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いよいよ、北の果て「氷晶の離宮」へと出発する日がやってきました。
公爵家の玄関先には、ネイビーの門出を見送るために、驚くほど多くの人々が集まっていました。
かつては「氷の女帝」と恐れられていたネイビーですが、今や彼女は、学園を救い、貧しい人々に防寒具を配った「暖炉の聖女」です。
集まった領民や侍女たちは、皆一様に涙を流し、彼女の無事を祈っていました。
「お嬢様、どうか……どうか凍えないでください!」
「あなたが配ってくださったこの腹巻き、一生の宝物にしますわ!」
そんな感動的な光景の中心で、ネイビーは……自分一人の力では一歩も動けない状態になっていました。
「……セ、セバス。これ、さすがに盛りすぎではないかしら? 首が、首が回らないのだけれど」
ネイビーは現在、超極暖の肌着を三枚重ね、その上に厚手のドレス、さらにその上から三種類の異なる毛皮のコートを羽織っていました。
仕上げに、首には三メートルはある長いマフラーがぐるぐると巻き付けられ、もはや顔の半分以上が布に埋もれています。
その姿は、令嬢というよりは「豪華な装飾を施された雪だるま」そのものでした。
「何を仰いますか。これから向かうは魔境。お嬢様の身の安全、すなわち体温の保持こそが、我がアルスター公爵家の最優先事項にございます」
セバスは真剣な顔で、ネイビーの唯一露出している額に、発熱魔法を付与した特製パッチをペタリと貼り付けました。
「……ふぅ。これでようやく、生存の確信が持てましたわ。では、行って参りますわね」
ネイビーは、コロコロと転がるような足取りで、用意された馬車へと向かいました。
その馬車もまた、壁に断熱材が詰め込まれ、床下には常に熱を発する魔導具が設置された「走るオーブン」仕様です。
「……待たせたな。準備はいいか」
馬車の前で待っていたのは、軽装(といってもネイビーから見れば全裸に近い薄着)のイグニスでした。
彼は辺境守備隊の精鋭数名を率い、ネイビーを護衛しながら北を目指します。
「イグニス様! ああ、今日も素晴らしい放射熱ですわ! ……でも、その格好で寒くありませんの?」
「俺は火の加護を受けているからな。それより、お前……その姿で馬車に乗れるのか?」
イグニスは、球体に近い形状になったネイビーをまじまじと見つめました。
ネイビーは自力でステップを登ることができず、最終的にイグニスが彼女を「抱え上げる」というよりは「運び込む」形で、なんとか馬車の中へと収まりました。
馬車が動き出すと、窓の外には見慣れた王都の景色が流れていきます。
しかし、北へ向かうにつれて、空気の質が明らかに変わっていくのをネイビーは敏感に察知しました。
「……くるわ。くるわよ、セバス。大気の温度が、私の許容範囲を下回ろうとしているわ!」
「お嬢様、落ち着いてください。まだ王都の門を出たばかりです」
ネイビーは馬車の中で、イグニスが護衛のために馬を寄せてくるのを今か今かと待ち構えていました。
やがて、窓のすぐ外にイグニスの姿が見えると、彼女は迷わず窓を全開にしました。
「イグニス様! お願いです、もっと近くに! あなたの魔力の余熱を、この車内に取り込ませてちょうだい!」
「窓を開けたら逆効果だろう! ……くっ、分かった。少しの間だけだぞ」
イグニスが馬を寄せ、窓越しにネイビーの手を握りました。
瞬間、強大な熱が彼女の指先から全身へと駆け巡ります。
「ああ……。生き返りますわ……。これなら、北極点だってピクニック気分で行けますわね」
ネイビーが幸せな吐息を漏らしていた、その時でした。
突如として、馬車の前方を走っていた護衛の騎士たちが、鋭い叫び声を上げました。
