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「見ろ、ユーミア。……あれが王国の本気だ」
砦の城壁の上。
アレクセイ様が指差した先には、地平線を埋め尽くすほどの軍勢が展開していた。
煌めく槍の穂先、林立する旗印。
重厚な足音が地鳴りのように響いてくる。
その数、三千。
対する我々、辺境騎士団は三百弱。
十倍の兵力差だ。まともにぶつかれば、一時間と持たないだろう。
「壮観ですね」
私は双眼鏡(倍率100倍・録画機能付き)を覗きながら、他人事のように呟いた。
「呑気なことを言っている場合か。……正規軍だけじゃない。東方の傭兵団『赤き蠍』の旗もある。金で動く荒くれ者どもだ」
アレクセイ様の手が、剣の柄を強く握りしめる。
その横顔には、悲壮な決意が滲んでいた。
「ユーミア。もし砦が破られたら、お前だけは地下通路から逃げろ。俺が時間を稼ぐ」
「嫌です」
「ユーミア!」
「だって、逃げたら『実験データ』が取れないじゃないですか」
私はニヤリと笑った。
「安心してください、アレクセイ様。……相手が『数』で来るなら、こちらは『質』……いいえ、『物理法則』で対抗するだけです」
その時。
敵陣の中央から、一台の巨大な輿(こし)が進み出てきた。
馬車ではない。
二十人の屈強な男たちが担ぐ、黄金の神輿(みこし)だ。
その上には、ふんぞり返ったギルバート殿下の姿がある。
「……なんだあれは」
「『高いところが好き』という習性の現れでしょう。猿山の大将と同じです」
殿下が、魔導拡声器を手に立ち上がった。
『聞けぇぇぇ! 逆賊どもよ!』
よく通る声が、戦場に響き渡る。
『私は慈悲深い! 今すぐに門を開け、魔女ユーミアを差し出せば、他の者の命は助けてやる! だが、抵抗するならば……この三千の軍勢で、砦ごと踏み潰してくれるわ!』
「うわぁ、典型的すぎて欠伸が出ますね」
私はマイクのスイッチを入れた。
こちらのスピーカーは、私が開発した『超指向性音響兵器・ボイスバズーカ』だ。
「聞こえてますよー、殿下ー! わざわざ遠足ご苦労様ですー! おやつは三百円までですよー!」
『き、貴様ァ! この期に及んで減らず口を!』
殿下の顔が真っ赤になるのが見えた。
『いいだろう、交渉決裂だ! 思い知らせてやる! 全軍、突撃ぃぃぃ!!』
『『『オオオオオッ!!』』』
三千の兵士が一斉に叫び、大地を揺らして突っ込んできた。
先頭は重装歩兵。
全身を分厚い鉄の鎧で覆い、矢も魔法も弾き返す動く鉄壁だ。
「くっ、重装兵か! 矢が効かんぞ!」
「魔法部隊、詠唱急げ! ……間に合わん、門が破られる!」
砦の騎士たちが動揺する。
圧倒的な質量の暴力。
これが戦争だ。
「アレクセイ様、合図をお願いします」
私は手元のコンソールパネルを開いた。
「……本当にいけるのか?」
「私の計算に間違いはありません。……ただし、ちょっと『くっつく』かもしれませんが」
「?」
アレクセイ様は意味がわからないという顔をしたが、すぐに剣を振り下ろした。
「総員、衝撃に備えよ! ユーミア、やれ!!」
「イエッサー! 作戦名『愛の引力・マグネティック・ストーム』、起動!!」
ポチッ。
私は赤いボタンを叩いた。
ブォン……ブォン……キュイイイイイーン!!!
砦の地下深くに埋設していた、巨大なコイルが唸りを上げた。
膨大な電力が供給され、空間が歪むほどの磁場が発生する。
これは元々、鉱山で『鉄とそれ以外』を分別するために作った超強力電磁石だ。
それを、戦場全体に向けて照射する。
ターゲットは――彼らが身につけている『鉄の鎧』だ。
ズズズ……ッ!
突撃していた重装兵たちの足が、ピタリと止まった。
「な、なんだ!? 体が……重い!?」
「足が上がらん! 地面に吸い付くようだ!」
「剣が! 剣が勝手にぃぃ!?」
ガシャン! ガキン! バチン!
