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「ネイビー様、少々よろしいでしょうか」
学園の廊下を、重装備(厚手のドレス三枚重ね)で歩いていたネイビーの前に、銀縁眼鏡を光らせた男が立ちふさがりました。
アレン王子の側近の一人であり、冷徹な軍師として知られるゼノビスです。
ネイビーは、彼が発する「冷たいオーラ」に本能的な危機感を覚えました。
この男、立っているだけで周囲の温度を二度ほど下げている気がします。
「……何の御用かしら、ゼノビス様。私、これから温室へ行ってサボテンの成長を見守るという重要な任務があるのですけれど」
「殿下が、北の離宮へ送る際の最終的な身辺整理について、資料を確認したいとおっしゃっています。地下の『特別収蔵庫』までお越しいただけますか?」
地下。
その単語を聞いた瞬間、ネイビーの背筋に氷柱が走りました。
学園の地下には、魔石を冷やすための冷却装置や、夏の行事用の氷を保管する貯蔵庫があることを彼女は知っています。
(行きたくない。絶対に行きたくないわ。あそこは学園で最も『死』に近い場所……!)
「あ、あら……。資料なら、後でセバスに届けさせますわ。今は少し、血行が良くないので……」
「殿下の命令です。拒否は、反逆とみなされますが?」
ゼノビスの瞳が冷酷に光ります。
ネイビーは歯を食いしばりました。
ここで逆らって「やはり悪役令嬢だ」と断じられ、即座に北国へ強制送還されるわけにはいきません。
「……分かりましたわ。案内なさい」
ネイビーは震える足で、ゼノビスの後に続きました。
階段を一段降りるごとに、空気の密度が変わり、鋭い冷気が彼女の頬を撫でます。
地下通路の壁は石造りで、結露した水滴が凍りついている場所さえありました。
「……こちらです」
ゼノビスが重厚な鉄の扉を開けました。
ネイビーが中に入った瞬間、背後で「ガチャン!」という不吉な音が響きました。
「……あら? ゼノビス様、扉が閉まってしまいましたわよ?」
「ええ、わざとですから。ネイビー様、あなたに『改心』などという言葉は似合わない。大人しくそこで、あなたの望む北国の予行練習でもしていなさい」
扉の向こうから、ゼノビスの冷笑が聞こえてきます。
室内は、一面が巨大な氷のブロックで埋め尽くされた、正真正銘の氷貯蔵庫でした。
「ちょっと! 出しなさい! ここ、マイナス……いえ、絶対零度じゃないの!? 死ぬわ、私が死んだら誰が世界を温めるというのよ!」
ネイビーは必死に扉を叩きましたが、魔法で封印された鉄扉はビクともしません。
静寂の中に、自分の吐く息が真っ白に広がるのが見えました。
(落ち着くのよ、ネイビー・アルスター。パニックになれば、酸素を消費して体温が下がるわ。……無理! 落ち着けるわけないじゃない!)
ネイビーは即座に、ドレスの下に隠していた魔石ヒーターをフル稼働させました。
しかし、貯蔵庫の冷気は魔導具の熱を嘲笑うかのように、彼女の体温を奪っていきます。
(こうなったら……やるしかないわね。公爵家に伝わる、禁断の秘技を……!)
ネイビーはドレスの裾をたくし上げ、誰も見ていないことを確認すると、その場で猛烈な勢いで「スクワット」を開始しました。
「フッ! ハッ! 熱を……私の内に熱を! 燃えろ、私の脂肪! 輝け、私の筋肉! 細胞のひとつひとつに火を灯すのよ!」
高貴な公爵令嬢が、氷の山に囲まれながら、鬼気迫る表情で高速運動を繰り返します。
一分間に百回のペース。
もはや、それは優雅な令嬢の動きではなく、極地に放り出された野生動物の生存本能そのものでした。
「はぁ、はぁ……。まだよ、まだ熱が足りないわ! 次はシャドーボクシングよ! 食らえ、北国の寒波! 私の右ストレートで蒸発させてあげるわ!」
シュッシュッ、と鋭い拳が虚空を打ちます。
しかし、いかに運動を続けても、貯蔵庫の冷気は無慈悲でした。
徐々に手足の感覚が薄れ、視界が白んでいきます。
(ああ……。やっぱり、ダメなのかしら。私の人生、最後は冷凍マグロとして終わるのね……。……お父様、お母様、さようなら。……イグニス様、最後にもう一度だけ、あなたの『人間床暖房』を堪能したかった……)
ネイビーが膝をつき、意識を手放そうとしたその時。
ドォォォォン!!
