世界は恋で溢れている

兎都ひなた

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#06

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カランカラン、とカフェの扉の音と店員の決まり文句を背中で聞きながら、扉を閉める。閉まる直前で緩やかな動きになる扉は、かチャリ、と小さな音を立てた。

初めての寄り道、初めての友達との外食に、まだドキドキとしていた。カフェでの話も心が浮き足立って仕方がなかった。

(こんなに楽しいならもっと前から、外に行く勇気があればよかったのに…)

高校デビューのおかげで、見た目はどうにか変えられても、中身までは全然変わることのない自分に少しだけ落胆する。

でも、今日が大きな一歩だと思うと、また嬉しくなる。我ながら気持ちが忙しくて頭が追いつかない。

「じゃあ、また明日ねー!」

「うん、今日はありがとう。また行こうね。」

「絶対だよ!バイトない日教えてね!!」

真季が笑顔で手を振りながら、駅の方へ歩いていく。その背中に、返事をすると、真季はまたピョンピョンとツインテールを揺らしながら、飛び切りの笑顔で振り返った。

その笑顔が可愛くて、癒されて思わずクスリと笑顔を漏らしながら「うん。」と返事を返した。

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「お疲れ様でーす…」

路地裏の奥、居酒屋の裏口から、こっそりと中に入る。

家に帰るよりバイト先の方が近いことが分かり、休憩室で時間を潰そうと思い、何も考えずにカフェの帰りにそのまま来たから制服のまま来てしまった。普段なら1回帰るし、こんなミスはしないのに、違う行動をしたことで、まだ気持ちが浮ついていたのかもしれない。

でも、ここから一旦帰る選択肢は私の頭になかった。

「おう、花岡。ちょうどいい所に来たな。」

「なんですか、垣原先輩。」

なるべく人に会わないように、先に着替えてしまいたかったのに、よりにもよって垣原先輩に見つかってしまった。

反射的に、眉間に皺が寄る。

「まあまあ、そんな嫌な顔するなよ。今日久瀬のやつ、彼女が家に来るからって急に休みやがってよ。ホール人数足りないから、出てくんね?」

垣原 颯天。(カキハラ・ハヤテ)

地元で大学に通う2年生。バイトの中でも目立つ金髪に、居酒屋で働くと言うよりガテン系の方が似合いそうな服装で耳には当たり前のようにピアスが複数。

そんなThe ヤンキーな見た目なのに、バイト内では誰も怖がりもせず、寧ろ誰とでも仲のいい垣原先輩。私は心の中でコミュ力モンスターと呼んでいる。

「嫌ですよ。大体、知り合いのところだから働かせてもらえてますけど、私高校生ですよ?夜出勤の仕事で表に出ていいわけないじゃないですか。」

居酒屋なんて酔っ払いが複数で戯れるイメージしかない。1人で大人しく、なんてそんな人数たかが知れてる。不特定多数がいる密閉された空間なのだ。無条件に糸の見える私にとって大きなストレスであることに変わりはない。

その為に人と接することの無い仕事を求め、裏方に徹することで例外的に雇ってもらえた。

それに客に絡まれた、なんて話を先輩から嫌という程聞かされているのに、今更何も知らないホールへ出るなんてどんな拷問だ。

「でも相手酔っぱらいだぜ?学校の制服着てるわけじゃないんだし、少しくらい年齢なんてわかんないって。」

(その酔っ払いが怖いんだって…それに)

「そういう問題じゃ…」

脳内で文句を言うはずだったのに、つい、口に出ていた。「糸が見えるのが嫌なんです。」だなんて、口が裂けても言えない。

慌てて口を閉ざす私を、垣原先輩は訝しげな顔で見ていた。

正直、その顔に怖さを感じ、口を覆う手を外さずに、目をそっと逸らした。壁に貼られたビールのポスターをなんの意味も無く追う。

「まあまあ、垣原その辺にしとけって。そもそも花岡は裏方専門で雇われてんだろ?ホールの仕事自体教えられてないんだから、穴埋めにしたって新人増えたも同然なんだから仕事増えるだけだって。」

頭上からする声に、ついビクッと肩が震える。

ゆっくりと振り向くと、そこには身長190cmはありそうな巨体が立ち塞がっていた。

「じゃあ久瀬の穴、誰が埋めるんすか。」

その頭上の声の主に、垣原先輩はあからさまに不満な声を漏らす。さっきまでグイグイ来てたテンションはどうしたのだろう。

頭上の声はフッと笑い息を含めながら「お前が2人分動けよ。」と言うと、私の横をすり抜けて休憩室の方へ長いリーチの足で歩いていった。

手をヒラヒラとさせるその影は、一瞬で見えなくなる。

「…はあ。中堂さんも無茶言うよな。」

中堂 梓。(ナカドウ・アズサ)

垣原先輩とは学部は違うが、同じ大学らしい。いつもフラッと現れては少しだけ毒の入った物言いで、フォローをしてくれる仕事仲間だ。

垣原先輩の口調からすると、中堂先輩の方が歳上なのかと、勝手に思っているが実際のところは何も知らない。

頭をガリガリとかきながら、「早く着替えとけよ。」と私に言うと、垣原先輩は中堂先輩に続いて休憩室に入っていった。

「すみません…。」

と、私は消え入りそうな声で言うしか無かった。

裏方の仕事以外、何も出来ないことがただ、悔しかった。役立たずなのだと突きつけられているようで、悔しかった。

休憩室と反対の扉、更衣室の方へとぼとぼと向かう。

女の少ないこの職場で、唯一男の入ることが許されない場所だ。…といっても、女の先輩たちとは時間帯が合わないため、ほとんどここで出くわしたことは無い。
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