兵士たちの剣や盾が、まるで意思を持ったかのように飛び交い、隣の兵士の鎧に張り付いた。
「うわあああ!? 離れろ! くっつくな!」
「鎧が! 鎧同士が引き合うぅぅ!」
「ギャアアア! おしくらまんじゅう状態だぁぁ!」
重装歩兵たちは、磁力によって強制的に集められ、巨大な『鉄の塊』となって団子状態になった。
数百人が一箇所に凝縮され、身動きが取れない。
『な、なんだこれは!? 何が起きている!?』
神輿の上の殿下が叫ぶ。
「ただの磁石ですよ、殿下! 鉄は磁石にくっつく。小学校で習いませんでした?」
私は高らかに笑った。
「さあ、出力最大! ターゲット変更、戦場にある全ての『金属』!」
キュイイイイーン!!
さらに磁力が強まる。
今度は、後方にいた軽装兵や、傭兵たちの武器までもが空を舞った。
「俺の剣があああ!」
「槍が飛んでいくぅぅ!」
「ベルトのバックルまで持っていかれた! ズボンが落ちる!」
戦場は、武器を奪われ、ズボンを押さえる男たちで溢れかえった。
もはや戦争ではない。コントだ。
「す、凄い……」
アレクセイ様が呆然と呟く。
「血を一滴も流さずに、敵の武装を解除するとは……」
「ええ。リサイクル業者の知恵です」
私はVサインをした。
だが。
このカオスな状況下で、一人だけ無事な男がいた。
『ふ、ふはははは!! 甘い! 甘いぞユーミア!』
ギルバート殿下だ。
彼は金属製の鎧を着ているにも関わらず、磁力の影響を受けずに立っていた。
「あれ? なんで殿下だけくっつかないの?」
「まさか……」
アレクセイ様が目を細める。
『この鎧はな! 伝説の金属『オリハルコン』製なのだ! 魔力を帯びたこの金属は、磁力など受け付けん!』
殿下は高笑いした。
『貴様の小賢しい手などお見通しだ! 私には通じぬ!』
「チッ、金持ちめ」
私は舌打ちした。
オリハルコンは非磁性体だ。計算外だった。
『さらに! 貴様のその兵器にも弱点があるはずだ!』
殿下が扇子を振った。
『出ろ、傭兵部隊! 奴らは「革の鎧」と「木の棍棒」装備だ! 磁石など効かんぞ!』
殿下の号令と共に、戦場の左右から、蛮族のような格好をした男たちが現れた。
金属を一切身につけていない、対・磁石用の特別部隊だ。
「野郎ども! あの女を捕まえろ! 賞金首だ!」
「ヒャッハー! 無防備な砦なんて楽勝だぜ!」
傭兵たちが、磁石で固まった正規軍を迂回して、城壁に迫る。
「くそっ、裏をかかれたか!」
アレクセイ様が剣を抜く。
「総員、白兵戦用意! 壁を登らせるな!」
「待ってください、アレクセイ様」
私は慌てず騒がず、次のスイッチに手をかけた。
「磁石が効かないなら、別の力を使えばいいだけです」
「まだ何かあるのか!?」
「ええ。殿下は『摩擦係数』をご存知かしら?」
ポチッ。
プシューーーッ!!
砦の外壁に設置されたノズルから、大量の透明な液体が噴射された。
それは地面を濡らし、迫りくる傭兵たちの足元を浸した。
「なんだこれ? 水か?」
「ぬるぬるするぞ?」
傭兵の一人が、一歩踏み出した瞬間。
ツルッ!
「あべしっ!?」
派手に転倒し、後頭部を強打した。
「な、なんだ!?」
「滑る! めちゃくちゃ滑るぞ!」
「立てねえ! 立とうとすると股が裂けるぅぅ!」
次々と転び、地面を滑っていく傭兵たち。
そこはまるで、氷上のスケートリンク……いや、それ以上だ。
「これは『超・潤滑ローション(深海魚の粘液入り)』です! 一度踏めば、摩擦係数はほぼゼロ! 蟻一匹這い上がれません!」
「……お前、そんなものを何のために作ったんだ」
「えっと、家具の移動用に……」
「嘘をつけ!」
城壁の下では、強面の傭兵たちがツルツルと滑りながら、
「止まれねえええ!」
「壁にぶつかるぅぅ!」
「だれか止めてくれぇぇ!」
と叫びながら、ピンボールのように転がり回っていた。
「勝負ありですね」
私は腕組みをして頷いた。
「磁石で固めて、ローションで滑らせる。完璧な布陣です」
『お、おのれぇぇぇぇ!!』
神輿の上で、一人取り残された殿下が叫ぶ。
彼の周りの兵士たちは全員、鉄塊になっているか、ローションまみれになっているかだ。
『ふざけるな! 私は王太子だぞ! こんな……こんな子供の悪戯のような手で敗北するなど、認めるものか!』
殿下は怒りのあまり、神輿の上で地団駄を踏んだ。
「あ、殿下。危ないですよ?」
私が注意するより早かった。
殿下のオリハルコンのブーツが、神輿の縁でツルッと滑った。
どうやら、ローションの飛沫がそこまで飛んでいたらしい。
「あ」
『うわぁぁぁぁぁ!?』
ドボンッ!!
