15 / 28
15
しおりを挟む
「肉を……肉を食わせろぉ!!」
「パール様を呼び戻せ! 我々の肌に潤いと脂質を!」
王宮のバルコニーの下には、見慣れた貴族たちが大挙して押し寄せていた。
普段は優雅に扇を動かし、小指を立てて紅茶を啜っているはずの伯爵や侯爵たちが、今や血走った目で門を揺らしている。
その光景を見下ろしながら、エドワード王子は手すりにつかまって辛うじて立っていた。
「……うう、うるさい。静かにしたまえ、諸君。今は、国家的なダイエット推奨期間なのだ……」
「殿下! もう一週間も、夕食に『茹でもやし』しか出てこないのはどういうことですか!」
最前列で叫んでいるのは、王都でも有数の美食家として知られるデブリス伯爵だった。
かつては立派な太鼓腹を誇っていた彼も、今や見る影もなく、ぶかぶかになった服の中で骸骨のように震えている。
「伯爵、落ち着きなさい。ルルが言っていたよ。もやしには、カリウムが豊富に含まれていると……」
「カリウムで腹が膨れるか! 私は、あのパール様が『脂身が多すぎて胃もたれしそうね』と投げ捨てた、あの五センチ厚のサーロインが食べたいんだ!」
「そうだ! パール様がいた頃は、市場に『おこぼれ』の特上カルビが溢れていた!」
「あの方は買い占めていたのではない! 流通を支配し、我々に最高級の残飯……もとい、余り物を提供してくださっていたのだ!」
エドワードは、めまいに襲われて視界を白く染めた。
パールの追放。
それは、彼にとって「目障りな悪女の排除」だったはずだ。
まさか、それが「王国の食肉供給網の完全停止」を意味していたとは、夢にも思わなかった。
「……ルル。どうにかしてくれ。彼らの怒りを鎮めるんだ」
エドワードが隣を振り返ると、そこには以前にも増して「守ってあげたくなる(というか、今にも倒れそうな)」ルルの姿があった。
「……エドワード様……。ルル、もう……お花が、お肉に見えます……」
「ルル!?」
「あそこの門の飾りが……手羽先に見えて……うふふ、美味しそう……」
ルルの瞳からは理性の光が消え、飢えた獣の眼差しが宿り始めていた。
彼女もまた、極限の空腹により、その可憐な仮面が剥がれ落ちようとしていたのである。
「殿下! 今すぐパール公爵令嬢に謝罪し、王都へ呼び戻してください!」
「さもなくば、我ら貴族連合は、王宮への『野菜の納品』も停止いたしますわよ!」
「なっ……! 野菜まで止められたら、私は何を食えばいいんだ!」
「光合成でもしてろ!!」
痛烈なヤジが飛び、エドワードはショックのあまりその場に膝をついた。
(パール……。あいつ、ただの肉好きの変態だと思っていたが、これほどまでに王国の中心を握っていたのか……)
エドワードは、かつてパールが自分に差し出してきた「手作りレバーパテ」の味を思い出した。
当時は「品がない」と突き返したが、今思えばあれは鉄分不足の自分を気遣った、彼女なりの(肉的な)愛だったのではないか。
「……分かった。分かったから、一旦解散してくれ!」
エドワードは、震える声で文句を垂れる群衆に向けて叫んだ。
「パールに手紙を書く! 『君の悪行は、肉を焼くことで償わせることにした。だから戻ってこい』と、慈悲深い内容で送ってやるから!」
「『悪行』って書く時点でアウトだろ!!」
民衆のツッコミを背に、エドワードは逃げるように執務室へと駆け込んだ。
彼はすぐさま、最高級の羊皮紙を取り出し、ペンを走らせた。
『親愛なるパールへ。君がいなくなってから、王宮のシェフがもやし料理のレパートリーを使い果たしてしまった。君の肉に対する執着は、ある意味で芸術的だったと認めよう。……戻ってきて私にステーキを焼くなら、婚約破棄を撤回してやってもいいぞ』
「……完璧だ。これなら、あいつも泣いて喜んで戻ってくるだろう」
エドワードは、空腹による全能感に包まれながら、手紙に封をした。
彼にはまだ、分かっていなかった。
今のパールにとって、王子の座よりも、辺境でガイが焼く「猪の丸焼き」の方が、一億倍の価値があるということを。
「急げ! この手紙を北の辺境へ届けろ! 馬を潰しても構わん、肉を連れてくるんだ!」
エドワードの悲痛な叫びと共に、一人の伝令が北へと馬を走らせた。
王都の運命は、一通の(勘違いに満ちた)手紙に託されたのである。
「パール様を呼び戻せ! 我々の肌に潤いと脂質を!」
王宮のバルコニーの下には、見慣れた貴族たちが大挙して押し寄せていた。
普段は優雅に扇を動かし、小指を立てて紅茶を啜っているはずの伯爵や侯爵たちが、今や血走った目で門を揺らしている。
その光景を見下ろしながら、エドワード王子は手すりにつかまって辛うじて立っていた。
「……うう、うるさい。静かにしたまえ、諸君。今は、国家的なダイエット推奨期間なのだ……」
「殿下! もう一週間も、夕食に『茹でもやし』しか出てこないのはどういうことですか!」
最前列で叫んでいるのは、王都でも有数の美食家として知られるデブリス伯爵だった。
かつては立派な太鼓腹を誇っていた彼も、今や見る影もなく、ぶかぶかになった服の中で骸骨のように震えている。
「伯爵、落ち着きなさい。ルルが言っていたよ。もやしには、カリウムが豊富に含まれていると……」
「カリウムで腹が膨れるか! 私は、あのパール様が『脂身が多すぎて胃もたれしそうね』と投げ捨てた、あの五センチ厚のサーロインが食べたいんだ!」
「そうだ! パール様がいた頃は、市場に『おこぼれ』の特上カルビが溢れていた!」
「あの方は買い占めていたのではない! 流通を支配し、我々に最高級の残飯……もとい、余り物を提供してくださっていたのだ!」
エドワードは、めまいに襲われて視界を白く染めた。
パールの追放。
それは、彼にとって「目障りな悪女の排除」だったはずだ。
まさか、それが「王国の食肉供給網の完全停止」を意味していたとは、夢にも思わなかった。
「……ルル。どうにかしてくれ。彼らの怒りを鎮めるんだ」
エドワードが隣を振り返ると、そこには以前にも増して「守ってあげたくなる(というか、今にも倒れそうな)」ルルの姿があった。
「……エドワード様……。ルル、もう……お花が、お肉に見えます……」
「ルル!?」
「あそこの門の飾りが……手羽先に見えて……うふふ、美味しそう……」
ルルの瞳からは理性の光が消え、飢えた獣の眼差しが宿り始めていた。
彼女もまた、極限の空腹により、その可憐な仮面が剥がれ落ちようとしていたのである。
「殿下! 今すぐパール公爵令嬢に謝罪し、王都へ呼び戻してください!」
「さもなくば、我ら貴族連合は、王宮への『野菜の納品』も停止いたしますわよ!」
「なっ……! 野菜まで止められたら、私は何を食えばいいんだ!」
「光合成でもしてろ!!」
