6 / 28
6
しおりを挟む
「……はぁ。もう一度、おっしゃってくださる?」
私は、事務机に置かれた高級羽根ペンを置き、目の前の令嬢を凝視した。
相談所の記念すべき第一号クライアント、マリア・ベル公爵令嬢。
彼女は、おっとりとした垂れ目に、今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気を持つ、まさに「守ってあげたい令嬢」の象徴のような女性だ。
「は、はい……。あの、私、アクア様のように……立派な『悪役令嬢』になりたいのですっ!」
マリア様は、小さな拳を握りしめて、震える声で断言した。
……隣で、助手のリルが「は? お姉様のポジションを狙う不届き者ですか?」と、ものすごい形相でメモ帳を握りつぶしている。
「リルさん、落ち着きなさい。……マリア様、一つお聞きしますけれど。なぜ、わざわざ茨の道……いえ、泥沼の道を選ぼうとなさるの? あなたのようなタイプは、黙っていても王子様が助けに来てくれるでしょうに」
「それが……助けに来てくださる婚約者の殿下が、その……浮気をしているんです。しかも、私があまりに何も言わないから『マリアは僕がいなくても生きていける強い女だ(※誤解です)』と言って、平気で他の女性と夜会に行き……」
マリア様は、ポロポロと涙をこぼし始めた。
なるほど。よくある「お人好しすぎて、舐められているパターン」ですわね。
「それで、アクア様のように凛とした……いえ、ドスの利いた声で相手を威圧し、婚約破棄を突きつけてもビクともしない、鋼のメンタルを手に入れたいと思ったのです!」
「マリア様。勘違いしないでいただきたいのですが、私の声は生まれつきですわ。あと、鋼のメンタルではなく、単なる『損得計算の速さ』です」
私はため息をつき、ゼノの方を見た。
彼は部屋の隅で、「お前が教育したら、この国にまた一人怪物が生まれるぞ」と、目で訴えかけてきている。
「いいでしょう。マリア様、悪役令嬢への変身パッケージ……通常なら金貨十枚のところ、初回キャンペーンで金貨七枚で承りますわ。……リルさん、契約書を」
「お姉様、本気ですか!? こんなフワフワした綿菓子みたいな令嬢が、毒霧を吐けるようになるとは思えません!」
「リル、商売に私情を挟まないの。……いいですか、マリア様。まず、悪役令嬢の基本は『声量』と『語尾』ですわ。試しに、私を真似して言ってみてください。……『この、給料泥棒が!』と」
マリア様は、頬を染めながら、おずおずと口を開いた。
「こ、この……きゅうりょうどろぼう……さん……?」
「『さん』はいりませんわ! あと、語尾に音符が見えます! もっと、胃の底から空気を押し出し、相手の心臓に直接、請求書を叩きつけるような気持ちで!」
「は、はい! ……このっ、給料泥棒めっ!」
「……三十分の一点。リルさん、彼女に『悪役令嬢の笑い方・基礎編』を叩き込んで。私は、彼女の婚約者の不貞の証拠を集めるコスト計算をしますわ」
「承知いたしましたわ、お姉様! さあ、マリア様。まずはその『お花畑のような笑顔』を封印することから始めましょう。鏡を見て、自分が『昨日の特売で、目の前で最後の卵を買われた主婦』だと思い込むのです!」
リルの指導は、私以上にスパルタだった。
部屋の向こう側から「おーっほっほっほ!(裏返った声)」という、聞くに耐えない高笑いが響き始める。
「……なぁ、アクア」
ゼノが、いたたまれなくなったのか近寄ってきた。
「なんだ、ゼノ。忙しいのだから、無駄な話なら有料よ」
「いや、あのマリア嬢……あいつの婚約者って、あの『ナルシスト二号』と呼ばれているクロード伯爵だろ? あいつもかなり癖が強いぞ。お前が直接乗り込んだ方が早いんじゃないか?」
「それじゃあビジネスにならないでしょう。クライアント自身が『自分は変わった』という実感を持たなければ、リピーターにはなってくれませんわ。……まぁ、クロード伯爵の資産状況については、既に調査済みですけれど」
私は、手元の資料をゼノに見せた。
そこには、伯爵が浮気相手に贈った宝石の鑑定額と、その資金源がマリア様の家からの「援助」であることを示す完璧な流れ図が描かれていた。
「……お前、いつの間にこんなものを」
「昨夜、リルさんに寝る間も惜しんでゴミ箱を漁らせましたわ」
「お姉様! ゴミ箱の中から、伯爵が書いた『愛のポエム(マリア様宛の使い回し)』を発見しましたわよ!」
リルが、マリア様の特訓を中断して、汚れた紙切れを掲げた。
それを見たマリア様は、一瞬で顔を蒼白にし、次の瞬間には、今までにない冷たい表情を浮かべた。
「……使い回し。私の名前の部分だけ、インクの色が違いますわ……」
「マリア様、今ですわ! その『こいつ、一銭の価値もないわね』という軽蔑の眼差し! それを維持したまま、明日の夜会に乗り込みますわよ!」
私は立ち上がり、マリア様の肩に手を置いた。
「いいですか、マリア様。復讐は、感情ではなく『経済的制裁』で行うのが最も効果的です。明日、あなたが彼に突きつけるのは婚約破棄の言葉ではなく、今まで彼に貢いだ全額の返済請求書。……さあ、最高の笑顔(悪役風)で、彼を破産させに行きましょう」
