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#01

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生まれた時から意識のある人なんて、ある程度成長した今でも聞いたことがない。だからこそ、誰に話したって信じてはくれないし、作り話をしているのだと馬鹿にされることも少なくない。でも、本当なんだ。本当に僕はこの世に性を受けたその時から、この世界に違和感を感じている。

「もう聞き飽きたって。その話。」

人のベッドに寝転がりながら、ユノがため息混じりに言う。ユノ・マリセクト。僕の幼馴染だ。ユノに会うと大抵、生まれた頃の違和感の話をしてしまう。これが何度目かなんて数えてもいないし、わからない。聞き飽きたと、嫌がる素振りはするものの、ユノが僕の話を馬鹿にして笑ったりしないからなのか、それとも何か手がかりがみつかるかもしれないと、潜在的に思っているのか。それもわからない。

「ごめん、つい…。でも本当なんだ。だから、その違和感が何なのか、どうしても知りたいんだよ。」

「アルの魔法が下手な理由?」

(嫌なとこを突いてくるな…)

ユノの突拍子も無い言葉に、面食らう。唐突に話を逸らされた気分だ。「違う」と小さく呟き、そっぽを向く。魔法が他の人よりも下手なのは嘘じゃない。自覚はある。
拗ねた僕の後頭部を見て、ユノはクスクスと堪えきれない笑いをこぼした。

(何笑ってるんだよ。)

そう面と向かって言えれば、どんなに楽だろうか。
実際、僕が魔法を使うのが下手なのは紛れもない事実なのだ。

「悪かったよ。でも、そのどちらかが分かれば、もう片方の理由も分かりそうだろ?」

クスクスと、自分の笑いに言葉を切られながら、ユノは僕の後頭部に向かって声をかけた。モヤモヤとした気持ちのまま、僕はユノのいる方に向き直る。

「…そうだけど。」

「じゃあ、もうこの話は終わりな!さっさと課題終わらせようぜ。」

(こういう切り替えは、上手なんだよなー…。普段からやる気出せばもっと上のクラスに行けるはずなのに。)

僕たちの通う、魔法学校は現在夏休み。ユノは避暑地だと言ってよく僕の家に遊びに来る。宿題に目もくれず遊びすぎたせいで、残り5日で夏休みは終わりだと言うのに、学校で出された課題は一向に終わる気配を見せない。

「このカエルの標本って…こんな暑い中、何処に行ったら手に入るんだよ。」

課題表を指でなぞりながら、ユノがため息を漏らす。カエル自体、使い魔として相棒にしている人はいるものの、野生で飛び回っているのは見たことがない。ましてや、標本になるような小さなサイズはほとんど見た事すらない。あんな小さな体が野生で飛び回るだなんて、本の中での空想だとしか思えない。

「僕が出してあげるから、それを標本にしなよ。」

(僕ならできるはず。)

徐にくすんだ紙を引っ張り出し、古びた本をパラパラと捲り、単語を書き出していく。紙には魔法陣と共に単語を並べ替えて書き連ねる。課題表の写真部分をちぎり、魔法陣の中央に置いた。書いた文字は浮かび上がり、怪しげに光を放ち始め、魔法陣の周りを囲うように文字はうようよと動いた。

ユノは課題表から目を離し、その光景を凝視する。僕、アルティナ・ビルマーノの唯一まともに出来る魔法、召喚魔法だ。
最後に、魔法陣の中心に持っていたペンを写真と共に捩じ込むと、その隙間から生きたカエルが飛び跳ねて出てきた。見慣れないカエルの姿に一瞬、怯む。

(ヌルヌルして、湿った体が気持ち悪い…。)

「ユノ、お願い。」
「まかせてよ。」

アルの声に、今まで見ているだけだったユノは懐から杖を取り出し、軽やかに振った。何やら言葉を呟いているのはわかるのだが、僕にはその言葉を聞き取ることが出来ない。学校の授業でも度々出てくるが、正直何を言っているのかわからないため、結果的に僕だけが何も出来ない状況に陥る。おかげでいつも追試を受ける羽目になるのだ。その追試でさえも、時間がかかりすぎるため、先生には呆れられ、結果的に言葉を崩してもらい、ようやく分かるレベルだ。

杖を向けられたカエルは、机の真ん中で仰向けになり、金縛りにあったかのように動かなくなった。白く、少し膨らんだ腹が気持ち悪い。カエルは小さな額に入り、額の下側に名前が刻まれる。自分も魔法が上手く使えたらどんなにいいだろうと、思い知らされる瞬間だ。

「ほら、これはアルの分な。」
「ありがとう。」

ユノに標本を渡され、改めてカエルを見つめる。

(やっぱり気持ち悪いな…)

使い魔でないというだけで、こんなにも姿が違うものなのか。使い魔であれば、その主人によって、見た目は様々。服や装飾品を纏うものもいれば、色が違ったり、話したりする。

「この調子でサッサと終わらせちまおうぜ。」

調子良くユノが杖を振りながら、出された課題の文章を読み解いていく。こんなにすんなり解けるものなら、何故後回しにしていたのかと、不思議に思う程だ。

(何をどう見たら、わかるようになるんだろう。)

「おい、アル。全然進んでねーじゃん。」

呆けてその様子を見る僕に気付き、ユノが手を止める。進んでないと言われても、実際何が書いてあるかさえもチンプンカンプンなのだ。わかることと言えば、接続詞とされる文字と、語尾の「しなさい。」くらいだ。あとは調べながらでないと読めない。もっと言えば、調べるにしても手持ちの古文書を使わないと解読すら出来ない。一体何時になったら終わるのか…検討もつかず、途方に暮れてしまう。

