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1巻

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   プロローグ


 信じられない。
 この人がお見合い相手だなんて。
 成人式以来である古典柄の大振袖を着たくらふみは、座敷個室の『桜の間』で背筋をぴんと伸ばし正座していた。黒髪のストレートロングはハーフアップにして髪飾りを付け、残りは背中に流してある。着物は仕事柄着慣れているが、可愛らしいピンク色の振袖を身にまとうことは滅多に無かった。
 息が苦しい。
 帯がきついせいだろうか。
 文乃の頬は紅潮し、心臓は早鐘を打つ。とてもじゃないが、正面に座る美貌の青年を直視することなどできそうにない。
 大事な両親から受け継いだとはいえ、極々平凡な容姿に今日ばかりは自信を失くしてしまいそうだ。
 カコーン。
 タイミング良く鹿威ししおどしの音が響き、文乃はできるだけさりげなく、部屋から見える風情ある日本庭園へと視線を移した。
 庭をこんなにじっくりと眺めたのは久しぶり。
 東京下町にたたずむ料亭『さくらや』は、明治時代に創業し百年以上続く老舗しにせ日本料理店である。
 おもむきのある門をくぐり石畳の小路を進めば、そこは都会の奥座敷だ。全室中庭に面した個室、雅な数寄屋造すきやづくりが非日常空間を演出する。
 格式の高そうな店構えどおり、一見いちげんさんお断りの完全紹介制。政財界をはじめ多くの著名人やセレブから愛され続けるこの店を切り盛りするのは、四代目・佐倉ぜんろう。文乃の父親だ。
 早くに亡くなった母親の代わりに、高校時代から文乃も店を手伝っている。
 時代が時代なら、文乃も蝶よ花よとお嬢様として大切に育てられたのだろうが、このご時勢、そうもいかない。
 真面目に勉強した上で国公立に絞って大学受験し、奨学金をもらいながら卒業した。恋や遊びも我慢して、倹約に倹約を重ねて生きてきた。
 そんな文乃も二十七歳となり、女将おかみ業がすっかり板についてきたと言っていい。

「このたびは、お見合いを受けていただきありがとうございます」

 ひと目で上質だと分かるスーツを着こなすのは、風間かざまホールディングス社長子息・かざあきだ。文乃より二つ年上の二十九歳であるが、非常に落ち着いている。端整な顔立ち、すらりとした長身、品のある立ち振る舞い、何から何まで自分とは別の生き物のように文乃には思えた。
 自分だけが場違いな存在に思えて、毎日働いている職場にもかかわらず、緊張して冷や汗まで出てくる始末だ。
 文乃は料亭『さくらや』にて、お見合いの真っ最中だった。しかも仲人なこうどは早々に離席し二人きりにされてしまった。

「こちらこそ、良縁をありがとうございます」

 文乃は座布団から降りると、両手を膝の前につき頭を下げる。女将おかみらしい美しい所作だ。
 ――良縁とはいえ政略結婚だけど。
 心の中では複雑な思いが渦巻く。

「では、話を進めてもよろしいのですね」

 千秋の声は事務的で冷たかった。
 愛のない結婚をするのだ。相手にも同じように割り切れない思いがあるのだろう。文乃は頭を下げたまま「はい」と小さく返した。
 老舗しにせ料亭『さくらや』は、経営不振におちいり火の車だった。
 この結婚が成立すれば、『さくらや』を畳まずに済む。四代目は、風間ホールディングスに買収してもらい営業を続けていく道を選んだ。そうなれば従業員達も失業をまぬがれる。
 大手外食企業の風間ホールディングスは、料亭『さくらや』という老舗しにせのネームバリューを買い、海外進出に役立てるつもりだ。
 友好的買収であるのは間違いないが、さらなるイメージ戦略として文乃と千秋は結婚することになった。
 老舗しにせの名を金のために売ったとなれば格が下がる。常連客の反感を買うかもしれない。そうなれば風間ホールディングスはリスクを負うことになる。店の評判が悪くなれば株価に影響が出るだろう。
 買収の結果世間のイメージが悪くなったとしても、美男の夫と庶民的な妻の間に子供が産まれればまた風向きは変わる。政略結婚は言わば保険のようなものだ。