痛烈なヤジが飛び、エドワードはショックのあまりその場に膝をついた。
(パール……。あいつ、ただの肉好きの変態だと思っていたが、これほどまでに王国の中心を握っていたのか……)
エドワードは、かつてパールが自分に差し出してきた「手作りレバーパテ」の味を思い出した。
当時は「品がない」と突き返したが、今思えばあれは鉄分不足の自分を気遣った、彼女なりの(肉的な)愛だったのではないか。
「……分かった。分かったから、一旦解散してくれ!」
エドワードは、震える声で文句を垂れる群衆に向けて叫んだ。
「パールに手紙を書く! 『君の悪行は、肉を焼くことで償わせることにした。だから戻ってこい』と、慈悲深い内容で送ってやるから!」
「『悪行』って書く時点でアウトだろ!!」
民衆のツッコミを背に、エドワードは逃げるように執務室へと駆け込んだ。
彼はすぐさま、最高級の羊皮紙を取り出し、ペンを走らせた。
『親愛なるパールへ。君がいなくなってから、王宮のシェフがもやし料理のレパートリーを使い果たしてしまった。君の肉に対する執着は、ある意味で芸術的だったと認めよう。……戻ってきて私にステーキを焼くなら、婚約破棄を撤回してやってもいいぞ』
「……完璧だ。これなら、あいつも泣いて喜んで戻ってくるだろう」
エドワードは、空腹による全能感に包まれながら、手紙に封をした。
彼にはまだ、分かっていなかった。
今のパールにとって、王子の座よりも、辺境でガイが焼く「猪の丸焼き」の方が、一億倍の価値があるということを。
「急げ! この手紙を北の辺境へ届けろ! 馬を潰しても構わん、肉を連れてくるんだ!」
エドワードの悲痛な叫びと共に、一人の伝令が北へと馬を走らせた。
王都の運命は、一通の(勘違いに満ちた)手紙に託されたのである。
0
あなたにおすすめの小説
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
「不吉な黒」と捨てられた令嬢、漆黒の竜を「痛いの飛んでいけー!」で完治させてしまう
ムラサメ
恋愛
漆黒の髪と瞳。ただそれだけの理由で「不吉なゴミ」と虐げられてきた公爵令嬢ミア。
死の森に捨てられた彼女が出会ったのは、呪いに侵され、最期を待つ最強の黒竜と、その相棒である隣国の竜騎士ゼノだった。
しかし、ミアが無邪気に放った「おまじない」は、伝説の浄化魔法となって世界を塗り替える。
向こう見ずな天才騎士に拾われたミアは、隣国で「女神」として崇められ、徹底的に甘やかされることに。
一方、浄化の源を失った王国は、みるみるうちに泥沼へと沈んでいき……?
居候と婚約者が手を組んでいた!
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!
って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!
父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。
アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。
最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。
死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?
神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。
(私って一体何なの)
朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。
そして――
「ここにいたのか」
目の前には記憶より若い伴侶の姿。
(……もしかして巻き戻った?)
今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!!
だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。
学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。
そして居るはずのない人物がもう一人。
……帝国の第二王子殿下?
彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。
一体何が起こっているの!?
白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。
「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」
そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。
——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。
「最近、おまえが気になるんだ」
「もっと夫婦としての時間を持たないか?」
今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。
愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。
わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。
政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ
“白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!
婚約破棄されたので、とりあえず王太子のことは忘れます!
パリパリかぷちーの
恋愛
クライネルト公爵令嬢のリーチュは、王太子ジークフリートから卒業パーティーで大勢の前で婚約破棄を告げられる。しかし、王太子妃教育から解放されることを喜ぶリーチュは全く意に介さず、むしろ祝杯をあげる始末。彼女は領地の離宮に引きこもり、趣味である薬草園作りに没頭する自由な日々を謳歌し始める。
断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る
黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」
パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。
(ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる