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収穫祭を明日に控えた、静かな夜のことでした。
私は屋敷の厨房で、祭りの目玉となる『ベルフェゴール特製・魔性の大蒜醤油ソース』の最終調整に勤しんでおりました。
大鍋の中でふつふつと煮えるタレ。
立ち上る香ばしい香りは、空腹の騎士を三キロ先から呼び寄せるほどに強烈です。
「……よし。塩味と甘みの比率は黄金比。あとは、隠し味の熟成脂を足せば……」
「パール、まだやってるのか。根を詰めすぎるなよ」
背後から低く、温かみのある声が響きました。
振り返ると、そこには作業着の袖をまくり、一日の仕事を終えて少し疲れの見え隠れするガイ様の姿がありました。
「ガイ様。ええ、明日の丸焼きを最高の状態でお出ししたいのですもの。……あら、お疲れのようですわね」
私は無意識に、彼の逞しい二の腕に手を伸ばしました。
いつもなら「なんて素晴らしい上腕二頭筋……。良質なタンパク質がぎっしり詰まっていてよ」と、部位としての称賛が口をつくはずでした。
けれど、指先が彼の熱い肌に触れた瞬間――。
ドクン、と。
心臓が、まるで熱した鉄板に落とされた脂身のように跳ね上がったのです。
「……パール? どうした、手が止まってるぞ」
「あ、あの……ガイ様」
「なんだ」
至近距離で、彼の黄金色の瞳が私を射抜きます。
無精髭の混じった顎のライン。
首筋に浮かぶ、野性的な血管の鼓動。
(……おかしいわ。今の私は、あのアゴを『良質な軟骨』として見ているのではなく……その……)
「ガイ様の顔、とても……その、整っていらっしゃいますわね」
「はぁ!? 今更何を言って……。お前、肉の煙に当たりすぎて頭が焼けたのか?」
ガイ様は驚いたように目を見開き、少しだけ顔を赤くして視線を逸らしました。
その反応が、なぜだか堪らなく愛おしく感じられて。
「いいえ。……私、気づいてしまいましたの。ガイ様の育てたお肉が大好きだと思っていましたけれど、それ以上に、そのお肉を誇らしげに語るガイ様のことが……」
「……ことが?」
私は、煮え立つ鍋を放り出して、彼のシャツの裾をギュッと掴みました。
「……大好き、かもしれませんわ。いえ、これはもう『確定』ですわ。希少部位を一口食べた時のような、あの脳が痺れる感覚が、ガイ様を見るたびに起きるのですもの!」
「パール……」
ガイ様は少しの間、呆然と私を見つめていました。
やがて、彼は大きな手でガシガシと頭を掻くと、困ったような、けれど最高に優しい笑みを浮かべました。
「……お前の告白は、最後まで食いもんに例えられるんだな」
「失礼ね。私にとって、それは最大級の賛辞ですわよ?」
「分かってるよ。……俺も、お前が肉を食って幸せそうに笑ってるのを見るのが、何よりの贅沢だ。……この気持ちに、スパイスはいらねえな」
ガイ様の手が、私の頬を包み込みました。
その指先からは、ほんのりと藁と、そして彼が大切に育てている牛たちの香りがしました。
王都のどんな香水よりも、私の心を安らがせる香り。
「ガイ様……」
「……明日の祭りが終わったら、ちゃんと話がある。逃げるなよ」
「逃げませんわ。美味しいものを前にして逃げる令嬢が、どこにいて?」
私たちは、夜の厨房で静かに見つめ合いました。
タレが煮詰まる音だけが、心地よいリズムを刻んでいます。
(……ああ。肉への情熱と、彼への愛情。この二つが煮込まれて、私の人生はなんて濃厚な味わいになってしまったのかしら)
恋という名の未知なる料理。
その火加減は、どんなステーキを焼くよりも難しいけれど。
この人と一緒なら、きっと最高の味に仕上がる……そんな確信を抱いた夜でした。
「さあ、ガイ様! 明日は全力で肉を焼きましょうね!」
「ああ。……まずは寝ろ。明日は体力がいるぞ」
「はい! 夢の中で黒鉄牛とガイ様に追いかけられる準備は万端ですわ!」
「……最後の一言、いらねえだろ」
パールの心に、収穫祭の焚き火よりも熱い炎が灯った瞬間でした。
