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連載
閑話 そして、彼の今……前編
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「どうです? 戻って来た人たちが住む住居の建設の方は?」
「順調だ……もうすぐ終わる」
「そうっすか……
いつも仕事が早いっすね……」
「そうでもない……予定通りだ」
パウロは額から流れ落ちる汗を、手の甲で拭うと声を掛けてきた人物へと視線を向けた。
そこには、少年……と呼ぶには、少し幼すぎる子どもが、自分と同じように額から滝のような汗を流しながら、隣に座っていた。
どこか生意気そうな、強い光を宿した緑色の瞳と目が合った。
これはきっとロランドのものを受け継いだのだろう、とパウロはなんとなくそんな事を考えていた。
いつもピンと元気よくはねているそのとび色の髪も、今は水分を吸って大人しく垂れ下がっていた。
ここはこの少年、ロディフィスが考案しパウロたちが造った浴場施設のその一角。
蒸し風呂の中に、今、2人はいた。
他の客の姿はない。2人きりだ。
口を開けば生意気な事しか言わないこの子どもの事が、パウロは少し苦手だった。
別に嫌っている訳ではないのだが、なんと言うか……
ロディフィスと会話をしていると、まるで子どもと話している気がしないのだ。
その話し方は理路整然としており、考えを“伝える”と言うより、むしろ何かを教えるられている様な感覚に陥るのだ。
同年代……下手をしたら、年上と話しているような違和感を、パウロはロディフィスから感じていた。
「そう言えば……テオドアさんも棟梁も未だに村長のとこに住んでるんすよね?
家、だいぶ出来上がってるのに?」
「俺たちはそういうのは最後だ……」
パウロは多くを語らず言葉を切った。
「あぁ~、権力者の身内が他の人より先に家持になったら角が立つとか……そう言う事っすか?」
「そうだな……確かにそれもあるが……
俺たちは、まだ住む所にそれほど苦労はしていない。
あの家は、部屋数だけは多いからな……
だったら、他に必要としている者たちに先に回した方がいいだろう……」
彼はそこで一度言葉を止めると、
「……と、テオの奴が言っていた」
少し迷ってから続きを口にした。
今、村には過去に類を見ないほど、多くの人が住んでいた。
一度村を出た者たちが、村に戻って来た事で人口が急増したのだ。
事の始まりは、全てこの隣に座っている子どもが原因なのだと聞いていた……
村長をしている父から聞い話によれば、この浴場施設を建てる為に、ロディフィスが元村人たちを呼び集めたのだと、そう聞かされていた。
最初のうちこそ、とても信じられる話ではなかったが、ロディフィスと話せば話すほど、知れば知るほどその話が嘘でないと理解していった。
パウロ自身、そんな呼び戻された者の一人だった。
人口が増加すれば、当然必要になるのが家、住む場所だ。
戻ってきた者たちは、今は親や兄弟の家に厄介になっているが流石に何時までもこのまま、という訳にはいかなかった。
移住組の中には、村の外で所帯を持ち嫁や旦那、子どもを連れて戻って来た者が少なくない人数存在した。
勿論、出て行った者たちが全員戻ってきている訳ではなかったが、それを差し引いても、出て行った人数以上の人間が村の中に入って来た事になる。
部屋に余裕がある家はいいが、全てが全てそうである訳ではない。
中には、村を離れている間に親族が亡くなっており、昔の馴染みの家に世話になっている、と言う者も少数だが存在していた。
大衆浴場と言う当初の目的である大型建造物が完成した今、彼の……いや、土建組の次の仕事はそんな移住組のために、速やかに住居を建設する事だった。
出来上がった住居に誰が住むか、と言う事に関しては村人間で揉め事にならないよう事前に優先順位を設ける事になっていた。
その調整をしていたのが、テオドアだった。
彼は誰に言われた訳でもなく、浴場施設の建設の、そして完成してからは浴場の管理の傍ら、優先順位を付けるため移住組から生活環境の聞き取りをしていたのだった。
「ああ、テオドアさんがねぇ……」
「あいつは、俺たち兄弟の中じゃ一番頭が良いからな……頭を使う事はあいつに任せておけばいい……
実際、次の村長はあいつだろう……なんて話も昔あったくらいだ……」
村長は世襲制ではなかったが、昔そう言う話があったのは事実だった。
パウロは3人兄弟の三男で、テオドアは次男、パウロの一つ上の兄だ。
昔から頭と要領が良く、何でもそつ無くこなす男だった。
パウロも、村にはテオドアが残るものとばかり思っていたが……
どう言った経緯があったのかは知らないが、彼もまた自分と同じように村を出る事になったらしく、結局村に残ったのは一番上の兄だった。
(まぁ、俺の場合は勝手に村を飛び出したんだがな……)
「へぇ……そうなんすか?
テオドアさんが村長……ねぇ……」
どこか得心が行かない、と言った感じのロディフィスの声にパウロは何が不満なのかと眉根をよせた。
「……なんだ、気に入らないのか?
お前は、テオと仲がいいと思っていたが……?」
「別に不満って訳じゃないっすけど……
俺は村長やるなら、棟梁の方がいいかなって……」
「……俺が……か?」
一瞬、自分の耳を疑った。
なぜって、今まで誰からもそんな事を言われた事などなかったからだ。
「だって、やっぱり“村長”って言ったらこう……なんて言うんすかね……
こうビシッと芯が一本通ってる様な人がいいと思うんすよ……
“俺の背中について来いっ!”みたいな……?
現場で仕切ってる時の棟梁って、正にそんな感じって言うか……“頼りがいがある”って言うか……
テオドアさんも、悪くはないと思うっすけど……なんかちょっと“頭”に置くには頼りないなぁ~って……」
たとえ子どもの言葉とはいえ、そう言われて嬉しく思わない訳ではなかった。が……
やはり何処か、落ち着かないものもあった。
自分にそんな価値はない。と、自分自身がそれを全力で否定していた。
「なら、ディオがいるだろ?」
パウロは話の矛先を変えようと、兄弟で一番上の兄の名を口にした。
ディオ、ことバルディオ・バヴォーニ。
兄弟の中で、村に唯一残った者だ。
今は自警団で副団長をしていると、そんな話を聞いた覚えがあった。
自分の記憶の中にある兄の実力なら、団長になっていてもおかしくないと思っていたのだが……
しかし、副団長とは言え“頼りがい”と言う意味では、間違いなく自分より上のはずだ。
「ああ……あの人はもっとダメっすよ……脳みそまで筋肉で出来てますもん……
ガタイはいいっすけど……頼りがいがあるかって言うとちょっと……」
確かに……
言われてみれば、昔から兄は体を鍛える事しか頭になかったように思う。
気づけば何時だって鍛錬していた。
一体何と戦うつもりなのか知らないが、バカみたいに大きな石を剣に括り付け、日夜ぶんぶんと振り回していた記憶が、頭の片隅の方でホコリを被って埋まっていた。
(なるほど……あれは今でも健在なのか……)
懐かしいやら、呆れるやら……
なんとも形容しがたい感情が、パウロの中に沸いてきた。
そして、改めて隣に座る子どもロディフィスへと視線を向けた。
(不思議な子どもだ……)
子どものくせに、周りをよく見ていると思った。
自分への評価だけは、間違っていると言わざるを得ないが……
どこで知ったのか、誰も知らない知識を持ち、得体の知れない道具を作り出す……
(本当に、不思議な子どもだ……
今思えば、アレもこいつが作ったものだっな……)
ふと、思い出されるのは、この村に戻って来たその日の事だった。
あの日の衝撃を、自分は生涯忘れる事は出来ないだろう……と、そう彼は思っていた。
“アレ”とは、ロディフィスが作った魔術陣を使った石のランプの事だった。
触れただけで光る石……
いろいろな土地を転々として来た身だったが、そんなものは見た事もなければ、聞いた事もなかった。
開いた口が塞がらない、とは正にこの事を言うのだろう。
更には、水が勝手に動く水槽を見せられた時は、流石に我が目を疑った。
そして、牛もいないのに動く荷車を見た時は、最早言葉も出なかった。
そのどれもが、彼にはとても信じられない物ばかりだった。
信じられなかったのは、それだけではなかった。
村人の反応にも、彼は言葉を失っていた。
村人は、そんな“何だかよく分からないもの”を、然も平然と扱っていたのだ。
暗くなれば、油のいらないランプに明かりを灯し、水が動く水槽で洗濯をしていた。
勝手に動く荷車を見かけた時など、誰もが荷車に乗っている子どもに笑顔で声をかけていた。
その荷車に乗っていた子どもが、ロディフィスであると知るのはその少しあとの事だった……
一度だけ、どうやってこんな物を作ったのか尋ねたことがあったが、返ってきたのは“魔術の応用みたいなモンですよ”と言うなんとも味気ないものだった。
「ふぅ~、あっちぃ~……
んじゃ、俺はお先に上がらせてもらいますね……」
「ああ……」
「ではでは~、お休みなさい棟梁」
「ああ……」
パタン……
そう言い残して、ロディフィスは蒸し風呂を出て行った。
パウロはロディフィスが出て行った扉を、何とは無しにじっと見つめた。