「本当に構わないのか?」

 凄みのある声に驚いて顔を上げると、漆塗うるしぬりの座卓の向こうにいた千秋がいつの間にか目の前に移動していた。その表情は文乃の決意を疑っているようにも見える。
 この人は覚えていないのかもしれない。
 私の好意にも気づいていないのだ。
 酔っぱらいに絡まれているところを、料亭の馴染み客である千秋に助けてもらったことがある。文乃はその恩を忘れてはいなかった。
 余程のことがない限り、文乃は客相手に大声を出すことはできない。ましてや、料亭の女将おかみという立場だ。酔っ払いの一人や二人、上手にあしらえてこそ一人前。
 文乃はあの日の出来事を振り返る。

『若い女将おかみの肌は綺麗だなぁ』

 白髪交じりの頭髪に小太りの男性客が、千鳥足ちどりあしで文乃を追いかけてきた。男性はお得意様である風間ホールディングス社員の同伴客だ。それなりに社会的地位のある人物だろう。事を荒立てるわけにはいかなかった。
 どうしようかと迷っているうちに、廊下の端に追い詰められた。身体に触れられそうになったが、逃れようにも恐怖で動けなくなった。

『いい加減にしろ』

 文乃の耳に男性の低い声が届く。

『イテテテテ!』

 酔っ払い客の腕をひねり上げたのは、千秋だった。風間ホールディングスの御曹司であり常務取締役兼COO(最高執行責任者)という身分を、当時の文乃は知らなかった。

『後は俺に任せて、あなたは行って下さい』
『で、でも』
『早く』
『……はい。ありがとうございます』

 それから二人の間でどのような話し合いが持たれたのかは分からないが、後日、酔っぱらい客は菓子折りを持って謝罪に来た。
 文乃の心に、特別な感情が湧き上がる。
 事なきを得たのはあの人のおかげだ。
 もう一度会いたい。
 だけど待つことしかできない。
 勤務先に連絡するわけにはいかない。
 いつも会社名と秘書の名前で予約を受けるため、本名だって知らない。
 そうして待ち続けた人とお見合いの席で会えたことは、文乃にとって奇跡だった。

「風間さん、私……」

 再会できたら、まずきちんと御礼を言いたいと思っていた。

「相変わらず……、あなたは何も分かっていないようだ」

 しかし、失望したかのような千秋の声色に文乃は戸惑った。

「どういう意味でしょう?」

 覚悟ならとっくにできている。
 今さら逃げ出すほど子供じゃない。

「こういう意味です」

 千秋は文乃のあごに手をかけ顔を持ち上げる。驚いて目を見開いたところで、傾けられた美しい顔が覆い被さった。
 柔らかい、そして温かい。
 千秋の唇が触れた時、ファーストキスであるのに、文乃は意外に冷静にそんな感想を持った。
 世間的にはアラサーと呼ばれる年代であるが、文乃の恋愛経験値は中学生以下だ。学業と料亭の手伝いが忙しく、青春どころではなかった。つまり、呼吸のタイミングが分からない。

「はあっ……!」

 唇が離れたところで文乃はやっと息を吐く。
 文乃は上気した顔で千秋を見返した。

「気の強いお嬢さんだな」

 切れ長の二重まぶたは、時として他人に良くない印象を与えるのを知っている。
 千秋は、睨みつけられたと誤解したのかもしれない。厳しい顔つきで眉間にしわを寄せ、いきなり何かにき付けられたかのように文乃を抱き寄せた。
 そして再び唇が押し付けられる。一度目のキスよりさらに強引だった。

「んんっ……」

 執拗しつように、そして丁寧に唇が触れては離れる。
 離れてもすぐに塞がれる。
 そうされるのは決して嫌ではない。
 文乃は唇が離れるたびに、甘い感触を待ちわびてしまった。すでに一方的なキスとは言えない。