私は屋敷の厨房で、祭りの目玉となる『ベルフェゴール特製・魔性の大蒜醤油ソース』の最終調整に勤しんでおりました。
大鍋の中でふつふつと煮えるタレ。
立ち上る香ばしい香りは、空腹の騎士を三キロ先から呼び寄せるほどに強烈です。
「……よし。塩味と甘みの比率は黄金比。あとは、隠し味の熟成脂を足せば……」
「パール、まだやってるのか。根を詰めすぎるなよ」
背後から低く、温かみのある声が響きました。
振り返ると、そこには作業着の袖をまくり、一日の仕事を終えて少し疲れの見え隠れするガイ様の姿がありました。
「ガイ様。ええ、明日の丸焼きを最高の状態でお出ししたいのですもの。……あら、お疲れのようですわね」
私は無意識に、彼の逞しい二の腕に手を伸ばしました。
いつもなら「なんて素晴らしい上腕二頭筋……。良質なタンパク質がぎっしり詰まっていてよ」と、部位としての称賛が口をつくはずでした。
けれど、指先が彼の熱い肌に触れた瞬間――。
ドクン、と。
心臓が、まるで熱した鉄板に落とされた脂身のように跳ね上がったのです。
「……パール? どうした、手が止まってるぞ」
「あ、あの……ガイ様」
「なんだ」
至近距離で、彼の黄金色の瞳が私を射抜きます。
無精髭の混じった顎のライン。
首筋に浮かぶ、野性的な血管の鼓動。
(……おかしいわ。今の私は、あのアゴを『良質な軟骨』として見ているのではなく……その……)
「ガイ様の顔、とても……その、整っていらっしゃいますわね」
「はぁ!? 今更何を言って……。お前、肉の煙に当たりすぎて頭が焼けたのか?」
ガイ様は驚いたように目を見開き、少しだけ顔を赤くして視線を逸らしました。
その反応が、なぜだか堪らなく愛おしく感じられて。
「いいえ。……私、気づいてしまいましたの。ガイ様の育てたお肉が大好きだと思っていましたけれど、それ以上に、そのお肉を誇らしげに語るガイ様のことが……」
「……ことが?」
私は、煮え立つ鍋を放り出して、彼のシャツの裾をギュッと掴みました。
「……大好き、かもしれませんわ。いえ、これはもう『確定』ですわ。希少部位を一口食べた時のような、あの脳が痺れる感覚が、ガイ様を見るたびに起きるのですもの!」
「パール……」
ガイ様は少しの間、呆然と私を見つめていました。
やがて、彼は大きな手でガシガシと頭を掻くと、困ったような、けれど最高に優しい笑みを浮かべました。
「……お前の告白は、最後まで食いもんに例えられるんだな」
「失礼ね。私にとって、それは最大級の賛辞ですわよ?」
「分かってるよ。……俺も、お前が肉を食って幸せそうに笑ってるのを見るのが、何よりの贅沢だ。……この気持ちに、スパイスはいらねえな」
ガイ様の手が、私の頬を包み込みました。
その指先からは、ほんのりと藁と、そして彼が大切に育てている牛たちの香りがしました。
王都のどんな香水よりも、私の心を安らがせる香り。
「ガイ様……」
「……明日の祭りが終わったら、ちゃんと話がある。逃げるなよ」
「逃げませんわ。美味しいものを前にして逃げる令嬢が、どこにいて?」
私たちは、夜の厨房で静かに見つめ合いました。
タレが煮詰まる音だけが、心地よいリズムを刻んでいます。
(……ああ。肉への情熱と、彼への愛情。この二つが煮込まれて、私の人生はなんて濃厚な味わいになってしまったのかしら)
恋という名の未知なる料理。
その火加減は、どんなステーキを焼くよりも難しいけれど。
この人と一緒なら、きっと最高の味に仕上がる……そんな確信を抱いた夜でした。
「さあ、ガイ様! 明日は全力で肉を焼きましょうね!」
「ああ。……まずは寝ろ。明日は体力がいるぞ」
「はい! 夢の中で黒鉄牛とガイ様に追いかけられる準備は万端ですわ!」
「……最後の一言、いらねえだろ」
パールの心に、収穫祭の焚き火よりも熱い炎が灯った瞬間でした。
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