悪役令嬢は婚約破棄がお好き。

ちゃっぴー

文字の大きさ
1 / 28

1

しおりを挟む
「ミルク・ド・ラテ! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」

王立学園の卒業パーティ会場。

煌びやかなシャンデリアの下、アレクサンダー王子の張り上げた声が響き渡った。

周囲の貴族たちは一斉にざわめき、手に持っていたグラスを落とす者さえいる。

誰もが驚愕の表情を浮かべる中、断罪された当人である私――ミルク・ド・ラテ公爵令嬢は、扇で口元を隠しながら、小さくあくびを噛み殺していた。

(やっと……やっと来たわ!)

扇の下で、口角が吊り上がるのを止められない。

待ちに待った瞬間だ。

この国の第一王子、アレクサンダー。

顔だけは良いが頭の中身は空っぽ、浪費癖があり、私の忠言を「小言」と切り捨てる愚か者。

私にとって彼は、婚約者というよりも「いつ暴落するか分からない不良債権」でしかなかった。

「……殿下。今の言葉、聞き違いではありませんわね?」

私は努めて冷静を装い、確認を取る。

ここで感情的になっては、契約不履行の言質が取れない。

アレクサンダーは隣に侍らせている小柄な少女、男爵令嬢のマリアの肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

「ふん、聞き違いなものか! 私は真実の愛に目覚めたのだ! ここにいるマリアこそが、私の運命の相手。貴様のような冷血で計算高い女は、王妃の器ではない!」

「ひどいですぅ、アレク様ぁ。ミルク様が怖いですぅ……」

マリアがわざとらしく身を震わせ、上目遣いで王子を見上げる。

その瞳には涙が浮かんでいるが、計算され尽くした角度だ。

(あのお涙頂戴演技のレッスン代、いくらかかったのかしら。元が取れるといいけれど)

私は心の中で電卓を叩く。

「貴様はマリアを散々虐めてきたな! 教科書を破いただろう!」

「教科書? ああ、あの中身のない三流学者が書いた歴史書のことですの? あんなもの、資源ゴミに出した方がマシですわ。私が破いたのではなく、製本が甘かっただけでは? 出版社にクレームを入れるべきです」

「ぐっ……! で、では、階段から突き落とした件はどうだ! マリアは怪我をしたんだぞ!」

「物理的に不可能ですわ」

私は即答する。

「その時の現場検証は済ませてあります。マリア様が転げ落ちたと主張する階段の角度と、彼女の体重、そして当時の私の立ち位置。これらを計算すると、私が彼女を突き落とすには腕を三メートル伸ばす必要があります。私はゴム人間ではありませんのよ?」

「へりくつを言うな! とにかく、貴様はマリアの心を傷つけた! その罪は万死に値する!」

王子は顔を真っ赤にして叫ぶ。

論理で勝てないと悟ると、すぐに感情論に逃げる。

これだから成長性のない男は困るのだ。

「精神的苦痛、ですか。なるほど、それは目に見えないコストですから厄介ですわね」

私はパチンと扇を閉じた。

「ですが殿下。貴方は一つ、重大な勘違いをなさっています」

「な、なんだと? 命乞いでもするか?」

「いいえ。私は『同意』しているのです」

私はドレスの隠しポケットから、分厚い羊皮紙の束を取り出した。

それは私が夜なべして作成し、王家紋章入りの封蝋まで準備しておいた『婚約破棄に関する合意契約書(改訂版)』だ。

「さあ、殿下。こちらの書類にサインをお願いします。これで晴れて私たちは赤の他人。貴方はその愛らしいマリア様と結ばれ、私は自由の身です」

「は……?」

アレクサンダーとマリアがぽかんと口を開ける。

周囲のギャラリーも、予想外の展開に静まり返った。

泣いて縋るか、怒り狂うかだと思っていたのだろう。

「なにを呆けていらっしゃいますの? 時は金なり、タイム・イズ・マネーですわ。この会場のレンタル料だって、一分ごとに発生しているのですから」

私は王子の前にずいっと契約書を突き出した。

「な、なんだこれは……」

「見ての通り、円満な婚約破棄のための手続き書類です。ああ、もちろんタダで別れて差し上げるほど、私はお人好しではありません」

私は契約書の第5条を指さした。

そこには、極太の文字で金額が記されている。

「慰謝料、および長年の婚約期間中に我がラテ公爵家が王家に融資した『貸付金』の返済。しめて、国家予算の半分に相当する金額を一括でお支払いいただきます」

「なっ……!?」

王子の目が飛び出るのではないかと思うほど見開かれた。

「こ、こっ……国家予算の半分だと!? ふざけるな! そんな金、払えるわけがないだろう!」

「おや、おかしいですわね。王家は『真実の愛』を手に入れるのでしょう? 愛には無限の価値があるとおっしゃっていたではありませんか。たかだか金貨数億枚程度、愛の重さに比べれば羽毛のような軽さでしょうに」

