この最強悪役令嬢、実は平穏を愛する!

ちゃっぴー

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「待て! 待てと言っているだろう、マグナ!!」


王宮の長い廊下に、レオナルド殿下の怒声が響いた。


私は心の中で盛大に舌打ちをした。


(チッ……。あと数メートルで馬車止まりだったのに。残業確定ね)


くるりと踵を返し、私は能面のような笑顔を貼り付けて振り返る。


「はい、何でございましょうか、殿下。これ以上、私に何か御用がおありで?」


殿下は肩で息をしながら、私の目の前まで迫ってきた。


後ろからは、おろおろとした様子のミナ様もついてきている。


「何でございましょうか、ではない! 貴様、あの態度は何だ!」


「態度、と申されますと?」


「婚約破棄を突きつけられたのだぞ!? もっとこう……泣き崩れるとか、縋り付くとか、あるだろう! それが『承知いたしました』だと? ふざけるな!」


殿下の主張は、相変わらず感情的で非論理的だ。


要するに、「自分が振った女がダメージを受けていないのが気に入らない」という、幼児のような自尊心の問題である。


私は扇子で口元を隠し、冷ややかな視線を送った。


「殿下。私は貴方様の決定を尊重し、速やかに身を引いただけです。それが不服だとおっしゃるのですか? では、婚約破棄は撤回ということで――」


「ち、違う! 撤回はせん! 絶対にだ!」


「でしたら、私の態度は最適解かと存じますが」


「ぐぬぬ……!」


言葉に詰まる殿下を見て、ミナ様が助け舟を出そうと口を開いた。


「あ、あの……マグナお姉様。強がらなくてもいいんですよ? 悲しい時は泣いても……」


「ミナ様」


私はピシャリと彼女の言葉を遮った。


「お気遣いは無用です。それより殿下、わざわざ呼び止めていただいたのですから、ちょうど良い機会ですわ」


「何がだ?」


私は懐(ドレスの隠しポケット)から、分厚い封筒を取り出した。


これは、いつか来るかもしれない「この日」のために、夜なべして作成しておいた秘密兵器である。


「後日郵送とお伝えしましたが、手間が省けました。――こちら、今回の婚約破棄に伴う『精算書』になります」


「……せい、さん?」


殿下がきょとんとした顔で封筒を受け取る。


私は流れるような手つきで、予備の書類を広げて見せた。


「まず、第一項目。精神的苦痛に対する慰謝料。これは相場通りです。次に第二項目、ここが重要です。『過去五年間の未払い労働賃金』」


「は? 労働?」


「ええ。私は王太子妃教育の一環として、殿下の公務の七割を代行しておりました。本来、これは国から報酬が支払われるべき『労働』に該当します。ですが、私は『未来の王族』という名目で無給で働いておりました」


私は人差し指で、書類の数字をトントンと叩く。


「婚約が破棄された以上、私は『未来の王族』ではなくなりました。よって、過去に遡って労働の対価を請求いたします。深夜手当、休日出勤手当、そして私の専門スキルに対する技術料も含めて計算しております」


「な……なんだこの桁は!? いち、じゅう、ひゃく……!?」


殿下の顔色が青ざめていく。


だが、私の説明はまだ終わらない。


「さらに第三項目。『立替金の返済請求』です」


「立替金……?」


「お忘れですか? 先月、殿下が街の宝石商で購入されたミナ様へのプレゼント。あれの請求書、私のところに回ってきていましたので、私が私費で支払っておきました」


「ぶっ!!」


ミナ様が噴き出した。


「えっ、レオナルド様? あれ、私への愛の証じゃ……?」


「あ、いや、その、これは王室の経費で落ちると……」


殿下がしどろもどろになる。


私は構わず続ける。


「経費では落ちません。私的流用です。それから、先々月のカジノでの負け分、その前の酒場でのツケ、壊した馬車の修理費……すべて私が立て替えております。領収書もすべて保管してありますので、ご安心を」