流れる汗もそのままに、ただじっと……
思い出されるのはあの日の事だった。
転機は、なんの前触れなく突然やって来た。
その日、パウロの前に思いもよらない懐かしい人物が姿を現した。
その人物とは、パウロがまだラッセ村で過ごしていた時分に、懇意にしていた友人だった。
実家には、自分が死んでいない事を伝える程度の内容の手紙を不定期で送っていたなので、自分が今どこに住んでいるかぐらいは、向こうも把握していた事だった。
だから、訪ねてこようと思えば出来なくはないのだろうが、しかし今までこんな事は一度もない事だった。
積もる話もそこそこに、友人は自分を村長の使いだと言い、パウロにこう話を振ってきたのだった。
“なぁ、村に戻ってくる気はないか?”と……
初めは何を聞かれているのか、友人が何を言っているのか理解出来なかった。
村に戻る……?
あの何も無い、ド田舎の農村に今更戻る……? 何故?
理由は、尋ねるまでもなく友人が話して聞かせてくれた。
村で何か大掛かりな建物を建てるらしい。
だから人手がいる。
手を貸してくれたなら俸禄が出る。
移動に金銭が必要だと言うのなら、それも出す。
そして……
希望するなら、そのまま村に戻ってきても構わない……
友人の言葉のその一つ一つが荒唐無稽過ぎで、パウロの理解を超えていた。
話を聞いた事で、余計に何を言っているのか分からなくなったのだ。
自分が村を出たときは、その日の食にさえ困るようなそんな有様だったはずだ……
だから、村を維持するために毎年何人もの村人を、村の外へと追い出さねばならなかった。
口減らしのために……だ。
それが、何かを造るどころか人に金銭を渡して雇うなど……とても信じられる話ではなかった。
友人は自分を担ごうとしているのではないか? と、疑ってしまうほどに。
友人に、村で何が起きているのか尋ねても、返ってくるのは要領を得ない言葉ばかりだった。
村の子どもが、なんだかよく分からない物を作ったらそれが高値で売れた。とか……
そのお陰で、今村はとても裕福だ。とか……
パウロは、興奮気味に話す友人を一旦なだめると、代わりに自分が村を出てからの村の様子を尋ねる事にした。
最初の数年は大した変化はなかったそうだが、ある年の事、農法を変えた事で農地を増やさずに収穫高を上げる事に成功し、これによって多少だが村の生活は良くなったらしい。
そして、そういった地味な努力を続けようやくある程度安定した生活が送れるようになった頃……
ある子どもが作ったものが、村に劇的な変化をもたらした。
それが、友人の話に登場していた件の子どもだった。
その子どもは、様々な物を作っては村の生活を変えていったと言う。
そうして作った物の中の1つが、とある商人の目に留まり高値で取引されているのだと友人は語った。
俄には信じられない話ばかりだったが、この熱烈に語る友人が嘘を言っているようには思えなかった。
村には一生戻るつもりはなかったパウロだったが、今村がどうなっているのか、その一切が気にならないとかと言えば嘘になる。
それに……今はすっかり蓄えが底をついてしまっていた。
先立つものは、あればあっただけ越した事はないのだ。
帰るつもりは無かったが、それはそれ、これはこれである。
仕事を請け負うついでに、一度村に戻って、今の様子を確かめるのも悪くないのかもしれない……
そうと決めると、パウロは友人に仕事を請け負う旨を伝えた。
仕事の内容も、どうやら何か建物を建てる事らしい……
それなら、今の自分なら十分に力になる事が出来る。
村の様子を見て、仕事が終ればもらう物をもらってまた村を出ればいい……
そう考えて、パウロは村へと帰ってきた。
それが今から、およそ20~30日ほど前の事だった。
パウロは未だ、村に残るか、それともまた出て行くのか……それを決めかねたまま、住居建設は終わりを迎えようとしていたのだった……
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
この話はもう少しだけ続きます。
「順調だ……もうすぐ終わる」
「そうっすか……
いつも仕事が早いっすね……」
「そうでもない……予定通りだ」
パウロは額から流れ落ちる汗を、手の甲で拭うと声を掛けてきた人物へと視線を向けた。
