悪役令嬢の断罪――え、いま婚約破棄と?聞こえませんでしたわ!

ちゃっぴー

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「……眠れませんわ。この動悸、まさか不整脈かしら。それとも、寝る前に飲んだ安売り茶のカフェインが強すぎたのかしら……」


深夜二時。公爵邸の私の自室。
私はシルクの寝具(※型落ち品を格安で入手)にくるまりながら、天井を見つめていました。
脳裏に焼き付いて離れないのは、昼間の決闘……いえ、あの『褒め殺しコンテスト』でのゼノの言葉です。


『その、泥臭くてケチな優しさが、俺はたまらなく……好きだ』


「……あ、あーっ! 思い出しただけで、顔面の表面温度が上昇して、スキンケア用品の浸透効率が悪くなりますわ!」


私は布団を跳ね除け、机に向かってそろばんを弾き始めました。
感情を制御できない時は、数字に逃げるのが一番です。
私は紙に、大きな文字で『案件:ゼノ・アルタイルへの感情投資』と書き込みました。


「まず、メリット。……有事の際の防衛力の確保。精神的な安定。および、私の毒舌を受け流すことによるストレス解消コストの削減。……これらは計り知れない利益ですわ」


私はペンを走らせます。
「次に、リスク。……独占欲による行動制限。嫉妬による人間関係の複雑化。および、彼に『弱み』を握られることによる、今後の交渉力の低下。……うう、これは大きな負債要因になり得ますわね」


そろばんの玉が、パチパチと乾いた音を立てます。
今までどんな商談も、どんな嫌がらせも、私はこの「損益計算」で乗り越えてきました。
一円の損失も許さず、期待値の低い投資には目もくれない。
それが、悪役令嬢アクア・ラズライトの矜持。


「……でも。……あの時、彼に名前を呼ばれた瞬間。私の胸の奥で、計算機が『測定不能』というエラーを吐いたのは事実。……愛とは、これほどまでに論理を破壊するバグなのですか?」


私が独り言を呟きながら頭を抱えていると、窓がコンコンと軽く叩かれました。
……ここは三階ですわよ?


「……アクア。まだ起きてるのか」


窓を開けると、そこにはロープ一本でバルコニーに登ってきたらしいゼノが、夜風に吹かれて立っていました。
……騎士団の身体能力の無駄遣いですわ。


「ゼノ!? 夜中の不法侵入は、昼間の三倍の罰金ですわよ! それに、そんなところで立ち話をされたら、私の安眠妨害による精神的苦痛代が……」


「……お前の顔を見ないと、俺の方が眠れなかったんだよ」


ゼノは私の毒舌をさらりと無視して、バルコニーの手すりを乗り越え、部屋の中に入ってきました。
月明かりに照らされた彼の顔は、いつになく真剣で、どこか切なげでした。


「……昼間の話、まだ返事を聞いてなかったからな」


「返事? ……あ、あの、魔導具の発送のことなら、三営業日以内と申し上げたはずですわ」


「違うだろ。……俺の、告白の返事だ」


ゼノが一歩、私との距離を詰めました。
狭い部屋の中に、彼の存在感が満ち溢れます。
私は思わず後ずさり、背中が机に当たりました。
机の上には、先ほどの『感情投資』のメモ。……見られたら、私の社会的信用が破綻しますわ!


「……ゼノ。私は、計算のできない投資はいたしません。……あなたのその『好き』という言葉。それが将来的にどれほどの利息を生み、私にどのようなリターンをもたらすのか。……それが証明されない限り、契約は結べませんわ」


私は震える声で、必死に「悪役令嬢」の仮面を被り直しました。
ですが、ゼノは私のそんな虚勢を見透かしたように、小さく笑ったのです。


「証明なら、これから一生かけてやってやるよ。……アクア。俺に、お前の人生という名の『全財産』を預けてみないか? ……絶対に、赤字にはさせない」


「……全財産、ですって? ……それは、私の心も、資産も、未来もすべて、あなたの運用に任せろとおっしゃるの?」


「ああ。……もし損失が出たら、俺の命でお前への借金を返してやる。……これで、契約成立か?」


ゼノが私の手を取り、その甲にそっと唇を寄せました。


「…………。……契約、……検討してあげても、いいですわ」


私は顔を真っ赤にしながら、蚊の鳴くような声で答えました。


「ただし! 初期投資として、明日の朝食はあなたが用意すること。もちろん、食材は公爵家の余り物を使って、コストゼロで最高の一品を作ってくださいな! それができなければ、この契約は白紙ですわよ!」


「……はは、わかったよ。お前の期待に応えるだけの『コスパ最高の朝食』、作ってやる」


ゼノは満足げに笑うと、再び窓から夜の闇へと消えていきました。
……嵐のような男ですわ。


私は一人残された部屋で、机の上のメモをぐしゃぐしゃに丸めました。
損益計算。リスク管理。そんなものは、もうどうでもよくなっていました。


「……バカですわね。私。……こんな、担保も保証もない『恋』なんていう投資に、手を出してしまうなんて」


私は、熱を持った頬を両手で押さえながら、ベッドに潜り込みました。
心臓の鼓動は、まだ早いまま。
ですが、それは不安ではなく、明日という名の「配当」を待ち望む、心地よい高揚感でした。


「お、お姉様ぁぁ!! 今、窓の外から『筋肉の気配』が去っていくのを感じましたわ! まさか深夜の密会!? 増資ですか!? それとも合併の準備ですか!?」


「……リルさん。お願いですから、夜中に叫ぶのはやめてくださる? 私の近隣住民への信用評価が、ストップ安になってしまいますわ……」


幸せという名の、あまりにも巨大な負債。
それを背負って生きていく覚悟を、私はこの夜、ようやく決めたのでした。
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