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1巻
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しおりを挟むプロローグ
「アンジェロ・ベルシュタイン。貴様はここにいるマリアを虐げるだけでは飽き足らず、我が国の国教であるフテラ教をも侮辱した。その罪は重いぞ!」
目の前にいる茶髪のイケメンは、俺を指差してそう告げると、隣にいる美少女の肩を抱き寄せた。
「…………え? なにこれ?」
いきなり繰り広げられたよくある断罪イベントを目にした俺は、アホみたいな声を出していた。
それと同時に、目の前にいる二人を見つめてなぜかズキリと痛む胸。
――なんだこれ? 夢か?
「――っ貴様、これだけの証人がそろっているのにまだシラを切るつもりか? 貴様がどれだけマリアを傷つけたと思っているのだ!」
俺の呟きが聞こえたのか、茶髪のイケメンは声を震わせ怒りを露わにする。
イケメンの言葉通り、俺は何十人もの人に取り囲まれていた。
――なんなんだよ、いったいなにが起こってるんだ……
誰か助けてくれる人はいないのかと辺りを見渡すが、冷ややかな視線が突き刺さるばかりだ。
置かれた状況がまだ呑み込めないが、ハッキリ言ってピンチであることは間違いない。
理解したと同時に、顔から血の気が引く。
「はっ。ようやく自分のしたことの重大さがわかったかアンジェロ。だがもう遅い! 私の妃となるマリアを傷つけ、フテラ教を侮辱したお前は極刑……と、言いたいところだが、ヨキラス教皇はとても寛大なお方だからな。お前に慈悲をくださるそうだ」
茶髪のイケメンはそう言うと、隣に立っている男へ視線を向けた。
教皇と呼ばれた男性は、琥珀色の目を細め、こちらを見下ろす。
極刑というワードに絶望の表情を浮かべる俺と目が合うと、教皇は柔らかな笑みを向けてくる。
真っ白なローブに身を包んだ、中性的で綺麗な顔立ちの彼。その微笑みを美しいと思うより先に、全身に鳥肌が立った。そして、得体の知れない恐怖も……
怯えたまま教皇を見つめていると、彼はゆっくり口を開いた。
「アンジェロ・ベルシュタイン。貴方には、東の前線地帯での奉仕活動を命じます」
「前、線? 奉仕……活動……?」
俺が首をかしげると、茶髪イケメンが口を挟んでくる。
「そうだ。権力を振りかざし好き勝手やっていたお前も貴族のはしくれ。治癒魔法くらいは使えるだろう? 戦いに巻き込まれて命を落とさぬよう、せいぜい頑張るんだな! まぁ、公爵家の落ちこぼれがそう長くもつとも思えんが」
告げられた言葉を聞き、集まっていた観衆から歓喜の声が上がる。
イケメンの隣にいた美少女はこちらに哀れみの視線を向けたが、すぐに逸らした。
そして教皇は、変わらずニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべている。
――前線って、つまり戦場に行けってことか? いや待て。そもそも俺はいったい……何者なんだ?
そう考えた瞬間、頭の中に大量の記憶が流れ込んできた。
突然の出来事に、俺は頭を抱えてうずくまる。
――な、なんだこれ。
幼い頃からはじまり、学生時代、社会人になり夢中になって仕事をして……そして、突きつけられた余命。
俺は……俺は……さっき、病室で最期を迎えたはずだ。
自分の最期の場面を思い出した瞬間、俺の脳みそは焼き切れるような痛みとともに限界を迎えた。
目の前の景色がゆがみ、俺の意識は途絶えた。
第一章
着慣れない上等な服を身にまとい、王宮を出る。
先導する男のうしろをついていくと、馬車の前に着いた。
「アンジェロ様、この馬車にお乗りください」
「……はい」
促されるまま馬車に乗ると男も乗り込み、俺の隣に座る。
この男は、教会から派遣された神殿騎士だ。名目上は護衛だが、俺が途中で逃げ出さないように監視の役も担っているらしい。
すらりと伸びた手足と見上げるほどの長身。輝くばかりの艶やかな長い黒髪をひとつに結んでおり、綺麗なお顔にとてもよく似合っている。
そう、顔はものすごくいい。だが、この男は愛想もなく仏頂面で、俺の護衛についてから一度も笑顔を見せたことがない。
俺に話しかけるときは、機械のように淡々と用件を伝えるだけだし、とても人間味を感じられない。
前線という名の処刑場に送られるのだ、どうせなら俺好みの男をつけてもらいたかった。
たくましい体とクッションのように柔らかな胸筋、男くささはあっても笑うと可愛らしい、そんな感じのほうが……と、いかんいかん。
つい、いつもの癖で妄想しながら観察していたら、護衛の男が怪訝そうな表情で睨みつけてきた。
男から視線を外すと馬車が走り出す。
窓の外を、見慣れない風景が通りすぎていく。木造と石造りの低い建物が並び、もちろん車なんて一台も走っていない。
日本の文明的なものは一切ない。雰囲気としては中世のヨーロッパって感じなのだろうか。
遅ればせながらあらためて自己紹介をしておこう。
アンジェロ・ベルシュタイン、十八歳。
それが今の俺だ。
あの断罪シーンの最中、頭の中に流れ込んできた大量の記憶に押し潰された俺は、気絶してしまった。周りのやつらはショックのあまり気を失ったと思い、たいそう喜んでいたらしい。
そう。
今の俺は流行りの『悪役令息』に生まれ変わったようだ。
前世と今世の記憶を整理するのになかなか時間がかかり、俺は二日ほど寝込んでいた。
まず、前世の俺は小川斗真。享年三十八歳。
看護師としてバリバリ働いて稼いだ金を、酒と男に注ぎ込んでいた。恋愛対象は男で、パートナーは持たず一夜限りの関係を好んだ。
好きなタイプは、たくましくて可愛らしく笑う、包容力のある男性だ。
仕事もプライベートも充実していたが……そんな生活は、三十七歳のときに吐血したことで一変した。病が発覚したときには、すでに手遅れだった。そこから一年ほど闘病生活を送り、そのまま帰らぬ人となったのだ。
死ぬ間際、たしか神様に願った気がする。
生まれ変われるなら、病気をしない丈夫な体に生まれ変わりたい。
できれば外見は可愛い男の子で、気に入った男たちと楽しくSEXさせてくれ!! と。
そんな最低な願いごとをした罰で、俺はこんな目に遭っているのだろうか?
そして、今世のアンジェロ・ベルシュタインは公爵家の次男。
外見はめちゃ可愛いキュートな男の子だ。
きらめくふわふわの金髪に碧色のクリクリおめめ。可愛らしいさくらんぼの唇は透き通るような白い肌を際立たせていた。華奢な体つきも庇護欲をそそる。
そう! まさに地上に舞い降りた天使!!
見た目の要望は完璧に神様に届いていた。
だが、今世の過去の記憶を思い出せば思い出すほど……アンジェロは、嫌われ者だ。
使用人たちから向けられる視線は冷たく、両親はアンジェロのことを腫れ物に触るように扱っていた。
そんなこんなでアンジェロは、よく泣きよく怒る、感情のコントロールができない子供だった。
通っていた学園でもアンジェロは浮いており、ひとり寂しく過ごしていた。
だが、あの茶髪イケメンに断罪される原因となったマリアの件……それについては記憶が曖昧だった。
たしかにマリアを泣かせたことはある。目の前で涙を見せるマリアの記憶もあるのだが、詳細がよくわからない。
幼少期を中心に、アンジェロの記憶はところどころ欠落している。欠落している部分は、まるで誰にも見せたくないというように守られているのだ。
俺が表に出てくる前の『アンジェロ』は、今どこにいるのかわからない。
消えてしまったわけではないようだが、どちらかというと、俺と混ざり合って心のどこかに隠れてしまっているようだった。
