婚約破棄のにガッツポーズして「お幸せに!」と爆走退場する。

ちゃっぴー

文字の大きさ
19 / 28

19

しおりを挟む
「……頼む。一口でいい。何か、何か腹に溜まるものを恵んでくれ……」

 公爵邸の裏門近く。
 ボロボロの灰色のマントを羽織り、幽霊のようにふらふらと彷徨う男が一人。

 私はちょうど、試作中の『暗黒地獄おにぎり』の出来栄えを確認するため、外のベンチで涼んでいたところでした。

「あら。隣国の公爵邸に、物乞いの方がいらっしゃるとは珍しいですわね」

 私が声をかけると、男がガバッと顔を上げました。
 フードの隙間から見えたのは、泥にまみれ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったジュリアン殿下の顔でした。

「テ、テリーヌ……! ああ、テリーヌ! 会いたかった、会いたかったぞ!」

「……なんですの。またクシャミを浴びに来たのかしら? 今日はあいにく、霧吹きを持ってきていませんわよ」

「違う! もう軍も引き上げさせた! 私は、一人の空腹な男としてここへ来たのだ!」

 ジュリアン殿下は、地面を這うようにして私の足元へ縋り付いてきました。
 かつてのキラキラした王子様の面影は、もはや塵一つ残っていません。

「……お腹が空いたのですか?」

「……ああ。王宮の料理人は皆、貴様が仕込んだ『スパイシー・トラップ』に怯えて、何も作らなくなってしまった。シャルロットは『味がしない』と喚いてストライキ中だ。私はこの三日間、薄いハッカ飴だけで命を繋いできたのだ……!」

「自業自得ですわね。で、私にどうしろと?」

「頼む、テリーヌ。貴様の作る、あの毒々しい……いや、情熱的な料理を食べさせてくれ! 今の私なら、ハバネロだろうがジョロキアだろうが、喜んで飲み込んでみせる!」

 ……ほう。
 そこまで言うのなら、料理人として無下に扱うわけにはいきませんわ。

「分かりましたわ。では、この『暗黒地獄おにぎり』を差し上げます。中身は秘密ですが、私の愛(カプサイシン)がたっぷり詰まっておりますわよ」

「ああ……! テリーヌ、やはり貴様は優しいな。戻ってきてくれるなら、事務作業の合間に、毎日一口だけこれを食べさせて……」

「戻りませんわよ」

 私は、おにぎりを殿下の口に押し込みながら、即答しました。

「モグ……ッ、……ッッッ!!!」

 数秒後。
 ジュリアン殿下の瞳孔が限界まで開き、顔面が赤を通り越して「紫」に変色しました。

「……ッ、……ガッ、ガハァッ!! な、な、な、なんだこれはぁぁぁッ!! おにぎりの中に、燃える炭でも入れたのか!?」

「いいえ。世界一辛いと言われる『ペッパー・エックス』の粉末を、練り梅に偽装して練り込んだだけですわ」

「貴様は悪魔か! 聖女ですら、こんな惨いことはせんぞ!」

「あら、その聖女様に捨てられそうになっているのはどこのどなたかしら? 殿下、よく聞いてください。私がこの国にいるのは、別に貴方を困らせるためではありませんの」

 私は立ち上がり、公爵邸の中庭に広がる、見事な「真っ赤な畑」を指差しました。

「ここには、私の夢があるのです。私の情熱を理解してくれる公爵様がいて、私の喉を焼いてくれる最高の唐辛子がある。……貴方の側にいた頃の私は、ただの『便利な計算機』でしかありませんでしたわ」

「……テリーヌ」

「今の私は、一人の『悪役令嬢(辛党)』として、最高に幸せなんですの。ですから、もう二度と『戻れ』なんて仰らないでくださいまし。……そのおにぎりを食べ終わったら、大人しく母国へお帰りなさいな」

 私が冷たく言い放つと、殿下は涙をボロボロと流しながら、悶絶しつつもおにぎりを食べ進めました。

「……くっ、熱い……! 痛い……! だが、美味い……! テリーヌ、貴様の料理を食べると、自分がどれだけ愚かだったか、胃袋に直接響いてくるようだ……!」

「……変なところでポジティブにならないでくださいまし」

 そこへ、アリスティア様が背後から静かに現れました。

「……テリーヌ。またこの『未練の塊』が君を困らせているのか?」

「アリスティア様。いえ、ただの試食係のバイト(無給)ですわ」

「……そうか。おい、王太子。いつまでそこにいる。君の国の財務大臣から、君の捜索願と共に『早く戻って予算書を完成させろ』という悲鳴のような親書が届いているぞ」

 アリスティア様が、一通の紙をジュリアン殿下の頭に放り投げました。
 殿下はそれを手に取り、内容を見た瞬間、今日一番の絶叫を上げました。

「……ひっ! 予算会議、明日じゃないか! 間に合わん、こんなの、テリーヌが十人いても間に合わんぞぉぉ!!」

「では、急いで戻ることですわね。……あ、お土産にその『地獄の梅干し』の瓶を差し上げますから、徹夜の眠気覚ましにでも使いなさいな」

「……テリーヌ……。貴様……、最後まで……、恐ろしい女だ……ッ!!」

 ジュリアン殿下は、梅干しの瓶を抱えたまま、尻に火がついたような勢いで(物理的に腹に火がついていたかもしれませんが)母国へと走り去っていきました。

「……ふぅ。これでしばらくは来ませんわね」

「……テリーヌ。君は、本当にあの男に未練はないんだな?」

 アリスティア様が、少しだけ不安そうに私の顔を覗き込みます。

「未練? そんな刺激のないもの、私の人生には必要ありませんわ。……それより公爵様。さっきのペッパー・エックス、まだ残っていますの。今夜のスープに入れてもよろしいかしら?」

「……ああ。君の刺激なら、何度でも歓迎しよう」

 私たちは、夕闇に染まる唐辛子畑を眺めながら、仲良く屋敷へと戻っていくのでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

魔法のせいだから許して?

ましろ
恋愛
リーゼロッテの婚約者であるジークハルト王子の突然の心変わり。嫌悪を顕にした眼差し、口を開けば暴言、身に覚えの無い出来事までリーゼのせいにされる。リーゼは学園で孤立し、ジークハルトは美しい女性の手を取り愛おしそうに見つめながら愛を囁く。 どうしてこんなことに?それでもきっと今だけ……そう、自分に言い聞かせて耐えた。でも、そろそろ一年。もう終わらせたい、そう思っていたある日、リーゼは殿下に罵倒され頬を張られ怪我をした。 ──もう無理。王妃様に頼み、なんとか婚約解消することができた。 しかしその後、彼の心変わりは魅了魔法のせいだと分かり…… 魔法のせいなら許せる? 基本ご都合主義。ゆるゆる設定です。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

【完結】恋が終わる、その隙に

七瀬菜々
恋愛
 秋。黄褐色に光るススキの花穂が畦道を彩る頃。  伯爵令嬢クロエ・ロレーヌは5年の婚約期間を経て、名門シルヴェスター公爵家に嫁いだ。  愛しい彼の、弟の妻としてーーー。  

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

断罪される令嬢は、悪魔の顔を持った天使だった

Blue
恋愛
 王立学園で行われる学園舞踏会。そこで意気揚々と舞台に上がり、この国の王子が声を張り上げた。 「私はここで宣言する!アリアンナ・ヴォルテーラ公爵令嬢との婚約を、この場を持って破棄する!!」 シンと静まる会場。しかし次の瞬間、予期せぬ反応が返ってきた。 アリアンナの周辺の目線で話しは進みます。

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

処理中です...