「……はい、アクア様。私、頑張りますわ。……あいつの資産を、一粒残らず毟り取って差し上げます」
マリア様の瞳から、光が消えた。
代わりに、ドロリとした「何か」が宿り、その口角が不自然に吊り上がる。
「……おい、アクア。本当にとんでもない化け物を生み出したんじゃないか?」
ゼノの引きつった声を無視し、私はリルの持ってきた「追加の請求書」に、マリア様の名前を書き込んだ。
悪役令嬢相談所、最初の勝利は、目前である。
私は、事務机に置かれた高級羽根ペンを置き、目の前の令嬢を凝視した。
相談所の記念すべき第一号クライアント、マリア・ベル公爵令嬢。
彼女は、おっとりとした垂れ目に、今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気を持つ、まさに「守ってあげたい令嬢」の象徴のような女性だ。
「は、はい……。あの、私、アクア様のように……立派な『悪役令嬢』になりたいのですっ!」
マリア様は、小さな拳を握りしめて、震える声で断言した。
……隣で、助手のリルが「は? お姉様のポジションを狙う不届き者ですか?」と、ものすごい形相でメモ帳を握りつぶしている。
「リルさん、落ち着きなさい。……マリア様、一つお聞きしますけれど。なぜ、わざわざ茨の道……いえ、泥沼の道を選ぼうとなさるの? あなたのようなタイプは、黙っていても王子様が助けに来てくれるでしょうに」
「それが……助けに来てくださる婚約者の殿下が、その……浮気をしているんです。しかも、私があまりに何も言わないから『マリアは僕がいなくても生きていける強い女だ(※誤解です)』と言って、平気で他の女性と夜会に行き……」
マリア様は、ポロポロと涙をこぼし始めた。
なるほど。よくある「お人好しすぎて、舐められているパターン」ですわね。
「それで、アクア様のように凛とした……いえ、ドスの利いた声で相手を威圧し、婚約破棄を突きつけてもビクともしない、鋼のメンタルを手に入れたいと思ったのです!」
「マリア様。勘違いしないでいただきたいのですが、私の声は生まれつきですわ。あと、鋼のメンタルではなく、単なる『損得計算の速さ』です」
私はため息をつき、ゼノの方を見た。
彼は部屋の隅で、「お前が教育したら、この国にまた一人怪物が生まれるぞ」と、目で訴えかけてきている。
「いいでしょう。マリア様、悪役令嬢への変身パッケージ……通常なら金貨十枚のところ、初回キャンペーンで金貨七枚で承りますわ。……リルさん、契約書を」
「お姉様、本気ですか!? こんなフワフワした綿菓子みたいな令嬢が、毒霧を吐けるようになるとは思えません!」
「リル、商売に私情を挟まないの。……いいですか、マリア様。まず、悪役令嬢の基本は『声量』と『語尾』ですわ。試しに、私を真似して言ってみてください。……『この、給料泥棒が!』と」
マリア様は、頬を染めながら、おずおずと口を開いた。
「こ、この……きゅうりょうどろぼう……さん……?」
「『さん』はいりませんわ! あと、語尾に音符が見えます! もっと、胃の底から空気を押し出し、相手の心臓に直接、請求書を叩きつけるような気持ちで!」
「は、はい! ……このっ、給料泥棒めっ!」
「……三十分の一点。リルさん、彼女に『悪役令嬢の笑い方・基礎編』を叩き込んで。私は、彼女の婚約者の不貞の証拠を集めるコスト計算をしますわ」
「承知いたしましたわ、お姉様! さあ、マリア様。まずはその『お花畑のような笑顔』を封印することから始めましょう。鏡を見て、自分が『昨日の特売で、目の前で最後の卵を買われた主婦』だと思い込むのです!」
リルの指導は、私以上にスパルタだった。
部屋の向こう側から「おーっほっほっほ!(裏返った声)」という、聞くに耐えない高笑いが響き始める。
「……なぁ、アクア」
ゼノが、いたたまれなくなったのか近寄ってきた。
「なんだ、ゼノ。忙しいのだから、無駄な話なら有料よ」
「いや、あのマリア嬢……あいつの婚約者って、あの『ナルシスト二号』と呼ばれているクロード伯爵だろ? あいつもかなり癖が強いぞ。お前が直接乗り込んだ方が早いんじゃないか?」
「それじゃあビジネスにならないでしょう。クライアント自身が『自分は変わった』という実感を持たなければ、リピーターにはなってくれませんわ。……まぁ、クロード伯爵の資産状況については、既に調査済みですけれど」
私は、手元の資料をゼノに見せた。
そこには、伯爵が浮気相手に贈った宝石の鑑定額と、その資金源がマリア様の家からの「援助」であることを示す完璧な流れ図が描かれていた。
「……お前、いつの間にこんなものを」
「昨夜、リルさんに寝る間も惜しんでゴミ箱を漁らせましたわ」
「お姉様! ゴミ箱の中から、伯爵が書いた『愛のポエム(マリア様宛の使い回し)』を発見しましたわよ!」
リルが、マリア様の特訓を中断して、汚れた紙切れを掲げた。