唯一、読むことが出来る古文書。家の棚の片隅に積み重ねられた本の1番下に置かれていた、元は父の本だ。
僕は母の存在を知らない。会ったこともなければ、写真も何も家には存在しない。母は僕をこの世に産んだその日に、亡くなったと聞かされた。魔法使いが亡くなるのは、大きく分けて2つ。病死か、誰かに殺されるか。

父と二人暮らしだ。父のように魔法が使えるようになりたいと、父の本を片っ端から読み漁ろうとしたが…それは不可能に終わった。文字も読めず、そもそも表紙を開くことすら出来ない本も多数ある。父によると「魔法がちゃんと使えるようになって、必要になれば開ける。」とのことだが…杖にも見放されてしまった僕は上達することが出来るのか、毎日不安でたまらない。

(本当に父さんの本を読むことが出来るようになるのか。何が書いてあるのか、ただ気になる。)

「…アル?」

課題表を見つめ、黙りこくってしまった僕の顔を覗き込み、ユノが不安げに眉尻を下げる。指摘をしたせいで落ち込んでしまったと勘違いしたらしい。「なんでもないよ。」と小さく笑って見せたが、本当はこの実力差に悔しくて仕方がなかった。

(ユノのように魔法が使えるようになりたい。)

ユノは普段はやる気がないように見え、遊んでいることが多いが、魔法の実力は学年でもトップクラスだ。そもそも魔法学に必要な文字列すら読めない、呪文も聞き取ることが出来ない僕が、何故今の学校に通えていて、何故ユノの隣にいれるのかすら、わからない。…実力差がありすぎる。もちろん、僕の成績は下位低迷。

「教えてやるよ。これはな…」

無理をして笑ったのがバレてしまったのか、ユノが隣で文章を噛み砕きながら読み上げてくれる。分かりやすく噛み砕いて教えてくれるユノに、ただ感謝した。

水を粘土質の高い物質に変えたり、紙に人物の複写をペン以外を使って、書き出したり…。
言われて初めて知る、課題の手順。ユノの存在がありがたい。ユノがいなければ、僕はまた今期もただ時間に追われて作ってみただけの、トンチンカンな課題提出をしてしまっていただろう。前期でみんなの笑いものにされたばかりだ。それをまた味わうだなんて、屈辱以外の何物でもない。

(あんな思いを何度もしてたまるか…!)

ユノが読み上げるスピードに負けじと、カエル召喚の時に使った紙に、また新たに魔法陣を書き、古文書を懸命に捲り、ペンを走らせる。何故かこの本に乗っている文字だけは、開いたその日から読めていた。特別わかりやすく書かれているわけでもなければ、子供が読む絵本のようにイラストが全面に書かれているわけでもない。ごく一般的な、辞書と同じ形態の古文書だ。

ユノは課題の文章を読み上げながら、僕の魔法をまじまじと見つめていた。一般的には使われなくなった古い魔法だ。何度見ても新鮮なのだと、ユノは言う。そして、ある一部の人間は、これは魔法ではないと嘲笑う。でも、れっきとした魔法だと、自分が信じて使うしかない。僕はこれしか魔法を使う方法がないのだ。
魔法陣は何度も光り、螺旋を描く文字列はとても綺麗だった。

「…いつもありがとう。助かったよ。」

仕上げと呼べる、ペンを魔法陣の中心に差し込み、最終過程を見届けてから、僕はユノに向かって頭を下げた。これが、夏休み最後の課題だ。ユノが解読してくれたおかげで、何日かかってもほとんど進まなかった課題は、物の数時間で終わってしまった。今日、読んでもらえて始めて知れたことは、数日かけて探さなければ見つからないであろう素材を使うように指定されていたことだ。真面目にやれば、この残りの短期間で終わるわけが無い。

しかし、僕たちには時間もなければ、その素材がまだ残っているとも限らない。夏休みももうすぐ終わる。もう他の生徒が使い切ってしまっている可能性だって考えられる。
だから、ズルだとは思いつつ、写真と照らし合わせながら、文字列を変えながら、召喚魔法で出してしまった。

(これはまあ…他の生徒もやるかもしれないし。うん。課題終わらせることの方が大事だし。)

と、何度も自分に言い聞かせながらユノに言われるがまま、課題を進めた。もちろん、ユノも同じ方法だ。

「これ、綺麗だな。」

不意にユノが呟いた。
手元には課題の全工程を終わらせることによって作り出された、粘度の高い液体を閉じ込めたキューブ型のオブジェが転がる。角度によって中の液体が光を屈折させ、また、液の元々の色や粘度により、なんとも言えない色が隙間から漏れていた。

「夏の色みたいだよな。」

横から、下から、上から、キューブの中を覗き込み、小さくため息をつく。見つめ続けても飽きさせないそのキューブに、どことなく不思議な魅力を感じていた。

「ユーーノーー!!!」

突然の爆風と破裂音、そして女の叫び声と共に、僕の部屋の窓は吹っ飛んだ。せっかく出来上がった課題の品が壊れては困ると、咄嗟に両手で抱え込み、飛び退く。

(この声、この登場の仕方…)

心当たりがある、その高く元気な声に、嫌な予感を感じた。それはユノも同じらしく、課題作品を抱き抱えたまま、体制を低くして、窓とは反対方向の扉へ向かっていた。…が、そのユノの服を声の主が鷲掴む。
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