felice〜彼氏なしアラサーですがバーテンダーと同居してます〜

hina

文字の大きさ
21 / 35
第五夜 二人の過去

しおりを挟む
長い冬は終わり、春が来ようとしていた。
午後6時、バーホワイトにて。
開店の準備をしていた圭は、一人大きなため息を吐いた。

「もう、一年が経つのか。」

もうすぐ普通なら大切な日のはずなのに、一年で一番憂鬱な日がやってくる。
それは母の命日だった。
圭は去年母の命日で起きたことを思い出していた。

それは陽菜が友人の結婚式で悪酔いした日の次の日のことだった。
一年で一度、家族全員が集まる日。
それは自分が高校生の時に心筋梗塞で急死した母の命日だった。

とはいっても、実家は農家であり自分だけが家に寄り付いていない。
実家は8人家族という大所帯であった。

祖父母と父、家業を継いで20歳の時に結婚した双子の兄夫婦、3年前に離婚して子供と出戻りした長姉と甥姪が住んでいる。
そして近所では次姉が男三兄弟を育てているが、旦那が単身赴任のためほとんど実家を頼り暮らしている。

祖父母はもう歳だからかだいぶ穏やかになったが、家業を守ってきた父親は厳格でバーテンダーとしてフリーターをしている圭に会うたびに説教をしていた。
昨年の命日も圭は父親から、『フラフラと夜の仕事をして、友達とルームシェアなんてけしからん。しっかりしろ。兄を見習え。』と言われた。
圭はつい感情的になり掴み合いの喧嘩になってしまいそうになったところを、兄から止められた。

祖父母や姉達は自分のことで精一杯で、圭のことはただただ甘やかしている。
父親の言うことは確かに正論で自分を思ってくれているのは分かっている。
しかし聡明でいつも味方でいてくれた母が生きていてくれればよかったのにと圭は思った。

圭は陽菜と会う前までは実家の離れに住んでいた。
しかし年々父親との言い合いが絶えず、居心地の悪い実家から逃げるように陽菜の家に住み着いてしまった。

圭は陽菜には出会った頃から今現在、そんな家庭の事情は話していない。
陽菜も陽菜で家族の話を一度も圭にしたことはなく、何か辛いものを抱えているのだと感じていた。

居心地の良い場所で生きていることは、世間の人が見れば甘えているのかもしれない。
しかしそうでしか生きられない、仕事も恋愛も中途半端な自分を受け止めてくれる陽菜の存在は圭にとって心の支えだった。

「今年もまた喧嘩をするんだろうな。俺ももう少し正論を受け入れられる、兄のように広い心があればなぁ。」

圭は憂鬱さを感じながら店の前に出て看板を出すと、目の前に噂をしていた人の姿があり夢かと思った。

「律。」

それは圭の双子の兄だった。
圭のバーには家族で唯一訪れたことがある。
月に1、2回早い時間に、家庭に支障が出ない程度に現れては顔を見に来るのであった。

「明日会うっていうのに、なんかあったの?」
「なにもないけどさ。また去年みたいなことになったら嫌だなって思ったら、お前の顔が見たくなったんだよ。」
「双子って怖いよな。」

律と圭は二卵性の双子のため、容貌は全く似ていない。
しかし同じ時をお腹で過ごしたせいか、同じことを考えている時が過去にも数回あった。

「俺はカッコ良いと思うんだけどな、バーテンダー。圭なんてお客さんにモテモテだろう?」
「そんなことないよ。俺はそんなに愛想も良くないし、ちゃんと心に決めた人がいるから変に思わせぶりなことはしないよ。」
「会ってみたいなぁ。陽菜さんだっけ?」

律はビールを飲みながら、揶揄うようにその名を告げた。
律にだけは好きな人の存在を話していた。
しかし圭は陽菜とは一緒に住んでいることも律に伝えているため、すっかり律の間では陽菜は圭の恋人扱いになっている。

「お前は余計なことを言いかねないからな。」
「お兄様にそんな物言いはないんじゃないか?」
「ただ数分生まれるのが早かっただけで兄さんぶるなよ。」
「ただ数分生まれるのが遅かっただけで未子で溺愛されている弟がいる俺の身にもなれよ?」

二人は会えばこのように言い合いになるが、そうやって腹を割って話せる相手がいることを圭は双子として産んでくれた両親に心底感謝している。

律は自分とは正反対、小さい頃から真面目で父親を慕い従順にしてきた。
もし兄も自分のようにちゃらんぽらんだったら、きっと父親は今のように溌剌には働いていないだろう。

「それで、明日この変わらない俺をカバーしてくれるの?お兄様。」
「いやー、それが難しいからこうやって圭に会いに来たのさ。」
「それは残念。俺ももうありのままで行く覚悟か、逃げるしか選択肢がないんだよ。」
「「憂鬱だなぁ。」」

二人は揃ってそう言うと、大きなため息を吐いた。
圭は律が来て、余計に明日の出来事への鬱憤が募ってしまった気がした。

「夢をまた追いかける気はないのか?」
「あんな恥ずかしい夢。もう子供じゃないんだから。」
「俺や父さんは、諦めてないぞ。」

そう言う律の表情は真っ直ぐで、つい圭は顔を逸らしてしまった。
圭には小さい頃から、たった一つの夢があった。
それは自分の農家で作った野菜を使った店を作ることだった。

夢を叶えるためにまず調理師免許を取りホテルで料理修行を始めたが、上司からの悪質なハラスメントに遭い堪えられず辞めてしまったのである。
それがトラウマで忘れられず、こうしたこじんまりとした小さな店でしか働けなくなってしまったのである。

「夢を叶えられた大人はどのくらいいるんだろうな。お前もなりたくて農家を継いだわけじゃないじゃないか。」
「そうだなぁ。でもだからこそ俺もお前も、夢を抱いていたお前の存在が眩しい星のようで忘れられないんだよ。」

律がそう呟いたのに、圭は遠い夜空の星を眺めた。
そして一年前夜空を共に眺めては時間を止めたいと言った、愛する人の顔を思い出した。

ー俺には守りたいものもあるんだ。

圭はそう心の中で本音を悟ると、しばらく律と他愛もない話をして見送って行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。 しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。 「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」 ――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。 なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……? 溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。 王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ! *全28話完結 *辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。 *他誌にも掲載中です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...