小川流2018燕改革!

電撃復帰の青木宣親がもたらした
ヤクルトを変えるさまざまな化学変化

2018.04.13 公式 小川流2018燕改革! 第2回

いまだ記憶に新しい2017シーズンの屈辱的な戦績。ドン底まで低迷したチームを立て直すべく舞い戻った小川監督は、宮本慎也ヘッドコーチを要に据えたチーム改革を断行した。ハードワークに見られる「厳しさ」の追求は、選手達の意識をどのように変え、チームにどんな変化をもたらしているのか――。インタビュアーにライター長谷川晶一氏を迎え、小川監督のスワローズ改革に迫っていく。

(インタビュアー:長谷川晶一)

まさに青木復帰は『電撃』だった
彼の加入がチーム構想を大きく変えた

――いよいよ2018年シーズンが開幕しました。開幕9戦を6勝3敗で終え、4月9日時点では広島と同率首位に。上々のスタートとなりましたね。

小川 昨年までと比べると、すべてのプレーに「執念」が感じられるし、気を抜いたプレーがかなり減ったという点に満足しています。これはキャンプのときから徹底してきたことなので、この点はホッとしています。

――今季から古巣に復帰した青木宣親選手の存在感が際立っているように思います。改めて、青木選手の電撃復帰の経緯を教えていただけますか?

小川 1月28日に社長から、何も内容は知らされないまま、「ちょっと今から出てくることはできないか?」と電話がありました。そのときは別件があったので出かけることはできなかったのですが、翌日球団事務所に行った際に、「青木復帰」という知らせを聞きました。ですから、僕が知ったのは29日のことです。

――スポーツ紙各紙が「青木復帰」を報じたのが30日付の紙面でしたから、マスコミとほぼ同じタイミングで小川監督も知ったわけですね。

小川 そういうことになりますね。これまで、オフ期間には球団社長と青木の間で、コミュニケーションを図っていたことは聞いていましたから、「いつかはヤクルトに戻ってくるだろう」という予感は持っていました。今年のメジャー市場はかなりゆっくりではありましたけど、まさか今年、青木が復帰するとは思っていませんでした。

――キャンプイン直前での青木選手の復帰。描いていたビジョンは、当然変化を余儀なくされたのではないですか?

小川 そうですね。まずは外野手構想が大きく変わりました。当初はバレンティンはレフトで決定していて、残りの2つのポジションを雄平、坂口智隆、そして山崎晃大朗の3人で争うイメージを持っていました。でも、ここに青木が加わるということは、「レフト・バレンティン、センター・青木」が決定するわけですから。外野手争いはかなり熾烈なものになりますよね。一方、攻撃面では、川端慎吾、畠山和洋が順調に復帰したとして、「足を使える選手が足りないな」とも考えていました。だから、僕としては「せめてあと1人は足を使える選手が必要だな」と思っていたんです。

――そこに、まさに「足を使える選手」である青木選手が加わったわけですね。

小川 青木もある程度の年齢に達しているので、昔のような機動力が使えるかどうかは、その時点ではわかりませんでした。でも、確実に「足の使える外野手が加わったな」と手応えを感じました。選手たちも、その点は敏感に察知したようです。1月30日、キャンプに向かう日に空港で会った瞬間、バレンティンの第一声は「今年はファーストを守ります」でしたからね(笑)。

――バレンティン選手自ら、ファーストコンバートを直訴した?

小川 はい。でも、以前僕が監督を務めていた時期に「ファースト・バレンティン」を試したことがあるんですけど、ミットの使い方に難があったし、性格的にもファースト向きではないと感じていたので、その申し出は却下しました(笑)。むしろ、宮本慎也ヘッドコーチと相談の結果、「畠山に何かあったときのために、坂口に準備をさせよう」となって、キャンプ途中から坂口にファーストの練習をやらせることにしました。

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プロフィール

小川淳司
小川淳司

千葉県習志野市出身。習志野高校卒業後、中央大学に入学。1981年ドラフト4位でヤクルトに入団。1992年現役を引退すると、球団スカウトやコーチなどを経て、2010年シーズン途中に監督に就任。2014年シーズンまでチームを率いる。退任後は、2017年シーズンまでシニアディレクターを務め、2018年から再び監督となる。

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