私の一番大切なもの

マッシ

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17. 私の一番大切なもの、新一の場合

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(私の一番大切なもの、新一の場合)

 紗恵子、僕は朝から晩まで君のことばかり考えていたんだよ。
 紗恵子を始めて意識したのは、僕が小学校五年生の時だった。
 友達と教室でふざけて走り回っていて、誤って教室の廊下の窓ガラスに手を突っ込んで割ってしまったとき、紗恵子は黙って、ほうきとちり取りを持ってきて、一緒に片付けてくれたね。
 その時、僕の手の甲から血が出ているのを見ると、紗恵子はためらいもなく自分の綺麗な細かな花柄のハンカチを出してくれた。
 それを見て、僕はそんな綺麗なハンカチで、とても血など拭けなかったから……
「保健室行ってくる」と、割れたガラスも片付けずに駆け出してしまった。
 教室に戻ってみると、ガラスはすっかり綺麗に片付けられていた。
 ありがとうの一言も照れくさくて言えなかったよ。
 紗恵子は学級委員だから、役目として進んで片付けてくれたのかも知れないけれど、僕はあの花柄のハンカチと共に忘れられなくなり、いつの間にか君のことばかりを考えるようになってしまっていたんだ。
 いや、その前からかもしれない。
 かわいくて綺麗で、笑顔が素敵で、成績優秀、いつも学級委員でクラスの先頭にいたね。
 気にならなかったといったら嘘になるよね。
 僕だけでなく男子の注目の的だったから……
 あの頃は、僕が友達になれるなんて、考えてもみなかったよ。
 それからも僕の思いは積もるばかりだったけど……
 紗恵子と話をするようになったのは、それからずっと先で、中学二年生の六月だったね。
 クラス対抗のバレーボールとソフトボール大会がある一週間前の放課後のこと、
 君はバレーボールを教室の床に突きながら他の三人の女子とため息をついていたね。
 僕もバレーボールの選手で、練習に行くところだったから、気持ちが高ぶっていたのか、思わず声を掛けてしまったんだ。
「練習行かないのか?」
「みんな、塾とか何とかで、集まったのは四人だけ。練習にならないから帰ろうかと話していたところなの。男子は集まったの?」
「男子は優勝ねらって張り切っていたから、大丈夫じゃないかなー!」
「いいわね……」
「俺、練習に入ってやるよ。少しでも練習しておいたほうがいいから……」
「いいわよ。永江君も練習行くんでしょうー」
「ああ、大丈夫ー! 俺、補欠だから……」
「うそ、永江君、運動、得意でしょう」
「得意だけど、俺よりうまいやつはいるから、大丈夫。俺、サーブしてやるから、レシーブの練習をしろよ。四人いるのなら四分の一コートづつ守ればいいよ」
「じゃーやってくれるー!」
 これを切っ掛けにして、大会の終りまで練習を手伝うことができたけれど、男子からはスケベ、オカマ、ヘンタイ、裏切り者と蔑まれたが、僕の耳には入らなかったよ。
 それよりも世界がぱーと明るくなって、何をするにも楽しくて、学校に行くのがこんなに待ち遠しかったことはなかった。
 でも君たちは練習の成果もなく一回戦で負けちゃったけどね。
 それから間もなく、学力テスト。
 週明けの月曜日に予定されていたから、その前の週の金曜日だったね。
 僕の頭の悪いのは有名だったから、下駄箱の前で帰り際に、今度は君から声を掛けてくれたんだね。
「数学、教えてあげるから家に来なさいよー!」
 僕が返事を返すまもなく、君は恥ずかしそうに小走りに帰って行ってしまったね。
 僕は全然予期していなかったから驚いて、息をするのも忘れて、ただ君の後姿を ぼーと眺めていたよ。
 でも、それからが大変だった。
 いつ行けばいいのか。君は日にちと時間を言わなかったじゃないか。
