写真と記録を手早く作った神崎は、切除した小腸を繋ぎ合わせ、切開創を閉じた。

 最後の皮膚の縫合で、神崎は細い糸と半円形の針を手に取った。
 左手には爪がついた鑷子、右手にはハサミのような形をした持針器じしんき

 持針器の先に針を挟み、皮下と皮下を縫い合わせていく。
 皮膚と皮膚を無理やり縫い合わせた盛り上がりはなく、平らな一本の線のみ。糸は最初と最後にちょろんと出ているだけ。注意深く探さなければ、どこにあるのかも分からない。

 神崎は糸が出ているところに半透明なテープを貼った。そして、切開創の上にも同じテープを貼る。これで傷はほとんど分からない。

 自分の仕事に満足した神崎は、外で待っている菅田のところへ移動した。


「どうだ? 見つかったか?」


 術衣を脱いだ神崎は、手書きの書類と数枚の写真を渡した。


「小腸の回腸部分からカプセルが見つかりました」
「カプセル?」


 菅田が写真を見ると、開かれた小腸の上にボロボロに崩れかけたカプセルだったものらしき物体が写っていた。
 が、それよりも胸からこみ上げるものを押さえるため、口を押えてしゃがみ込んだ。

 神崎が呆れたように肩をすくめる。


「相変わらず臓器が苦手ですか。それでよく死体現場とか見れますね」
「ここは現場じゃないだろ」
「はい、はい。現場は根性で乗り切っているんですよね。では、説明を続けます。普通のカプセルは胃で消化されるので、回腸でここまで形が残っていることはありません」
「で、では、このカプセルは何故、形が残っているんだ?」
「成分分析の結果が出るまで確実なことは言えませんが、たぶん酸に強く、アルカリ性になると溶けるカプセルです」


 座り込んでいる菅田の頭にクエッションマークが羅列する。


「酸に強くて、アルカリ性に弱い? なんだ、そりゃ?」
「人体の消化器は胃だけが酸性であとはアルカリ性です。大抵の物は胃酸で溶かされ、小腸で吸収されます」
「あー、なんか習った気がする」
「酸に強いカプセルなら胃で溶けず、他の食物と一緒に十二指腸から小腸へと移動します。そして、徐々にアルカリ性の腸液を浴び、少しずつ溶けていきます。もし、そのカプセルの中に毒があったら?」


 菅田が立ち上がり神崎に飛びつく。


「そうか! 時間差か! あらかじめ、その毒入りカプセルを飲ませておいて、毒が効いて倒れた騒ぎの時に人目を盗んで、こっそりと直前まで食べていた物に毒を入れれば……これで、あいつのアリバイは崩れた!」
「カプセルに毒が入っていたかは、このカプセルと食残を調べないと分かりません。ですが、今日はそこまで調べられませんよ。明日、他の人に鑑識を頼んでください」
「分かっている! だが、重要参考人になるから海外への高飛びは防げる! 助かった!」


 菅田がバン! と神崎の手に札を叩きつける。


「別に金一封は、いらないですよ? 警部だって安月給なんですから、無理しないください」
「これで罪を犯していないヤツを捕まえなくて済むんだ! そう考えたら安いもんだろ! それに、こんなことは滅多にないからな!」
「そう言って、今月二回目なんですが」
「たまたまだ 普通は数年に一回レベルのことだしな! じゃあな!」


 菅田が走り去る。

 神崎は手の中の札を見たあと、壁にかかっている時計を見た。針は六時を指している。


「これから器材を片付けるとなると……夕食の時間が……」


 ため息ともに体が重くなり腹が鳴った。時間を忘れて集中していたため、その反動が辛い。

 沈む神崎に、橋本が解剖室から顔だけ出して声をかけた。


「片付けは、ほとんど終わった。あと確認とサインだけ頼む」


 ひょっこりと顔だけを出している、その姿勢、動作、全てが可愛らしくツボになる。

 一瞬で癒された神崎は手の中の札を握りしめた。


「よし! 今日の夕食はお寿司にしちゃいましょう!」


 橋本の少しだけ丸くなった目が輝く。


「寿司? 握り寿司かい?」
「そうですけど……なにか食べれないネタがありますか?」
「あ、いや、そうではなくて……握り寿司を食べるのは、初めてだから」


 恥ずかしそうに嬉しがる美少年の姿に、神崎が鼻を押さえる。


「好きなだけ食べちゃってくだひゃい!」


 こうして帰宅途中で寿司屋に寄った二人は、大量の握り寿司を購入した。

※※

 二人は橋本の家に帰ると客間へ移動した。神崎が寿司が入っているケースを確認して、橋本に差し出す。


「先輩はワサビ抜きですからね」
「そこは子ども扱いしなくても……」


 どこか寂しそうな橋本に神崎がハッとする。


「あ、でもワサビでツンときて涙目で悶える美少年の姿を見るチャンスだった! 失敗した!」
「やっぱり、ワサビはいらない。いただきます」


 橋本は何も聞かなかったことにしてマグロを口に入れた。
 少し噛んだだけなのに赤身がトロけ、米がほぐれる。脂の甘さと酢飯が合わさり、口の中がカーニバル状態だ。


「こんなに美味しいのか」


 天に昇りそうな顔で寿司を頬張る橋本を愛でながら神崎は訊ねた。


「どうして、今までお寿司を食べたことなかったのですか?」
「食事はいつもキヌさんが準備してくれるんだが、生はあたるといけないから、と必ず火を通したものなんだ。巻き寿司とか、ちらし寿司なら食べたことあるけど」
「キヌさん?」
「この家の管理をしてくれている人だ。僕は早くに両親を亡くしていて、キヌさんがいろいろ助けてくれている」


 思いの外、重い回答に神崎が言葉に詰まる。

 急に話題を変えるのも変だし……と考えた結果、気になったことを質問した。


「……橋本先輩ってお坊ちゃんですか?」
「そんなことはない。んー、旨い」


 恍惚の表情を浮かべる美少年に、神崎はすべてがどうでもよくなった。今は目の前の美少年を愛でる。そのことに全力を賭ける時間だ。

 神崎は携帯でこっそり盗撮しようとした。しかし、半分はあったバッテリーが、なぜかゼロになっており、泣く泣く諦めた。

※※

 年端もいかない美少年を一人で残すのは不安! と言い張り、神崎は橋本の客間に泊まった。


 そして、迎えた翌朝。


 神崎は橋本の部屋を覗いていた。


「起こすだけです。美少年の寝顔を見たいという欲望ではないです。起こすだけ、なのです。決して、やましい欲望からの行動ではないのです」


 襖を開けた神崎は、自分に言い聞かしながら、そっと橋本か寝ている布団に近づいた。

 規則正しく上下する布団が、主が睡眠中であることを証言している。

 神崎は期待に胸を膨らませながら、声をかけた。


「おはようございます」
「……ん? 朝か?」


 神崎の予想に反した低い声。橋本がゆっくりと体を起こす。


「なんか、服がキツい……お、戻ってる」


 体が元に戻り、嬉しそうに全身を見る橋本。反対に神崎が白目になる。


「せっ、せせせ、せせっ、世界的大損失ぅぅぅぅぅ!!!!!」


 神崎は叫び声とともに崩れ落ちた。
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