殿下は神輿から転落し、眼下に広がっていた「ローションの海」へとダイブした。
「ぶべっ!?」
そして、そのまま勢いに乗って滑り出した。
「た、助けろ! 止まらん! 止まらーん!」
シュァァァァァァ!!
ギルバート殿下は、美しい放物線を描きながら滑走し、鉄塊となっている重装兵の山へと突っ込んだ。
ガシャーン!!
「痛っ!?」
『……ぐふっ』
殿下は、部下の鎧の角に股間を強打し、白目を剥いて気絶した。
「……ホールインワン」
私は静かに拍手した。
「……撤収! 撤収だぁぁ!」
大将が倒れ、戦場がカオス極まる状況に、副官のスナイダー男爵(彼も磁石で柵に張り付いていた)が泣きながら撤退を命じた。
勝った。
三千の大軍を相手に、死者ゼロ(打撲と精神的ダメージ多数)での完全勝利だ。
「……恐ろしい女だ」
アレクセイ様が、心底恐ろしそうに私を見た。
「敵に回さなくて本当によかった……」
「だから言ったでしょう? 科学は魔法を超えるって」
私は勝ち誇った。
だが。
私たちは油断していた。
この無様な敗北が、ギルバート殿下の中に眠る「最後の狂気」を目覚めさせてしまうことを。
そして、ローションまみれの殿下の懐から、ある「黒い魔石」がこぼれ落ち、それが戦場の負の感情を吸って脈動し始めていることに、まだ誰も気づいていなかった。
砦の城壁の上。
アレクセイ様が指差した先には、地平線を埋め尽くすほどの軍勢が展開していた。
煌めく槍の穂先、林立する旗印。
重厚な足音が地鳴りのように響いてくる。
その数、三千。
対する我々、辺境騎士団は三百弱。
十倍の兵力差だ。まともにぶつかれば、一時間と持たないだろう。
「壮観ですね」
私は双眼鏡(倍率100倍・録画機能付き)を覗きながら、他人事のように呟いた。
「呑気なことを言っている場合か。……正規軍だけじゃない。東方の傭兵団『赤き蠍』の旗もある。金で動く荒くれ者どもだ」
アレクセイ様の手が、剣の柄を強く握りしめる。
その横顔には、悲壮な決意が滲んでいた。
「ユーミア。もし砦が破られたら、お前だけは地下通路から逃げろ。俺が時間を稼ぐ」
「嫌です」
「ユーミア!」
「だって、逃げたら『実験データ』が取れないじゃないですか」
私はニヤリと笑った。
「安心してください、アレクセイ様。……相手が『数』で来るなら、こちらは『質』……いいえ、『物理法則』で対抗するだけです」
その時。
敵陣の中央から、一台の巨大な輿(こし)が進み出てきた。
馬車ではない。
二十人の屈強な男たちが担ぐ、黄金の神輿(みこし)だ。
その上には、ふんぞり返ったギルバート殿下の姿がある。
「……なんだあれは」
「『高いところが好き』という習性の現れでしょう。猿山の大将と同じです」
殿下が、魔導拡声器を手に立ち上がった。
『聞けぇぇぇ! 逆賊どもよ!』
よく通る声が、戦場に響き渡る。
『私は慈悲深い! 今すぐに門を開け、魔女ユーミアを差し出せば、他の者の命は助けてやる! だが、抵抗するならば……この三千の軍勢で、砦ごと踏み潰してくれるわ!』
「うわぁ、典型的すぎて欠伸が出ますね」
私はマイクのスイッチを入れた。
こちらのスピーカーは、私が開発した『超指向性音響兵器・ボイスバズーカ』だ。
「聞こえてますよー、殿下ー! わざわざ遠足ご苦労様ですー! おやつは三百円までですよー!」
『き、貴様ァ! この期に及んで減らず口を!』
殿下の顔が真っ赤になるのが見えた。
『いいだろう、交渉決裂だ! 思い知らせてやる! 全軍、突撃ぃぃぃ!!』
『『『オオオオオッ!!』』』
三千の兵士が一斉に叫び、大地を揺らして突っ込んできた。
先頭は重装歩兵。
全身を分厚い鉄の鎧で覆い、矢も魔法も弾き返す動く鉄壁だ。
「くっ、重装兵か! 矢が効かんぞ!」
「魔法部隊、詠唱急げ! ……間に合わん、門が破られる!」
砦の騎士たちが動揺する。
圧倒的な質量の暴力。
これが戦争だ。
「アレクセイ様、合図をお願いします」
