悪役を演じて婚約破棄したのに、なぜか溺愛モードの王子がついてきた!

ちゃっぴー

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「……はあ」

重厚な扉の前で、私は今日何度目か分からないため息をついた。

私の名前はエヴァン。

この国の王太子、キース・フレイ・オルコット殿下の首席補佐官を務めている。

本来であれば、王城の執務室で優雅に紅茶でも飲みながら、部下に指示を出しているはずの時間だ。

しかし、今の私は王都から馬車を飛ばし、わざわざこの「星降る離宮」までやってきている。

理由は単純。

主君が職場放棄をして、ここに引きこもっているからだ。

「『追放された元婚約者の監視』……でしたか。よくもまあ、そんな白々しい嘘を」

私は手にした書類の束を見つめ、また一つため息をついた。

世間では、悪役令嬢ミュール・アークライトが断罪され、過酷な追放刑に処されたことになっている。

だが、実態はただの「王太子の私的な同棲生活」だ。

これをごまかすために、私がどれだけの書類を偽造し、どれだけの貴族を煙に巻いてきたか。

殿下は知る由もないだろう。

「胃が痛い……」

私は懐から常備薬の胃薬を取り出し、噛み砕いた。

苦い。

だが、これから目にする光景よりはマシだろう。

私は気を取り直し、ノックをした。

コンコン。

「殿下、エヴァンでございます。緊急の決裁書類をお持ちしました」

「……どうぞ」

中から、少し不機嫌そうな殿下の声がした。

私は扉を開けた。

「失礼いたしま……す」

言葉が止まった。

そこには、予想通りというか、予想を遥かに超えた光景が広がっていた。

広いソファの上。

キース殿下が優雅に寝そべっている。

ここまではいい。

問題は、その腕の中に、ミュール嬢がすっぽりと収まっていることだ。

しかも、殿下はフォークに刺したカットフルーツ(最高級メロン)を、ミュール嬢の口元に差し出している最中だった。

「ほら、ミュール。あーん」

「いりません! もうお腹いっぱいです!」

「ダメだよ。君は痩せすぎだ。もっと食べて、触り心地を良くしてもらわないと」

「私は食用肉じゃありません!」

「いいから。これを食べないと、今日の『囚人のおやつ』は無しだぞ?」

「そんな殺生な! ……あーん(パクッ)。んぐぐ、美味しいのが悔しい……!」

……。

私は静かに扉を閉めようとした。

「待て、エヴァン。なぜ帰ろうとする」

殿下の鋭い声が飛んできた。

私は諦めて、再び扉を開け放った。

「失礼しました。あまりにもピンク色の空気が充満していたもので、部屋を間違えたかと」

「間違えていない。ここが私の執務室(仮)だ」

「そうですか。では、その執務室(仮)で、囚人(仮)に餌付けをするのはおやめください」

私はツカツカと歩み寄り、テーブルに書類の山をドスンと置いた。

「サインをお願いします。至急です。今日中に王都へ持ち帰らなければ、財務大臣が発狂します」

「えー、面倒くさいな」

殿下は子供のように口を尖らせた。

この国一番の切れ者と称される男の、これが素顔だ。

「ミュール成分が足りないから、ペンが持てない」

「今まさに摂取中でしょうが」

「エヴァン様! 助けてください!」

ミュール嬢が、私を見るなり目を輝かせて身を乗り出した。

その瞳は、救世主を見る縋るような眼差しだ。

「ああっ、エヴァン様! あなたは常識人ですよね!? どうか殿下を止めてください! このままでは私、過食と運動不足でフォアグラになってしまいます!」

「フォアグラ……」

ミュール嬢の悲痛な叫びに、私は同情……しかけて、やめた。

彼女の口元にはメロンの果汁がついているし、その顔色はすこぶる良い。

どう見ても、幸せな軟禁生活だ。

本人が「これは拷問だ」と信じ込んでいる(あるいは思い込もうとしている)だけで。

「ミュール様。残念ながら、それは私の管轄外です」

「えっ!?」

「私の仕事は、殿下に書類へサインをさせること。貴女のカロリー管理は、殿下の趣味(プライベート)ですので」

「そ、そんな……見捨てるのですか!?」

「見捨てるも何も、貴女は今、国で一番安全で豪華な場所にいるのですよ」

私は淡々と告げた。

これ以上、この茶番に付き合っていられない。

「殿下、さっさとサインを。さもないと、この『愛の巣』の維持費の出処を、国王陛下にバラしますよ」

「……チッ」

殿下は舌打ちをした。

効果てきめんだ。

「分かったよ。やればいいんだろう」

殿下は渋々といった様子で身を起こした。

しかし、左手はしっかりとミュール嬢の腰を抱いたままだ。

「あの、殿下? 離してくれないと、書きづらいのでは?」

ミュール嬢がモジモジしながら言う。

「君が動くとペン先がブレる。じっとしていて」

「理不尽です!」

殿下はミュール嬢を抱き枕のように固定したまま、右手で猛然とサインを書き始めた。

サラサラサラサラ……ッ!

相変わらず、異常な処理速度だ。

普段からこのやる気を王城で出してくれれば、私も毎日定時で帰れるのだが。

「……ねえ、エヴァン様」

サインを待つ間、ミュール嬢が小声で話しかけてきた。

「はい、なんでしょう」

「リナは……妹は、元気にしてますか?」

その声は、先ほどまでのふざけた様子とは違い、真剣で、不安げなものだった。

シスコン姉妹の絆は健在か。

私は少しだけ表情を緩めた。

「ええ。とてもお元気ですよ。昨日は『お姉様奪還作戦』の計画書を持って、騎士団長のところへ殴り込みに行こうとしていましたが」

「止めなさいよ!?」

「もちろん、全力で阻止しました。今は『次期王妃修行』という名目で、王城の礼儀作法の教師たちに囲まれています」

「ああ、よかった……。リナ、頑張ってね……」

ミュール嬢はホッと胸を撫で下ろした。

「でも、リナ様は言っていましたよ。『お姉様がいない王城なんて、いちごの載っていないショートケーキです』と」

「リナ……っ!」

ミュール嬢の目が潤む。

「『だから、早くお姉様を迎えに行って、二人でショートケーキを食べ尽くします』とも」

「後半、食い気が勝ってるじゃない!」

「まあ、とにかくお元気です。貴女が心配する必要はありません」

「そうですか……ありがとうございます」

ミュール嬢は嬉しそうに微笑んだ。

その笑顔を見て、殿下が不機嫌そうにペンの動きを止めた。

「エヴァン」

「はい」

「ミュールと仲良く喋らないでくれるかな。嫉妬で書類を破りそうだ」

「子供ですか貴方は」

私は呆れて首を振った。

「だいたい、貴女も貴女です、ミュール様。いつまで『被害者』ぶっているのですか」

「え?」

「殿下のこの態度を見れば分かるでしょう。これは監禁でも追放でもない。ただの……」

「ただの?」

私は言いかけて、やめた。

ここで「溺愛」だの「新婚ごっこ」だのと言ってしまったら、この鈍感な令嬢はパニックを起こして逃げ出そうとするかもしれない。

そうなれば、また殿下が面倒な手段(鎖など)を持ち出し、その事後処理をするのは私だ。

業務効率化のためには、彼女には今のまま「勘違い」していてもらった方が都合がいい。

「……ただの、殿下の『暇つぶし』ですよ」

私は無難な言葉を選んだ。

「暇つぶし……。そうですよね! 殿下は私をいじめて楽しんでいるだけなんですよね!」

ミュール嬢は妙に納得した顔で頷いた。

「そういうことにしておきましょう」

「よし、終わったぞ」

殿下が最後の書類にサインを書き終え、ペンを投げ出した。

「ご苦労様です」

私は書類を素早く回収し、確認する。

完璧だ。

これで今日の業務は終わる。

「では、私はこれで失礼します。王城に戻らねばなりませんので」

「えっ、もう帰っちゃうんですか? お茶くらい飲んでいきませんか?」

ミュール嬢が名残惜しそうに言う。

私という「第三者」がいなくなることで、また二人きりの甘い時間が始まるのが怖いのだろう。

「いえ、遠慮しておきます。これ以上ここにいると、胃に穴が空きそうですから」

「胃? 大丈夫ですか? ストレスですか?」

「ええ、極度のストレスです。主に、目の前のバカップ……いえ、主君のせいで」

私は殿下を一瞥した。

殿下は「早く帰れ」と言わんばかりに手をシッシッと振っている。

まったく。

「ミュール様。一つだけ忠告しておきます」

私は最後に、慈悲の心で助言を残すことにした。

「はい?」

「殿下の『おねだり』は、適当に聞き流した方が身のためですよ。真に受けていると、そのうち骨の髄まで愛され……しゃぶり尽くされますからね」

「ひえっ……」

ミュール嬢が青ざめて殿下から距離を取ろうとする。

殿下はニヤリと笑って、その腰を引き寄せた。

「余計なことを言うな、エヴァン。……さあ、ミュール。書類仕事で疲れたから、膝枕をしてくれないか?」

「嫌です! エヴァン様の忠告に従って聞き流します! あーあー聞こえないー!」

「つれないなぁ。じゃあ、口移しで癒やしてもらうしかないか」

「選択肢が極端!!」

ギャーギャーと騒がしい二人を背に、私は執務室を出た。

扉を閉めた瞬間、ふっと静寂が訪れる。

「……やれやれ」

私は空を見上げた。

王都の空は青い。

私の胃も、いつか晴れる日が来るのだろうか。

「次は胃薬を増量してこよう」

私は固く誓い、馬車へと足を向けた。

とりあえず、今日の日報には『異常なし。対象者は極めて健康(精神面を除く)』と書いておくことにしよう。
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