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「……何かが爆発する音がしたのだけれど」
昼下がりの午後。
私がテラスで読書をしていると、隣のクラウスの屋敷から「ドーン!」という派手な音が聞こえた。
続いて、黒煙がもくもくと窓から吐き出されている。
「敵襲!? 刺客!?」
私は本を投げ捨て、反射的に隣の屋敷へと駆け込んだ。
「クラウス! 無事なの!?」
勝手知ったる(いつの間にか合鍵を渡されていた)玄関を抜け、煙の発生源であるキッチンへと飛び込む。
そこには。
顔中を煤(すす)で真っ黒にした、この国の宰相が立ち尽くしていた。
「……やあ、マグナ。早かったな。避難訓練かい?」
「何が訓練よ! 火事かと思ったじゃない!」
私は咳き込みながら、窓を全開にして換気を行った。
キッチンを見渡すと、そこは戦場跡のようだった。
鍋はひしゃげ、壁には正体不明の黒い粘液が張り付き、床には野菜の死骸が散乱している。
「一体、何を召喚しようとしたの?」
「……昼食を作ろうとしたんだ」
クラウスが気まずそうに目を逸らす。
「昼食? これが?」
「ああ。オムレツを作ろうと思ってね。卵のタンパク質凝固温度と、フライパンの熱伝導率を計算し、炎魔法で『最適温度』を一瞬で与えようとしたんだが……」
「一瞬で高火力を与えたら爆発するに決まってるでしょ! ここは実験室じゃないのよ!」
私は頭を抱えた。
「はぁ……。貴方、もしかして料理したことないの?」
「王宮では料理人がいたからな。だが、理論は完璧だ。レシピ本は暗記している」
「理論と実践は違うの。……貸して」
私はクラウスを押しのけ、惨状の真ん中に立った。
「いいこと? 料理とは『化学実験』ではなく『愛と手間の結晶』よ。……あと、事前の下処理(段取り)が全て!」
私は腕まくりをした。
まず、ひしゃげた鍋を物理(腕力)で修正。
次に、生き残った卵と野菜を確保。
「火加減は魔法じゃなくて、コンロを使うの! 弱火でじっくり!」
手際よくフライパンを振り、卵を流し込む。
ジュワァァ……という小気味良い音が響き、バターの香ばしい匂いが漂う。
数分後。
そこには、ふわふわの黄色いオムレツが完成していた。
「……すごい」
クラウスが目を丸くして見つめている。
「魔法を使っていないのに、なぜこんなに均一な黄色になるんだ? 黄金比か?」
「ただ混ぜて焼いただけです。さあ、座って。焦げた残骸を片付ける前に食べなさい」
ダイニングテーブルに皿を置くと、クラウスはおずおずとスプーンを手に取った。
一口、口に運ぶ。
「……!」
彼の青い瞳が、カッと見開かれた。
「美味い……!!」
「でしょうね。私が作ったんですから」
「信じられない。口の中でとろけるようだ。これは王宮のシェフ以上だぞ」
クラウスは子供のように目を輝かせ、夢中でオムレツを平らげた。
その姿を見て、私はふと、既視感を覚えた。
(あれ? この光景、どこかで……)
そうだ。
王宮にいた頃も、私はこうして「世話」を焼いていた。
書類をなくしたレオナルド殿下のために部屋を掃除し、夜食を作り、翌日の服をコーディネートし……。
「……私、やってること変わらなくない?」
私は愕然とした。
ブラック企業から脱出して、スローライフを満喫するためにここに来たはずだ。
それなのに、なぜ私は今、エプロンをつけて、生活能力ゼロの男の面倒を見ているのか。
「マグナ、お代わりはあるか?」
口の周りにケチャップをつけた「氷の宰相」が、期待に満ちた顔で聞いてくる。
「……ありません。自分で作りなさい」
「無理だ。私がやると、次は家が爆発する」
「脅迫ですか?」
「懇願だ。……君がいないと、私は餓死する自信がある」