記憶の中のアンジェロはたしかにわがままなところがあるが、心の中で感じるアンジェロはとても臆病で、皆が思っているような悪役令息とは違う気がした。
しかし、十八歳の貴族の坊ちゃんに三十八歳の平凡なおっさんが入り込んだこの状況は、いかんせん慣れない。
いきなり話し方や性格が変わったら、ショックのあまり頭がおかしくなったと思われて牢屋にでも入れられそうなので、俺はアンジェロの記憶を頼りに、なるべく変わりなく過ごすことに決めた。
一人称も『俺』から『僕』に変えたし、言葉遣いも現代日本の言葉を使わないように必死だ。
ひとまず極刑は免れたので、これ以上罪を重ねないためにも今は大人しく罰を受けるのが最善だろう。わがままを言わず反省しているふりをして、どうにかやりすごしている。
そして、今から俺が奉仕に向かう前線都市は魔獣が湧いて出る過酷な場所だ。
前線というから人同士の争いかと思ったら、この世界ではそんなことをしていたら魔獣に食い尽くされてしまうらしい。
魔獣はどこからともなく現れ、人の血肉を好み、村や街を襲う。
それを食い止めるため各地に作られたのが、要塞型の前線都市だ。
なかでも俺が向かう東の前線は大型魔獣や危険な魔獣が多く出没するらしく、東の前線に送られると聞けば屈強な戦士でも逃げ出すことがあるらしい。
そんな場所に華奢で可憐で可愛いアンジェロを向かわせるなど、結局は極刑と同じじゃないか。
心の中でぶつくさ文句を垂れていると、監視役の神殿騎士が声をかけてきた。
「どうしましたか、アンジェロ様。前線に行くのが恐ろしいのですか?」
「え、えぇ……まぁ……」
「今ならまだ、教皇に慈悲を乞うこともできますよ」
真顔でそう言ってくる神殿騎士を見つめ、俺は少し考えてから頭を横に振る。
あのニタニタ顔に近づくだけでも嫌なのに、慈悲を乞うくらいなら前線を選ぶほうがマシだ……と、教皇のことをろくに知らないはずの俺でも、なぜか心の底から思えた。
――きっとアンジェロも教皇のことが大嫌いなんだろうな。俺もお前と同意見だよ。
教皇ヨキラスは、綺麗な顔をしているがどこか薄気味悪い。
そんな気色の悪いやつのもとで死ぬよりも、戦場でたくましい男たちに囲まれて死んだほうがマシだ。それにもしかしたら、俺のことを不憫に思った神様がご褒美をくれる可能性だってある。
「……大丈夫です。僕はこのまま前線へ向かい罪を償います」
「そうですか。では、出発しましょう」
そうして馬車は、俺にとって死刑台に等しい東の前線へ走り出したのだった。
王都から馬車に乗って、一週間。
薄っぺらくて可愛らしいアンジェロのお尻は限界を迎えていた。
馬車が揺れるたびに「ひやぁぁっ!」と、間抜けな声が出るのを必死に我慢する日々。
そんな俺とは対照的に、目の前にいる神殿騎士は凛とした姿勢で座ったまま涼やかな顔をしている。尻は痛くないのだろうか?
俺は痛くて痛くてずっと眉間に皺を寄せているというのに。
すました綺麗な顔を見ていると、なんだかイラついてくる。
道中は特にトラブルも起こらず、俺は馬車の中という密室で無口で仏頂面の男と永遠にも感じる無言の時間を過ごす。
重苦しい空気に我慢できずに話しかけても、相変わらず愛想のない返事しかない。
だが、苦痛だらけの馬車の旅も、ようやく終わりを告げようとしていた。
「アンジェロ様。前線都市メンニウスに到着しました」
「そうですか。ありがとうございます」
アンジェロのお尻を痛めつけていたでこぼこ道は、前線都市に近づくにつれて舗装された道に変わっていき、揺れが少なくなる。
馬車の窓から見える風景も、草原、森、草原、森のループを外れ人や馬車が増えはじめる。
そして、要塞と呼ぶにふさわしい石造りの城壁が見えると、嬉しさのあまり尻の痛みがほんの少しやわらいだ気がする。
見上げるほどの大きな門をくぐり、賑わいのある街並みに心が躍った。
って、いかんいかん。
俺は罪を償うためにここに来たんだから、目をキラキラさせてちゃいけないんだ。
前線都市は魔獣がはびこる恐ろしい場所だと聞いていたが、今のところそんな雰囲気は感じない。
想像と違う活気のある街を見て、俺は胸を撫で下ろした。
――ここでの奉仕活動なら、やっていけそうだな。
馬車が止まり、降りるように促される。乗り込んだときよりも軽い足取りで前線都市に降り立ち、う~んと背伸びをした。
新しい生活がスタートする場所をぐるりと見渡し、俺に続いて降りてきた神殿騎士に笑顔で質問をする。
「思っていたよりもにぎやかな街なんですね。それで、僕はどこで奉仕活動を行うのですか?」
「奉仕活動を行う場所は、ここから馬車であと三日ほど向かった先にあります」
「……えっ? ここ、ではないんですか?」
「はい。前線はまだ先です」
――う、嘘だろぉぉぉ!
体力もお尻も限界を迎えた俺は思わず頭を抱える。
「そんなに落ち込まれるのならば、今からでも教皇に慈悲を……」
「もらいません!」
「そうですか」
すでに何度目かになるやりとりをして、今日は前線都市メンニウスで休むことになった。
神殿騎士に宿へ連れられ、夕食を食べたあとは部屋へ案内される。ベッドのみの質素な部屋だが、馬車旅で野宿が続いた俺にとっては天国に思えた。
ベッドへ飛び込み、ゴロリと寝転がると大きなため息を吐く。
「風呂、入りてーなぁー……」
自分がこれからどんな悲惨な目に遭うかなんて考えもせずに、俺は呑気に風呂のことを考える。
そして、いつまでたっても慣れない馬車旅の疲れをとるために、ゆっくりと瞼を閉じた。
再び馬車に揺られて三日。
前線都市メンニウスを出発してしばらくすると、路面はまたどんどん悪くなり、馬車の揺れはひどくなっていった。
こんなんじゃ本当に尻が使い物にならなくなる。
せめて前線で死ぬ前に、屈強な男たちにぐっちゃぐちゃに抱かれたいぃぃ……
そんな下品な願いごとをしたらまた罰が当たりそうだが、前線での希望などそれくらいしかないのだから許してほしい。
少しでも揺れを軽減しようと中腰になってみたり無駄な努力をしていると、馬車の速度が遅くなり、そして止まった。
小窓から外を覗くと、そこは簡素な造りの小屋が並ぶ、小さな村のような場所だった。
痛む尻を庇いながらヒョコヒョコと情けない姿勢で馬車を降りると、赤髪の大柄な男性がこちらへやってくる。
罪を償うためにやってきた俺に嫌味でも言いにきたのかと身構えると、彼はニッと笑みを浮かべ両手を広げた。
「お前が新しく来た治癒士だな。遠いところからよく来てくれた。歓迎するぞ」
「……え?」
たしかに治癒士として奉仕してこいと言われたけれど、断罪された俺をこんなに歓迎してくれるはずがない。
きっと人違いだろう。
「あの、申し訳ないのですが、僕はここに奉仕活動に来た身でして、そんなに歓迎していただくほどの者では……」
「そんな堅苦しい挨拶はいいから。さぁさぁ、仕事場に案内するぞ」
「あ? う? えぇ?」
赤髪の男性は上機嫌な様子で俺の手を引いた。
どうなってんだと振り返るが、監視役の神殿騎士は馬車から荷物を降ろしたりと俺のことなど気にもしていない。
事情が呑み込めない俺は、混乱しながらも赤髪の男性についていく。
たどりついたのは、他の建物よりも大きいロッジのような建物だ。
中に入ると、白髪の老人が椅子に腰かけていた。
「ほらイーザムさん。お待ちかねの新人が来たぞ」
「おぉ……おぉぉぉお~! やっとか! 何度言っても来る気配がなかったから忘れられとると思っとったぞ」
イーザムと呼ばれた老人は目尻に深く皺を刻むと、歓喜の声を上げる。
「ほれ坊主。さっそく仕事じゃ仕事。あそこに怪我人を収容しておる治療小屋があるから、パパッと治癒魔法をかけてやってくれ。儂は見ての通りのおいぼれじゃからな、これからはお前さんに任せて隠居生活に入るぞ~」
イーザム爺さんは他の小屋よりも少し大きな建物を指差してそう言った。
――いやいやいや、ちょっと待て。治癒魔法って……俺そんなことできないぞ!