そこには、少年……と呼ぶには、少し幼すぎる子どもが、自分と同じように額から滝のような汗を流しながら、隣に座っていた。
どこか生意気そうな、強い光を宿した緑色の瞳と目が合った。
これはきっとロランドのものを受け継いだのだろう、とパウロはなんとなくそんな事を考えていた。
いつもピンと元気よくはねているそのとび色の髪も、今は水分を吸って大人しく垂れ下がっていた。
ここはこの少年、ロディフィスが考案しパウロたちが造った浴場施設のその一角。
蒸し風呂の中に、今、2人はいた。
他の客の姿はない。2人きりだ。
口を開けば生意気な事しか言わないこの子どもの事が、パウロは少し苦手だった。
別に嫌っている訳ではないのだが、なんと言うか……
ロディフィスと会話をしていると、まるで子どもと話している気がしないのだ。
その話し方は理路整然としており、考えを“伝える”と言うより、むしろ何かを教えるられている様な感覚に陥るのだ。
同年代……下手をしたら、年上と話しているような違和感を、パウロはロディフィスから感じていた。
「そう言えば……テオドアさんも棟梁も未だに村長のとこに住んでるんすよね?
家、だいぶ出来上がってるのに?」
「俺たちはそういうのは最後だ……」
パウロは多くを語らず言葉を切った。
「あぁ~、権力者の身内が他の人より先に家持になったら角が立つとか……そう言う事っすか?」
「そうだな……確かにそれもあるが……
俺たちは、まだ住む所にそれほど苦労はしていない。
あの家は、部屋数だけは多いからな……
だったら、他に必要としている者たちに先に回した方がいいだろう……」
彼はそこで一度言葉を止めると、
「……と、テオの奴が言っていた」
少し迷ってから続きを口にした。
今、村には過去に類を見ないほど、多くの人が住んでいた。
一度村を出た者たちが、村に戻って来た事で人口が急増したのだ。
事の始まりは、全てこの隣に座っている子どもが原因なのだと聞いていた……
村長をしている父から聞い話によれば、この浴場施設を建てる為に、ロディフィスが元村人たちを呼び集めたのだと、そう聞かされていた。
最初のうちこそ、とても信じられる話ではなかったが、ロディフィスと話せば話すほど、知れば知るほどその話が嘘でないと理解していった。
パウロ自身、そんな呼び戻された者の一人だった。
人口が増加すれば、当然必要になるのが家、住む場所だ。
戻ってきた者たちは、今は親や兄弟の家に厄介になっているが流石に何時までもこのまま、という訳にはいかなかった。
移住組の中には、村の外で所帯を持ち嫁や旦那、子どもを連れて戻って来た者が少なくない人数存在した。
勿論、出て行った者たちが全員戻ってきている訳ではなかったが、それを差し引いても、出て行った人数以上の人間が村の中に入って来た事になる。
部屋に余裕がある家はいいが、全てが全てそうである訳ではない。
中には、村を離れている間に親族が亡くなっており、昔の馴染みの家に世話になっている、と言う者も少数だが存在していた。
大衆浴場と言う当初の目的である大型建造物が完成した今、彼の……いや、土建組の次の仕事はそんな移住組のために、速やかに住居を建設する事だった。
出来上がった住居に誰が住むか、と言う事に関しては村人間で揉め事にならないよう事前に優先順位を設ける事になっていた。
その調整をしていたのが、テオドアだった。
彼は誰に言われた訳でもなく、浴場施設の建設の、そして完成してからは浴場の管理の傍ら、優先順位を付けるため移住組から生活環境の聞き取りをしていたのだった。
「ああ、テオドアさんがねぇ……」
「あいつは、俺たち兄弟の中じゃ一番頭が良いからな……頭を使う事はあいつに任せておけばいい……
実際、次の村長はあいつだろう……なんて話も昔あったくらいだ……」
村長は世襲制ではなかったが、昔そう言う話があったのは事実だった。
パウロは3人兄弟の三男で、テオドアは次男、パウロの一つ上の兄だ。
昔から頭と要領が良く、何でもそつ無くこなす男だった。
パウロも、村にはテオドアが残るものとばかり思っていたが……
どう言った経緯があったのかは知らないが、彼もまた自分と同じように村を出る事になったらしく、結局村に残ったのは一番上の兄だった。
(まぁ、俺の場合は勝手に村を飛び出したんだがな……)
「へぇ……そうなんすか?
