この最強悪役令嬢、実は平穏を愛する!

ちゃっぴー

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翌朝。


私は宿の食堂で、優雅な朝食を楽しんでいた。


焼きたてのパンに、新鮮な野菜のサラダ、そしてたっぷりのミルクティー。


王宮での朝食は、毒味役がチェックした後で冷めきったスープや、レオナルド殿下の機嫌を伺いながらの胃の痛くなるような食事ばかりだった。


それに比べて、このなんと豊かなことか。


「……美味しい」


しみじみと呟き、私はパンを口に運ぶ。


窓の外は快晴。


今日はこのまま馬車で北へ向かい、途中の景勝地でランチをする予定だ。


完璧なスケジューリングである。


「お代わりはいかがですか、お嬢様」


「ええ、お願いセバス。ミルクをたっぷりとね」


セバスが給仕をしてくれている、その時だった。


ゾクリ。


突然、背筋に冷たいものが走った。


食堂の気温が、一気に五度くらい下がったような感覚。


周囲のざわめきがピタリと止む。


(……何? このプレッシャーは)


私はフォークを止めた。


この感覚には覚えがある。


王宮の会議室で、予算案が通らずにイラついている時の空気。


あるいは、外交交渉で相手国を威圧する時の空気。


つまり――「同類」の気配だ。


「……相変わらず、朝から優雅だな。マグナ・ヴァイオレット」


頭上から降ってきたのは、絶対零度の低音ボイスだった。


私はゆっくりと顔を上げた。


そこに立っていたのは、漆黒のコートを纏った長身の男。


銀色の髪は整えられ、切れ長の青い瞳は氷のように冷たく、そして美しい。


この国の宰相、クラウス・ノワール。


またの名を「氷の宰相」。


「……あら」


私は動揺をおくびにも出さず、ニッコリと微笑んだ。


「これはこれは、宰相閣下ではありませんか。こんな辺境の宿に、何の視察ですの?」


「視察ではない。捜索だ」


クラウスは私の許可も待たずに、向かいの席にドカッと座った。


その動作だけで、周囲の客たちが「ひぃっ」と震えて逃げ出していく。


食堂は一瞬にして、私たちだけの貸切状態となった。


「捜索、ですか? 凶悪犯でも逃げ出しましたか?」


「ああ。極めて優秀で、代わりのきかない『国家の心臓』が逃亡したんでな」


彼はじっと私を見つめた。


その目は充血し、目の下には濃いクマができている。


(うわぁ……。三日……いや、四日は寝てない顔ね)