私は手元のコンソールパネルを開いた。
「……本当にいけるのか?」
「私の計算に間違いはありません。……ただし、ちょっと『くっつく』かもしれませんが」
「?」
アレクセイ様は意味がわからないという顔をしたが、すぐに剣を振り下ろした。
「総員、衝撃に備えよ! ユーミア、やれ!!」
「イエッサー! 作戦名『愛の引力・マグネティック・ストーム』、起動!!」
ポチッ。
私は赤いボタンを叩いた。
ブォン……ブォン……キュイイイイイーン!!!
砦の地下深くに埋設していた、巨大なコイルが唸りを上げた。
膨大な電力が供給され、空間が歪むほどの磁場が発生する。
これは元々、鉱山で『鉄とそれ以外』を分別するために作った超強力電磁石だ。
それを、戦場全体に向けて照射する。
ターゲットは――彼らが身につけている『鉄の鎧』だ。
ズズズ……ッ!
突撃していた重装兵たちの足が、ピタリと止まった。
「な、なんだ!? 体が……重い!?」
「足が上がらん! 地面に吸い付くようだ!」
「剣が! 剣が勝手にぃぃ!?」
ガシャン! ガキン! バチン!
兵士たちの剣や盾が、まるで意思を持ったかのように飛び交い、隣の兵士の鎧に張り付いた。
「うわあああ!? 離れろ! くっつくな!」
「鎧が! 鎧同士が引き合うぅぅ!」
「ギャアアア! おしくらまんじゅう状態だぁぁ!」
重装歩兵たちは、磁力によって強制的に集められ、巨大な『鉄の塊』となって団子状態になった。
数百人が一箇所に凝縮され、身動きが取れない。
『な、なんだこれは!? 何が起きている!?』
神輿の上の殿下が叫ぶ。
「ただの磁石ですよ、殿下! 鉄は磁石にくっつく。小学校で習いませんでした?」
私は高らかに笑った。
「さあ、出力最大! ターゲット変更、戦場にある全ての『金属』!」
キュイイイイーン!!
さらに磁力が強まる。
今度は、後方にいた軽装兵や、傭兵たちの武器までもが空を舞った。
「俺の剣があああ!」
「槍が飛んでいくぅぅ!」
「ベルトのバックルまで持っていかれた! ズボンが落ちる!」
戦場は、武器を奪われ、ズボンを押さえる男たちで溢れかえった。
もはや戦争ではない。コントだ。
「す、凄い……」
アレクセイ様が呆然と呟く。
「血を一滴も流さずに、敵の武装を解除するとは……」
「ええ。リサイクル業者の知恵です」
私はVサインをした。
だが。
このカオスな状況下で、一人だけ無事な男がいた。
『ふ、ふはははは!! 甘い! 甘いぞユーミア!』
ギルバート殿下だ。
彼は金属製の鎧を着ているにも関わらず、磁力の影響を受けずに立っていた。
「あれ? なんで殿下だけくっつかないの?」
「まさか……」
アレクセイ様が目を細める。
『この鎧はな! 伝説の金属『オリハルコン』製なのだ! 魔力を帯びたこの金属は、磁力など受け付けん!』
殿下は高笑いした。
『貴様の小賢しい手などお見通しだ! 私には通じぬ!』
「チッ、金持ちめ」
私は舌打ちした。
オリハルコンは非磁性体だ。計算外だった。
『さらに! 貴様のその兵器にも弱点があるはずだ!』
殿下が扇子を振った。
『出ろ、傭兵部隊! 奴らは「革の鎧」と「木の棍棒」装備だ! 磁石など効かんぞ!』
殿下の号令と共に、戦場の左右から、蛮族のような格好をした男たちが現れた。
金属を一切身につけていない、対・磁石用の特別部隊だ。
「野郎ども! あの女を捕まえろ! 賞金首だ!」
「ヒャッハー! 無防備な砦なんて楽勝だぜ!」
傭兵たちが、磁石で固まった正規軍を迂回して、城壁に迫る。
「くそっ、裏をかかれたか!」
アレクセイ様が剣を抜く。
「総員、白兵戦用意! 壁を登らせるな!」
「待ってください、アレクセイ様」
私は慌てず騒がず、次のスイッチに手をかけた。
「磁石が効かないなら、別の力を使えばいいだけです」
「まだ何かあるのか!?」
「ええ。殿下は『摩擦係数』をご存知かしら?」
ポチッ。
プシューーーッ!!
