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「……ネイビー・アルスター! 貴様との婚約を、今この場をもって破棄させてもらう!」
豪華絢爛なシャンデリアが輝く夜会の中心で、第一王子アレンの声が響き渡りました。
周囲の貴族たちは一斉に息を呑み、憐れみと嘲笑の視線を一人の令嬢へと向けます。
公爵令嬢ネイビー。
彼女は、アレン王子の婚約者という立場を利用し、可憐なリリィ男爵令嬢に数々の嫌がらせを働いた「悪役令嬢」として、今まさに裁かれようとしていました。
しかし、当のネイビーは絶望に打ち震えているわけではありませんでした。
物理的に、ガタガタと震えていたのです。
(さ、寒い……。このホールの設計者は何を考えているの? 隙間風がドレスの裾から入り込んできて、足首が凍りそうだわ。今すぐこの場に、大きな暖炉と温かいココアを十杯ほど用意してちょうだい……!)
ネイビーは極度の「寒がり」でした。
彼女が高慢な態度に見えるのは、寒さで顔の筋肉が強張り、常に不機嫌そうな表情になってしまうからです。
彼女がリリィを睨みつけていたのも、薄着で平然としているリリィを見て「あの子、もしかして氷の魔物か何かなの?」と戦慄していたからに過ぎません。
「……ネイビー、聞いているのか! 自分の罪を悔い、涙の一滴でも流したらどうだ!」
アレン王子が苛立たしげに声を荒らげます。
ネイビーは真っ白な顔で(これは寒さのせいです)、ようやく口を開きました。
「殿下、お言葉ですが……」
「なんだ、言い訳か?」
「いえ、室温をあと三度……いえ、五度ほど上げてはいただけませんか? 私の理性という名の毛布が、先ほどから寒さでちぎれそうなのです」
会場が、しんと静まり返りました。
アレン王子は呆れたように鼻で笑い、リリィの肩を抱き寄せます。
「ふん、死罪を免れたい一心で、ついに頭まで冷えたようだな。お前のような冷酷な女には、ふさわしい罰を用意してある。後日、正式な沙汰を待つがいい」
ネイビーは護衛の騎士たちに左右を固められ、会場を後にすることになりました。
連行される間、彼女が考えていたのは「牢屋に毛布はあるのか」という一点のみでした。
騎士たちに導かれ、人目を避けるように裏廊下を通っていた時のことです。
前方から、アレン王子と側近たちが話し合っている声が聞こえてきました。
「殿下、あのような厚顔無恥な女、いっそ処刑にすればよかったものを」
「ふっ、処刑など生ぬるい。あいつが最も嫌がる場所へ送ってやることにした。……北の果て、一年中吹雪が吹き荒れる『氷晶の離宮』だ」
その言葉を聞いた瞬間、ネイビーの心臓が止まるかと思いました。
「あそこは『生ける氷河』とも呼ばれる土地。並の人間なら三日で凍死するだろう。高慢な公爵令嬢が、寒さに震えながら惨めに果てる……これこそ最高の娯楽ではないか」
王子の笑い声が廊下に響きます。
ネイビーを連行していた騎士たちも、そのあまりに過酷な罰に同情の視線を向けました。
しかし、ネイビーの脳内では、未曾有の警報が鳴り響いていました。
(北の果て……? 氷晶の離宮……? 吹雪が年中無休……!?)
それは、ネイビーにとって死刑宣告以上の恐怖でした。
今のこの、暖房の効いた王宮の廊下ですら死ぬほど寒いというのに、そんな地獄へ送られたら、到着する前にネイビー・アルスターという個体はカチンコチンの氷像になってしまいます。
(冗談じゃないわ! 私はまだ、こたつのある生活も、ヒート魔法を付与した肌着の開発も成し遂げていないのに!)
彼女は決意しました。
プライド? 令嬢の体面? そんなものは、氷点下の世界では何の役にも立ちません。
(生きる。生きて、暖かい布団の中で二度寝を謳歌する。そのためなら……私は「聖女」にだってなってやるわ!)
幸い、追放の沙汰が出るまでには一週間の猶予があります。
その間に、自分の評価を「死なせるには惜しい慈愛の令嬢」まで爆上げし、なんとしても追放先を南の南国……せめて常夏の島へと変更させなければなりません。
ネイビーは、連行する騎士の一人に、かつてないほどしおらしい笑みを向けました。
「あの、騎士様。今まであなたのマントが重そうだなんて馬鹿にしてごめんなさい。……その、今だけ、私にそのマントを貸してはいただけないかしら? 代わりに、私の指輪を差し上げますから。……とっても温かそうなんですもの」
「えっ? あ、はい……どうぞ。指輪なんていりませんよ」
困惑しながらも、騎士が重厚なウールのマントを差し出します。
それに包まった瞬間、ネイビーは天にも昇る心地になりました。
(ああ、これよ……この温もりこそが正義だわ。見ていなさい王子。私は今日から、世界一温かくて優しい女になってみせるわ!)
