捕獲されました。

ねがえり太郎

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捕獲しました。<亀田視点>

5.戯れています。

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 食事をしながら、ケージの中でお土産のチモシートンネルに興味津々のミミを見守る。
 口元がニマニマしてしまうのは、仕方が無い。ヒクヒクと鼻を動かしながらケージに侵入して来た異物を、おっかなびっくり調べている様子が可愛らし過ぎるのだ。

 やがてミミはトンネルの中に鼻先を突っ込み首を引っ込めたり差し込んだりするようになった。何も怖い事が無いと言う事が、十分な調査で判明したらしい。そこまでしてようやく、勇気を出してソロリソロリと足を踏み入れ始めた。
 姿勢を低くしてゆっくりと体を入れ……牧草のトンネルの中にチョコンと収まったその光景を目にした時、俺の心の中には歓喜と、例えようのない充足感が湧き上がった。

 イエッス!

 俺は知らず知らずのうちに箸を握りしめながらガッツポーズをしていた。
 以前購入したオモチャは鼻を近づけただけで放置されていた。どうやらこちらはミミのお気に召したようだ。これほどの達成感は―――新商品の受け入れは全て社長の試食と面接により行うと言う老舗菓子舗から、予想以上の大量注文を取り付けたあの時以来かもしれない。

 トンネルの中に収まった黒い毛皮の塊の、鼻だけがかろうじてヒクヒクしているのが視認できる様子を眺めながら―――俺は上機嫌で食事を続けたのだった。




 食事の後片付けを終えた後は、部屋の中に余計な物が無いか確認していよいよミミの散歩の時間だ。一日一時間ほどケージから出して運動させる事にしている。ウサギが齧りそうな物は全て高い所に非難させた。特にコードは放置しないよう気を付ける。ウサギが齧りたくなるような魅力的な形をしていて、更に感電の危険があるからだ。そのうちコードを守るチューブも購入しようと考えている。
 ウサギを飼い始めて想定外だったのは、おそらく猫よりも壁紙や建具に気を使わなければならない事だ。ケージから出して散歩させているとソファの脚をカリカリと齧り始めたので驚いた。
 その週末、レンタカーを借りホームセンターへ行って壁を守る養生用のプラダン(プラスチックで出来た透明な断熱シート、歯が立たないくらいの硬さがある)や金網を手に入れた。ミミに齧られたく無い場所をプラダンで囲い、キッチンなど危険な場所に入り込まないようケージから出す時は金網で通り道を塞いだ。

 動物を飼うのは、やはり思った以上に手間が掛かる。
 ウサギの飼い方は色々なサイトに掲載されているが、微妙に情報に違いがあるのでどれを選択するべきか、正しい情報なのかと言う判断に悩んでしまう。きっとウサギそれぞれにも個体差があって、それぞれ性格や性質が違うからどれが正解と言う事も無いのだろう。営業の仕事の仕方と少し被る部分があると思った。一般的な営業テクニックを学ぶ事は大事だが、それが誰にでも通用するとは限らない。お客様それぞれに好みや地雷があるのだ。阿部もウサギを飼えばそう言った事に気が付いてくれるだろうか、などと考えてみる。
 だが自分でも周囲にコワモテと恐れられている自覚のある俺が、突然ウサギを飼っていると告白し、更に同志になるよう勧めたとする。―――盛大に引かれるだろう。それに好きでも無いのにお付き合いで飼われたらそのウサギが可哀想だ。
 ウサギを飼う者は、心底ウサギに惹かれた者であって欲しい、と俺は願うのだ。

 こうしてミミと暮らして来て改めて実感したのは、生き物を飼うのはとても大変だと言う事だ。その大変さを苦と思わずに過ごせるのは、ひとえに俺がミミに夢中だからだ。積極的に関わろうと言う気持ちが無い者に、ウサギ飼いになって貰いたいとは思わない。好きでなければ出来ない苦労が多すぎるからだ。人間にもウサギにもそれは不幸な事だと思う。流されたようになし崩しでミミを飼ってしまった自分が言うのも何なのだが……。



 準備を終えて、ケージを開ける。
 指を近づければヒクヒクと黒い鼻を近づけてくれるが、初日にがっしり捕まえられた事がトラウマなのか、手を伸ばすとスイッと避けられてしまう。何とももどかしいが、ウサギは極端に臆病な生き物らしい。あちらから近付いてくれるのを、ひたすら待つことに決めて放って置く事にしている。

 ミミを放置して、ソファの前のテーブルで仕事の資料に目を通す。ラグに直接座りつつソファに座らずに背を預けのんびりとしていた俺の掌に、唐突にグイッと何かが押し込まれた。

 驚いてテーブルの下に下ろしていた手を見ると、そこに頭を突っ込むようにして大人しく体を伏せているミミがいた。

 感動で胸が熱くなる。欲望に任せてしつこく追い回さなくて、本当に良かったと思った。

 満足気に俺の掌に頭を突っ込んで地に腹を付けているミミの、鼻づらを指で擦ってみる。すると、もっともっとと言うようにグイグイとあちらからも鼻づらを押し付けて来る。

 その我儘な素振りに―――またしても胸を撃ち抜かれる。



「可愛いな……」



 ポツリと呟く。
 篠岡の言う通りだ。何だかと言う謎のホルモンが出まくっているのを実感する。
 仕事の理不尽も、部下の仕事に直接自分が手を下せないもどかしさも、出世に対する周囲の的外れのやっかみも、女達に付けられたひっかき傷も全て。この触れ合いがリセットしてくれる気がした。

 俺はまんまと幸せな罠に自分から嵌り込んでしまったのだ。
『結婚出来ない』と、かつて自嘲的に悲壮な気分で心の中で愚痴ったものだが―――今は自信を持って言える。
 結婚より何より、ミミとの生活の方が数倍、いや何十倍も俺にとって大事な事だ。もう結婚なんか出来なくても構わない。独身男が犬を飼ったら終わりと言うが―――ウサギを飼って俺は幸せを手に入れた。きっとペットを飼った他の独身男達もこのように満足してしまっているに違いない。そう改めて深く、実感したのであった。

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