「抵抗しないんだな」
「ん……はぁっ」

 次第に触れている時間は長くなり、文乃の頭はぼんやりとし始めた。
 気持ち、いい。
 文乃の唇から力が抜けたのを見計らったように、千秋の舌先が分け入ってきた。口内に遠慮なく侵入した舌は、素早く歯の裏を撫でる。こんなことをされたのははじめてで、文乃は小さく震えた。
 それを感じとったのか、千秋の手のひらが文乃の肩を撫でる。
 次第に身体が熱を帯び始め、文乃は慌てた。

「い、いけませんっ」

 これ以上続けられると気が変になりそうだ。
 文乃は顔をそむけ、千秋の口を手で押さえた。

「あっ……!」

 すると今度は、文乃の人差し指に千秋の湿った唇が吸い付いた。さらに濡れた舌が絡む。
 吸われめられるうちに、指先が甘くしびれていった。
 どうにかなりそう――
 文乃には、身体を駆け巡るヒリッとした、しかしとろけるような感覚がなんなのか分からない。
 切ないような苦しいような感情に翻弄される。

「もう、だめ、です」

 はぁはぁ、と文乃が息を荒らげながら言うと、くわえられていた指が自由になる。

「こういうことされるなんて、考えもしなかったんでしょう。結婚するっていうのは、俺とセックスするってことですよ?」

 千秋の口ぶりはからかうようでいて、諭すようでもあった。

「分かっています。ただ、お店ではだめです。父や他の者がいますから」

 文乃は真っ赤になりながらもしっかりと答えた。
 結婚すればこういうことやそれ以上のことが待っている。
 経験がないとはいえ、セックスがなんなのかくらいは知っている。
 千秋は驚いた顔をした後、口元を隠して肩を揺らし始めた。声を押し殺して笑っているようだ。

「私、何かおかしなことを言いましたか?」
「いいえ」
「だって、笑っているじゃないですか」
「楽しくなっただけです。今日の続きは、誰もいないところで」

 笑いを必死にこらえる千秋の優しく細められた目を見て、文乃の心が少しだけほぐれた。

「あの、これから、うちの店は?」

 しかしそう口にした途端、千秋の表情は一転して引き締まる。

「必ず、再建します」

 千秋の言葉は心強かったが、気持ちは遠くにあるように感じた。



   第一章 このたび、政略結婚することになりまして。


「まだ夜は冷えますから、どうぞお身体をおいとい下さいね」
「ありがとう。女将おかみも風邪引かないように」

 文乃の心遣いに常連客は微笑んだ。会社経営者の六十代男性は、文乃の祖父の代からのご贔屓ひいきさんである。

「ありがとうございます。またお越し下さいませ」

 最後の客が店を出たあとも、玄関先で正座した文乃は頭を下げ続けた。外では仲居達が、客が石畳を進み料亭の敷地を出るまで見送っているはずだ。

(出迎え三歩、見送り七歩)

 文乃は心の中で呟いた。
 それは、先代の女将おかみである文乃の母親から教わった言葉だ。心を込めて迎えることは勿論、さらに丁寧にお見送りするのが大事という意味合いである。

「さて、店じまい」

 文乃は従業員達と一緒に片付けと掃除を終えると、小紋の着物から洋服に着替え、帰り支度を済ませた。無くさないよう外しておいた結婚指輪をめて更衣室を出る。
 そこで厨房ちゅうぼうから漏れる灯りに気づいた。

「お疲れさまです」

 声をかけて文乃は顔を覗かせる。いつも通り厨房ちゅうぼうはピカピカに磨かれ、整理整頓されていた。

「文乃お嬢さん、お疲れさまです」

 女将おかみの文乃をお嬢さんと呼ぶのは、若いが腕のいい板前・鈴木涼太すずきりょうただ。文乃より二つ年下の二十五歳で、高校を卒業してすぐ『さくらや』にやってきて修業を始めた。四代目で板長でもある文乃の父は板前としての涼太を買っており、本当なら文乃と結婚させて店を継がせたかったようだ。
 経営権は風間に移ったが、『さくらや』の味を継ぐのは涼太しかいない。文乃にとっても、涼太は大事な弟のような存在だ。『さくらや』の看板と涼太を守るのも、女将おかみである自分の仕事だと考えていた。

