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その21:東京空襲! 小笠原沖海戦 5

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 駆逐艦グインの聴音員が、海流によるノイズを潜水艦の航行音と誤認した。それが探知報告として上がり、潜水艦を排除するため、グインは行動を開始する。
 艦隊本隊から離れたグインは幻影の潜水艦に爆雷を叩きむ。
 
 それが、戦場特有の緊張による誤認であることに気づいたときには、事態はアメリカ海軍にとって最悪のものとなろうとしていた。

 双発機として規格外の航続距離を一式陸攻にとっても、1000km以上の長距離攻撃は、通常の運用限界を超えていたのだ。
 接敵行動を続けていた二式大艇も退避していた。直近の艦隊位置はプロットできていた。
 しかし、1940年代の技術では、そのような条件を揃えても、そこにたどり着くには高い技量が要求された。
 一式陸攻30機の編隊は、すでに燃料の限界点を迎えようとしていた。

 もし、駆逐艦グインが発見できなければ、彼らは帰投するしかなかったであろう。
 駆逐艦グインの進路をたどり、一式陸攻30機は蒼空を突き進む。
 
「空母! 空母だ! 空母2隻! 巡洋艦4隻――」

 通信士が打電する。
 白い航跡を引き、アメリカの空母機動部隊が洋上に現れた。

「本土防空なんてつまらん思いつきで、お茶をひいていると思ったが――」
 
 井本大尉は、誰に言うとなくつぶやいた。
 彼は艦影を確認する。巨大な煙突を持つレキシントン級ではないようだった。
 すでに、同級のサラトガは潜水艦攻撃で沈んでいる。
(日本海軍はそう判断していたが、実際は大破)

「ヨークタウン級か?」
「おそらくは――」

 正規空母であることは間違いなかった。
 やつら、調子に乗ってノコノコここまできやがったのか。
 井本大尉は口の中が乾いているのに気付いた。無理やり唾液をだし舌で唇を湿らせる。

「攻撃する。全機突入」
 井本大尉は言った。

「トーットトト、トーットトト、トーットトト」
 ト連送の打電が行わる。
『ワレ、コレヨリ突撃ス』という意味だ。
 
 今まさに、大日本帝国が艦隊決戦のために生み出した双発攻撃機「一式陸攻」。
 その機体が、敵空母に鉄槌をくらわすべく、突撃を開始したのだった。
 各員はすでに機銃に張り付いている。
 見張りの緊張感が鉄のような質量をもって機内に満ちてくる。
 こうなってくると、この雲量の多さが恨めしくなってくる。
 雲間から今にもグラマンが飛び出してくるのではないかと気が気ではない。

 一式陸攻は高性能炸薬を充填した25番(250キロ爆弾)2発を搭載。
 弾体の分厚い、通常爆弾(対艦攻撃用)と陸用爆弾が混在している。
 30機で合計60発だ。
 本来であれば、魚雷を搭載した機体も参加し、雷爆同時攻撃が望ましかった。
 しかし、無い物はしょうがない。 

 高度は3000メートルを維持。
 高高度であれば、爆弾の終端速度は上がる。しかし、命中は難しくなる。
 かといって、低空であれば当たりやすいかといえば、そうでもない。
 移動目標に対して接近すれば、角速度が多くなり、それも命中率を下げる要因となる。
 現在の高度からの公算爆撃だ。

 25番で正規空母を仕留めるは困難だ。まずは、飛行甲板、対空砲を潰す。
 それを優先すべきだった。 
 後続の攻撃隊も存在するのだ。

「上空警戒の戦闘機はどこだ? 見張りは気を緩るな」

 陸攻の各員は防御機銃に張り付き、空を見張る。
 今のところ、戦闘機は見えない。このまま、出てこないでくれと祈る。
 防御火器は、7.7ミリ機銃が4丁に20ミリが尾部に1丁だ。
 弱くはないが、決して強力とも言い難い。
 すでに、零戦は引き返している。もはや護衛はいない。
 頼れるのは防御火器だけだった。