私は内心でドン引きしつつ、紅茶を啜った。


「それは大変ですわね。一刻も早く見つかるとよろしいですわ」


「ああ、見つけたさ。――目の前にな」


クラウスがテーブルに身を乗り出した。


「単刀直入に言おう。マグナ、王宮に戻れ」


「お断りします」


私は即答した。


食い気味の0.1秒回答である。


「……話を聞け。まだ条件も提示していない」


「条件など関係ありません。私は現在、有給消化中……いえ、無職の自由人です。国家公務員法に基づき、民間人には職業選択の自由があります」


「君がいなくなってから、王宮がどうなったか知っているか?」


「知りませんし、興味もありません」


私はパンにバターを塗りたくった。


クラウスはこめかみをピクピクさせながら、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。


「見ろ」


「嫌です」


「見ろと言っている」


強制的に目の前に突きつけられたその紙には、王宮の現状が箇条書きされていた。


・財務省:予算の計算が合わず、担当者が三人倒れた。

・外務省:隣国への返信状が書けず、戦争の一歩手前。

・レオナルド殿下:書類の山に埋もれて行方不明(物理)。

・ミナ嬢:お茶会を開こうとして、国の重要文化財の壺を割った。


「……ふっ」


私は思わず笑ってしまった。


「あら、失礼。あまりにも予想通りの展開で、つい」


「笑い事ではない。このままでは国家機能が麻痺する」


「それで? それを私にどうしろと?」


「君の能力が必要だ。あの膨大な事務処理能力、的確な判断力、そして殿下や古狸どもを黙らせるあの『圧』。君以外に、あの魔窟を回せる人間はいない」


クラウスは私の手を取り、ギュッと握りしめた。


周囲から見れば、イケメン宰相が元公爵令嬢に愛を乞うているようなロマンチックな構図だろう。


だが、その瞳に宿っているのは愛ではない。


「残業への渇望」だ。


「戻ってきてくれ、マグナ。君のためなら、ポストを用意しよう。財務大臣? それとも副宰相か? 給与は言い値でいい」


甘い囁きのように聞こえるが、その内容は悪魔の契約である。


私は彼の手を、そっと、しかし力強く引き剥がした。


「クラウス様。……いいえ、宰相閣下」


私は冷ややかに告げた。


「貴方、私の肌をご覧になりました?」


「……肌?」


「見てください、このツヤ。王宮にいた頃は土気色だった肌が、たった二日でこんなに血色が良くなったのです」


私は自分の頬を指差した。


「睡眠は八時間。食事は三食温かいもの。ストレスフリーな生活。……これらを捨ててまで、あの地獄に戻る理由がどこにあります?」


「国のためだ」


「私はもう公人ではありません」


「……ならば、私のためだと言ったら?」


クラウスが声を潜めた。


「私は……君がいないとダメなんだ」


ドキリ、とするようなセリフだ。


だが、騙されてはいけない。


翻訳すると「君がいないと僕の睡眠時間が削られて死ぬ」という意味だ。


「お断りです。自分の尻は自分で拭いてください」


私は席を立った。


「セバス、行きましょう。空気が悪くなったわ」


「は、はい」


私が歩き出すと、クラウスが立ち上がった。


「待て! 交渉は決裂したわけではない!」


「決裂です! 未来永劫!」


私は振り返らずに食堂を出ようとした。


その時、クラウスが背後で呟いた。


「……逃がすと思うか?」


その声の冷たさに、私は足を止めた。


「私は『氷の宰相』だぞ。狙った獲物は、地の果てまで追い詰め、凍らせてでも手に入れる」


「……ストーカーとして訴えますわよ?」


「国益のための監視活動だ」


「職権乱用です!」


私は睨み返したが、クラウスは不敵に笑っていた。


その笑顔は、昨日のチンピラよりも遥かに危険な香りがした。


「マグナ。君は辺境の別荘に行くつもりだろう?」


「なっ……なぜそれを」


「君の思考パターンなどお見通しだ。『どうせなら静かな場所で農業でも』……そんなところだろう?」


図星だ。


完全に読まれている。


「偶然だな。私も長期休暇を取って、辺境へ静養に行くことにした」


「はぁ!?」


「目的地は君と同じだ。……道中、よろしく頼むよ」


「嘘でしょう!? 国はどうするのです!?」


「知らん。部下に丸投げしてきた。……君が戻らないなら、私がここで執務をするだけだ。君の隣でな」


クラウスは懐から、分厚い書類の束を取り出した。


「とりあえず、これの決裁を手伝ってくれないか? 報酬は弾む」


「嫌ぁぁぁぁっ!!」


私は悲鳴を上げて、宿の外へと駆け出した。


「馬車を出して! セバス! 今すぐ! 全速力で!」


「お、お嬢様!?」


私は転がり込むように馬車に乗り込んだ。


窓から後ろを見ると、クラウスが優雅に手を振っていた。


その背後には、黒塗りの馬車が控えている。


「ついてくる気だわ……あの男、本気よ!」


恐怖でガタガタと震える。


悪役令嬢として数々の修羅場をくぐってきた私だが、あの「社畜根性」の塊のような男だけは苦手だ。


「逃げるわよセバス! 絶対に、あの男に捕まってたまるもんですか!」


馬車が急発進する。


こうして、私の優雅なバカンスは、最強のストーカー(宰相)との逃走劇へと変わってしまったのである。


追ってくる書類の山。


迫り来るイケメン宰相。


私の安息の地は、一体どこにあるの――!?
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