「ご安心できるか!!」


殿下が叫ぶが、私は聞く耳を持たない。


「最後に第四項目。『婚約破棄による予約キャンセル料』です。結婚式場の予約、特注のウェディングドレス、引き出物の手配……すべて私が進めておりましたが、これら全てのキャンセル料は、有責側である殿下にご負担いただきます」


私は書類をめくり、合計金額が書かれたページを突きつけた。


その額は、小国の国家予算並みである。


「……と、いうわけで。こちらの金額を、一括でお支払いいただきます」


「払えるわけがないだろう!!」


「では、分割のご相談にも乗りますが、その場合は利子が付きます。法定金利ギリギリで設定させていただきますが」


「鬼か貴様は!!」


「元婚約者(あくま)ですわ」


私はにっこりと微笑んだ。


「さて、殿下。内容にご異存がなければ、こちらの『債務承認弁済契約書』にサインをお願いします」


私は万年筆を差し出した。


殿下はワナワナと震えている。


「こ、こんなもの……父上に言いつけて……」


「あら? 陛下にはすでに『円満な解決』を報告済みでは? 今さら『元婚約者に借金がありました』なんて言ったら、それこそ廃嫡の危機ではございませんか?」


「うぐっ……」


痛いところを突かれた殿下は、脂汗を流している。


私は畳み掛けるように、優しい声(という名の脅迫)をかけた。


「ご安心ください。サインさえいただければ、陛下には黙っております。殿下のメンツは保たれますわ。……さあ、ここにサインを」


「くっ……くそぉ……!」


殿下は半泣きになりながら、ひったくるように万年筆を取り、書類にサインをした。


ミナ様は、もはや言葉もなく、青ざめた顔でそれを見守っている。


「はい、確かにいただきました」


私はサインの筆跡を確認し、書類を素早く回収して懐にしまった。


これで、私の老後……ではない、これからのバカンス資金は安泰だ。


心の中でガッツポーズをする。


「それでは殿下、ミナ様。今度こそ、本当にお別れです。二度とお会いすることはないでしょう」


私はもう一度、完璧なカーテシーを披露した。


「あ、そうだ」


去り際に、私は思い出したように付け加えた。


「その契約書、明日から効力が発生しますので。第一回目の支払いは来月末です。遅れた場合は、実家の公爵家の弁護士団(エリート集団)が王宮に乗り込みますので、くれぐれもお忘れなく」


「ひぃっ……!」


殿下の短い悲鳴を背中で聞きながら、私は廊下を歩き出した。


靴音が、カツン、カツンと軽快にリズムを刻む。


(終わった……! すべて終わった!)


王宮の出口が見えてくる。


門番が敬礼をして扉を開ける。


そこには、迎えの馬車が待っていた。


「お嬢様、お早かったですね」


御者の老執事、セバスが穏やかな声で迎えてくれる。


「ええ、セバス。最後の仕事(ゴミそうじ)も片付いたわ」


私は馬車に乗り込み、ふぅ、と大きく息を吐いた。


「行き先はどちらへ?」


「もちろん、実家へ。……いや、その前に」


私は窓の外、遠ざかる王宮を見上げた。


あそこで五年間、私は青春のすべてを犠牲にして働いた。


もう、あの石造りの冷たい壁を見なくていいのだ。


「……酒場へ行ってちょうだい。一番高いワインを買って帰るわ。今日は祝杯よ!」


「承知いたしました」


馬車が動き出す。


ガタゴトという揺れすらも、今の私には心地よいゆりかごのように感じられた。


こうして私は、巨額の慰謝料(予定)と自由を手に入れ、高らかに王宮を後にしたのである。


だが。


私が去った後の王宮で、本当の地獄が始まろうとしていることを、私はまだ知る由もなかった。


私が処理していた膨大な業務の山が、明日、雪崩となってレオナルド殿下とミナ様を襲うことになるのだが……。


それはまあ、私の知ったことではない。


(さーて、明日から何をして遊ぼうかしら!)


私は馬車の中で、こっそりと鼻歌を歌うのだった。
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