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「ああ、シェリル! 戻ってきてくれたんだね! やはり君は、俺なしでは生きていけないのだと確信していたよ!」
王宮の玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、待ち構えていたジュリアンが両手を広げて駆け寄ってきた。
その姿は、かつての華やかさはどこへやら。シャツのボタンは掛け違い、髪はボサボサで、目の下には深い隈が刻まれている。
彼はシェリルを抱きしめようと勢いよく飛び込んできたが。
ガツッ。
「……痛っ!? なんだ、鉄の味が……」
「不躾に近づかないでいただけますか、殿下。私のパーソナルスペースに許可なく侵入する行為は、作業効率を著しく低下させる『重大なバグ』と見なしますわ」
シェリルが掲げた「特注・防犯用鉄板入りバインダー」に顔面を強打し、ジュリアンが鼻を押さえてうずくまった。
「な、何を……。君、俺を助けに来てくれたんだろう? 愛の力で、この地獄のような書類の山を片付けてくれるために!」
「勘違いも甚だしいですわね。私は陛下の『脅迫』……失礼、熱烈な要請により、領民の資産を守るための対価としてここに座っているだけです。そこに愛という名の非効率な不純物は一ミリも混入しておりませんわ」
シェリルはゴーグルをカチャリとセットし、背後に控えるウォルフとマーサに鋭い合図を送った。
「ウォルフ、殿下を私から半径三メートル以内に近づかせないで。マーサ、執務室の窓を全開にして換気を。ライラ様、あなたは私の左側に立ちなさい。……作戦開始よ!」
「は、はいっ! シェリル先生、仕分け用の箱、用意できましたぁ!」
ライラが、馬車の中での特訓の成果か、少しだけ引き締まった表情で箱を並べる。
その光景を見たジュリアンは、驚愕に目を見開いた。
「な……ライラ!? どうして君が、そんな事務員のような顔をしてシェリルの隣に……。俺の可愛いライラはどこへ行ったんだ!?」
「殿下……。今の私に話しかけないでください。脳のリソースが勿体ないですぅ」
「な、なんだと……っ!?」
ジュリアンがショックでよろめくが、シェリルはすでに執務机に陣取り、山積みの書類の一番上を手に取っていた。
「……ふむ。まずこれ、予算申請書。……却下! 根拠が不明瞭。次、隣国からの祝辞。……定型文で返信、所要時間十秒。次、殿下の『新しい趣味の乗馬クラブ設立案』。……論外、シュレッダー行き!」
シュレッダーの刃が回転する景気のいい音が、静まり返った部屋に響き渡る。
「待て! それは俺が三日三晩考えて書いた……」
「三日もかけてこれ? 脳の無駄遣いね。……ウォルフ、殿下を黙らせなさい。騒音は思考の邪魔よ」
「了解だ。……殿下、少し静かにしていただきましょうか。……物理的に」
ウォルフがジュリアンの肩に重い手を置き、椅子に押し込める。
その威圧感に、ジュリアンはヒッと声を漏らして震え上がった。
「……信じられん。ウォルフ、貴様までシェリルの味方をするのか? 近衛騎士団長だろう!?」
「俺の主君は、今この瞬間から、この世界で最も『効率的』な人物に切り替わった。……無能な命令を聞くより、彼女の指示に従う方が生存戦略として正しいんでな」
ウォルフの冷徹な言葉が、ジュリアンの胸に突き刺さる。
目の前では、シェリルが恐ろしい速度で書類を捌いていた。
一枚につき、わずか三秒。
目を通し、判断を下し、判を押す。あるいは破り捨てる。
「……お、おい。シェリル……」
「静かに。……ライラ様、この『第十八区の治水工事計画書』、数字がおかしいわ。計算し直しなさい」
「はい! えっと……ここをこうして、こうですぅ!」
「……三秒遅いわ。でも答えは合っている。及第点ね」
「やったぁ!」
ジュリアンは、自分の入り込む隙が微塵もないことに気づき、愕然とした。
かつてのシェリルは、自分がどんなに冷たく接しても、どんなにわがままを言っても、黙って背後で支えてくれていた。
彼はそれを「自分の魅力ゆえの献身」だと思い込んでいたのだ。
しかし、今目の前にいる彼女は、自分を「守るべき対象」ですらなく、単なる「処理を阻害する障害物」としてしか見ていない。
