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第九章 戦役

 幕間 奔走 二

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 首都エクターを立ったシェードの長老は、北部にある林を訪れていた。
 まだ林に足を踏み入れていないが、その場所は長老が想像していたのとは違い、穏やかで綺麗な林なままだった。

「こちらの道から中に入ります。そう緊張なさらなくとも、彼らはいきなり攻撃してくる事はありません。むしろ、先導をしてくれるぐらいですよ」

 隣を歩く長老に向かって、青年兵士が落ち着いた様子で言った。

 今回、長老が訪れた林は、ゼンの友であり、また部下でもあるゴブリン達が潜んでいる場所だ。
 ゴブリンたちはラングネル大公からの依頼で常駐している状態だ。
 現在は、この林の周囲にはラングネル兵が、民と接触しないように関所を設けて、また定期的に食事の配給を行っている。
 突然訪れた長老の案内を買って出た彼は、その仕事を受け持っている兵士の一人だ。

「それにしても、シーレッドはまだやる気なんですね……。ラングネルに今動ける兵士がいないのが悔しいです……」
「それは致し方ないのでは。ラングネルは独立直後なのですから」

 すでにこの場所にも、シーレッド兵が領地内に侵入している事は伝わっていた。
 だが、ここで待機している兵士は百にも満たない。
 シーレッドは封建制でありながら領主の権限は低く、多くのシーレッド兵は王軍だったため、この地に元からいた兵士自体が少なかったのだ。

 林の中を進んでほどなくすると、青年兵士が口を開いた。

「そろそろ、コボルトたちが姿を現しますよ。――ほら、走ってきました。あの先頭の奴は物凄い近付いてきますけど、驚かないでくださいね」

 長老が無言でうなずくと、青年兵士は手にしていた袋から干し肉を取り出した。
 それからすぐに、シェードの探知スキルが高速で近づいてくる存在を捉えた。

「来ました。って、うぉっ! 焦るなって!」

 道沿いの藪から突然現れたコボルト数匹が、青年兵士へと飛びかかった。
 だが、青年兵士はそれに慣れているか、驚いてはいるが慌てている様子はない。
 笑いながら自分にしがみつくコボルトや、ぐるぐると周りを回るコボルトに笑みを見せていた。
 その光景に長老が驚いていると、干し肉を配り終えた青年兵士が、一匹のコボルトに話しかけた。

「なあ、あの子呼んでくれないか? ほらあの子だよ、小さくて羽が生えてる。そうそう、パタパタしてる子」

 会話自体は理解できないが、青年兵士が見せたジェスチャーで、コボルトは何を言っているか理解した。
 コボルトは一歩大きく後ろに下がると、口を空に向けて短く吠えた。

「これで会話が出来るピクシーが来てくれると思います。……これ、驚きますよね。僕も最初は亜人に近付くのが怖かったですけど、ここにいる亜人はどうも違うようです。彼らの話じゃ、人間と接触したことがほとんどないみたいですよ。それが大きな理由だと思うのですが、それ以外にも群れは完全に統制が取れていて、末端のゴブリンでさえ人間に危害を加える事がないです。この群れを率いている主であるゴブリンは余程の存在みたいですよ」
「ほう、それはそれは……。群れの主を見たことは?」

 長老はこの群れの本当の主はゼンだと、少し喜びながら質問をした。

「一度あります。ゴブリンキングらしいですが、あれがゴブリンと言われても、全くしっくりこない姿でしたよ。それに、彼に敵意はないのでしょうけど、目線を向けられるだけで、足が竦むというか、ドラゴンを目の前にしたような感覚になりますね。敵対したら絶対に殺されるって思いました」

 青年兵士が大げさに語っている様子はないと、長老は判断した。
 そしてその話を聞いて、戦いが本分ではない自分が、果たしてそんな存在の前で、いつものように上手く交渉が出来るのかと、不安が生まれていた。

 長老がふと気づくと、自分と青年兵士を交互に見ているコボルトが目に入った。
 生きている亜人がこれほどまで近付いているのに、自分を襲わないという事実に、ゼンの成した事の凄まじさを感じていると、視線の先に飛行する小さな物体が見えた。
 青年兵士もそれに気づいたらしく、飛んでくる物に手招きをする。
 すると、彼が差し出した手の上に、背中に羽を生やし可愛らしい少女の姿をした小さな存在ピクシーが降り立った。