アンジェロの記憶を必死にたどるが、治癒魔法の使い方など見つからなかった。
魔法とは縁もゆかりもない日本育ちの俺も、もちろん使い方など知らない。
「あの、本当に申し訳ないのですが……僕にはできません」
「ん? そんなわけないじゃろ。遠慮せずお前さんの好きに治療していいんじゃぞ。ここのやつらは、多少雑に扱ってもお貴族様のように文句は言わんからの」
「ほ、本当にできないんです! というか、魔法ってどうすれば使えるんですか?」
「「…………はぁぁ!?」」
俺の言葉に、イーザム爺さんと赤髪の男性はハモるように大声を上げる。
「誰じゃ! こんな使えないヘッポコを連れてきたのは!」
「知らねーよ! 教会推薦の治癒士が来るって聞いたから俺はてっきりこいつだと思ったんだ。神殿騎士の護衛までついてたんだぞ。普通、疑わないだろ」
二人の冷たい視線がギロリと俺を刺す。
そ、そんな目で俺を見たって、俺だって被害者なんだぞぉぉ……
しかし文句を言える立場ではない俺は「すみません、すみません」と、ひたすら頭を下げる。
しばらくすると、騙されたと興奮ぎみだった二人も徐々に落ち着きを取り戻してきた。
イーザム爺さんは、めんどくさそうな口調で声をかけてくる。
「まぁ……来てしまったのだから使わないと損じゃな。最近はミハルだけで雑用をこなすのも大変になってきたようじゃし。ほれ、ついてこい」
イーザム爺さんはそう言って、俺を治療小屋へつれていく。
小屋の扉が開くと、血液と人の体臭が入り混じったなんとも言えない臭いが襲いかかり、俺は顔をしかめた。
「王都から来たお上品な坊主にはちと辛いかのぉ~。だが、これに慣れんと仕事はできんぞ~」
「はい、大丈夫です……」
そう言われ、小屋の中を案内される。人ひとりが通れるくらいの通路を挟んで簡易ベッドが並んでおり、その上には怪我人が寝かされていた。
腕、足、腹、顔……、ベッドに横たわる怪我人たちは、体中どこかしらに包帯を巻いている。
「ここにいるのはまだ軽いほうじゃ。奥の部屋は重傷のやつらを休ませておる。まぁ、まずはこやつらの世話を頼むぞ。そういえば、お前さん。名前はなんと言うんじゃ?」
「は、はい! 俺……じゃなくて、僕はアンジェロです。アンジェロ・ベルシュタインです」
俺がその名前を口にした瞬間、イーザム爺さんと周りにいた怪我人たちが眉をひそめた。
「ベルシュタインって……あのベルシュタイン公爵家の次男坊か?」
「なんだってこんなところに……」
ざわつく声と、俺に集まる冷ややかな視線。
イーザム爺さんは「ふ~む……」と腕を組み考えるそぶりをして、俺の肩をポンッと叩く。
「お前さんの事情はよく知らんが……ここに来たからには公爵家の者だろうと容赦なくこき使うからな」
「は、はい。よろしくお願いします」
ニッ、としわくちゃの笑顔を見せるイーザム爺さんのうしろから、俺のことを警戒する視線がいくつも突き刺さる。
その様子は、とてもじゃないが歓迎ムードとは言い難い。
――ハハ……、こりゃ前途多難だな……
こうして悪役令息のレッテルを貼られた俺の、先行き不安な第二の人生がはじまった。
治療小屋では今のところ使い物にならない&悪名高いアンジェロ・ベルシュタインがいると患者が落ち着かないと判断され、俺はイーザム爺さんに連れられて治療小屋の隣にある、また別の小屋にいた。
小屋の扉を開くと、大量の布や治療に使うらしい物品に加え、ゴミらしきものが散らばっていて足の踏み場もない。
ゴミ置き場かなにかか?