「停止せよ! 前方、異常な冷気を確認!」
空が急速に曇り、局所的な猛吹雪が馬車隊を襲いました。
それは自然現象ではなく、明らかに魔法による意図的な攻撃でした。
「……ネイビー、窓を閉めて奥に引っ込んでいろ!」
イグニスの目が、鋭い戦士のものへと変わりました。
吹雪の向こうから、青白い光を放つ魔力弾が次々と撃ち込まれます。
「っ……!? この冷気、先日の魔物以上だわ! 私の馬車の暖房が、一瞬で霜に覆われていく……!」
ネイビーは恐怖に震えました。
馬車の外に現れたのは、全身を氷の鎧で包んだ謎の暗殺者集団でした。
彼らは、王子の側近であるボルドー宰相が差し向けた、ネイビーを「確実に」凍死させるための刺客だったのです。
「ターゲットは公爵令嬢だ。……凍てつく眠りを与えてやれ」
暗殺者の一人が杖を掲げると、馬車の周囲の地面が瞬時に凍りつき、車輪が動かなくなりました。
「……私の旅路を、極寒の地獄に変えようとする不届き者は誰かしら!」
ネイビーは、恐怖を怒りで上書きしました。
彼女は馬車の扉を蹴り開け(実際は服の厚みのせいで体当たりに近い形でしたが)、雪の中に飛び出しました。
「ネイビー!? 外に出るなと言っただろう!」
「イグニス様、あの方たちの顔を見てください! あんなに冷めきった顔をして……! あんな人たちに、私の温かな未来を邪魔させるわけにはいきませんわ!」
ネイビーは、マフラーの隙間から、最新型の「超高出力・拡散型カイロ」を両手に構えました。
「イグニス様、点火をお願いします! 私たちの『共同作業』で、この辺り一帯をサウナに変えてやりましょう!」
「……ははっ、全くだ。お前と一緒にいると、寒さを忘れるな!」
イグニスは不敵に笑うと、ネイビーの手元にある魔導具に、極大の炎魔力を注ぎ込みました。
極寒の雪原で、今、最も「熱い」反撃が始まろうとしていました。
公爵家の玄関先には、ネイビーの門出を見送るために、驚くほど多くの人々が集まっていました。
かつては「氷の女帝」と恐れられていたネイビーですが、今や彼女は、学園を救い、貧しい人々に防寒具を配った「暖炉の聖女」です。
集まった領民や侍女たちは、皆一様に涙を流し、彼女の無事を祈っていました。
「お嬢様、どうか……どうか凍えないでください!」
「あなたが配ってくださったこの腹巻き、一生の宝物にしますわ!」
そんな感動的な光景の中心で、ネイビーは……自分一人の力では一歩も動けない状態になっていました。
「……セ、セバス。これ、さすがに盛りすぎではないかしら? 首が、首が回らないのだけれど」
ネイビーは現在、超極暖の肌着を三枚重ね、その上に厚手のドレス、さらにその上から三種類の異なる毛皮のコートを羽織っていました。
仕上げに、首には三メートルはある長いマフラーがぐるぐると巻き付けられ、もはや顔の半分以上が布に埋もれています。
その姿は、令嬢というよりは「豪華な装飾を施された雪だるま」そのものでした。
「何を仰いますか。これから向かうは魔境。お嬢様の身の安全、すなわち体温の保持こそが、我がアルスター公爵家の最優先事項にございます」
セバスは真剣な顔で、ネイビーの唯一露出している額に、発熱魔法を付与した特製パッチをペタリと貼り付けました。
「……ふぅ。これでようやく、生存の確信が持てましたわ。では、行って参りますわね」
ネイビーは、コロコロと転がるような足取りで、用意された馬車へと向かいました。
その馬車もまた、壁に断熱材が詰め込まれ、床下には常に熱を発する魔導具が設置された「走るオーブン」仕様です。
「……待たせたな。準備はいいか」
馬車の前で待っていたのは、軽装(といってもネイビーから見れば全裸に近い薄着)のイグニスでした。