「コンニチハッ! ドウシタッ!」
「やあ、元気そうだね。この人が話があるから、王に会わせてほしいんだ」
「ソウカ、ワカッタ! ツイテコイッ!」
「それでは行きましょうか。建物の前までは案内しますね」
「イクゾッ!」

 長老はいとも簡単にこの群れを率いる者と接触出来るものだと、青年兵士と亜人たちとのやり取りを見て呟いた。

「うむ……思った以上に関係はよいのか?」

 長老が通されたのは、切り開かれた林の中に建造された建物の中でも、一際大きな物だった。
 見た目は単なる木の小屋だが、亜人が作ったのだと思うとこの群れの知恵の高さが窺えた。彼らは洞窟や廃村などに潜むのが一般的だからだ。
 そして、その中から感じた複数ある気配の大きさに、長老は自分が意識せずに唾をのみ込んだ事を、その音で初めて気づいた。

 青年兵士が建物の前で立ち止まると言った。

「それでは、僕はここで待機してます。お話は大体伺っていますが、聞いてはいけない事もあるでしょうから」
「ありがとう。それでは……行くとしよう」

 長老は礼を言うと、少し躊躇をしながらも一歩前に進んだ。すると、建物の扉が中から開けられ、ピクシーに先導される形で長老は中へと通された。
 建物の中へと通された長老は、通路を経て最奥と思われる部屋へと案内された。

「……ッ!」

 長老はその部屋の上座というべき場所で、胡坐をかき腕を組んでいる一匹のゴブリンを見た。
 その姿はゴブリンというにはあまりにも立派な体躯だ。オーガに比べると若干細身ではあるが、見劣りはしない体をしている。頭部には三本の角を持ち、身に着けている装備品は、人間が持っている物とそん色がない。むしろ、多くはマジックアイテムのように見えた。
 長老が声なき声を上げたのは、その瞳を見たからだ。そこには知性と凶暴が同時に備わった様子を見せており、見つめられただけで体がすくむ思いがした。
 長老は思わず生唾を飲み込みながらも、この群れの主であるゴブ太の前に進んでいき、そして腰を下ろした。

「……ピクシー殿、伝えてくれるか?」
「イイヨッ! イエッ!」
「うむ……ワシはゼン様に仕える者の一人で、シェードという。あまり時間がないので用件をまず伝えたい。ここから北部の村が、敵に襲われようとしている。貴公らに手を貸してほしい」

 長老が言葉を言い終わると、ピクシーがシェードには理解が出来ない言葉を話し始めた。
 対して話しかけられているゴブ太は、長老から目線を話さず表情も変えない。
 だが、ピクシーの話が終わると、ややあってゴブ太は口を開いた。

 ゴブ太の声は、「ギィ……」という低く重い唸り声だった。
 だが、これが彼ら亜人の言葉であり、ピクシーは首を縦に振って言葉を聞いていた。

「ソレハ、イダイナル、ダイオウ、カラノ、メイ、カ?」
「大王……ゼン様の事か……? 違う、ゼン様は今東におられる。これはワシの独断だ」
「ソウカ。ワレワレ、モ、スデニ、テキ、ガ、キテイルコト、ハ、シッテイタ」
「ならば、今すぐにでも出てもらえないか!?」
「ニンゲン、ノ、ナワバリ、ヲ、ヌケル、ガ、イイノカ? ケイヤク、デハ、エクター、ヲ、シュビ、スルコトニ、ナッテイル」
「それならば、ラングネル公国から許可は取り付けている」

 長老は思った以上に会話が円滑に進むことに驚きながらも、言葉を続けた。

「それで、兵を出してくれるのか?」
「イイダロウ。ダガ、ワレワレ、ヲ、ウゴカスニ、ヒツヨウナ、モノ、ハ、アルノカ?」
「あぁ……それならこれだ」

 ゴブリンたちをこの場から動かすには、ゼンの許可がいる。そのため、長老は事前にある物をラングネルの貴族から受け取っていた。
 長老は片手を前に突き出し、もう片方の手で腰に付けたマジックバッグに触れた。
 すると、その手には一本の黒い槍が現れた。余程重量があるのか、長老は急いで両腕で槍を支えた。