「あの……ここはいったい……?」
「ここは儂の書斎兼物品庫じゃ。お前さんにはまず、この小屋の掃除を手伝ってもらおうと思ってのぉ~。見ての通り儂は整理整頓ができん。だが、部屋が汚いと仕事がしづらいし、薬を見つけ出すにも一苦労での。以前はミハルが整理をしてくれていたんじゃが、最近は忙しくてそこまで手が回らんのじゃよ。そこでお前さんの出番というわけじゃ!」
イーザム爺さんは可愛らしくウィンクするが、この汚部屋はそんな簡単に綺麗にはならんぞ。
「わ、わかりました」
「おっ。お前さん、噂のわりには素直じゃな。儂は治療小屋で仕事してくるから、頼んだぞ~い」
イーザム爺さんは、ひらひらと手を振りながら治療小屋へ戻っていった。
残された俺は部屋の惨状を前に大きなため息を吐いたあと、「よしっ!」と気合いを入れる。
とりあえず、今やるべきはこの小屋を綺麗にして整理整頓すること。
いきなり魔獣がはびこる戦場に放り出されないだけマシだ。
そう思いながら、腕まくりをして汚部屋という小さな戦場に挑む。
まずは部屋の全容を把握するために、散乱した物を一旦外に出していくが、量が半端ない。
物を運び出すだけで、ひ弱なアンジェロの体は息が上がる。ふぅ……と一息つきながら外へ視線を向けると、遠くからこちらをチラチラと見る兵士たちの姿が目に入った。
治療小屋にいた兵士たちのリアクションから察するに、俺はなかなかの有名人のようだ。流れている噂の内容がどんなものかは気になるが、怖いので今は追及しないでおこう。
床に置いてあった荷物やゴミをあらかた外に出し終えると、明らかなゴミは麻袋に詰め込み、イーザム爺さんの私物だろうものと診療に必要そうなものとで分けていく。
整理の途中、医学書らしきものを見つけて手にとった。
解剖生理の本や治療薬の載った本などを見るに、医学の面においては日本よりも劣るように思う。
だがここは魔法が使える世界。
その劣った部分は魔法の力で補っているようだ。
本を読みはじめるといくら時間があっても足りないので、一旦棚へ戻し、また部屋の掃除に取りかかる。
気になる本は、いつか貸してもらえないか聞いてみよう。
小さな楽しみを胸に黙々と整理を続けていると、汚部屋は本当の姿を取り戻してきた。
荷物に埋もれ隠れていた机が姿を現し、埃まみれの床も箒で掃き、雑巾で拭きあげると、なかなか綺麗だ。
残りは棚の上部にある謎の荷物たちの整理。
背の低いアンジェロでは届かないので、脚台を持ってきて棚の上の箱に手を伸ばしていると、横からスッと手が伸びてきた。
「なにをしているのですか?」
不機嫌な低い声に恐る恐る振り向くと、眉間にこれでもかと深い皺を寄せた神殿騎士の青年が荷物をとってくれていた。
――えーっと、名前なんでしたっけ?
会話もあまりしていないし、なんなら名前を呼ぶこともなかったので、初めて顔を合わせたときに騎士が名乗ったシーンを必死に思い出す。
「あ……ノルン、さん……? ありがとうございます」
「いえ」
お。訂正してこないということは正解なんだな。
ホッとしながら、ノルンがとってくれた箱を受け取る。
箱に入っていたのは、添木のようなものだった。これは必要な物だと思い、外で埃を払って部屋に戻ると、ノルンは仏頂面をさらに険しくしていた。
「どうしたんですか?」
「……こんなところでなにをしているのですか? アンジェロ様」
あ。そういえば質問を無視しちゃってたな。
「なにって、掃除ですかね?」
「掃除……?」
素直に伝えると、ノルンは納得いかないという顔をした。
そんな怪しいことをしてるわけじゃないんだから怖い顔するなよ。
「失礼ですが、アンジェロ様は掃除ができるのですか?」
ノルンは怪訝そうな表情で俺を見下ろす。
本当に失礼なやつだなと、俺は唇をムイッと尖らせてノルンに反論した。
「掃除くらいなら僕でもできます」
「ですが、ここには大切な薬品や医療器具もあります。素人のアンジェロ様が無闇に手を出せば、迷惑をかけるのではないですか?」