クラウスが真顔で言う。
堂々と言うことではない。
しかし、不思議なことに、レオナルド殿下の時のような「イラ立ち」は感じなかった。
殿下は「やってもらって当たり前」という顔をしていた。
「マグナ、遅いぞ」とか「味が薄い」とか文句ばかり言っていた。
でも、クラウスは違う。
「ありがとう、マグナ。君は本当にすごいな」
彼は食べ終わった皿を丁寧に(洗い方は間違っているが)水につけ、私に向かって深々と頭を下げた。
「君のスキルは、やはり国宝級だ。事務処理だけでなく、家事においてもこれほど『合理的かつ芸術的』な手腕を発揮するとは」
「……褒めても何も出ませんよ」
「いや、本心だ。私は、君のそういう『生きる力』の強さに惹かれているんだ」
真っ直ぐな瞳。
嘘もお世辞もない、純粋な敬意。
私は少しだけ、居心地の悪さを感じて視線を逸らした。
「……勘違いしないでください。家が燃えると私の別荘に延焼するから手伝っただけです」
「ああ、わかっている。君は慈悲深いからな」
「慈悲じゃなくてリスク管理です!」
私はエプロンを外し、彼に投げつけた。
「次は洗濯ですか? 掃除ですか? どうせ溜まっているんでしょう?」
「……実は、洗濯物が『絶対零度』で凍りついてしまって困っていたんだ」
「殺菌しようとして氷漬けにしたのね? バカなの?」
結局、その日一日、私はクラウスの屋敷の家事を手伝う羽目になった。
洗濯物を解凍して干し直し、散らかった本をジャンルごとに分類し、ついでに窓ガラスもピカピカに磨き上げた。
「完璧だ……。屋敷が呼吸をしているようだ」
綺麗になったリビングで、クラウスが感動している。
私はソファにどさりと座り込んだ。
「疲れた……。請求書、回しておきますからね」
「ああ。私の全財産で払おう」
「重いわよ」
窓の外は、もう夕暮れだった。
二人で並んで座り、綺麗になった部屋でコーヒーを飲む。
静かな時間。
「……ねえ、クラウス」
「ん?」
「私、王宮を出て自由になりたかったの」
「ああ」
「誰かの尻拭いをする人生は、もう嫌だったの」
「ああ」
「なのに、なんでまた、こうなっているのかしらね」
私は自嘲気味に笑った。
クラウスは静かにコーヒーを置き、私の方を向いた。
「それは、君が『放っておけない人』だからだろう」
「お人好しって言いたいのですか?」
「いや。君は『不完全なもの』を見ると、それを『完全』にせずにはいられない完璧主義者なんだ」
彼は私の手元にあるマグカップを指差した。
「そして、私は君にとって『最高に手のかかる不完全な素材』というわけだ」
「……自分で言わないでください」
「だが、悪くないだろう? 君の手で、私が『人間らしい生活』を学んでいく様を見るのは」
クラウスがふっと笑う。
その笑顔は、いつもの不敵なものではなく、どこか弱気で、儚げなものだった。
「私は仕事しかしてこなかった。政治と魔法以外は、何も知らない空っぽな男だ。……君がいないと、自分が何者かもわからなくなる時がある」
ドキリとした。
この「最強の宰相」が、そんな弱音を吐くなんて。
私はつい、彼の手の甲に自分の手を重ねてしまった。
「……仕方ないですね」
私はため息をついた。
「貴方が一人前の『人間』になるまで、私がコンサルティングしてあげます。……期間限定ですからね」
「ああ。契約成立だ」
クラウスが嬉しそうに私の手を握り返す。
その手は温かく、王宮で感じていた「氷」のような冷たさは、どこにもなかった。
こうして私は、なし崩し的に「宰相の生活指導係」という新たな役職(無給)に就任することになってしまった。
だが、この時の私は気づいていなかった。
この穏やかな時間が、嵐の前の静けさであることを。