悪役令嬢ネイビー・アルスターの、文字通り「命がけ」の改心劇が、今ここに幕を開けたのでした。
まずは、明日からの「聖女(仮)キャンペーン」のために、屋敷中のカイロをかき集めることから始めなければなりません。
豪華絢爛なシャンデリアが輝く夜会の中心で、第一王子アレンの声が響き渡りました。
周囲の貴族たちは一斉に息を呑み、憐れみと嘲笑の視線を一人の令嬢へと向けます。
公爵令嬢ネイビー。
彼女は、アレン王子の婚約者という立場を利用し、可憐なリリィ男爵令嬢に数々の嫌がらせを働いた「悪役令嬢」として、今まさに裁かれようとしていました。
しかし、当のネイビーは絶望に打ち震えているわけではありませんでした。
物理的に、ガタガタと震えていたのです。
(さ、寒い……。このホールの設計者は何を考えているの? 隙間風がドレスの裾から入り込んできて、足首が凍りそうだわ。今すぐこの場に、大きな暖炉と温かいココアを十杯ほど用意してちょうだい……!)
ネイビーは極度の「寒がり」でした。
彼女が高慢な態度に見えるのは、寒さで顔の筋肉が強張り、常に不機嫌そうな表情になってしまうからです。
彼女がリリィを睨みつけていたのも、薄着で平然としているリリィを見て「あの子、もしかして氷の魔物か何かなの?」と戦慄していたからに過ぎません。
「……ネイビー、聞いているのか! 自分の罪を悔い、涙の一滴でも流したらどうだ!」
アレン王子が苛立たしげに声を荒らげます。
ネイビーは真っ白な顔で(これは寒さのせいです)、ようやく口を開きました。
「殿下、お言葉ですが……」
「なんだ、言い訳か?」
「いえ、室温をあと三度……いえ、五度ほど上げてはいただけませんか? 私の理性という名の毛布が、先ほどから寒さでちぎれそうなのです」
会場が、しんと静まり返りました。
アレン王子は呆れたように鼻で笑い、リリィの肩を抱き寄せます。
「ふん、死罪を免れたい一心で、ついに頭まで冷えたようだな。お前のような冷酷な女には、ふさわしい罰を用意してある。後日、正式な沙汰を待つがいい」
ネイビーは護衛の騎士たちに左右を固められ、会場を後にすることになりました。
連行される間、彼女が考えていたのは「牢屋に毛布はあるのか」という一点のみでした。
騎士たちに導かれ、人目を避けるように裏廊下を通っていた時のことです。
前方から、アレン王子と側近たちが話し合っている声が聞こえてきました。
「殿下、あのような厚顔無恥な女、いっそ処刑にすればよかったものを」
「ふっ、処刑など生ぬるい。あいつが最も嫌がる場所へ送ってやることにした。……北の果て、一年中吹雪が吹き荒れる『氷晶の離宮』だ」
その言葉を聞いた瞬間、ネイビーの心臓が止まるかと思いました。
「あそこは『生ける氷河』とも呼ばれる土地。並の人間なら三日で凍死するだろう。高慢な公爵令嬢が、寒さに震えながら惨めに果てる……これこそ最高の娯楽ではないか」
王子の笑い声が廊下に響きます。
ネイビーを連行していた騎士たちも、そのあまりに過酷な罰に同情の視線を向けました。
しかし、ネイビーの脳内では、未曾有の警報が鳴り響いていました。
(北の果て……? 氷晶の離宮……? 吹雪が年中無休……!?)
それは、ネイビーにとって死刑宣告以上の恐怖でした。
今のこの、暖房の効いた王宮の廊下ですら死ぬほど寒いというのに、そんな地獄へ送られたら、到着する前にネイビー・アルスターという個体はカチンコチンの氷像になってしまいます。
(冗談じゃないわ! 私はまだ、こたつのある生活も、ヒート魔法を付与した肌着の開発も成し遂げていないのに!)
彼女は決意しました。
プライド? 令嬢の体面? そんなものは、氷点下の世界では何の役にも立ちません。
(生きる。生きて、暖かい布団の中で二度寝を謳歌する。そのためなら……私は「聖女」にだってなってやるわ!)
幸い、追放の沙汰が出るまでには一週間の猶予があります。
その間に、自分の評価を「死なせるには惜しい慈愛の令嬢」まで爆上げし、なんとしても追放先を南の南国……せめて常夏の島へと変更させなければなりません。
ネイビーは、連行する騎士の一人に、かつてないほどしおらしい笑みを向けました。
「あの、騎士様。今まであなたのマントが重そうだなんて馬鹿にしてごめんなさい。……その、今だけ、私にそのマントを貸してはいただけないかしら? 代わりに、私の指輪を差し上げますから。……とっても温かそうなんですもの」
「えっ? あ、はい……どうぞ。指輪なんていりませんよ」
困惑しながらも、騎士が重厚なウールのマントを差し出します。
それに包まった瞬間、ネイビーは天にも昇る心地になりました。
(ああ、これよ……この温もりこそが正義だわ。見ていなさい王子。私は今日から、世界一温かくて優しい女になってみせるわ!)
悪役令嬢ネイビー・アルスターの、文字通り「命がけ」の改心劇が、今ここに幕を開けたのでした。
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