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第六章 古の泉
第59話 それぞれの想い
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天空国から聖杜国を守るために殉職した、二人の宰相、偲斎と共に亡くなった近衛兵たち、そしてリフィア。
彼らの慰霊祭には、国中の人々が訪れて、花を手向けて行った。
飛王も毎日のように花を供えて祈っていた。
彼らの冥福を。聖杜の未来を。
青海国と聖杜を繋ぐ唯一の橋が崩落したことによって、天空国の兵は一旦退却していったようだった。
玄灰川を超えるには、大分下流の橋まで遠回りをしなければならず、そこはザイード国との国境でもあったため、あからさまに兵の終結がしづらい場所でもあった。
今しばらくは、天空国の進軍を食い止めることができるだろう。
その報告に、人々はほっと胸を撫でおろした。
人々の心から少しずつ恐怖が薄れて、以前のような穏やかな生活が戻ってきたのを感じて、飛王も少しだけ安心した表情になった。
だが、猶予はそんなに長くないだろうとも考えていた。
彼らが命を懸けて与えてくれた『備えるための時間』を無駄にしないために、俺には何ができるのだろうか……飛王は毎日、そればかりを考えていた。
その日も、飛王は政務の合間に、王宮の庭園内に建てられた慰霊塔に花を手向けに行った。今日の護衛は忙しい瑠月の代わりに、李秀が付いて来てくれた。
白い大理石の献花台には、毎日絶えること無く色とりどりの花が供えられている。
その献花台の前に跪く金髪の後姿を見つけて、飛王は静かに横に跪いた。
グリフィス先生は、ゆっくりと祈り終えると、今度は黙って飛王が祈り終わるのを待っていてくれた。
「グリフィス先生、リフィアのこと……本当に申し訳ない。俺の不注意でこんなことになってしまって……」
飛王が深々と頭を下げると、グリフィス先生は穏やかな声で飛王に頭を上げるように言った。
「飛王殿」
グリフィス先生は、昔から子ども達を呼ぶ時、殿をつけて呼び、丁寧な言葉で話してくれた。今も変わらぬその声に、飛王はぐっと胸が温かくなる。
「あなたのせいではありません。これが娘の運命であり、選んだことだったのですから、気に病まないでください」
「いや、でも、俺がもう少ししっかりしていて、あんな事件が起こらないように気を付けていればこんなことには……」
唇を噛み締める飛王に優しい眼差しを注ぎながら、グリフィス先生は言った。
「飛王殿、それを言ったら、私のほうが責任が大きいのですよ。父親ですからね。私が彼らに連行されるようなことがなかったら、あなたにもあんなに辛い思いをさせずにすんだ。リフィアだって付いてくることは無かったですしね。本当に申し訳なかったです。だから、どうかもう自分を責めないでください。リフィアもそんなことは望んでいませんよ。あなたがこれからも聖杜の民を守ってくれる。それが何より嬉しいのですからね」
グリフィス先生は、王である飛王ではなく、教え子であった頃の飛王に話かけるように語り続けた。
そして、今では自分よりもすっかり大きくなった飛王の肩に、両手を置いて励ますようにぽんぽんと叩いた。
「それはそうと、飛王殿、爆薬に関する資料は、全ておおせのインクでの記述に切り替えて、瑠月殿に預けてあります。予備は作っておりませんし、それ以外の資料は全て廃棄しました。だから、万が一天空国の兵に見つかったとしても、読み解くことは難しいと思いますので、ご安心ください」
「グリフィス先生、お手数をおかけして申し訳ありませんでした。あのインクならば、夜光石がなければ読むことができません。夜光石はこの森の一部でしか発掘されない貴重な石。なれば、秘密が簡単に漏れることは無いと思ったんです」
「良い事を思いつかれました。こんな技術は本当は無くても良いと思っているのですが、やはりすべてを失うのは残念に思ってしまう。科学者の性というのどうしようもないですね」
「いえ、残してくれるようにご無理をお願いしているのは、私のわがままです。でも、この間橋を壊すのに使用してしまったので、恐らく天空国の軍も、その作り方を血眼になって探しているに違いないと思います。致し方なかったとは言え、技術を見せつけてしまったのは、やっぱり失敗だったかもしれません」
