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「……頼む。一口でいい。何か、何か腹に溜まるものを恵んでくれ……」
公爵邸の裏門近く。
ボロボロの灰色のマントを羽織り、幽霊のようにふらふらと彷徨う男が一人。
私はちょうど、試作中の『暗黒地獄おにぎり』の出来栄えを確認するため、外のベンチで涼んでいたところでした。
「あら。隣国の公爵邸に、物乞いの方がいらっしゃるとは珍しいですわね」
私が声をかけると、男がガバッと顔を上げました。
フードの隙間から見えたのは、泥にまみれ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったジュリアン殿下の顔でした。
「テ、テリーヌ……! ああ、テリーヌ! 会いたかった、会いたかったぞ!」
「……なんですの。またクシャミを浴びに来たのかしら? 今日はあいにく、霧吹きを持ってきていませんわよ」
「違う! もう軍も引き上げさせた! 私は、一人の空腹な男としてここへ来たのだ!」
ジュリアン殿下は、地面を這うようにして私の足元へ縋り付いてきました。
かつてのキラキラした王子様の面影は、もはや塵一つ残っていません。
「……お腹が空いたのですか?」
「……ああ。王宮の料理人は皆、貴様が仕込んだ『スパイシー・トラップ』に怯えて、何も作らなくなってしまった。シャルロットは『味がしない』と喚いてストライキ中だ。私はこの三日間、薄いハッカ飴だけで命を繋いできたのだ……!」
「自業自得ですわね。で、私にどうしろと?」
「頼む、テリーヌ。貴様の作る、あの毒々しい……いや、情熱的な料理を食べさせてくれ! 今の私なら、ハバネロだろうがジョロキアだろうが、喜んで飲み込んでみせる!」
……ほう。
そこまで言うのなら、料理人として無下に扱うわけにはいきませんわ。
「分かりましたわ。では、この『暗黒地獄おにぎり』を差し上げます。中身は秘密ですが、私の愛(カプサイシン)がたっぷり詰まっておりますわよ」
「ああ……! テリーヌ、やはり貴様は優しいな。戻ってきてくれるなら、事務作業の合間に、毎日一口だけこれを食べさせて……」
「戻りませんわよ」
私は、おにぎりを殿下の口に押し込みながら、即答しました。
「モグ……ッ、……ッッッ!!!」
数秒後。
ジュリアン殿下の瞳孔が限界まで開き、顔面が赤を通り越して「紫」に変色しました。
「……ッ、……ガッ、ガハァッ!! な、な、な、なんだこれはぁぁぁッ!! おにぎりの中に、燃える炭でも入れたのか!?」
「いいえ。世界一辛いと言われる『ペッパー・エックス』の粉末を、練り梅に偽装して練り込んだだけですわ」
「貴様は悪魔か! 聖女ですら、こんな惨いことはせんぞ!」
「あら、その聖女様に捨てられそうになっているのはどこのどなたかしら? 殿下、よく聞いてください。私がこの国にいるのは、別に貴方を困らせるためではありませんの」
私は立ち上がり、公爵邸の中庭に広がる、見事な「真っ赤な畑」を指差しました。
「ここには、私の夢があるのです。私の情熱を理解してくれる公爵様がいて、私の喉を焼いてくれる最高の唐辛子がある。……貴方の側にいた頃の私は、ただの『便利な計算機』でしかありませんでしたわ」
「……テリーヌ」
「今の私は、一人の『悪役令嬢(辛党)』として、最高に幸せなんですの。ですから、もう二度と『戻れ』なんて仰らないでくださいまし。……そのおにぎりを食べ終わったら、大人しく母国へお帰りなさいな」
私が冷たく言い放つと、殿下は涙をボロボロと流しながら、悶絶しつつもおにぎりを食べ進めました。
「……くっ、熱い……! 痛い……! だが、美味い……! テリーヌ、貴様の料理を食べると、自分がどれだけ愚かだったか、胃袋に直接響いてくるようだ……!」
「……変なところでポジティブにならないでくださいまし」
そこへ、アリスティア様が背後から静かに現れました。
「……テリーヌ。またこの『未練の塊』が君を困らせているのか?」
「アリスティア様。いえ、ただの試食係のバイト(無給)ですわ」
「……そうか。おい、王太子。いつまでそこにいる。君の国の財務大臣から、君の捜索願と共に『早く戻って予算書を完成させろ』という悲鳴のような親書が届いているぞ」
アリスティア様が、一通の紙をジュリアン殿下の頭に放り投げました。
殿下はそれを手に取り、内容を見た瞬間、今日一番の絶叫を上げました。
「……ひっ! 予算会議、明日じゃないか! 間に合わん、こんなの、テリーヌが十人いても間に合わんぞぉぉ!!」
「では、急いで戻ることですわね。……あ、お土産にその『地獄の梅干し』の瓶を差し上げますから、徹夜の眠気覚ましにでも使いなさいな」
「……テリーヌ……。貴様……、最後まで……、恐ろしい女だ……ッ!!」
ジュリアン殿下は、梅干しの瓶を抱えたまま、尻に火がついたような勢いで(物理的に腹に火がついていたかもしれませんが)母国へと走り去っていきました。
「……ふぅ。これでしばらくは来ませんわね」
「……テリーヌ。君は、本当にあの男に未練はないんだな?」
アリスティア様が、少しだけ不安そうに私の顔を覗き込みます。
「未練? そんな刺激のないもの、私の人生には必要ありませんわ。……それより公爵様。さっきのペッパー・エックス、まだ残っていますの。今夜のスープに入れてもよろしいかしら?」
「……ああ。君の刺激なら、何度でも歓迎しよう」
私たちは、夕闇に染まる唐辛子畑を眺めながら、仲良く屋敷へと戻っていくのでした。