「……俺が、間違っていたのか? シェリルは、こんなに……こんなに、俺を必要としていなかったのか……?」
ようやく訪れた後悔。
自分がいかに貴重な「国家の心臓」を、自らの手で放り出したか。
そして、その心臓は自分がいなくても、どころか、自分という「不純物」がいない方が、より力強く、美しく鼓動するのだという現実。
「……シェリル! 悪かった! 俺が悪かったよ! ライラとのことは忘れてくれ! やっぱり君が、君こそが俺の正妃にふさわしい! 今すぐ婚約破棄を撤回する!」
ジュリアンが泣きながら叫んだ。
シェリルは、手にしていたペンをピタリと止めた。
「……撤回? ……殿下。あなたは、さっきから何を言っているのかしら?」
シェリルがゆっくりと顔を上げ、冷たい微笑を浮かべた。
その瞳には、一欠片の情も宿っていない。
「婚約破棄という名の『不採算部門の切り捨て』は、すでに完了した取引ですわ。それを蒸し返すなんて、契約の基本が分かっていない証拠ね。……それに、私はもう、あなたの隣という『低コスト・低リターン』な場所には興味がないの」
「な、なんだと……? なら、誰の隣に行くと言うんだ!」
「決まっているでしょう」
シェリルは、横に立つウォルフをチラリと見た。
ウォルフは少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべて一歩前に出た。
「……俺の隣だ、殿下。……あいにく、俺はこいつの『非効率な情熱』に、全人生を賭ける(投資する)と決めているんでな」
「う、ウォルフ……貴様……!」
「……さあ、私情の話は終わりよ。殿下、そこに突っ立っているなら、この却下した書類の山を地下の倉庫まで運んでちょうだい。……それが今、あなたの提供できる唯一の労働力価値だわ」
「……う、うわぁぁぁん! シェリルが冷たいよぉぉぉ!」
ジュリアンは情けなく泣き崩れながら、山のような書類を抱えて部屋を出て行った。
「……ふぅ。これでノイズが消えたわね。……ライラ様、続きをやるわよ。夜の十時までに、この塔のような未決済箱をゼロにするわ!」
「はい、シェリル先生! 私、一生ついていきますぅ!」
王宮の執務室。
かつては陰謀と怠慢が支配していたその場所は、今や一人の「元・悪役令嬢」の手によって、世界で最も冷酷で、最も生産性の高い「工場」へと変貌を遂げようとしていた。
王宮の玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、待ち構えていたジュリアンが両手を広げて駆け寄ってきた。
その姿は、かつての華やかさはどこへやら。シャツのボタンは掛け違い、髪はボサボサで、目の下には深い隈が刻まれている。
彼はシェリルを抱きしめようと勢いよく飛び込んできたが。
ガツッ。
「……痛っ!? なんだ、鉄の味が……」
「不躾に近づかないでいただけますか、殿下。私のパーソナルスペースに許可なく侵入する行為は、作業効率を著しく低下させる『重大なバグ』と見なしますわ」
シェリルが掲げた「特注・防犯用鉄板入りバインダー」に顔面を強打し、ジュリアンが鼻を押さえてうずくまった。
「な、何を……。君、俺を助けに来てくれたんだろう? 愛の力で、この地獄のような書類の山を片付けてくれるために!」
「勘違いも甚だしいですわね。私は陛下の『脅迫』……失礼、熱烈な要請により、領民の資産を守るための対価としてここに座っているだけです。そこに愛という名の非効率な不純物は一ミリも混入しておりませんわ」
シェリルはゴーグルをカチャリとセットし、背後に控えるウォルフとマーサに鋭い合図を送った。
「ウォルフ、殿下を私から半径三メートル以内に近づかせないで。マーサ、執務室の窓を全開にして換気を。ライラ様、あなたは私の左側に立ちなさい。……作戦開始よ!」
「は、はいっ! シェリル先生、仕分け用の箱、用意できましたぁ!」
ライラが、馬車の中での特訓の成果か、少しだけ引き締まった表情で箱を並べる。
その光景を見たジュリアンは、驚愕に目を見開いた。
「な……ライラ!? どうして君が、そんな事務員のような顔をしてシェリルの隣に……。俺の可愛いライラはどこへ行ったんだ!?」
「殿下……。今の私に話しかけないでください。脳のリソースが勿体ないですぅ」
「な、なんだと……っ!?」