うな垂れる飛王に、グリフィス先生は優しく思いを告げた。
「飛王殿、後悔なさるな。今ここに集っている人々の笑顔、それはあなたが守ったものなのですよ。あなたが血を吐く思いで決断してくれたおかげで、今私達はこうやって穏やかに話していられるのです。間違ってなんかいませんよ。だから飛王殿、あなたは自信をもってください」
グリフィス先生のその言葉は、飛王の凍え切った心を溶かしてくれる。
「ありがとうございます」
「ほら、みんなあなたと話したくてうずうずしていますよ」
グリフィス先生の言葉に周りを見回してみると、多くの人々が飛王とグリフィス先生を取り囲んで、微笑みながら見つめていた。
学校からは子ども達の元気な笑い声が響いてくる。
「それでは、私はそろそろお暇します」
そう言って先生が去ると、周りに集まっていた人々が、遠慮がちに、でも親しみを込めて飛王に近づいて来た。お礼を言う人、励ます人、お願いごとを言う人、みんな順番に飛王に話しかけていく。
飛王は一人一人に、にこやかな笑顔で答えていった。
そんな様子を、流花は工房の窓からそっと見つめていた。
笑っている飛王の顔を見るのが辛くて、でも目を離せなくて、涙をためながら見つめ続ける。
多くの犠牲を払った出来事の数々。
責任感の強い飛王が、どれほど重く捉えているのかを考えると、流花は胸が締め付けられるような思いになった。
そして、リフィアの死……
流花自身も、兄の瑠月から聞いた時はとても信じられなかった。
でも、もの言わぬリフィアの姿を見た時に、息ができないくらいのショックを受けた。涙なんか、止まって出てこなかった。
自分でさえこれほど苦しいのに、自分を庇って死んだと知る飛王が、どれほどのショックを受けていることか……
流花は、飛王がリフィアを好きだったことも知っている。
だから飛王が、どれほどの後悔と悲しみに飲み込まれているかを考えると、あんな風に笑う飛王が痛々しくてたまらなかったのだ。
泣いていいのに……
笑えないって、駄々をこねてもいいのに……
でも大人しい流花は、飛王のところへ行く勇気も無かった。
昔も今も同じだわ。私ができることと言ったら、香の抽出だけ。
流花はほぅーっとため息をつくと、今日も遅くまで水蒸気蒸留法装置の前に座っていた。
できたら、兄に預けよう……
あ、でもそんなことしたら、リフィアに怒られるかも。
なんで自分でちゃんと届けないんだって。
でも、リフィアが一緒じゃなきゃ行かれないわよ。そんな勇気ないわ。
流花は暗くなってきた部屋を見回して、寂しくなる。
こんな時はいつもリフィアが励まして、手をひっぱっていってくれたのに。
私はリフィアがいなきゃ何も出来ないのに。
どうしていなくなっちゃったの……
ようやく涙が溢れ出てきた。
今なら、蒸気のせいなんて、言い訳ができるからかしら。
一度泣き始めたら、今度は涙が止まらない。
暗い実験室に座り込んで、流花は一人で泣き続けていた。
流花!
その時、リフィアの声が聞こえたような気がした。
流花、一緒に行くわよ!
はっとして、周りを見回す。
流花は立ち上がると機織機の部屋へと走って行った。
リフィアが使っていた大きな織機は、織手のいないまま途中になった布がそのままになっていた。
誰もがそのままにしておきたいと思っているように見えた。
流花はそっと近づいて覗き込んだ。
窓から差し込む微かな月明かりに照らし出された模様は、淡いピンクのアマルの花のように見える。
流花はみんなで行った初春の花見を思い出した。
あの時はまだ、彰徳王もお元気で、飛王も飛翔も兄も、他のみんなも一緒に、お祭り気分で遊びに行ったんだったわ。
水面を彩るピンクの花びらを見て、これこそが流花のお名前なのねと納得したように言っていたリフィアのことを思い出した。
流れる花……流花。
「水の流れに身を任せて、決して力まず、決して逆らわず、でも自分を失ってしまうことも無く、緩やかに流れていくピンクの花びら。それが流花の強さだと思うわ」
そう言ってくれたリフィアの言葉。
私の強さ……
こんな私でも、何かできることがあるのかしら?
飛王の役に立てることが、他にもあるのかしら?