彼は辺境守備隊の精鋭数名を率い、ネイビーを護衛しながら北を目指します。
「イグニス様! ああ、今日も素晴らしい放射熱ですわ! ……でも、その格好で寒くありませんの?」
「俺は火の加護を受けているからな。それより、お前……その姿で馬車に乗れるのか?」
イグニスは、球体に近い形状になったネイビーをまじまじと見つめました。
ネイビーは自力でステップを登ることができず、最終的にイグニスが彼女を「抱え上げる」というよりは「運び込む」形で、なんとか馬車の中へと収まりました。
馬車が動き出すと、窓の外には見慣れた王都の景色が流れていきます。
しかし、北へ向かうにつれて、空気の質が明らかに変わっていくのをネイビーは敏感に察知しました。
「……くるわ。くるわよ、セバス。大気の温度が、私の許容範囲を下回ろうとしているわ!」
「お嬢様、落ち着いてください。まだ王都の門を出たばかりです」
ネイビーは馬車の中で、イグニスが護衛のために馬を寄せてくるのを今か今かと待ち構えていました。
やがて、窓のすぐ外にイグニスの姿が見えると、彼女は迷わず窓を全開にしました。
「イグニス様! お願いです、もっと近くに! あなたの魔力の余熱を、この車内に取り込ませてちょうだい!」
「窓を開けたら逆効果だろう! ……くっ、分かった。少しの間だけだぞ」
イグニスが馬を寄せ、窓越しにネイビーの手を握りました。
瞬間、強大な熱が彼女の指先から全身へと駆け巡ります。
「ああ……。生き返りますわ……。これなら、北極点だってピクニック気分で行けますわね」
ネイビーが幸せな吐息を漏らしていた、その時でした。
突如として、馬車の前方を走っていた護衛の騎士たちが、鋭い叫び声を上げました。
「停止せよ! 前方、異常な冷気を確認!」
空が急速に曇り、局所的な猛吹雪が馬車隊を襲いました。
それは自然現象ではなく、明らかに魔法による意図的な攻撃でした。
「……ネイビー、窓を閉めて奥に引っ込んでいろ!」
イグニスの目が、鋭い戦士のものへと変わりました。
吹雪の向こうから、青白い光を放つ魔力弾が次々と撃ち込まれます。
「っ……!? この冷気、先日の魔物以上だわ! 私の馬車の暖房が、一瞬で霜に覆われていく……!」
ネイビーは恐怖に震えました。
馬車の外に現れたのは、全身を氷の鎧で包んだ謎の暗殺者集団でした。
彼らは、王子の側近であるボルドー宰相が差し向けた、ネイビーを「確実に」凍死させるための刺客だったのです。
「ターゲットは公爵令嬢だ。……凍てつく眠りを与えてやれ」
暗殺者の一人が杖を掲げると、馬車の周囲の地面が瞬時に凍りつき、車輪が動かなくなりました。
「……私の旅路を、極寒の地獄に変えようとする不届き者は誰かしら!」
ネイビーは、恐怖を怒りで上書きしました。
彼女は馬車の扉を蹴り開け(実際は服の厚みのせいで体当たりに近い形でしたが)、雪の中に飛び出しました。
「ネイビー!? 外に出るなと言っただろう!」
「イグニス様、あの方たちの顔を見てください! あんなに冷めきった顔をして……! あんな人たちに、私の温かな未来を邪魔させるわけにはいきませんわ!」
ネイビーは、マフラーの隙間から、最新型の「超高出力・拡散型カイロ」を両手に構えました。
「イグニス様、点火をお願いします! 私たちの『共同作業』で、この辺り一帯をサウナに変えてやりましょう!」
「……ははっ、全くだ。お前と一緒にいると、寒さを忘れるな!」
イグニスは不敵に笑うと、ネイビーの手元にある魔導具に、極大の炎魔力を注ぎ込みました。
極寒の雪原で、今、最も「熱い」反撃が始まろうとしていました。
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