婚約破棄、ありがとうございます!引継ぎは完璧ですので。

ちゃっぴー

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「……素晴らしいわ。嵐の後の土壌は適度に水分を含み、私の設計した自動排水システムが見事に機能している。これでジャガイモの成長速度はさらに二パーセント加速するわね」


嵐が過ぎ去った翌朝。
シェリルは泥除けのゴーグルを跳ね上げ、朝日を浴びる畑を眺めて満足げに頷いた。


背後では、昨夜の雨漏り対策で徹夜を強いられたウォルフが、立ったまま眠りそうな勢いで壁に寄りかかっている。


「……お前、あんな嵐の夜の翌朝に、どうしてそんなに元気なんだ。俺はもう、お前の物理学の講義で脳が飽和状態だ」


「失礼ね。あれは生存のための最適解の提示よ。さあ、ウォルフ。そんなところで光合成の邪魔をしていないで、昨日飛んできた枝の片付けを……」


シェリルが言いかけたその時、遠くの街道から、以前の「刺客」たちの馬車とは比較にならないほど重々しい、鐘の音が響いてきた。


一台の、金色の装飾が施された豪奢な馬車。
その屋根には、第一王子ではなく「国王直属」を示す紋章が輝いている。


「……お嬢様、あれは。王都の『典礼官』の馬車ですわ。王の代理人がわざわざこんな辺境まで来るなんて、ただ事ではありません」


マーサが顔を強張らせて外へ出てくる。
シェリルはゴーグルをゆっくりと下ろし、冷ややかな視線を馬車へと向けた。


「……ついに『本丸』が動いたわね。非効率な無能どもを放置しすぎたかしら」


馬車から降りてきたのは、白髪を完璧に整えた老貴族、ガベル伯爵だった。
彼は王宮の事務方を統括する重鎮であり、かつてのシェリルにとっては数少ない「話が通じる相手」でもあった。


「……シェリル・ノーザランド公爵令嬢。お久しゅうございますな」


「ガベル伯爵。ご苦労さまですわ、わざわざこんな泥臭い田舎まで。今の私はただの無職の農婦ですので、公爵令嬢という肩書きは返上させていただいておりますけれど」


シェリルは泥のついた手袋を隠しもせず、優雅に、しかし拒絶の色を隠さずに一礼した。


「……そのお姿、王都で見れば卒倒する者が続出しましょうな。しかし、冗談を言っている余裕はもうございませぬ。……これを受け取られよ」


ガベル伯爵が重々しく差し出したのは、国王の親署と国印が押された、紫色の封筒――「正式召喚状」だった。


「……王命による召喚。拒否すれば反逆罪、というわけね」


「左様。殿下やライラ嬢の失態はもはや隠しきれず、国の根幹が揺らいでおります。陛下は、貴女を『王宮特別顧問』として復職させるよう命じられました」


シェリルは封筒を受け取らず、冷笑を浮かべた。


「特別顧問? 都合のいい言葉ね。要するに、殿下が散らかしたゴミを掃除する『高学歴な掃除婦』に戻れとおっしゃるのね? ……断るわ。私の時給は、今の王国の一年間の税収より高いの。支払えない契約にはサインできないわね」


「……シェリル。王命だぞ。俺がここにいるのも、本来ならお前を連行するためだ」


横からウォルフが低い声で割り込む。
彼の瞳には、職務への忠誠と、シェリルを守りたいという私情が激しく葛藤していた。


「わかっているわよ、ウォルフ。……伯爵、私の体調について、医師の診断書が必要かしら? あいにく私は今、深刻な『王宮アレルギー』を発症しているの。王都の門をくぐった瞬間に、私の全身には蕁麻疹が出て、思考能力はゼロになるわ。そんな顧問、役に立たないでしょう?」


「……左様なお答えをされると思い、陛下より『別の伝言』を預かっております」


ガベル伯爵は表情を変えず、淡々と続けた。


「『もし戻らぬというなら、ノーザランド領の全住民に対する次年度の減税措置を撤回し、逆に十パーセントの有事特別税を課す』……。陛下は、貴女が『効率』のために領民を切り捨てられない性格であることを熟知しておいでだ」


「…………っ! あの狸オヤジ……っ!」


シェリルは初めて、その端正な顔を怒りに歪めた。
自分の不利益なら論破できるが、領民という「資産」を人質に取られるのは、彼女の計算式において最も忌むべき状況だった。


「……卑怯だわ。王という立場を利用して、一人の女性の有給休暇を物理的に圧殺するなんて。これこそが国家規模のパワハラ、非効率の極みよ!」


「……三日後。迎えの馬車が参ります。それまでに、身辺の整理を。……ウォルフ団長、貴殿も軍への復帰命令が出ておりますぞ。職務放棄の罪は、シェリル嬢の説得に免じて不問とするそうです」


伯爵はそれだけ言い残すと、再び馬車に乗り込み、去っていった。


沈黙が場を支配する。
マーサは泣き出しそうな顔でシェリルを見つめ、ウォルフは拳を固く握りしめていた。


「……シェリル。……俺は、お前を無理やり連れて行くつもりはない。……嫌なら、今すぐここを捨てて、隣国へ亡命する手もある。俺が道を切り開いてやる」


ウォルフの言葉は、騎士としての地位も人生も捨てる覚悟に満ちていた。
だが、シェリルは深い溜息をつくと、地面に落ちたゴーグルを拾い上げた。


「亡命? 非効率ね。移動コスト、生活拠点の再構築、言語の壁……。それに、私が逃げれば領民が苦しむ。……そんな負け戦(トレード)、私には選べないわ」


「……じゃあ、戻るのか? あんな、お前を裏切った奴らの元へ」


「……戻るわよ。でも、タダで戻るとは思わないことね」


シェリルの瞳に、王都にいた頃の「冷徹な悪役令嬢」の光が戻った。
だが、その奥にはもっと恐ろしい、復讐という名の「最適化」の炎が宿っている。


「……いいわ。私が戻ることで、どれだけのコストが発生するか……あの狸陛下と馬鹿殿下に、骨の髄まで分からせてあげる。隠居生活の終了? いいえ、これは『王宮の完全解体と再構築(リストラ)』の始まりよ」


シェリルはパチンと指を鳴らした。


「マーサ! 荷造りをしなさい! ただし、ドレスは一着も持っていかないわ。代わりに、私がこの別荘で作った『劇物』と『改良型計算機』をすべて詰め込んで!」


「お、お嬢様! ……また無茶をされるおつもりですね!?」


「無茶じゃないわ。……最高に効率的な『王宮清掃』よ。……ウォルフ、あなたも覚悟しなさい。私の復職初日の仕事は、あなたを『近衛騎士団』から引き抜いて、私の『個人所有物(プライベート・セキュリティ)』に任命することよ」


「……っ。……ああ、了解した。お前の命令なら、地獄まで付き合ってやるよ」


ウォルフが、不敵な笑みを浮かべた。


自由への抵抗は終わり、ついにシェリルが王都へと帰還する。
それは、王国にとっての救済か、あるいは全ての終わりか。


シェリルの頭の中では、すでに王都の人間すべてを「再教育」するための、膨大な計算式が走り始めていた。
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