それを見たマリア様は、一瞬で顔を蒼白にし、次の瞬間には、今までにない冷たい表情を浮かべた。
「……使い回し。私の名前の部分だけ、インクの色が違いますわ……」
「マリア様、今ですわ! その『こいつ、一銭の価値もないわね』という軽蔑の眼差し! それを維持したまま、明日の夜会に乗り込みますわよ!」
私は立ち上がり、マリア様の肩に手を置いた。
「いいですか、マリア様。復讐は、感情ではなく『経済的制裁』で行うのが最も効果的です。明日、あなたが彼に突きつけるのは婚約破棄の言葉ではなく、今まで彼に貢いだ全額の返済請求書。……さあ、最高の笑顔(悪役風)で、彼を破産させに行きましょう」
「……はい、アクア様。私、頑張りますわ。……あいつの資産を、一粒残らず毟り取って差し上げます」
マリア様の瞳から、光が消えた。
代わりに、ドロリとした「何か」が宿り、その口角が不自然に吊り上がる。
「……おい、アクア。本当にとんでもない化け物を生み出したんじゃないか?」
ゼノの引きつった声を無視し、私はリルの持ってきた「追加の請求書」に、マリア様の名前を書き込んだ。
悪役令嬢相談所、最初の勝利は、目前である。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄を伝えられて居るのは帝国の皇女様ですが…国は大丈夫でしょうか【完結】
繭
恋愛
卒業式の最中、王子が隣国皇帝陛下の娘で有る皇女に婚約破棄を突き付けると言う、前代未聞の所業が行われ阿鼻叫喚の事態に陥り、卒業式どころでは無くなる事から物語は始まる。
果たして王子の国は無事に国を維持できるのか?
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
貴方が側妃を望んだのです
cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。
「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。
誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。
※2022年6月12日。一部書き足しました。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
史実などに基づいたものではない事をご理解ください。
※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。
表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。
※更新していくうえでタグは幾つか増えます。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?
魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。
彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。
国外追放の系に処された。
そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。
新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。
しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。
夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。
ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。
そして学校を卒業したら大陸中を巡る!
そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、
鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……?
「君を愛している」
一体なにがどうなってるの!?
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
あの日々に戻りたくない!自称聖女の義妹に夫と娘を奪われた妃は、死に戻り聖女の力で復讐を果たす
青の雀
恋愛
公爵令嬢スカーレット・ロッテンマイヤーには、前世の記憶がある。
幼いときに政略で結ばれたジェミニ王国の第1王子ロベルトと20歳の時に結婚した。
スカーレットには、7歳年下の義妹リリアーヌがいるが、なぜかリリアーヌは、ロッテンマイヤー家に来た時から聖女様を名乗っている。
ロッテンマイヤーは、代々異能を輩出している家柄で、元は王族
物語は、前世、夫に殺されたところから始まる。
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる