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「逃げるわよ。絶対に逃げ切ってみせるわ」
王城の自室(キース様の寝室の隣)に戻った私は、クローゼットをひっくり返しながら呟いた。
「このままじゃ、本当に外堀も内堀も埋められて、気づいたら結婚式場よ」
リナが王妃になる気がない以上、私がここに留まる理由はない。
むしろ、私がここにいることで、キース様との結婚が既成事実化してしまうのが一番マズい。
「ほとぼりが冷めるまで、そうね……隣国のさらに向こう、東方の島国あたりまで逃げれば、さすがの殿下も追ってこられないでしょう」
私はトランクに荷物を詰め込んだ。
ドレスは邪魔になるから、動きやすい乗馬服と、着替えを数着。
現金と宝石(逃亡資金)。
そして、リナのアルバム(厳選した3冊)。
「よし、準備完了。あとは脱出ルートね」
私は窓から下を見下ろした。
ここは三階。
飛び降りたらタダでは済まない。
「定番だけど、これしかないわね」
私はベッドのシーツを引き剥がし、カーテンと結び合わせて一本の長いロープを作った。
それをバルコニーの手すりにしっかりと結びつける。
「見てなさい。悪役令嬢は、いざという時の行動力が違うのよ!」
私は手袋をはめ、シーツのロープを伝って、するすると壁を降りていった。
風が冷たい。
下を見ると足がすくむが、ここで怯んではいけない。
「……着地!」
ふわり、と芝生の上に降り立つ。
成功だ。
周囲を見回す。衛兵の姿はない。
「ちょろいものね。王城の警備なんてザルだわ」
私はフードを目深にかぶり、忍び足で庭園を横切った。
目指すは裏門近くにある厩舎(きゅうしゃ)だ。
あそこで馬を拝借し、そのまま夜の闇に紛れて王都を脱出する。
完璧な計画だ。
ザッ、ザッ、ザッ……。
砂利を踏む音がやけに大きく聞こえる。
心臓がバクバクとうるさい。
(大丈夫、バレてない。誰も気づいてない……)
私は自分に言い聞かせながら、厩舎の影に滑り込んだ。
馬たちのいななきと、藁(わら)の匂いがする。
「静かにね、いい子たち」
私は一番足の速そうな黒馬に近づき、手早く鞍(くら)をつけた。
「さあ、行くわよ。私を自由の国へ連れて行って!」
私は手綱を握り、馬に跨ろうとした。
その時だった。
「……やあ。奇遇だね」
暗闇の中から、聞き覚えのある、甘く低い声がした。
「ひえっ!?」
私は飛び上がった。
声のした方を見る。
厩舎の隅、藁(わら)の山の上に、一人の男が優雅に腰掛けていた。
月明かりに照らされたその顔は、憎らしいほど美しく、そして楽しげに笑っていた。
「き、キース様!?」
「こんばんは、ミュール。こんな夜更けに、乗馬の練習かい?」
キース様は手に持っていたリンゴを、シャクッと齧った。
「な、なんで……どうしてここに!?」
「どうしてって、君がここに来ると思ったからだよ」
「は?」
「君の部屋の窓からシーツが垂れ下がっているのを見つけてね。『ああ、これは古典的な脱出劇が始まるな』と思って、先回りして待っていたんだ」
「嘘でしょ!? いつの間に!?」
「君が『ちょろいものね』と呟きながら庭を横切っている間に、僕はショートカットしてここに来た」
バレてた!
全部見られてた!
恥ずかしい!
「それに、その馬」
キース様が私が乗ろうとした黒馬を指差す。
「僕の愛馬『シャドウ・ウィンド号』だね。お目が高い。王城で一番速い馬だよ」
「そ、そうなの? じゃあ、これをお借りして……」
「うん。実は君のために、蹄鉄(ていてつ)を新品に交換しておいたんだ。長旅になるだろう?」
「え?」
キース様が藁山から降りてきて、馬の首をポンポンと叩いた。
「鞍袋には、水と食料、それに当面の路銀も入れてある。あと、君が好きな焼き菓子もね」
「は、はい?」
話がおかしい。
なぜ逃亡の手助けをしている?
「ど、どういうつもりですか? 私を捕まえるんじゃないんですか?」
「捕まえる? まさか」
キース様がニヤリと笑った。
その笑顔は、獲物を前にした肉食獣のそれだった。
「これは『ゲーム』だよ、ミュール」
「ゲーム?」
「そう。『王城脱出鬼ごっこ』だ。君が逃げる役、僕が追う役」
キース様が私に顔を近づける。
「君が王都の門を出たら、君の勝ち。僕がそれまでに君を捕まえたら、僕の勝ちだ」
「……賞品は?」
「君が勝ったら、国外逃亡を黙認してあげよう。もし僕が勝ったら……」
彼は私の耳元で囁いた。
「君は大人しく観念して、来月の結婚式でウェディングドレスを着るんだ」
「っ……!!」
究極の二択だ。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
「……乗ったわ!」
私は馬に飛び乗った。
「受けて立つわよ、その勝負! 見てなさい、私の逃げ足の速さを!」
「いいね、その意気だ」
キース様が楽しそうに手を叩く。
「では、スタート!」
私は馬の腹を蹴った。
ヒヒィィン!
シャドウ・ウィンド号が嘶き、矢のように駆け出す。
「あははは! 待てー!」
背後から、キース様の笑い声が聞こえる。
彼も別の馬に飛び乗り、追いかけてくる気配がした。
こうして、深夜の王城を舞台にした、前代未聞の「王太子カップル(仮)による壮大な鬼ごっこ」が幕を開けた。
……ちなみに。
この時、私は気づいていなかった。
私の部屋のバルコニーで、垂れ下がったシーツを見下ろしながら、妹のリナが悔しそうに地団駄を踏んでいたことを。
「むきーっ! お姉様ったら、私を置いて逃げるなんてズルいです! 私も混ぜなさいよー!」
そして彼女が、飛行魔法を使って空から参戦しようと準備を始めていることを。
私の逃亡劇は、まだ始まったばかりだった。
王城の自室(キース様の寝室の隣)に戻った私は、クローゼットをひっくり返しながら呟いた。
「このままじゃ、本当に外堀も内堀も埋められて、気づいたら結婚式場よ」
リナが王妃になる気がない以上、私がここに留まる理由はない。
むしろ、私がここにいることで、キース様との結婚が既成事実化してしまうのが一番マズい。
「ほとぼりが冷めるまで、そうね……隣国のさらに向こう、東方の島国あたりまで逃げれば、さすがの殿下も追ってこられないでしょう」
私はトランクに荷物を詰め込んだ。
ドレスは邪魔になるから、動きやすい乗馬服と、着替えを数着。
現金と宝石(逃亡資金)。
そして、リナのアルバム(厳選した3冊)。
「よし、準備完了。あとは脱出ルートね」
私は窓から下を見下ろした。
ここは三階。
飛び降りたらタダでは済まない。
「定番だけど、これしかないわね」
私はベッドのシーツを引き剥がし、カーテンと結び合わせて一本の長いロープを作った。
それをバルコニーの手すりにしっかりと結びつける。
「見てなさい。悪役令嬢は、いざという時の行動力が違うのよ!」
私は手袋をはめ、シーツのロープを伝って、するすると壁を降りていった。
風が冷たい。
下を見ると足がすくむが、ここで怯んではいけない。
「……着地!」
ふわり、と芝生の上に降り立つ。
成功だ。
周囲を見回す。衛兵の姿はない。
「ちょろいものね。王城の警備なんてザルだわ」
私はフードを目深にかぶり、忍び足で庭園を横切った。
目指すは裏門近くにある厩舎(きゅうしゃ)だ。
あそこで馬を拝借し、そのまま夜の闇に紛れて王都を脱出する。
完璧な計画だ。
ザッ、ザッ、ザッ……。
砂利を踏む音がやけに大きく聞こえる。
心臓がバクバクとうるさい。
(大丈夫、バレてない。誰も気づいてない……)
私は自分に言い聞かせながら、厩舎の影に滑り込んだ。
馬たちのいななきと、藁(わら)の匂いがする。
「静かにね、いい子たち」
私は一番足の速そうな黒馬に近づき、手早く鞍(くら)をつけた。
「さあ、行くわよ。私を自由の国へ連れて行って!」
私は手綱を握り、馬に跨ろうとした。
その時だった。
「……やあ。奇遇だね」
暗闇の中から、聞き覚えのある、甘く低い声がした。
「ひえっ!?」
私は飛び上がった。
声のした方を見る。
厩舎の隅、藁(わら)の山の上に、一人の男が優雅に腰掛けていた。
月明かりに照らされたその顔は、憎らしいほど美しく、そして楽しげに笑っていた。
「き、キース様!?」
「こんばんは、ミュール。こんな夜更けに、乗馬の練習かい?」
キース様は手に持っていたリンゴを、シャクッと齧った。
「な、なんで……どうしてここに!?」
「どうしてって、君がここに来ると思ったからだよ」
「は?」
「君の部屋の窓からシーツが垂れ下がっているのを見つけてね。『ああ、これは古典的な脱出劇が始まるな』と思って、先回りして待っていたんだ」
「嘘でしょ!? いつの間に!?」
「君が『ちょろいものね』と呟きながら庭を横切っている間に、僕はショートカットしてここに来た」
バレてた!
全部見られてた!
恥ずかしい!
「それに、その馬」
キース様が私が乗ろうとした黒馬を指差す。
「僕の愛馬『シャドウ・ウィンド号』だね。お目が高い。王城で一番速い馬だよ」
「そ、そうなの? じゃあ、これをお借りして……」
「うん。実は君のために、蹄鉄(ていてつ)を新品に交換しておいたんだ。長旅になるだろう?」
「え?」
キース様が藁山から降りてきて、馬の首をポンポンと叩いた。
「鞍袋には、水と食料、それに当面の路銀も入れてある。あと、君が好きな焼き菓子もね」
「は、はい?」
話がおかしい。
なぜ逃亡の手助けをしている?
「ど、どういうつもりですか? 私を捕まえるんじゃないんですか?」
「捕まえる? まさか」
キース様がニヤリと笑った。
その笑顔は、獲物を前にした肉食獣のそれだった。
「これは『ゲーム』だよ、ミュール」
「ゲーム?」
「そう。『王城脱出鬼ごっこ』だ。君が逃げる役、僕が追う役」
キース様が私に顔を近づける。
「君が王都の門を出たら、君の勝ち。僕がそれまでに君を捕まえたら、僕の勝ちだ」
「……賞品は?」
「君が勝ったら、国外逃亡を黙認してあげよう。もし僕が勝ったら……」
彼は私の耳元で囁いた。
「君は大人しく観念して、来月の結婚式でウェディングドレスを着るんだ」
「っ……!!」
究極の二択だ。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
「……乗ったわ!」
私は馬に飛び乗った。
「受けて立つわよ、その勝負! 見てなさい、私の逃げ足の速さを!」
「いいね、その意気だ」
キース様が楽しそうに手を叩く。
「では、スタート!」
私は馬の腹を蹴った。
ヒヒィィン!
シャドウ・ウィンド号が嘶き、矢のように駆け出す。
「あははは! 待てー!」
背後から、キース様の笑い声が聞こえる。
彼も別の馬に飛び乗り、追いかけてくる気配がした。
こうして、深夜の王城を舞台にした、前代未聞の「王太子カップル(仮)による壮大な鬼ごっこ」が幕を開けた。
……ちなみに。
この時、私は気づいていなかった。
私の部屋のバルコニーで、垂れ下がったシーツを見下ろしながら、妹のリナが悔しそうに地団駄を踏んでいたことを。
「むきーっ! お姉様ったら、私を置いて逃げるなんてズルいです! 私も混ぜなさいよー!」
そして彼女が、飛行魔法を使って空から参戦しようと準備を始めていることを。
私の逃亡劇は、まだ始まったばかりだった。
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