 一式陸攻は脆弱な機体といわれている。実際にそうだ。少なくとも乗っている自分たちの実感ではそうだ。

 航続距離を稼ぐために、翼にはパンパンに燃料が詰まっていた。
 しかし、今は空のタンクが大半だ。燃料は使えばなくなる。
 危険性でいえば、パンパンにガソリンのつまったタンクよりもガソリンがなくなり、空気と混合している状態となっているタンクの方が危険だった。

 一式陸攻は、翼の構造材を密閉してそのままタンクにしている。インテグラル・タンクというやつだ。
 本来、同機は、96式中攻の防御力の低さを解決するために、作られたものだった。
 防御力の強化は軍から提示されている。しかし、それを技術的に無理であると蹴ったのは、民間メーカーの開発陣の方であった。
 人命軽視の「軍」という紋切型の定説では説明できない事実だった。

 防御力強化のため一応、外貼りではあるが、燃料タンク外周に30ミリのゴムが追加されている。
 ただ、これにしても気休めのようなものだった。無いよりはマシといった装備だ。

 地上攻撃であれば、高高度性能が比較的良好な一式陸攻は8000メートルの高度で作戦をすることで被害を局限できた。
 すでに、中国戦線ですら、この戦法が常道になっている。

 しかしだ――
 対艦攻撃はそうはいかない。
 8000メートル高度で、艦艇に命中弾を出すなど不可能に近い。
 さらに、雷撃であれば、敵の対空砲火の中をつっきり低空を突き進むしかない。
 海面すれすれを突き進み、震えを抑え込み、その身の幸運を祈るしかないのだ。

「グラマン直上!」という声が響いた。
 黒く太く、そして直線的で強靭そうに見えるグラマン。優雅な曲線で構成される零戦とは対極にある設計思想。
 凶悪な兵器というフォルムだった。
 それが礫のように降ってきた。
 
        ◇◇◇◇◇◇ 

「クソバエどもが! ジャップのクソバエがぁぁぁ! 叩き落せ! 生かすな。殺しまくれ!」
 ハルゼーが吼えた。
 ジャップがクソバエなら、俺たちは「クソ」なのか? と幕僚の1人は思ったが、声は出さない。
 出したら、ハルゼーのパンチが唸りを上げる。
 しかし、状況はクソのようなものであった。

 今、上空にいる戦闘機は、たった2機だった。
 ありとあらゆる事態が、彼らの艦隊に災厄として降りかかっていた。
 まず、エンタープライズのエレベータが破損。
 これは、エレベータの乗せた戦闘機の固定にゆるみがあったせいだ。
 二式大艇が25番を投棄した際に、それを攻撃とみて、回避運動を実施。
 その際の船体の傾きで、固縛を外れた戦闘機が、格納庫に落下。
 周辺装置を破損し、自身も破損、廃棄となった。

 このため、エンタープライズは窮屈な戦闘機運用を余儀なくされていた。
 落ちくぼんだまま固定されたエレベータのため、着艦は、ホーネットにせざるを得なかった。

 その他、燃料補給。銃弾の補給など、予想以上に現場は混乱していた。
 結果として、今このタイミングで空にいるのはF4Fが2機にすぎなかった。
 30機の一式陸攻に対し、あまりにも数が少なすぎた。

 それでも、補給の終わった機体がホーネットから飛び立っていく。
 彼らが阻止活動に有効に機能するかどうかは微妙なタイミングだった。

 50キロの時点で発見された一式陸攻は、巡航速度でも10分足らずでその距離を潰す。
 高度が低いのが救いであるが、F4F-4は、上昇力に問題のある機体だった。
 上空に待機し、優位な位置から一撃をかけ、反復攻撃するならまだしも、今からの発艦では間に合うがどうか微妙だ。