ノルンは部屋を見渡し、最後に俺が持っている箱に視線を向けると、眉根を寄せて箱に手を伸ばしてくる。
俺は意地になって、箱を自分の胸元に引き寄せた。
「安心してくださいノルンさん。こう見えて僕は整理整頓が得意なんです。それに、医療については少しばかり知識がありますので」
「アンジェロ様が医療に……?」
ノルンの眉間の皺がいっそう深くなったとき、「おい!」と腹に響くような低い声が聞こえた。
恐る恐る振り向くと、最初に出会った赤髪の大柄な男性が、ノルンに負けじと渋い顔をして立っていた。
なんだか怒っている様子だが、俺にはその理由がさっぱりわからない。
――もしや、俺のいない間にこの仏頂面がなにかやらかしたんだろうか……
なんでしょうかと返事をして男性を見上げると、鋭い視線が向けられる。
「おい。こいつは罪人と聞いたが……それは本当か?」
俺を指差し、ノルンに質問をする赤髪さん。
残念ながら怒っていらっしゃる原因は俺のようだ。
ノルンは冷静な口調で返答する。
「教会から通達がきているはずですが。罪人アンジェロ・ベルシュタインが前線地帯で治癒士として奉仕活動を行うと」
――お、おい! 罪人ってストレートに言いすぎじゃないか!? いや、まぁたしかにそうなんだけどさ、言い方ってもんがあるだろう。
ノルンの言葉を聞き、赤髪さんは眉をピクリと動かし、冷ややかな目で俺を見た。
その殺気に満ちた視線に、俺は肉食動物に狙われた小動物のようにプルプル震えてしまう。
「こいつはどんな罪を犯したんだ?」
「アンジェロ様は、公爵家の名を盾に王太子様の婚約者を虐げ、加えてフテラ教を否定、侮辱しました。その罪により、前線での奉仕活動を命じられたのです。自分の罪を認めることができずに仮病を使い出発が遅れたため、知らせていた日程よりも遅れてしまいましたが」
――バカやろう! 仮病なんて使ってないからな! 前世と今世の記憶が入り混じって、ガチで熱が出てうなされたんだよ!
できることなら、この澄まし顔の足でも蹴ってやりたいところだが、そんなことしたら『アンジェロがまた癇癪を起こした!』なんて言われそうだから、とりあえずしょんぼりしておく。
心の中でノルンに蹴りをいれ、赤髪さんのほうへチラリと視線を向けると、彼は間の抜けた顔をしていた。
「あ? いじめとフテラ教の侮辱って……そんなことでここにきたのか?」
「へ……?」
「――っ! 貴方はフテラ教を侮辱するおつもりですか?」
怒りを露わにするノルンを、赤髪さんは苦笑いしながらなだめる。
「あぁ、すまんすまん。そういうつもりじゃなかったんだ。王都で暮らすお前たちと前線で暮らす俺たちとじゃあ、祈る神様が違うんでな」
「……わが国の国教はフテラ教です」
「それは知ってる。ただ、前線で戦う俺たちにとって、忠誠を誓い祈りを捧げる相手は、コイツらだけなんだ」
赤髪さんはそう言うと腰に下げていた剣を指差した。
「俺たちはコイツに命を捧げてるからな」
そう言われるとさすがにノルンも反論できないのか、口をつぐんだ。
ニッと歯を見せながら笑う赤髪さんの姿に、俺はトゥンクと胸をときめかせる。
――やっべぇぇぇ。なにその笑顔! すっげー俺好み! 今すぐ抱かれたい……
頬を赤くしながら赤髪さんを見上げると、笑顔のまま自己紹介してくれる。
「名乗るのが遅くなったな。俺の名前はガリウス。この東の前線地帯の傭兵たちを取り仕切っている傭兵団長だ」
「ア、アンジェロ・ベルシュタインです。よろしくお願いします」
ガリウスさんに続いて名乗り、頭を下げると、彼は驚いた表情を見せた。
「貴族様が俺みたいな下級人間に簡単に頭を下げるとはなぁ。フテラ教を侮辱するだけあって、変なやつだな、お前」
ガリウスさんは俺を見ておかしそうに笑う。
変なやつと認識されるのは少し辛いが、敵意を向けられるよりはマシなので、エヘヘ~と笑ってごまかすことにする。
応援ありがとうございます!
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