流花は涙の乾ききらない瞳をそっと拭うと、リフィアの残した織りかけのアマル模様の布を、優しく撫で続けていた。
彼らの慰霊祭には、国中の人々が訪れて、花を手向けて行った。
飛王も毎日のように花を供えて祈っていた。
彼らの冥福を。聖杜の未来を。
青海国と聖杜を繋ぐ唯一の橋が崩落したことによって、天空国の兵は一旦退却していったようだった。
玄灰川を超えるには、大分下流の橋まで遠回りをしなければならず、そこはザイード国との国境でもあったため、あからさまに兵の終結がしづらい場所でもあった。
今しばらくは、天空国の進軍を食い止めることができるだろう。
その報告に、人々はほっと胸を撫でおろした。
人々の心から少しずつ恐怖が薄れて、以前のような穏やかな生活が戻ってきたのを感じて、飛王も少しだけ安心した表情になった。
だが、猶予はそんなに長くないだろうとも考えていた。
彼らが命を懸けて与えてくれた『備えるための時間』を無駄にしないために、俺には何ができるのだろうか……飛王は毎日、そればかりを考えていた。
その日も、飛王は政務の合間に、王宮の庭園内に建てられた慰霊塔に花を手向けに行った。今日の護衛は忙しい瑠月の代わりに、李秀が付いて来てくれた。
白い大理石の献花台には、毎日絶えること無く色とりどりの花が供えられている。
その献花台の前に跪く金髪の後姿を見つけて、飛王は静かに横に跪いた。
グリフィス先生は、ゆっくりと祈り終えると、今度は黙って飛王が祈り終わるのを待っていてくれた。
「グリフィス先生、リフィアのこと……本当に申し訳ない。俺の不注意でこんなことになってしまって……」
飛王が深々と頭を下げると、グリフィス先生は穏やかな声で飛王に頭を上げるように言った。
「飛王殿」
グリフィス先生は、昔から子ども達を呼ぶ時、殿をつけて呼び、丁寧な言葉で話してくれた。今も変わらぬその声に、飛王はぐっと胸が温かくなる。
「あなたのせいではありません。これが娘の運命であり、選んだことだったのですから、気に病まないでください」
「いや、でも、俺がもう少ししっかりしていて、あんな事件が起こらないように気を付けていればこんなことには……」
唇を噛み締める飛王に優しい眼差しを注ぎながら、グリフィス先生は言った。
「飛王殿、それを言ったら、私のほうが責任が大きいのですよ。父親ですからね。私が彼らに連行されるようなことがなかったら、あなたにもあんなに辛い思いをさせずにすんだ。リフィアだって付いてくることは無かったですしね。本当に申し訳なかったです。だから、どうかもう自分を責めないでください。リフィアもそんなことは望んでいませんよ。あなたがこれからも聖杜の民を守ってくれる。それが何より嬉しいのですからね」
グリフィス先生は、王である飛王ではなく、教え子であった頃の飛王に話かけるように語り続けた。
そして、今では自分よりもすっかり大きくなった飛王の肩に、両手を置いて励ますようにぽんぽんと叩いた。
「それはそうと、飛王殿、爆薬に関する資料は、全ておおせのインクでの記述に切り替えて、瑠月殿に預けてあります。予備は作っておりませんし、それ以外の資料は全て廃棄しました。だから、万が一天空国の兵に見つかったとしても、読み解くことは難しいと思いますので、ご安心ください」
「グリフィス先生、お手数をおかけして申し訳ありませんでした。あのインクならば、夜光石がなければ読むことができません。夜光石はこの森の一部でしか発掘されない貴重な石。なれば、秘密が簡単に漏れることは無いと思ったんです」
「良い事を思いつかれました。こんな技術は本当は無くても良いと思っているのですが、やはりすべてを失うのは残念に思ってしまう。科学者の性というのどうしようもないですね」
「いえ、残してくれるようにご無理をお願いしているのは、私のわがままです。でも、この間橋を壊すのに使用してしまったので、恐らく天空国の軍も、その作り方を血眼になって探しているに違いないと思います。致し方なかったとは言え、技術を見せつけてしまったのは、やっぱり失敗だったかもしれません」
うな垂れる飛王に、グリフィス先生は優しく思いを告げた。