公爵邸の裏門近く。
ボロボロの灰色のマントを羽織り、幽霊のようにふらふらと彷徨う男が一人。
私はちょうど、試作中の『暗黒地獄おにぎり』の出来栄えを確認するため、外のベンチで涼んでいたところでした。
「あら。隣国の公爵邸に、物乞いの方がいらっしゃるとは珍しいですわね」
私が声をかけると、男がガバッと顔を上げました。
フードの隙間から見えたのは、泥にまみれ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったジュリアン殿下の顔でした。
「テ、テリーヌ……! ああ、テリーヌ! 会いたかった、会いたかったぞ!」
「……なんですの。またクシャミを浴びに来たのかしら? 今日はあいにく、霧吹きを持ってきていませんわよ」
「違う! もう軍も引き上げさせた! 私は、一人の空腹な男としてここへ来たのだ!」
ジュリアン殿下は、地面を這うようにして私の足元へ縋り付いてきました。
かつてのキラキラした王子様の面影は、もはや塵一つ残っていません。
「……お腹が空いたのですか?」
「……ああ。王宮の料理人は皆、貴様が仕込んだ『スパイシー・トラップ』に怯えて、何も作らなくなってしまった。シャルロットは『味がしない』と喚いてストライキ中だ。私はこの三日間、薄いハッカ飴だけで命を繋いできたのだ……!」
「自業自得ですわね。で、私にどうしろと?」
「頼む、テリーヌ。貴様の作る、あの毒々しい……いや、情熱的な料理を食べさせてくれ! 今の私なら、ハバネロだろうがジョロキアだろうが、喜んで飲み込んでみせる!」
……ほう。
そこまで言うのなら、料理人として無下に扱うわけにはいきませんわ。
「分かりましたわ。では、この『暗黒地獄おにぎり』を差し上げます。中身は秘密ですが、私の愛(カプサイシン)がたっぷり詰まっておりますわよ」
「ああ……! テリーヌ、やはり貴様は優しいな。戻ってきてくれるなら、事務作業の合間に、毎日一口だけこれを食べさせて……」
「戻りませんわよ」
私は、おにぎりを殿下の口に押し込みながら、即答しました。
「モグ……ッ、……ッッッ!!!」
数秒後。
ジュリアン殿下の瞳孔が限界まで開き、顔面が赤を通り越して「紫」に変色しました。
「……ッ、……ガッ、ガハァッ!! な、な、な、なんだこれはぁぁぁッ!! おにぎりの中に、燃える炭でも入れたのか!?」
「いいえ。世界一辛いと言われる『ペッパー・エックス』の粉末を、練り梅に偽装して練り込んだだけですわ」
「貴様は悪魔か! 聖女ですら、こんな惨いことはせんぞ!」
「あら、その聖女様に捨てられそうになっているのはどこのどなたかしら? 殿下、よく聞いてください。私がこの国にいるのは、別に貴方を困らせるためではありませんの」
私は立ち上がり、公爵邸の中庭に広がる、見事な「真っ赤な畑」を指差しました。
「ここには、私の夢があるのです。私の情熱を理解してくれる公爵様がいて、私の喉を焼いてくれる最高の唐辛子がある。……貴方の側にいた頃の私は、ただの『便利な計算機』でしかありませんでしたわ」
「……テリーヌ」
「今の私は、一人の『悪役令嬢(辛党)』として、最高に幸せなんですの。ですから、もう二度と『戻れ』なんて仰らないでくださいまし。……そのおにぎりを食べ終わったら、大人しく母国へお帰りなさいな」
私が冷たく言い放つと、殿下は涙をボロボロと流しながら、悶絶しつつもおにぎりを食べ進めました。
「……くっ、熱い……! 痛い……! だが、美味い……! テリーヌ、貴様の料理を食べると、自分がどれだけ愚かだったか、胃袋に直接響いてくるようだ……!」
「……変なところでポジティブにならないでくださいまし」
そこへ、アリスティア様が背後から静かに現れました。
「……テリーヌ。またこの『未練の塊』が君を困らせているのか?」
「アリスティア様。いえ、ただの試食係のバイト(無給)ですわ」
「……そうか。おい、王太子。いつまでそこにいる。君の国の財務大臣から、君の捜索願と共に『早く戻って予算書を完成させろ』という悲鳴のような親書が届いているぞ」
アリスティア様が、一通の紙をジュリアン殿下の頭に放り投げました。
殿下はそれを手に取り、内容を見た瞬間、今日一番の絶叫を上げました。
「……ひっ! 予算会議、明日じゃないか! 間に合わん、こんなの、テリーヌが十人いても間に合わんぞぉぉ!!」
「では、急いで戻ることですわね。……あ、お土産にその『地獄の梅干し』の瓶を差し上げますから、徹夜の眠気覚ましにでも使いなさいな」
「……テリーヌ……。貴様……、最後まで……、恐ろしい女だ……ッ!!」
ジュリアン殿下は、梅干しの瓶を抱えたまま、尻に火がついたような勢いで(物理的に腹に火がついていたかもしれませんが)母国へと走り去っていきました。
「……ふぅ。これでしばらくは来ませんわね」
「……テリーヌ。君は、本当にあの男に未練はないんだな?」
アリスティア様が、少しだけ不安そうに私の顔を覗き込みます。
「未練? そんな刺激のないもの、私の人生には必要ありませんわ。……それより公爵様。さっきのペッパー・エックス、まだ残っていますの。今夜のスープに入れてもよろしいかしら?」
「……ああ。君の刺激なら、何度でも歓迎しよう」
私たちは、夕闇に染まる唐辛子畑を眺めながら、仲良く屋敷へと戻っていくのでした。
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