「一人で残っているの?」
「はい。板長には先に帰っていただきました。もう仕込みも自分だけでできます」
「立派になったのね」

 文乃がしみじみと言うと、涼太は嬉しそうに真っ白な歯を見せて笑った。

「まだまだっすよ」

 爽やかな外見通り誠実な青年は、『さくらや』の料理人にふさわしいと文乃は思いを新たにする。

「これからも、父や店をよろしくお願いします」

 文乃は涼太に頭を下げた。

「や、やめて下さい。お嬢さんにそんなことさせたら、俺のほうが叱られます」

 慌てる涼太に、文乃は「ふふっ」と笑った。

「お嬢さんは幸せですか?」

 不意に涼太が真面目な顔をする。

「どうしたの、突然」
「お嬢さんが、俺達のために無理しているんじゃないかって、従業員は皆心配しています」
「そんなことない」

 文乃はきっぱりと言い切った。

「私は幸せです。全部、風間さん……、夫の千秋さんのおかげです」
「そ、そうっすか。なら、いいんです」

 惚気のろけられた涼太のほうが、照れくさそうに短髪の頭をかいた。
 千秋のおかげ、それは文乃の本心だ。『さくらや』を助け、従業員を救ってくれた風間ホールディングスや千秋には感謝してもしきれない。

「それじゃあ、お先に失礼します」

 厨房ちゅうぼうを出て廊下を進むと「女将おかみさん」と呼び止められる。四十代のベテラン仲居である村瀬むらせが、難しそうな顔をして近寄ってきた。

「村瀬さん、どうしました?」
「こんなこと、今の女将おかみさんに聞くのもなんですけど……。私達の時給が下がるって本当ですか?」
(とうとう来た……)

 文乃はゴクリとつばを呑む。千秋から経営や給料のことで従業員から何か聞かれても知らぬ存ぜぬを通すよう、念を押されているのだ。

「仕事内容は変わらないのに給料が減るなんて、横暴すぎませんか。女将おかみさんのほうから、なんとか口添えしていただけないでしょうか」

 村瀬の口調は厳しかった。

「近いうちに風間から担当者が店に来て、説明会を開くと聞いています。質疑応答の時間もあるようですから、その時に」

 文乃は動揺を悟られないよう落ち着いて告げる。

「……そうですか。分かりました」

 不満はあれど、村瀬もここは引き下がるしかないと諦めたようだ。
 村瀬の姿が見えなくなると、文乃はスマホを取り出し早速メッセージを送った。勿論、相手は千秋だ。

『従業員から時給の件で質問がありました。どうか早めに今後の経営方針を明らかにして下さい』

 早々にメッセージに既読マークが付く。しばらくすると返信が届いた。

『その件は、後日ゆっくりと話しましょう。近いうちに時間を作るつもりです』
「近いうちって、いつだろう……」

 他人行儀な文面に、文乃は軽くため息を吐く。
 忙しいのは分かっているが、千秋が二人の新居である自宅マンションに戻ることはほとんどなかった。新婚なのに、まだ夫婦らしい会話もない。たまにスマホでメッセージのやりとりをしているが、仕事の話だけだ。
 しかしすぐさま、仕方ないと思い直す。

(夫婦とはいえ、私達の関係は普通とは違うから……)

 結婚すれば愛が生まれるのかもしれないと期待していたが、甘かった。
 正確には、千秋にキスをされて以来、文乃は二人の間に愛が生まれればいいのにと願っていた。我ながら単純だという自覚もある。
 文乃の中には日に日に千秋に対する情愛が育っているのに、それは夫婦愛には程遠い単なる片思いのようだった。

(形だけでも、千秋さんのそばにいられるのなら……今は、それで)

 ただでさえ、『さくらや』の経営のことで頼り切っている。これ以上迷惑はかけられない。政略結婚がかせとなり、文乃は本心を言えずにいた。


 §


 その後行われた従業員向けの説明会は必要最低限の内容でしかなかった。もっと深い話をしようにもできずに、千秋と会えないまま一週間が経過した。

『羽田空港に着きました。「さくらや」の今後について、食事をしながら話をしましょう。午後六時頃、地図の店で待っています』

 いきなり、海外出張で渡米していた千秋からメッセージが届く。
 休日なのに予定もなく、部屋でごろごろしていた文乃はひどく焦った。

(今から? それに、どうして外で会うの?)