「飛王殿、後悔なさるな。今ここに集っている人々の笑顔、それはあなたが守ったものなのですよ。あなたが血を吐く思いで決断してくれたおかげで、今私達はこうやって穏やかに話していられるのです。間違ってなんかいませんよ。だから飛王殿、あなたは自信をもってください」
グリフィス先生のその言葉は、飛王の凍え切った心を溶かしてくれる。
「ありがとうございます」
「ほら、みんなあなたと話したくてうずうずしていますよ」
グリフィス先生の言葉に周りを見回してみると、多くの人々が飛王とグリフィス先生を取り囲んで、微笑みながら見つめていた。
学校からは子ども達の元気な笑い声が響いてくる。
「それでは、私はそろそろお暇します」
そう言って先生が去ると、周りに集まっていた人々が、遠慮がちに、でも親しみを込めて飛王に近づいて来た。お礼を言う人、励ます人、お願いごとを言う人、みんな順番に飛王に話しかけていく。
飛王は一人一人に、にこやかな笑顔で答えていった。
そんな様子を、流花は工房の窓からそっと見つめていた。
笑っている飛王の顔を見るのが辛くて、でも目を離せなくて、涙をためながら見つめ続ける。
多くの犠牲を払った出来事の数々。
責任感の強い飛王が、どれほど重く捉えているのかを考えると、流花は胸が締め付けられるような思いになった。
そして、リフィアの死……
流花自身も、兄の瑠月から聞いた時はとても信じられなかった。
でも、もの言わぬリフィアの姿を見た時に、息ができないくらいのショックを受けた。涙なんか、止まって出てこなかった。
自分でさえこれほど苦しいのに、自分を庇って死んだと知る飛王が、どれほどのショックを受けていることか……
流花は、飛王がリフィアを好きだったことも知っている。
だから飛王が、どれほどの後悔と悲しみに飲み込まれているかを考えると、あんな風に笑う飛王が痛々しくてたまらなかったのだ。
泣いていいのに……
笑えないって、駄々をこねてもいいのに……
でも大人しい流花は、飛王のところへ行く勇気も無かった。
昔も今も同じだわ。私ができることと言ったら、香の抽出だけ。
流花はほぅーっとため息をつくと、今日も遅くまで水蒸気蒸留法装置の前に座っていた。
できたら、兄に預けよう……
あ、でもそんなことしたら、リフィアに怒られるかも。
なんで自分でちゃんと届けないんだって。
でも、リフィアが一緒じゃなきゃ行かれないわよ。そんな勇気ないわ。
流花は暗くなってきた部屋を見回して、寂しくなる。
こんな時はいつもリフィアが励まして、手をひっぱっていってくれたのに。
私はリフィアがいなきゃ何も出来ないのに。
どうしていなくなっちゃったの……
ようやく涙が溢れ出てきた。
今なら、蒸気のせいなんて、言い訳ができるからかしら。
一度泣き始めたら、今度は涙が止まらない。
暗い実験室に座り込んで、流花は一人で泣き続けていた。
流花!
その時、リフィアの声が聞こえたような気がした。
流花、一緒に行くわよ!
はっとして、周りを見回す。
流花は立ち上がると機織機の部屋へと走って行った。
リフィアが使っていた大きな織機は、織手のいないまま途中になった布がそのままになっていた。
誰もがそのままにしておきたいと思っているように見えた。
流花はそっと近づいて覗き込んだ。
窓から差し込む微かな月明かりに照らし出された模様は、淡いピンクのアマルの花のように見える。
流花はみんなで行った初春の花見を思い出した。
あの時はまだ、彰徳王もお元気で、飛王も飛翔も兄も、他のみんなも一緒に、お祭り気分で遊びに行ったんだったわ。
水面を彩るピンクの花びらを見て、これこそが流花のお名前なのねと納得したように言っていたリフィアのことを思い出した。
流れる花……流花。
「水の流れに身を任せて、決して力まず、決して逆らわず、でも自分を失ってしまうことも無く、緩やかに流れていくピンクの花びら。それが流花の強さだと思うわ」
そう言ってくれたリフィアの言葉。
私の強さ……
こんな私でも、何かできることがあるのかしら?
飛王の役に立てることが、他にもあるのかしら?
流花は涙の乾ききらない瞳をそっと拭うと、リフィアの残した織りかけのアマル模様の布を、優しく撫で続けていた。
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