「ぐぬぬ……!」

「それに、これは正当な請求です。私が貴方のために費やしたドレス代、教育費、マナー講師への謝礼、そして貴方がカジノで負けた際の補填……全て領収書がとってあります」

私はもう一つのポケットから、分厚い領収書の束を取り出し、パラパラと見せびらかした。

その厚みは辞書ほどもある。

「こ、こんなに……?」

マリアが青ざめた顔で呟いた。

彼女は知らなかったのだろう。

この王子の煌びやかな生活が、全て私の財布によって支えられていたことを。

「マリア様も、王太子の婚約者になるのであれば、これくらいの負債は笑顔で背負ってくださいますわよね? なにせ『真実の愛』で結ばれているのですから」

「えっ……い、いや、私は……その……」

マリアが後ずさりする。

「さあ、殿下。サインを。それとも、婚約破棄を撤回しますか? 私はどちらでも構いませんよ。撤回するなら、明日から貴方の小遣いは今の十分の一に減額し、カジノへの出入りも禁止、公務の時間は三倍に増やしますけれど」

「ひっ……!」

王子にとって、それは死刑宣告にも等しいらしかった。

彼は震える手で羽ペンを握りしめ、私を睨みつける。

「お、覚えていろよミルク! 後悔させてやる!」

「ええ、ええ。後悔するのは、利子が膨れ上がってからになさってくださいね」

サラサラとサインがなされる。

その瞬間、私の体内を駆け巡ったのは、どんな宝石よりも輝かしい達成感だった。

(勝った……! 不良債権の損切り(ロスカット)に成功したわ!)

心の中でガッツポーズを決める。

サインされた契約書を素早く回収し、インクが乾いていることを確認して懐にしまう。

この早業は、長年の事務処理で培った賜物だ。

「商談成立ですね。それでは殿下、マリア様。末永くお幸せに(私の視界に入らないところで)」

私は優雅にカーテシー(膝を折る礼)をした。

「あ、そうだ。言い忘れていましたが」

踵を返して去ろうとした私は、ふと思い出して振り返る。

「その契約書には『支払いが滞った場合、担保として王家の所有する未開拓地を譲渡する』という特約条項(オプション)が付いていますので。期日は来月末です。お忘れなく」

「な……なにぃぃぃ!?」

王子の絶叫が会場に木霊する。

しかし、私の耳にはもう届かない。

頭の中はすでに、その「担保」である未開拓地――魔物が住むと言われる辺境の地を、どうやってリゾート開発してやろうかという計画で埋め尽くされていたからだ。

「さて、まずは馬車の中で収支計画書の見直しね」

私は足取り軽く、パーティ会場を後にした。

背後で聞こえる「待て! 話はまだ終わっていない!」という王子の声は、小銭が落ちる音よりも価値のない雑音として処理された。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

『話さない王妃と冷たい王 ―すれ違いの宮廷愛

柴田はつみ
恋愛
王国随一の名門に生まれたリディア王妃と、若き国王アレクシス。 二人は幼なじみで、三年前の政略結婚から穏やかな日々を過ごしてきた。 だが王の帰還は途絶え、宮廷に「王が隣国の姫と夜を共にした」との噂が流れる。 信じたいのに、確信に変わる光景を見てしまった夜。 王妃の孤独が始まり、沈黙の愛がゆっくりと崩れていく――。 誤解と嫉妬の果てに、愛を取り戻せるのか。 王宮を舞台に描く、切なく美しい愛の再生物語。

ミュリエル・ブランシャールはそれでも彼を愛していた

玉菜きゃべつ
恋愛
 確かに愛し合っていた筈なのに、彼は学園を卒業してから私に冷たく当たるようになった。  なんでも、学園で私の悪行が噂されているのだという。勿論心当たりなど無い。 噂などを頭から信じ込むような人では無かったのに、何が彼を変えてしまったのだろう。 私を愛さない人なんか、嫌いになれたら良いのに。何度そう思っても、彼を愛することを辞められなかった。 ある時、遂に彼に婚約解消を迫られた私は、愛する彼に強く抵抗することも出来ずに言われるがまま書類に署名してしまう。私は貴方を愛することを辞められない。でも、もうこの苦しみには耐えられない。 なら、貴方が私の世界からいなくなればいい。◆全6話

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

処理中です...