 明日、明後日、それとも今日、家に帰る道々考えながら歩いていたけれど、考えていても答えは出るはずもなく、その足で君の家に行ったんだね。
 僕も随分思い切ったことをしたけれど、君はすぐに来た僕に驚きながらも数学を教えてくれたね。
 でも、僕のできないのは数学だけじゃなく保健体育を除く全部の教科なんだ。
 それに気づいた君は……
「もし、やる気があるなら、毎週勉強に来てもいいわよ……」と、言ってくれたね。
 毎週会える。会えると言うのは変だけれど、顔は毎日教室で見ているから、でも教室で親しく会話したことなどなかったから……
 だから僕にとっては、勉強に行くというよりも、デートする心持で週末が来るのが楽しみだったよ。
 でも今だから言えるけれど、最初の頃は大変だったんだよ。
 君に教わるだけじゃなく、少しでも恥をかかないように、普通の日は家で自分なりに教科書や参考書をひっくり返して必死で勉強したから、この時ほど前から、こつこつ勉強しておけばよかったと思ったことはないよ。
 それから毎週毎週、君の家に行くようになったけれど二人の仲は全然進展しなかったね。
 僕はひたすら学習することばかりで、君の個人的な気持ちや趣味や好きな食べ物や誕生日なんか訊きたかったけれど、そんな暇も隙さえも微塵も与えてはくれなかったね。
 でも君が僕のことを少しは好きでいてくれるんじゃないかと思ったのは、夏休みに入って、すぐのことだったね。
 その日、君は背中の大きくあいた水着のようなタンクトップとショートパンツで出てきたんだ。
 僕は一瞬、どこを見ていいのかわからなかったよ。
 そのうえ、君の部屋で二人っきり、机に向かっていても、すぐ横には、胸のふくらみが見える君がいる。とても勉強どころではなかったよ。
「どこ見ているのよー!」
「いや、そうじゃないけど、いくら暑いといっても、プールじゃないんだから、肌、出しすぎじゃない……?」
「家の中だからいいのよっ!」
「でも、外出たりしない……?」
「馬鹿ね、こんな格好で、街なんかに出ないわよー! 恥ずかしいわ……」
「でも、僕がいるよ……」
「あなたなら、許してあげるわ!」
「ほんとう、嬉しいなー!」
「ねーねー、ビキニの方がよかった?」
「いや、それなら、何もつけない方がいいかも……」
「えー、でも……」
「……、……」
「それなら、じゃー、脱いじゃおっかっ!」
 そう言って、君はタンクトップを裾からまくり上げて、脱ごうとしたね。
 それで、おへそが見えたとき……
「やーめたー! もったいないものー!」
 君はしてやったりと、僕の落胆する顔を嬉しそうに見ていたね。
「えええ……、そんな……」
 僕は力なく、机の上に顔を埋めたよ。
「これじゃ気になって勉強にならないよ……」
 僕は不機嫌に呟いた。
「じゃーあいいわー! そんなにいうのなら、私と同じ高校に入れたら、合格発表の日に全部見せてあげるわ。これならやる気が出るでしょう」
「全部って……?」
「全部って、全部よ。生まれたままの姿、すっぽんぽんよー」
 僕は君の口から「すっぽんぽん」という言葉が出たことに驚いたよ。
 ただ綺麗で才女でまじめと思っていたけれど、色気で誘ったり、「すっぽんぽん」なんて言うお茶目なところもあるということがわかって、ますます君のことを好きになってしまったよ。
「ほんとに……?」
「ほんとよー!」
「約束だよ!」
「もちろんよー!」
「じゃー、指切り……」
 そして、僕は机から起き上がり君の細い小指に、僕の小指を絡ませた。
「でも、私の行く高校はお父さんのいる大学病院の付属高校だから全国一位の名門よ。よっぽど頑張らないと合格しないから」
「大丈夫だよ。君と同じ勉強をするから……」
「じゃあ、私の胸なんか見てないで、さっさと次の問題……」
 このことがあってから、教える方と教えられる方という関係から、特別な友だちになったような気がしたよ。
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