婚約破棄、ありがとうございます!引継ぎは完璧ですので。

ちゃっぴー

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「……お嬢様。王都から、今度は『正式な公用便』が届きましたわ。差出人は……見るのも汚らわしいですが、ジュリアン殿下です」


翌朝、マーサが銀のトレイに乗せて持ってきたのは、王家の紋章が入った重厚な封書だった。
シェリルは畑で収穫したばかりのラディッシュの泥を落としながら、眉をひそめた。


「公用便? 私、もう公職は辞したはずよ。宛先を間違えているわ、その辺の肥溜めにでも捨てておきなさい」


「そうもいきません。配達員が『命に代えても返信をいただくまでは動かない』と、門の前で土下座したまま硬直しております。放置すると死体になって、掃除の手間が増えますわよ」


「……チッ。掃除の手間が増えるのは非効率ね。貸しなさい」


シェリルは泥だらけの手で乱暴に封を切った。
隣で剣の手入れをしていたウォルフが、興味深そうに首を突っ込んでくる。


「……なんて書いてあるんだ? あの馬鹿王子が反省でもしたか?」


「反省? 彼の辞書にそんな高度な語彙は存在しないわよ。……なになに? 『愛しきシェリルへ』……。げぇっ、冒頭から精神的ダメージを与えてくるわね。毒物混入と同じよ、これ」


シェリルは吐き気を催すような顔をしながら、手紙の内容を読み上げた。


『愛しきシェリルへ。
貴様が去ってから、王宮は少しばかりの混乱にある。ライラは純粋ゆえ、貴様が残した陰湿で複雑な業務に心を痛め、毎日泣いている。
そんな彼女を見て、俺は気づいたのだ。貴様のあの執拗なまでの有能さは、俺の気を引くための歪んだ愛だったのだとな。
特別に許してやる。今すぐ戻り、ライラの補佐官(侍女)として働け。そうすれば、いずれ俺の側室の一人として迎えてやらんこともない。感謝して戻ってくるがいい』


「………………」


読み終えた瞬間、別荘のリビングに氷点下の静寂が訪れた。
ウォルフの周囲から殺気が立ち上り、手入れしていた剣の鞘がミシリと音を立てる。


「……あいつ、死にたいのか? 俺が今すぐ王都へ走って、あの首を物理的に叩き切ってきてもいいんだぞ」


「待ちなさいウォルフ。血を流すのはコストの無駄よ。それに……この手紙、あまりにもツッコミどころが多すぎて、事務屋としての私の魂が黙っていられないわ」


シェリルはどこからか、真っ赤なインクが入ったペンと定規を取り出した。
そして、恐ろしい集中力で手紙に向き合い始めた。


「……お嬢様? 何をされているのですか?」


「デバッグよ、マーサ。この欠陥だらけの文章を、論理的に修正してやるのよ。見てなさい」


シュ、シュシュッ! と激しい音が響く。
シェリルはジュリアンの手紙の至る所に赤線を突き入れ、余白に猛烈な勢いで文字を書き込んでいく。


「まず、この『愛しき』という形容詞。根拠が不明瞭、削除。次に『少しばかりの混乱』。嘘をつきなさい。昨日の物価指数レポートによれば、王都の物流は三割停滞しているわ。正確には『壊滅的な機能不全』と記すべきね」


ペン先が紙を突き破らんばかりの勢いで動く。


「さらにここ! 『ライラは純粋ゆえ』……。いいえ、『ライラは教育課程を修了していないゆえ』が正しいわね。そして最大の間違いはここよ。『側室として迎えてやる』。……笑わせないで。私の時給を計算したことがあるのかしら? 王室の予算で私を雇うなら、国家予算の半分を私の給与に充てなければ計算が合わないわ!」


「……シェリル、顔が怖いぞ。もはや悪役令嬢を通り越して、地獄の裁判官だ」


ウォルフが引き気味に呟くが、彼女は止まらない。
十分後、そこには元の文章が一切判別できないほど「真っ赤」に染まった紙切れが残されていた。


「……よし、完成よ。採点は……マイナス五億点ね。義務教育からやり直してきなさい」


シェリルは修正済みの手紙を、再び封筒に叩き込んだ。


「マーサ、これを門の前で固まっている配達員に渡しなさい。追伸として、『次に応答を求める際は、法的に有効な契約条件と、私の時給に見合う金塊の提示、および殿下の退位届を同封すること』と伝えて」


「承知いたしました。……これは、殿下が読んだら発狂されるでしょうね」


「いいのよ。発狂するリソースがあるなら、少しは文字を覚えるリソースに回せばいいわ。ああ、スッキリした。非論理的な文章を放置するのは、部屋にゴミを溜めるのと同じくらい不快だわ」


シェリルは満足げに、再びラディッシュの選別作業に戻った。
しかし、ウォルフは一人、赤ペンで埋め尽くされた封筒を見つめて考え込んでいた。


「……シェリル。お前、あんなにボロクソに書いているが、結局は『アドバイス』をしてやっているのと同じじゃないか?」


「……は? どこがよ。死刑宣告の間違いでしょう?」


「いや。お前に赤ペンを入れられた書類は、完璧な正解(ルート)が示されている。……殿下がもし、あの赤字をすべて理解して実行したら、あいつは名君になれてしまうぞ」


「……! ……あ」


シェリルは動きを止めた。
確かに、彼女は無意識のうちに、最も「効率的」な国の立て直し方を、修正案という形で提示してしまったのだ。


「……い、いいのよ! あの無能に私の赤字を解読できるリソースがあるはずないわ! おそらく、真っ赤な紙を見て『返り血がついた呪いの手紙だ!』って叫んで逃げ出すのが関の山よ!」


「……だといいがな」


ウォルフは苦笑した。
シェリルは「しまった、タダ働きをしてしまったわ!」と頭を抱え、しばらくその場でのたうち回っていた。


一方その頃、王都。
届けられた「真っ赤な手紙」を手にしたジュリアン王子は、恐怖に震えながら側近に叫んでいた。


「ひぃっ! やはりシェリルは魔女だ! 俺を呪い殺そうとしている! ライラ、ライラはどこだ!? この呪いを解くために、今すぐお茶会の準備をしろ!」


王宮の混乱は、シェリルの「親切な添削」によって、さらに加速していくのであった。
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