テオドアさんが村長……ねぇ……」
どこか得心が行かない、と言った感じのロディフィスの声にパウロは何が不満なのかと眉根をよせた。
「……なんだ、気に入らないのか?
お前は、テオと仲がいいと思っていたが……?」
「別に不満って訳じゃないっすけど……
俺は村長やるなら、棟梁の方がいいかなって……」
「……俺が……か?」
一瞬、自分の耳を疑った。
なぜって、今まで誰からもそんな事を言われた事などなかったからだ。
「だって、やっぱり“村長”って言ったらこう……なんて言うんすかね……
こうビシッと芯が一本通ってる様な人がいいと思うんすよ……
“俺の背中について来いっ!”みたいな……?
現場で仕切ってる時の棟梁って、正にそんな感じって言うか……“頼りがいがある”って言うか……
テオドアさんも、悪くはないと思うっすけど……なんかちょっと“頭”に置くには頼りないなぁ~って……」
たとえ子どもの言葉とはいえ、そう言われて嬉しく思わない訳ではなかった。が……
やはり何処か、落ち着かないものもあった。
自分にそんな価値はない。と、自分自身がそれを全力で否定していた。
「なら、ディオがいるだろ?」
パウロは話の矛先を変えようと、兄弟で一番上の兄の名を口にした。
ディオ、ことバルディオ・バヴォーニ。
兄弟の中で、村に唯一残った者だ。
今は自警団で副団長をしていると、そんな話を聞いた覚えがあった。
自分の記憶の中にある兄の実力なら、団長になっていてもおかしくないと思っていたのだが……
しかし、副団長とは言え“頼りがい”と言う意味では、間違いなく自分より上のはずだ。
「ああ……あの人はもっとダメっすよ……脳みそまで筋肉で出来てますもん……
ガタイはいいっすけど……頼りがいがあるかって言うとちょっと……」
確かに……
言われてみれば、昔から兄は体を鍛える事しか頭になかったように思う。
気づけば何時だって鍛錬していた。
一体何と戦うつもりなのか知らないが、バカみたいに大きな石を剣に括り付け、日夜ぶんぶんと振り回していた記憶が、頭の片隅の方でホコリを被って埋まっていた。
(なるほど……あれは今でも健在なのか……)
懐かしいやら、呆れるやら……
なんとも形容しがたい感情が、パウロの中に沸いてきた。
そして、改めて隣に座る子どもロディフィスへと視線を向けた。
(不思議な子どもだ……)
子どものくせに、周りをよく見ていると思った。
自分への評価だけは、間違っていると言わざるを得ないが……
どこで知ったのか、誰も知らない知識を持ち、得体の知れない道具を作り出す……
(本当に、不思議な子どもだ……
今思えば、アレもこいつが作ったものだっな……)
ふと、思い出されるのは、この村に戻って来たその日の事だった。
あの日の衝撃を、自分は生涯忘れる事は出来ないだろう……と、そう彼は思っていた。
“アレ”とは、ロディフィスが作った魔術陣を使った石のランプの事だった。
触れただけで光る石……
いろいろな土地を転々として来た身だったが、そんなものは見た事もなければ、聞いた事もなかった。
開いた口が塞がらない、とは正にこの事を言うのだろう。
更には、水が勝手に動く水槽を見せられた時は、流石に我が目を疑った。
そして、牛もいないのに動く荷車を見た時は、最早言葉も出なかった。
そのどれもが、彼にはとても信じられない物ばかりだった。
信じられなかったのは、それだけではなかった。
村人の反応にも、彼は言葉を失っていた。
村人は、そんな“何だかよく分からないもの”を、然も平然と扱っていたのだ。
暗くなれば、油のいらないランプに明かりを灯し、水が動く水槽で洗濯をしていた。
勝手に動く荷車を見かけた時など、誰もが荷車に乗っている子どもに笑顔で声をかけていた。
その荷車に乗っていた子どもが、ロディフィスであると知るのはその少しあとの事だった……
一度だけ、どうやってこんな物を作ったのか尋ねたことがあったが、返ってきたのは“魔術の応用みたいなモンですよ”と言うなんとも味気ないものだった。
「ふぅ~、あっちぃ~……
んじゃ、俺はお先に上がらせてもらいますね……」
「ああ……」
「ではでは~、お休みなさい棟梁」
「ああ……」
パタン……
そう言い残して、ロディフィスは蒸し風呂を出て行った。