という爆発音と共に、鉄の扉が真っ赤に焼けて吹き飛びました。
「……ネイビー! どこだ、ネイビー!」
炎の魔力を全身から放ちながら、一人の男が飛び込んできました。
イグニスです。
彼は、ネイビーがゼノビスに連れ去られたという報を聞き、文字通り壁を壊しながら最短距離で駆けつけたのでした。
「あ……太陽様……」
ネイビーは、朦朧とした意識の中で微笑みました。
イグニスは倒れ込むネイビーの体を抱きかかえ、その異常な冷たさに絶句しました。
「バカな……。こんな所に閉じ込めるなんて、あいつら……!」
「……イグニス、様。お願い、です……。……温めて。……最大出力で……」
「ああ、分かった。死なせはしない。俺のすべてを使って、お前を温めてやる!」
イグニスはネイビーを強く抱きしめ、全身から熱気を放出しました。
氷貯蔵庫の氷がみるみる溶け、室内がサウナのような蒸気に包まれます。
ネイビーは、心地よい熱気に包まれながら(あ、これ、死後の世界かしら。天国って意外と湿度が高いのね……)と、幸せな勘違いの中に沈んでいくのでした。
学園の廊下を、重装備(厚手のドレス三枚重ね)で歩いていたネイビーの前に、銀縁眼鏡を光らせた男が立ちふさがりました。
アレン王子の側近の一人であり、冷徹な軍師として知られるゼノビスです。
ネイビーは、彼が発する「冷たいオーラ」に本能的な危機感を覚えました。
この男、立っているだけで周囲の温度を二度ほど下げている気がします。
「……何の御用かしら、ゼノビス様。私、これから温室へ行ってサボテンの成長を見守るという重要な任務があるのですけれど」
「殿下が、北の離宮へ送る際の最終的な身辺整理について、資料を確認したいとおっしゃっています。地下の『特別収蔵庫』までお越しいただけますか?」
地下。
その単語を聞いた瞬間、ネイビーの背筋に氷柱が走りました。
学園の地下には、魔石を冷やすための冷却装置や、夏の行事用の氷を保管する貯蔵庫があることを彼女は知っています。
(行きたくない。絶対に行きたくないわ。あそこは学園で最も『死』に近い場所……!)
「あ、あら……。資料なら、後でセバスに届けさせますわ。今は少し、血行が良くないので……」
「殿下の命令です。拒否は、反逆とみなされますが?」
ゼノビスの瞳が冷酷に光ります。
ネイビーは歯を食いしばりました。
ここで逆らって「やはり悪役令嬢だ」と断じられ、即座に北国へ強制送還されるわけにはいきません。
「……分かりましたわ。案内なさい」
ネイビーは震える足で、ゼノビスの後に続きました。
階段を一段降りるごとに、空気の密度が変わり、鋭い冷気が彼女の頬を撫でます。
地下通路の壁は石造りで、結露した水滴が凍りついている場所さえありました。
「……こちらです」
ゼノビスが重厚な鉄の扉を開けました。
ネイビーが中に入った瞬間、背後で「ガチャン!」という不吉な音が響きました。
「……あら? ゼノビス様、扉が閉まってしまいましたわよ?」
「ええ、わざとですから。ネイビー様、あなたに『改心』などという言葉は似合わない。大人しくそこで、あなたの望む北国の予行練習でもしていなさい」
扉の向こうから、ゼノビスの冷笑が聞こえてきます。
室内は、一面が巨大な氷のブロックで埋め尽くされた、正真正銘の氷貯蔵庫でした。
「ちょっと! 出しなさい! ここ、マイナス……いえ、絶対零度じゃないの!? 死ぬわ、私が死んだら誰が世界を温めるというのよ!」
ネイビーは必死に扉を叩きましたが、魔法で封印された鉄扉はビクともしません。
静寂の中に、自分の吐く息が真っ白に広がるのが見えました。
(落ち着くのよ、ネイビー・アルスター。パニックになれば、酸素を消費して体温が下がるわ。……無理! 落ち着けるわけないじゃない!)
ネイビーは即座に、ドレスの下に隠していた魔石ヒーターをフル稼働させました。
しかし、貯蔵庫の冷気は魔導具の熱を嘲笑うかのように、彼女の体温を奪っていきます。
(こうなったら……やるしかないわね。公爵家に伝わる、禁断の秘技を……!)
ネイビーはドレスの裾をたくし上げ、誰も見ていないことを確認すると、その場で猛烈な勢いで「スクワット」を開始しました。
「フッ! ハッ! 熱を……私の内に熱を! 燃えろ、私の脂肪! 輝け、私の筋肉! 細胞のひとつひとつに火を灯すのよ!」
高貴な公爵令嬢が、氷の山に囲まれながら、鬼気迫る表情で高速運動を繰り返します。
一分間に百回のペース。
もはや、それは優雅な令嬢の動きではなく、極地に放り出された野生動物の生存本能そのものでした。
「はぁ、はぁ……。まだよ、まだ熱が足りないわ! 次はシャドーボクシングよ! 食らえ、北国の寒波! 私の右ストレートで蒸発させてあげるわ!」
シュッシュッ、と鋭い拳が虚空を打ちます。
しかし、いかに運動を続けても、貯蔵庫の冷気は無慈悲でした。
徐々に手足の感覚が薄れ、視界が白んでいきます。
(ああ……。やっぱり、ダメなのかしら。私の人生、最後は冷凍マグロとして終わるのね……。……お父様、お母様、さようなら。……イグニス様、最後にもう一度だけ、あなたの『人間床暖房』を堪能したかった……)
ネイビーが膝をつき、意識を手放そうとしたその時。
ドォォォォン!!
という爆発音と共に、鉄の扉が真っ赤に焼けて吹き飛びました。
「……ネイビー! どこだ、ネイビー!」
炎の魔力を全身から放ちながら、一人の男が飛び込んできました。
イグニスです。
彼は、ネイビーがゼノビスに連れ去られたという報を聞き、文字通り壁を壊しながら最短距離で駆けつけたのでした。
「あ……太陽様……」
ネイビーは、朦朧とした意識の中で微笑みました。
イグニスは倒れ込むネイビーの体を抱きかかえ、その異常な冷たさに絶句しました。
「バカな……。こんな所に閉じ込めるなんて、あいつら……!」
「……イグニス、様。お願い、です……。……温めて。……最大出力で……」
「ああ、分かった。死なせはしない。俺のすべてを使って、お前を温めてやる!」
イグニスはネイビーを強く抱きしめ、全身から熱気を放出しました。
氷貯蔵庫の氷がみるみる溶け、室内がサウナのような蒸気に包まれます。
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