私の一番大切なもの

マッシ

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35. 試験と夢の中

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(試験)

 走り梅雨の冷たい雨の中、試験が始まった。
 教室は、蛍光灯に照らされながらも薄暗く感じられた。
 良一は今日、得意の英語の試験に向かっていた。
 中学の英語など、とっくの昔に終えていたが、進行形と現在完了の使い方に迷ってしまった。
「あれ、なんだったかな?」
 自分は英語が得意ということでテスト範囲の復習をしなかったことが仇になった。
 数学は、妙子たちと勉強したところが出た。
 国語は日ごろから漢字だけ書ければいいと思っていたのであまり勉強していない。
 しなくてもできるのが国語だった。
 理科社会はそれなりに勉強しなければ点は取れないので集中的に勉強した。
 しかし、終わってみると何故か良一の意見と答案用紙の答えとが食い違っていた。
 そして、恒例になっている上位10人の成績表が掲示板に張り出された。
 良一はいつもなら文句なく一番であったが、今回はなんと下がりに下がって順位から消えた。
 周りからどよめきの声がした。早速、達也が慰めに来た。
「やっぱり三年になると、みな必死になるから……、でも、良かった。幸恵ちゃんが一番で……」
 慰めになっていない達也の顔を横目で見ながら、勉強しなければこんなものさ、と心の中で、鼻で笑って自分に言い聞かせていた。

 その日の真夜中……
 いつものように良一は、喉をうるおしに来たふりをして、紗恵子に会いに行った。
「今度のテストで主席から転落したんだってー」
 良一は、いつものように紗恵子の前のテーブルに座りウーロン茶を飲んだ。
「聞いたんですかー? あまり勉強しなかったから……」
「家事労働の刑が負担になっているんじゃないの? 無理しなくていいのよ。受験生なんだから。頑張って勉強して、私のお母さんを治してくれるような立派な医者になって欲しいわー!」
 紗恵子の目は良一を乗り越えて、遠く母親のベッドに向けられていた。
「なれるといいですけど……」
 良一の心の中は重かった。
 自分の家の時のように思いのまま勉強がしたい。
 でも、ここでは雑念と雑用が多くて集中できない。
 しかし、そう思いながらも自分自身に言い訳を言っていると良一は、その考えを捨てた。
 勉強は、どこでもできる。
 必要なのはやる気だけ、良一の自論だった。
 しかし紗恵子の風呂上りの濡れた髪とパジャマの襟元から見える白い肌を見ていると、そんなことはどうでもいいと思えてきた。
 集中できないのは、やはりこのせいなのかと改めて思った。
「頑張ってねー! 先は長いわ……」
 紗恵子はそれだけ言うと、今日は早々と二階に上がって行った。

(夢の中)

「僕がきっと治します! といえばいいじゃないか」
 その声は聞き覚えのある、あの新一の声だった。
「永江新一、やっぱり居たんですねー」
「さすが、秀才、うろたえないねー」
「紗恵子さんの彼氏……」
「まだ彼氏にしてもらった覚えはないけど……、その前に死んじゃったからねー!」
「僕が伝えてあげるよ……」
「そんなことをすれば、紗恵子を永遠に苦しめるだけだっ!」
「秀才なんだろー! それくらい分かれよ……」
「じゃ、何で出てきたんだ。どうにもならないのに……」
「今、僕を呼んだじゃないか?」
 良一は振り返らずに、さほど驚きもせずに静かに背中の人物に話しかけた。
「呼んでなんかないよ……」
「そうかな、何とかしてあげたいと思っただろうー?」
「そうですけど……」
「僕なら治せるよ……」
 良一は思わず振り返った。
 新一は母親のベッドの横に立っていた。
「本当ですか……?」
「僕が君と話ができるように、もちろん彼女とも話せる。そして、どうして目を覚まさないか、その理由も知っている」
「何で、ですか? その理由って?」
「彼女が目を覚ますには条件が必要なんだ」
「何ですか? 条件って……」
「世界のバランスかな。宇宙のバランスと言ってもいい。彼女の意識が戻らないと言うことは、戻らない、いや戻せない反対側の必然と言うものがあるようだ。バランスつまり天秤かな……」
「どういうことですか? 何を言ってるのか全然分からない……」
「簡単に言えば彼女を治すには、宇宙をひっくり返せばすむことだが、さすがの僕にも宇宙がどんなものすらわからないから、ひっくり返したくても返しようがない。しかし宇宙の方はそのままにしておいて、天秤のもう片方。つまり彼女自身を換えれば何の問題もない。そうじゃないか? 要するに身代わりだよ。そうすれば彼女は目覚める。簡単なことだ……」
「でも、どうやって……」
「置き換えるんだから方法は簡単だよ。ただ難しいのは誰が彼女の身代わりになるかだよ。自暴自棄の自殺志願者でない限り名乗り出るものはないからねー」
「僕が身代わりになるっ!」
「即答だな……、お前は自殺志願者か?」
「そうかもしれない。僕はこの家の部外者だし、僕一人いなくなっても悲しむ人はいない。お父さんのことが少しは心配だけど、お父さんには僕よりも研究があるから大丈夫……、それで、紗恵子さんや妙ちゃんが喜んでくれれば僕は幸せだから……」
「妙ちゃんは悲しむぞ……」
「最初は少しくらい悲しむかもしれない。でもすぐに忘れるよ。僕の代わりになる男はたくさんいるから。それに今妙ちゃんにはお母さんが必要だと思うから……、もし、僕が妙ちゃんだったら、何に変えてもお母さんにいて欲しいと思うから……」
「そうかー! それだけの覚悟ができていれば大丈夫だ。今の気持ちをゆめゆめ忘れるな……」
「じゃ、妙ちゃんのお母さんを治して……、早く!」
「おいおい僕が身代わりになるわけじゃあないよ」
「だから、僕がなる……」
「それはわかった。しかし彼女がそれを承知しなければ、入れ替わることはできない」
「どういうこと……」
「ここが難しいところだ。だから君は彼女の無意識の世界に入って行き、彼女に直接自分が身代わりになるから、現実の世界に帰るように説得し承知させれば彼女は目を覚ます。もしくは、現実の世界に落とし込めば、それで目が覚める。そして、彼女が目を覚ませば、君はもうこの世界には帰ってこられない。当たり前だけどねー」
「なんだかよく分からないけど、でも、どうやって彼女の無意識の世界に入ればいいのか……?」
「それは、僕の仕事だ。自分で意識している人間の心には、とうてい入れない。入ろうとすれば、あの時の君のように簡単に拒絶されるからね。でも意識のない人間の心は玄関の開いている留守の家と同じで、出入り自由だ……」
「じゃ、早速、僕を送り込んでよー!」
「それじゃ、お前の気の変わらないうちに、はじめようー」
 新一はしばらくベッドの前に立ち母親を眺めていた。
「いい顔だ。美しい……」
 その次の瞬間、新一は頭を彼女の胸の中に突っ込んだ。
「なにをするんだ!」
 良一は慌てて駆け寄ろうとした時、再び新一は胸の中から頭を出した。
「何もいやらしいことはしてないよ。彼女の心の中を少し見ているだけだ」
 新一は、再び頭を彼女の体の中に入れ、頭の先から足の先まで、頭を体の中に入れたまま体を走らせた。
「なるほどなるほど……」
 良一は驚いて、再び駆け寄り、頭を彼女の体の中に埋め込んでいる新一を掴んだと思った瞬間、良一の体は中に浮き、そのまま何もわからなくなった。

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