 レーダは確かに手前で敵を捕捉することができた。
 しかし、その情報を生かす運用システムの構築には、アメリカ海軍といえどもまだ時間がかかった。
 レーダとはアメリカ海軍にとっても、まだ成熟しきってない新兵器であるのだ。

「早く! 戦闘機を上げろ! なにをやってる!」
 ハルゼーは怒鳴りながらも、頭の隅で考えていた。

 この作戦は、やる価値のあるものだ。黄色いサルどものクソのような都に爆弾を落としてやる。
 爽快な作戦だ。最終的に、奴らの国を完全に焼け野原にしてやるための第一歩だ。
 サルの棲みからしい、文明の欠片もない、世界にしてやりたい。
 ハルゼーは心から願っている。

 そして、この作戦は普通の常識では考えられないものだ。
 陸上機を空母に積み、片道攻撃だ。中国大陸に滑り込むといっても、気休めだと思う。
 
 ハルゼーはこのような勇気のいる作戦に身を投じた合衆国の若者を誇りに思っていた。
 合衆国の青年の迸る愛国心が無ければ、この作戦は成立しない。
 それほどまでに、無謀で奇想天外な作戦だ。
 我々自身が、想像するのが困難なほどの作戦なのだ。

「なぜ、奴らの接敵がこんなに早い……」

 ハルゼーは眉間にしわを寄せ、幕僚の1人に意見を求めた。
 彼は、偶然ではないかというようなことを言った。使えない男だと思った。
 答えは一つしかない。少なくとも合衆国海軍兵学校(アナポリス)出身者であれば、当然行き着く結論だ。

 奴らに読まれている――

 ハルゼーの思考はその結論にたどりつく。
 暗号が漏れているのか……
 ハワイの情報局は、すでに日本海軍の作戦暗号の解読に成功していた。
 しかしだ……
 もし、同時にこちらの暗号も破られているとしたら……

 それを意味の無い妄想であると断じるには、迫りくる日本海軍機はその状況証拠として強烈すぎた。
 さもなくば、自分の機動部隊がジャップごときに、ここまで追い詰められるわけはない。

「対空戦闘準備――」

 Mk12、38口径12.7センチ両用砲が旋回し仰角を上げる。
 毎分18発の射撃レートを持つ無慈悲な鉄槌だった。
 レーダに連動する高射射撃装置が起動する。
 人が感じることのできない電子の目が、一式陸攻を捕捉すべく諸元を高射射撃装置に送り込んでいた。
 すでにその砲には、砲弾が装填されていた。

「対空戦闘準備よし――」
「対空戦闘開始」

 そして、エンタープライズ、ホーネット。護衛の艦艇の高角砲が炎を吐きだした。
 天を焦がす炎であった。

        ◇◇◇◇◇◇ 

 一気に下降するF4F。真っ黒い礫のような塊が2つ降下していった。
 瞬間、ガンガンと機体を叩く音。12.7ミリ機銃がジェラルミンのボディを削って突き抜ける。
「タタタタタ」という軽快ではあるが、どこか頼りなさげな音が響く。陸攻の装備した7.7ミリ機銃だ。
 だが、すでにグラマンは射界の外だった。

「被害は!? 状況を報告」
「両発動機とも問題なし、被害確認できず」

 幸運にも弾丸は致命部を外れたようだ。
 12.7ミリ弾はアルミのボディにミシン目を付けただけであった。
 だが、この幸運がいつまでも続くとは思えなかった。

「2機しかいないのか?」
 井本大尉は、周囲を確認する。黒く分厚い雲間から、いまにもF4Fが飛び出てきそうな気がした。
 攻撃を終えたF4Fは反転上昇に移っていた。上昇速度は、機敏とは思えなかったが脅威であることは確かだった。