ジュリアンがショックでよろめくが、シェリルはすでに執務机に陣取り、山積みの書類の一番上を手に取っていた。
「……ふむ。まずこれ、予算申請書。……却下! 根拠が不明瞭。次、隣国からの祝辞。……定型文で返信、所要時間十秒。次、殿下の『新しい趣味の乗馬クラブ設立案』。……論外、シュレッダー行き!」
シュレッダーの刃が回転する景気のいい音が、静まり返った部屋に響き渡る。
「待て! それは俺が三日三晩考えて書いた……」
「三日もかけてこれ? 脳の無駄遣いね。……ウォルフ、殿下を黙らせなさい。騒音は思考の邪魔よ」
「了解だ。……殿下、少し静かにしていただきましょうか。……物理的に」
ウォルフがジュリアンの肩に重い手を置き、椅子に押し込める。
その威圧感に、ジュリアンはヒッと声を漏らして震え上がった。
「……信じられん。ウォルフ、貴様までシェリルの味方をするのか? 近衛騎士団長だろう!?」
「俺の主君は、今この瞬間から、この世界で最も『効率的』な人物に切り替わった。……無能な命令を聞くより、彼女の指示に従う方が生存戦略として正しいんでな」
ウォルフの冷徹な言葉が、ジュリアンの胸に突き刺さる。
目の前では、シェリルが恐ろしい速度で書類を捌いていた。
一枚につき、わずか三秒。
目を通し、判断を下し、判を押す。あるいは破り捨てる。
「……お、おい。シェリル……」
「静かに。……ライラ様、この『第十八区の治水工事計画書』、数字がおかしいわ。計算し直しなさい」
「はい! えっと……ここをこうして、こうですぅ!」
「……三秒遅いわ。でも答えは合っている。及第点ね」
「やったぁ!」
ジュリアンは、自分の入り込む隙が微塵もないことに気づき、愕然とした。
かつてのシェリルは、自分がどんなに冷たく接しても、どんなにわがままを言っても、黙って背後で支えてくれていた。
彼はそれを「自分の魅力ゆえの献身」だと思い込んでいたのだ。
しかし、今目の前にいる彼女は、自分を「守るべき対象」ですらなく、単なる「処理を阻害する障害物」としてしか見ていない。
「……俺が、間違っていたのか? シェリルは、こんなに……こんなに、俺を必要としていなかったのか……?」
ようやく訪れた後悔。
自分がいかに貴重な「国家の心臓」を、自らの手で放り出したか。
そして、その心臓は自分がいなくても、どころか、自分という「不純物」がいない方が、より力強く、美しく鼓動するのだという現実。
「……シェリル! 悪かった! 俺が悪かったよ! ライラとのことは忘れてくれ! やっぱり君が、君こそが俺の正妃にふさわしい! 今すぐ婚約破棄を撤回する!」
ジュリアンが泣きながら叫んだ。
シェリルは、手にしていたペンをピタリと止めた。
「……撤回? ……殿下。あなたは、さっきから何を言っているのかしら?」
シェリルがゆっくりと顔を上げ、冷たい微笑を浮かべた。
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「な、なんだと……? なら、誰の隣に行くと言うんだ!」
「決まっているでしょう」
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ウォルフは少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべて一歩前に出た。
「……俺の隣だ、殿下。……あいにく、俺はこいつの『非効率な情熱』に、全人生を賭ける(投資する)と決めているんでな」
「う、ウォルフ……貴様……!」
「……さあ、私情の話は終わりよ。殿下、そこに突っ立っているなら、この却下した書類の山を地下の倉庫まで運んでちょうだい。……それが今、あなたの提供できる唯一の労働力価値だわ」
「……う、うわぁぁぁん! シェリルが冷たいよぉぉぉ!」
ジュリアンは情けなく泣き崩れながら、山のような書類を抱えて部屋を出て行った。
「……ふぅ。これでノイズが消えたわね。……ライラ様、続きをやるわよ。夜の十時までに、この塔のような未決済箱をゼロにするわ!」
「はい、シェリル先生! 私、一生ついていきますぅ!」
王宮の執務室。
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