王宮からの追っ手は、もうすぐそこまで――それも、最強最悪の「ラスボス」が迫っていることを。
昼下がりの午後。
私がテラスで読書をしていると、隣のクラウスの屋敷から「ドーン!」という派手な音が聞こえた。
続いて、黒煙がもくもくと窓から吐き出されている。
「敵襲!? 刺客!?」
私は本を投げ捨て、反射的に隣の屋敷へと駆け込んだ。
「クラウス! 無事なの!?」
勝手知ったる(いつの間にか合鍵を渡されていた)玄関を抜け、煙の発生源であるキッチンへと飛び込む。
そこには。
顔中を煤(すす)で真っ黒にした、この国の宰相が立ち尽くしていた。
「……やあ、マグナ。早かったな。避難訓練かい?」
「何が訓練よ! 火事かと思ったじゃない!」
私は咳き込みながら、窓を全開にして換気を行った。
キッチンを見渡すと、そこは戦場跡のようだった。
鍋はひしゃげ、壁には正体不明の黒い粘液が張り付き、床には野菜の死骸が散乱している。
「一体、何を召喚しようとしたの?」
「……昼食を作ろうとしたんだ」
クラウスが気まずそうに目を逸らす。
「昼食? これが?」
「ああ。オムレツを作ろうと思ってね。卵のタンパク質凝固温度と、フライパンの熱伝導率を計算し、炎魔法で『最適温度』を一瞬で与えようとしたんだが……」
「一瞬で高火力を与えたら爆発するに決まってるでしょ! ここは実験室じゃないのよ!」
私は頭を抱えた。
「はぁ……。貴方、もしかして料理したことないの?」
「王宮では料理人がいたからな。だが、理論は完璧だ。レシピ本は暗記している」
「理論と実践は違うの。……貸して」
私はクラウスを押しのけ、惨状の真ん中に立った。
「いいこと? 料理とは『化学実験』ではなく『愛と手間の結晶』よ。……あと、事前の下処理(段取り)が全て!」
私は腕まくりをした。
まず、ひしゃげた鍋を物理(腕力)で修正。
次に、生き残った卵と野菜を確保。
「火加減は魔法じゃなくて、コンロを使うの! 弱火でじっくり!」
手際よくフライパンを振り、卵を流し込む。
ジュワァァ……という小気味良い音が響き、バターの香ばしい匂いが漂う。
数分後。
そこには、ふわふわの黄色いオムレツが完成していた。
「……すごい」
クラウスが目を丸くして見つめている。
「魔法を使っていないのに、なぜこんなに均一な黄色になるんだ? 黄金比か?」
「ただ混ぜて焼いただけです。さあ、座って。焦げた残骸を片付ける前に食べなさい」
ダイニングテーブルに皿を置くと、クラウスはおずおずとスプーンを手に取った。
一口、口に運ぶ。
「……!」
彼の青い瞳が、カッと見開かれた。
「美味い……!!」
「でしょうね。私が作ったんですから」
「信じられない。口の中でとろけるようだ。これは王宮のシェフ以上だぞ」
クラウスは子供のように目を輝かせ、夢中でオムレツを平らげた。
その姿を見て、私はふと、既視感を覚えた。
(あれ? この光景、どこかで……)
そうだ。
王宮にいた頃も、私はこうして「世話」を焼いていた。
書類をなくしたレオナルド殿下のために部屋を掃除し、夜食を作り、翌日の服をコーディネートし……。
「……私、やってること変わらなくない?」
私は愕然とした。
ブラック企業から脱出して、スローライフを満喫するためにここに来たはずだ。
それなのに、なぜ私は今、エプロンをつけて、生活能力ゼロの男の面倒を見ているのか。
「マグナ、お代わりはあるか?」
口の周りにケチャップをつけた「氷の宰相」が、期待に満ちた顔で聞いてくる。
「……ありません。自分で作りなさい」
「無理だ。私がやると、次は家が爆発する」
「脅迫ですか?」
「懇願だ。……君がいないと、私は餓死する自信がある」
クラウスが真顔で言う。