砦の外壁に設置されたノズルから、大量の透明な液体が噴射された。
それは地面を濡らし、迫りくる傭兵たちの足元を浸した。
「なんだこれ? 水か?」
「ぬるぬるするぞ?」
傭兵の一人が、一歩踏み出した瞬間。
ツルッ!
「あべしっ!?」
派手に転倒し、後頭部を強打した。
「な、なんだ!?」
「滑る! めちゃくちゃ滑るぞ!」
「立てねえ! 立とうとすると股が裂けるぅぅ!」
次々と転び、地面を滑っていく傭兵たち。
そこはまるで、氷上のスケートリンク……いや、それ以上だ。
「これは『超・潤滑ローション(深海魚の粘液入り)』です! 一度踏めば、摩擦係数はほぼゼロ! 蟻一匹這い上がれません!」
「……お前、そんなものを何のために作ったんだ」
「えっと、家具の移動用に……」
「嘘をつけ!」
城壁の下では、強面の傭兵たちがツルツルと滑りながら、
「止まれねえええ!」
「壁にぶつかるぅぅ!」
「だれか止めてくれぇぇ!」
と叫びながら、ピンボールのように転がり回っていた。
「勝負ありですね」
私は腕組みをして頷いた。
「磁石で固めて、ローションで滑らせる。完璧な布陣です」
『お、おのれぇぇぇぇ!!』
神輿の上で、一人取り残された殿下が叫ぶ。
彼の周りの兵士たちは全員、鉄塊になっているか、ローションまみれになっているかだ。
『ふざけるな! 私は王太子だぞ! こんな……こんな子供の悪戯のような手で敗北するなど、認めるものか!』
殿下は怒りのあまり、神輿の上で地団駄を踏んだ。
「あ、殿下。危ないですよ?」
私が注意するより早かった。
殿下のオリハルコンのブーツが、神輿の縁でツルッと滑った。
どうやら、ローションの飛沫がそこまで飛んでいたらしい。
「あ」
『うわぁぁぁぁぁ!?』
ドボンッ!!
殿下は神輿から転落し、眼下に広がっていた「ローションの海」へとダイブした。
「ぶべっ!?」
そして、そのまま勢いに乗って滑り出した。
「た、助けろ! 止まらん! 止まらーん!」
シュァァァァァァ!!
ギルバート殿下は、美しい放物線を描きながら滑走し、鉄塊となっている重装兵の山へと突っ込んだ。
ガシャーン!!
「痛っ!?」
『……ぐふっ』
殿下は、部下の鎧の角に股間を強打し、白目を剥いて気絶した。
「……ホールインワン」
私は静かに拍手した。
「……撤収! 撤収だぁぁ!」
大将が倒れ、戦場がカオス極まる状況に、副官のスナイダー男爵(彼も磁石で柵に張り付いていた)が泣きながら撤退を命じた。
勝った。
三千の大軍を相手に、死者ゼロ(打撲と精神的ダメージ多数)での完全勝利だ。
「……恐ろしい女だ」
アレクセイ様が、心底恐ろしそうに私を見た。
「敵に回さなくて本当によかった……」
「だから言ったでしょう? 科学は魔法を超えるって」
私は勝ち誇った。
だが。
私たちは油断していた。
この無様な敗北が、ギルバート殿下の中に眠る「最後の狂気」を目覚めさせてしまうことを。
そして、ローションまみれの殿下の懐から、ある「黒い魔石」がこぼれ落ち、それが戦場の負の感情を吸って脈動し始めていることに、まだ誰も気づいていなかった。
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