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事例1 九十九人殺しと孤高の殺人蜂【事件篇】

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 さて、話しかけたはいいが、どこからどう切り出すべきか。ダイレクトに事件のことを話すのは不自然であるから、何か上手いことを言って取り次いで貰うことを優先したいのだが――。

「ちょっと聞きたいんっすけど、この子達に見覚えはないっすか? ここの生徒だったらしいんすけど」

 偶然ともいえるチャンスを無駄にしまいと、慎重に事を運ぼうと思案する縁をさて置き、尾崎はポケットからコピー用紙らしきものを取り出した。ちらりと見えたそれは、どうやら犠牲者の顔写真を並べてコピーしたものであるようだった。こちらが慎重なスタンスを見せているのに、尾崎の余計な行動力が全てを台無しにしてくれた。こんな感じで、遠慮なく被害者遺族のところにも踏み込んだのであろう。溜め息しか出ない。

「いや、見覚えはないですねぇ。僕が受け持っている授業は、人手が足りない時に入る授業がほとんどですから。生徒の顔なんていちいち覚えていないんですよねぇ」

 尾崎はその言葉に「そうっすかぁ」と呟き、大きく落胆する。それはもう分かりやすいくらい、がっくりと肩を落とした。現実はそんなに甘くないわけであるし、推理小説のように都合よく被害者のことを知っている人間と遭遇したりもしない。勇み足もいいところである。

「――もし良かったら、他の講師の方にも聞いてみますか? あれだったらご案内しますよ」

 しかしながら、あまりにもダイレクトすぎる尾崎のやり方が、またしても功を奏してしまったらしい。やり方は褒められたものではないが、怪我の巧妙というべきか、結果オーライというべきか。そのような運を尾崎は持ち合わせているのかもしれない。甘いマスクの男は、その表情に笑顔を浮かべたまま、ちらりとエレベーターのほうへと視線を移した。

「いいんですか? だったら是非ともお願いします」

 縁は尾崎が口を開くより先に、その男に対して懇願した。事情もろくに話していないのに、塾の人間に取り次いでくれるなんてありがたい。むしろ理想の展開とも言える。

「えぇ、それくらい構いませんよ。じゃあ、一緒に行きましょう」

 たまたま会った男が柔和にゅうわな感じであり、またアルバイトであるというのも一役買ったのかもしれない。もっと塾の本幹ほんかんに関わる人間ならば、警戒して門前払いなんてこともあっただろうに。

 甘いマスクの男を先頭にして、三人でエレベーターに乗る。あっという間にエレベーターは到着し、三人はひっそりと静まり返った廊下に降り立った。
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