 話をするのなら、家に帰ってくればいいではないか。疑問に思うが、悠長に考えている場合ではなさそうだ。待ち合わせ時間までのカウントダウンは始まっている。
 文乃はスマホをタップし、千秋から指定された店を調べた。

「どうしよう。ドレスコードがありそうなレストラン……」

 高級フレンチレストランのサイトを眺めて文乃は途方に暮れる。女将おかみ業に邁進まいしんしてきたことは文乃の誇りだが、その一方でプライベートの極端なひきこもり人生を猛烈に後悔していた。

(着ていく服がない……!)

 文乃の人生のイベントにおける服装はいつも着物だった。お見合いも、両家顔合わせも、結婚式も純和風。
 和装でもドレスコードに準じれば問題ないだろうが、できることならフレンチレストランに相応ふさわしい洋装も着こなせる妻でありたい。

(千秋さんに認められたい)

 そんな風に思う自分は、政略結婚した人間としてはおかしいだろうか。

「とにかく、洋服が必要だわ」

 着物はいくらでもあるのに、まともな洋服は持っていない。今もくたびれたジーンズにTシャツという格好だ。
 母親が生きていれば相談できたのにと思うが、すぐに頭を切り替える。

「こんな時は由衣ゆいちゃんだ」

 佐藤さとう由衣は『さくらや』のバイト仲居で、二十四歳と年も近いことから文乃にとって話しやすい相手だった。
 由衣に『お知恵を貸して下さい』とメッセージを送り、事情を説明する。文乃らしい固い文面だが、早々に返信は届いた。

『地図の場所は友達のお店です。事情は伝えておきます。そのまま向かって下さい』

 文乃はバッグを手にマンションの部屋を出て、由衣の友人が働くセレクトショップを目指した。
 その二時間後、高級レストランでも浮かないレディへと文乃は見事に変身する。
 代官山のおしゃれなショップで由衣の友人がすすめてくれた服を買い、靴やアクセサリー等の小物類はレンタルした。ありがたいことにヘアメイクはサービスらしい。
 スマートエレガンスに合わせた光沢のあるブルーのドレス。前後で丈の違うフィッシュテールは可愛らしく華やかだった。
 ストレートの黒髪はゆるく巻かれ、編み込みと合わせたダウンスタイルに。
 メイクはキツめの顔立ちが優しく見える淡いカラーで、ナチュラルに仕上がっている。

(私じゃないみたい)

 ショーウィンドウに映る自分の姿に、文乃は呆然とした。

「……、急がなきゃ」

 千秋との待ち合わせの時間が迫っている。慣れないヒールで文乃は小走りになった。
 恵比寿にあるスタイリッシュな複合施設のプロムナードを下り、正面にそびえ立つ城のような建物へ向かっていく。美しくライトアップされた目的のフレンチレストランは堂々としていて、すっかり気後れしてしまう。

「フレンチなんて久しぶり」

 入り口の前で立ち止まっていると「文乃さんですよね?」と後ろから声がした。

「あ、千秋さん」

 振り返ると、千秋がそこにいた。ダークカラーのスーツにシルクのネクタイ、ポケットチーフには控えめな柄がプリントされている。まるでこの城に暮らす貴族のようだ。
 久しぶりに見る夫の姿に、文乃は恥ずかしながら見惚れてしまった。

「中で待っていて良かったのに。そんな服装じゃ、まだ寒いでしょう」

 五月の夜にオフショルダーのドレスは張り切り過ぎだったかもしれない。

「今、来たところです」
「そうですか。じゃあ、一緒に」

 千秋が手のひらを差し出した。

「段差があります。暗いので気をつけて」
「ありがとうございます」

 文乃は素直に千秋の手を取った。御曹司はエスコートも完璧だ。
 意識しないようにすればするほど、かえって文乃の胸はときめいてしまう。こんな素敵な夫を持っていて幸せでないはずがない。
 文乃は頬を染めてそっと千秋の横顔を盗み見た。長いまつげ、高い鼻、シャープなあご。完成度の高い造作に思わず溜息が零れそうになる。


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