堂々と言うことではない。
しかし、不思議なことに、レオナルド殿下の時のような「イラ立ち」は感じなかった。
殿下は「やってもらって当たり前」という顔をしていた。
「マグナ、遅いぞ」とか「味が薄い」とか文句ばかり言っていた。
でも、クラウスは違う。
「ありがとう、マグナ。君は本当にすごいな」
彼は食べ終わった皿を丁寧に(洗い方は間違っているが)水につけ、私に向かって深々と頭を下げた。
「君のスキルは、やはり国宝級だ。事務処理だけでなく、家事においてもこれほど『合理的かつ芸術的』な手腕を発揮するとは」
「……褒めても何も出ませんよ」
「いや、本心だ。私は、君のそういう『生きる力』の強さに惹かれているんだ」
真っ直ぐな瞳。
嘘もお世辞もない、純粋な敬意。
私は少しだけ、居心地の悪さを感じて視線を逸らした。
「……勘違いしないでください。家が燃えると私の別荘に延焼するから手伝っただけです」
「ああ、わかっている。君は慈悲深いからな」
「慈悲じゃなくてリスク管理です!」
私はエプロンを外し、彼に投げつけた。
「次は洗濯ですか? 掃除ですか? どうせ溜まっているんでしょう?」
「……実は、洗濯物が『絶対零度』で凍りついてしまって困っていたんだ」
「殺菌しようとして氷漬けにしたのね? バカなの?」
結局、その日一日、私はクラウスの屋敷の家事を手伝う羽目になった。
洗濯物を解凍して干し直し、散らかった本をジャンルごとに分類し、ついでに窓ガラスもピカピカに磨き上げた。
「完璧だ……。屋敷が呼吸をしているようだ」
綺麗になったリビングで、クラウスが感動している。
私はソファにどさりと座り込んだ。
「疲れた……。請求書、回しておきますからね」
「ああ。私の全財産で払おう」
「重いわよ」
窓の外は、もう夕暮れだった。
二人で並んで座り、綺麗になった部屋でコーヒーを飲む。
静かな時間。
「……ねえ、クラウス」
「ん?」
「私、王宮を出て自由になりたかったの」
「ああ」
「誰かの尻拭いをする人生は、もう嫌だったの」
「ああ」
「なのに、なんでまた、こうなっているのかしらね」
私は自嘲気味に笑った。
クラウスは静かにコーヒーを置き、私の方を向いた。
「それは、君が『放っておけない人』だからだろう」
「お人好しって言いたいのですか?」
「いや。君は『不完全なもの』を見ると、それを『完全』にせずにはいられない完璧主義者なんだ」
彼は私の手元にあるマグカップを指差した。
「そして、私は君にとって『最高に手のかかる不完全な素材』というわけだ」
「……自分で言わないでください」
「だが、悪くないだろう? 君の手で、私が『人間らしい生活』を学んでいく様を見るのは」
クラウスがふっと笑う。
その笑顔は、いつもの不敵なものではなく、どこか弱気で、儚げなものだった。
「私は仕事しかしてこなかった。政治と魔法以外は、何も知らない空っぽな男だ。……君がいないと、自分が何者かもわからなくなる時がある」
ドキリとした。
この「最強の宰相」が、そんな弱音を吐くなんて。
私はつい、彼の手の甲に自分の手を重ねてしまった。
「……仕方ないですね」
私はため息をついた。
「貴方が一人前の『人間』になるまで、私がコンサルティングしてあげます。……期間限定ですからね」
「ああ。契約成立だ」
クラウスが嬉しそうに私の手を握り返す。
その手は温かく、王宮で感じていた「氷」のような冷たさは、どこにもなかった。
こうして私は、なし崩し的に「宰相の生活指導係」という新たな役職(無給)に就任することになってしまった。
だが、この時の私は気づいていなかった。
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