パウロはロディフィスが出て行った扉を、何とは無しにじっと見つめた。
流れる汗もそのままに、ただじっと……
思い出されるのはあの日の事だった。
転機は、なんの前触れなく突然やって来た。
その日、パウロの前に思いもよらない懐かしい人物が姿を現した。
その人物とは、パウロがまだラッセ村で過ごしていた時分に、懇意にしていた友人だった。
実家には、自分が死んでいない事を伝える程度の内容の手紙を不定期で送っていたなので、自分が今どこに住んでいるかぐらいは、向こうも把握していた事だった。
だから、訪ねてこようと思えば出来なくはないのだろうが、しかし今までこんな事は一度もない事だった。
積もる話もそこそこに、友人は自分を村長の使いだと言い、パウロにこう話を振ってきたのだった。
“なぁ、村に戻ってくる気はないか?”と……
初めは何を聞かれているのか、友人が何を言っているのか理解出来なかった。
村に戻る……?
あの何も無い、ド田舎の農村に今更戻る……? 何故?
理由は、尋ねるまでもなく友人が話して聞かせてくれた。
村で何か大掛かりな建物を建てるらしい。
だから人手がいる。
手を貸してくれたなら俸禄が出る。
移動に金銭が必要だと言うのなら、それも出す。
そして……
希望するなら、そのまま村に戻ってきても構わない……
友人の言葉のその一つ一つが荒唐無稽過ぎで、パウロの理解を超えていた。
話を聞いた事で、余計に何を言っているのか分からなくなったのだ。
自分が村を出たときは、その日の食にさえ困るようなそんな有様だったはずだ……
だから、村を維持するために毎年何人もの村人を、村の外へと追い出さねばならなかった。
口減らしのために……だ。
それが、何かを造るどころか人に金銭を渡して雇うなど……とても信じられる話ではなかった。
友人は自分を担ごうとしているのではないか? と、疑ってしまうほどに。
友人に、村で何が起きているのか尋ねても、返ってくるのは要領を得ない言葉ばかりだった。
村の子どもが、なんだかよく分からない物を作ったらそれが高値で売れた。とか……
そのお陰で、今村はとても裕福だ。とか……
パウロは、興奮気味に話す友人を一旦なだめると、代わりに自分が村を出てからの村の様子を尋ねる事にした。
最初の数年は大した変化はなかったそうだが、ある年の事、農法を変えた事で農地を増やさずに収穫高を上げる事に成功し、これによって多少だが村の生活は良くなったらしい。
そして、そういった地味な努力を続けようやくある程度安定した生活が送れるようになった頃……
ある子どもが作ったものが、村に劇的な変化をもたらした。
それが、友人の話に登場していた件の子どもだった。
その子どもは、様々な物を作っては村の生活を変えていったと言う。
そうして作った物の中の1つが、とある商人の目に留まり高値で取引されているのだと友人は語った。
俄には信じられない話ばかりだったが、この熱烈に語る友人が嘘を言っているようには思えなかった。
村には一生戻るつもりはなかったパウロだったが、今村がどうなっているのか、その一切が気にならないとかと言えば嘘になる。
それに……今はすっかり蓄えが底をついてしまっていた。
先立つものは、あればあっただけ越した事はないのだ。
帰るつもりは無かったが、それはそれ、これはこれである。
仕事を請け負うついでに、一度村に戻って、今の様子を確かめるのも悪くないのかもしれない……
そうと決めると、パウロは友人に仕事を請け負う旨を伝えた。
仕事の内容も、どうやら何か建物を建てる事らしい……
それなら、今の自分なら十分に力になる事が出来る。
村の様子を見て、仕事が終ればもらう物をもらってまた村を出ればいい……
そう考えて、パウロは村へと帰ってきた。
それが今から、およそ20~30日ほど前の事だった。
パウロは未だ、村に残るか、それともまた出て行くのか……それを決めかねたまま、住居建設は終わりを迎えようとしていたのだった……
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この話はもう少しだけ続きます。
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