「す、すまぬが、重いので早く受け取ってくれるか?」
「ウム……。タシカニ、ダイオウカラ、サズカリシ、ヤリ」

 腰を上げたゴブ太は、長老が必死に支えている槍を受ける取ると、小枝のように振るった。
 この槍はゼンがゴブ太に直接与えた槍だ。アーティファクトの剣を手に入れた今では使う事はなくなったが、それでもゴブ太にとって思い出深い物だった。
 それを自分を動かす印としたのは、幹部であれば誰でもこの槍の存在を知っているからだ。
 古参でも新参でも、あの槍を投げるゼンという真なる群れの王の存在を知らない者はいない。それほどゴブ太はこの槍の存在を群れに知らしめていたのだ。
 そして、それほどの物を渡すのだ。もし裏切るのであれば、それは群れの滅亡をもってしてでも取り返すという意思が籠った物だった。
 ただ、ゼンとしてはこれほどの思いが詰まっている事は知らない。ラングネル大公との契約時には「私が作った物なので、彼らは誰でも分かると思いますよ」程度の感想を言っただけだった。

 槍がゴブ太の手に戻ると、彼は再び腰を下ろして槍を立てた。

「ニンム、ハ、テキ、ヲ、タオセバ、イイノカ?」
「……それが出来ればいいが、情報では群れの倍近くいるとある。ここは救出を優先させたい」

 長老がそう言うと、ゴブ太の眉間にしわが寄った。

「ソウカ。デハ、テキ、ヲ、ミテカラ、カンガエヨウ。ダガ、コレダケ、ハ、オボエテイロ。イダイナル、ダイオウ、ノ、ヘイ、デアル、ワレワレ、ニ、ハイボク、ハ、ナイ」

 納得しながらも、明らかに怒りが伺える声色に、長老は背中に冷たい物を感じた。
 あまりにも会話が成立する事に忘れていたが、これらの存在はゼンという人物がいなければ、数匹のドラゴンよりも恐ろしい存在なのだ。

「わ、分かっている! ゼン様が自分の友と言う貴公らだ! その素晴らしさは分かっている!」

 慌てた長老が思わず口にした言葉が、楽しそうな表情をしたピクシーから伝えられると、ゴブ太は急に表情を戻した。そして、ゆっくりと口を開いた。

「トモ、カ……。シェード、ヨ。イソグゾ! ダイオウ、ノ、タミ、ヲ、スクウノダ!」

 長老は急にやる気を出したゴブ太を不思議に思いながらも、部下の集結を始める彼を見て、とりあえず動かせたかと安堵したのだった。



 ブロベック村の壁外では、黒い服に身を包んだ少女がいた。
 彼女は大岩を前に、精神を集中させるように両目を閉じていた。
 ややあって口を開いた彼女から、淀みない言葉が発せられる。

「漆黒の闇で渦巻く地獄の風よ……。我が刃となりて敵を滅ぼせ……。邪竜斬殺黒風刃ッ!」

 黒い服に身を包んだ少女――コリーンの右腕に装着された【風牙の指輪】から、一陣の風が生み出さた。目の前にある大岩に当たると、鞭を打ったような炸裂音をさせた。

「ふぅ……今日の訓練はこれで終わりにしましょう……」

 まるで大事でも成したような顔をしたコリーンはそう言うと、体を村の方へと向けた。

「……ん? 何あれ? はっ、あれはまさか私の力を察知した組織が寄こした手の者!?」

 コリーンの視線に入ったのは、村へと続く道を駆ける一頭の馬とその背中にまたがる人の姿だった。
 コリーンは恐ろしく演技掛かった声を上げたが、それはすぐに元の彼女の声へと戻る。

「って、そんな訳ないか。早く帰らないとまた母さんにどやされるわ。全く……私の使命を理解してくれないんだから……」

 彼女が愚痴を言いながら村の門へ戻ると、そこでは大きく慌てる青年の姿と、門番の姿があった。コリーンは青年に見覚えがあった。隣村であるコーソック村にいる幾つか年上の青年だ。
 コリーンはそのただ事ではない様子を見て何事かと思った。
 だが、最近ではあまり村の人間と会話を交わしていない彼女は、その事を自分から聞くことが出来ずに、遠巻きに様子を窺うだけだった。