「大尉! 三番機、脱落」
 声がした。三番機がエンジンから火を噴き、ゆっくりと高度を落としていた。
 オレンジ色の炎が翼全体に広がっていくのが見えた。
 やがて、炎は全身を包み込み、その機体をバラバラに分解させた。
 7人の命が消えた。
 井本大尉は操縦桿を握りこむ手に力を込めた。

 公算爆撃を実施するには、編隊を崩すわけにはいかなかった。
 そのまま空母に向かって直進する。
 高度3000メートル。上昇してきたF4Fが再び銃撃を開始した。
 アイスキャンデーのような曳光弾が伸びてくる。
 翼を真っ赤に染めながら、黒い死神がチロチロと紅い舌で舌なめずりしているようなものだ。

 F4Fが、改造による重量増加で機動力が減殺されていたとしても、時速300キロ台で突入する陸攻は鴨以外のなにものでもなかった。
 こんどは2機の陸攻が脱落した。
 30機の陸攻は27機となった。たった2機の戦闘機でこのありさまだった。

「グラマン、遠ざかっていきます」
 確かにそうだった。ターンを切ったF4Fは陸攻から距離を開けた。

 次の瞬間――
 空母が噴火したのかと思った。
 アメリカの空母、そして護衛艦艇が一斉に対空射撃を開始したのだった。
 嵐の中に叩きこまれたように機体が揺れる。
 奴らの射撃は妙に正確だった。
 
 真っ黒い煙の花が空に咲いていく。
 空気を振動させ、機体を震わせる。ビシビシとリベットが爆ぜる音がした。

「なんて…… 火力だ……」

 それは、イギリス海軍の対空砲火などとはレベルが違っていた。
 対艦攻撃してくる有力な空の敵を想定してないイギリス海軍の高角砲は性能が低い。
 毎分8発の高射砲に、失敗作といわれるポンポン砲である。
 日本の89式12.7サンチ高角砲の毎分14発に比べても見劣りする。

 しかも、攻撃機の突入速度は、自分たちの複葉機を基準にしていたのだ。
 大西洋では通用した能力かもしれないが、太平洋の戦線ではそれは通用しなかったのだ。
 つまり、マレー沖海戦は、日本側の技術的な奇襲ともいえる側面があった。

 アメリカ海軍はそんな生易しくはなかった。
 日本を仮想敵として、積み上げた技術は高水準にあった。
 1942年のこの時点ですら、対空火力において、米艦隊は世界でも最優秀といえた。
 まだ、近接信管もボフォース40ミリ機関砲も装備されてはいない。
 それでも、その威力は凄まじかった。
 
        ◇◇◇◇◇◇ 

「敵、弾幕を突破! エンタープライズ、ホーネットに迫ります」
 見張りが声を上げる。

 敵機は攻撃隊を2手に分けてきた。一度に2隻を攻撃するつもりなのだろう。
 敵機は半分くらい叩き落してやった。しかし、奴らは突撃をやめない。
 まるで、自殺するレミングの行進のようだ。いや、昆虫めいた不気味さだ。ハルゼーはそう感じた。
 絶対に日本人とは理解しあえないと思った。

 ジャップのデブな爆撃機は、護衛の駆逐艦、巡洋艦をスキップして上空にやってきていた。
 空母の発着艦作業で、陣形が乱れていた。
 安ぽい洗濯機みたいなエンジン音がかすかに聞こえる。パタパタ、ジャカジャカと耳に触るクソのような音だ。
 そのチンケな日本製に、今俺の艦隊が危機に瀕している。

 パラパラと安っぽそうな黒い爆弾がこぼれ落ちてきた。
 メイド・イン・ジャパンらしい品質であることを祈った。
 つまり、不良品。爆発しないということだ。
 
 ハルゼーが3回目の祈りを終えた瞬間、エンタープライズが揺れた。
 神様はその祈りをきいてくれなかった。
 くそ、真面目に教会にいっとけばよかった……

 ホーネットに1発、エンタープライズに2発の爆炎が上がった。
 25番(250キロ爆弾)が直撃したのだった。
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