「だから、シーレッドが兵を率いてやってきてるんだよ! 急いで村から出ないと大変な事になるんだって! ウチの村はもうみんな出て、今頃こっちに向かってる途中だよ!」
「こんな辺鄙なところに、わざわざ攻めてくるってのか?」
「そんな事知らないよ! とにかく俺はこの目で見てるんだ! どう思われようと本当のことだよ!」

 青年は信じようとしない村人に苛立ちを感じながらも、コーソック村の長老から絶対に逃がせとの命を果たすために、その後も説得を続けていた。
 しばらくすると、何事かとブロベック村の住人が集まってくる。その中には、元冒険者キャスの姿もあった。
 キャスは少し離れにいるコリーンを見つけると、手招きをして呼び寄せた。

「何、キャス姉さん」
「あんた、どこから話聞いてた?」
「どこからって……最初の方から?」
「じゃあ、簡単に何事か説明して」
「ふっ、幾ら親しい仲でも対価を――痛いッ! ちょっと、何でぶつのよ!」
「あんた……状況を考えなさい。いいから、早く教えて」

 コリーンはキャスに叩かれた頭をさすりながら、納得のいかない表情をして言った。

「シーレッドの軍がコーソック村に来てたんだって。良く分からないけど、この村も危ないから早く逃げろって。でも、門番してるロンさんは信じてないみたい」

 コリーンが聞いていた内容を話すと、段々とキャスの表情が曇り始めた。
 その時、人だかりとなっているコーソック村の青年周辺から、大きな声が聞こえてきた。

「皆ッ聞け! 今すぐ持てるだけの物をもって村を出るぞ!」

 キャスがその声に視線を向けると、そこにはブロベック村の村長であるダリオがいた。
 普段から厳しい表情である彼だが、今はそこに焦りが加わっていた。

「えっ? キャス姉さん、あれ本当なの?」

 コリーンはいまだに状況が飲み込めていなかったが、キャスは村長の声色から大変な事が起きるのだと判断していた。

「どうやらそうみたいね……。村長があれほど慌ててるって事は、信じるに値する情報があったって事でしょ。コリーン、早く家に帰ってフラニーさんに伝えなさい。あんた、今はふざけるのなしだからね!」
「う、うん……」
「早く行くの!」

 キャスが真剣な表情でそう言うと、コリーンは驚いた表情を見せながらも自分の家へと駆けだした。

 この情報は即座にブロベック村内に伝えられた。
 村人たちは持てるだけの財産を手にして家を出る。
 ある者は大きな麻袋一つを背負い歩き、ある者は荷馬車に家具まで乗せていた。
 それはごく短時間のうちに行われている。亜人や魔獣が住む森に近いこの村では、何時村が襲われるか分からないので、普段から用意がされていたのだ。

 村人全てがブロベック村から出て二時間ほど経つと、辺りは夕日に包まれていた。
 この日の移動は難しいと判断した村長は、この場所で野営をする事に決めたのだった。

 次の日、朝日が昇りだした頃。
 見張りとして小高い丘に登っていた村人の男は、段々と明ける朝日に照らされた草原を見つめていた。
 するとそこには、暗闇の中では分からなかった、幾つかの人影が見えてきた。距離としては500メートルもないだろう。

「なっ、あんな近くに!? あの方向はコーソック村の奴らか……? まさか、夜も移動してたのか!?」

 男はその事実からある事に気付いた。
 彼は注意深く、パラパラと散ってこちらに向かってくる人影の、その向こうを見た。

「あ、あれはっ!?」

 男の目に入ったのは、一塊となってこちらに向かってくる黒い影だ。
 まだ目を凝らさないと分からないほどの距離にいる。だが、その数は戦場を知らない男でも、千や二千で収まる数ではないと容易に想像できた。

「お、起きろお前らっ! 村長大変だ!」

 男は丘から転げ落ちながらも声を張り上げ叫んだのだった。
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